この記事は |
F-16はアメリカ合衆国のジェネラル・ダイナミクス社が開発した第4世代ジェット戦闘機である。ジェネラル・ダイナミクス社軍用機部門のロッキード社への売却と、ロッキードのマーティン・マリエッタ併合によるロッキード・マーティンへの改称により、現在はロッキード・マーティン社の製品となっている。
概要
元々は米空軍のLWF(Light Weight Fighter)計画の元に技術研究、実証機という名目で試作された機体だったが、当時マクドネル・ダグラス社が開発したF-15戦闘機の価格が高騰してしまい思うように配備が進まなかった事から、そのまま実用化を進めて正式に採用されたものである(因みに採用を競ったのが、後にF/A-18となるYF-17である)。
ブレンデッドウィングボディ(胴体と主翼の曲面をスムーズに接合する)とフライ・バイ・ワイヤを本格的に採用した初の実用戦闘機であり、F-15と同型のエンジンを1機搭載し対G、推力向上などを図っている。小型軽量な機体と強力なエンジンにより、低空〜中高度での格闘戦なら大型のF-15を凌駕するとされる。
現在はアメリカ空軍のみならず、世界中で配備されており、アメリカ空軍のワイルド・ウィーゼル(凶暴なイタチ:SEAD(敵防空網制圧)任務専用の部隊、こちらはF-16C/DのBlock50D/52Dである)等、様々な派生型が生み出されている。航空自衛隊で運用されているF-2支援戦闘機もこのF-16をベースに日本の技術の粋を集めて改良したものである(まぁイロイロあるんですがね?)。
ただしF-15同様初期型は経年劣化が進んでおり、今後登場する同社のF-35ライトニングIIと交代する予定。
F-16は世界中で4,000機以上も生産されており、現用戦闘機としては世界一の配備数となっているが、その一方で被撃墜機数も多い。湾岸戦争での被害を見ると、撃墜率はバグダット以上の密度でSAMや対空火器が配備された中、滑走路の破壊を目的に空軍基地に低高度爆撃を行ったトーネードIDSや、開発当初想定されていなかった戦線後方への攻撃に投入されたA-10程ではないものの、撃墜数はハリアーIIやA-6、F/A-18に次いで高くなっている。またイラク戦争でも、イラク・イスラム軍に地対空攻撃を食らって撃墜される等散々な目に逢っていたりする(創作の世界でもMGS1でハインドDにやられたり、エスコンZEROでPJが死亡フラグ言った直後にピクシーにやられたり等、やられ役を演じることも多いのは気のせいか…)。
ロッキード・マーティンはF-16の生産拠点をテキサス州フォートワースからサウスカロライナ州グリーンビルに移転させ、現在も生産を続けている。[1]
名称
愛称は、当初「マスタングII」や「コンドル」も検討されていたが、空軍士官学校でマスコットに使用されているファルコン(隼)と決定した。しかし、航空機の商標としては『ファルコン』がダッソーのビジネスジェットに使われいるため、訴訟を避ける目的で、ファイティング・ファルコン(Fighting Falcon:戦う隼)と言う名称が制定されている。
米空軍のパイロットや整備員の間での非公式な愛称として、宇宙空母ギャラクティカ オリジナルシリーズに由来する『バイパー』や『エレクトリックジェット』と言う名称も使用されているが、非公式名称の一つ『バイパー』は、インド向けに提案されていた、F-16の現地公式名称として、メーカー側でも使用している。
開発
F-16開発の契機は、アメリカ空軍内部で、ジョン・ボイド (John Boyd) を中心とする「ファイター・マフィア」と呼ばれるグループが活発に活動していたことから始まる。
アメリカ空軍はF-4の後継として1962年から「F-X」を計画し、最終的にこれはF-15として実現した。F-15の開発にはファイター・マフィアの意見も取り入れられていたが、ファイター・マフィアが望んでいた「視界内の近接戦闘において最高の性能を発揮する、小さく単純で信頼性に富む廉価の軽量戦闘機」には程遠かった。そこでファイター・マフィアの一人であるピア・スプレイ(Pierre Sprey)は「F-XX」という小型、単発、推力重量比1.4の機体を提案した。F-XXはあらゆる面で重量を削り、速度よりも運動性を強調し、レーダー誘導空対空ミサイルは省略、マッハ1.6以上は出せないがF-4に比べ加速力は2倍、航続力がわずかに長く、旋回性能もよいというもので、国防総省内に大きな影響を与えた。[2]
当時のアメリカ空軍の主な派閥であったF-15推進派は、安価な新型戦闘機の出現がF-15導入の予算に影響するとしてこの動きを嫌っていたものの、F-104の発展型である、CL-1200ランサーの売り込み先を探していた、ケリー・ジョンソンの助言により、大手パソコンメーカーのヒューレット・パッカード社の創設者の一人で、当時国防副長官だった、デイヴィッド・パッカードがこの計画に興味を持ち、先進技術の実証機としてLWF(Light Weight Fighter:軽量戦闘機)計画を開始した。
1972年1月6日に提示した要求提案(RFP:request for proposal)は、通常は詳細な性能や想定される作戦等が記載されて200ページにもなるのに対し、わずか21ページという簡潔な物で、20,000lb(約 9トン)級の小型の機体で高い機動性を持ち、搭載される電子機器は単純で、最高速度はM1.6程度、設計案のうち2案による比較テストを行うが量産や制式化は考慮しないとされていた。
ファイター・マフィアは計画に参加しそうなメーカーを回ってLWFのアイデアを吹き込んだところ、9社がLWFに熱意を見せるようになり、1972年2月には5社が設計を提案した。設計案を評価したところ、下から順にロッキード、LTV、ボーイング、ノースロップ、ジェネラル・ダイナミクス…という結果になった(皮肉なことに、パッカードを焚き付けたケリー・ジョンソンのいるロッキードは最下位だった)。ジェネラル・ダイナミクスの「モデル401」がYF-16、ノースロップの「P-600」がYF-17と命名され、それぞれ試作機を作る予算を与えられた。[3]
この様な動きに対して、空軍の制服組による反対や海軍アナリストの横やりも有ったが、F-4の陳腐化やインフレによるF-15の単価上昇等の影響でLWFの実用化の動きが具体化し、1974年3月7日にジェームズ・R・シュレシンジャー国防長官は、LWFを1980年代のアメリカ空軍に配備され、多目的に使用出来るACF(Air Combat fighter:空戦戦闘機)として発展させ、3年間で300機導入した場合の機体単価を300万ドルに納める戦闘機を検討するという計画を上院軍事委員会に提示し、4月27日にACFの飛行審査を決定したが、空軍内部には同盟国向け戦闘機と言う見方も存在していた。
同じ頃、NATO4カ国(ベルギー、デンマーク、ノルウェー、オランダ)がF-104Gの後継機の取得に際して有利な取引条件を引き出すために共同行動を取るためのグループ、MFPG(多国戦闘機計画グループ)を1974年初めに発足させた。MFPGの調査団はフランスやスウェーデンを訪問し、1974年6月にはアメリカを訪れてACFの候補機やアメリカ空軍の計画などを評価した。4カ国はF-15クラスの機体を全く求めていない、つまり自分たちは4カ国に売り込める機体を持っていないことに気づいたアメリカは、ACFの方針を変更し、計画のスケジュールも早めることにした。[4]
YF-16の正式な初飛行は1974年2月2日とされるが、これに先立つ1月20日のタキシングテスト中にロ−ル軸のふらつきが発生、機体への壊滅的な損傷を防ぐため離陸、テストを行っていた飛行場周辺を飛行している。YF-16とYF-17の飛行審査期間中に、当時アメリカ空軍が保有していた、多くの機種とDACTが行われたが、意図的にF-15やF-17の直接対決は、避けられていた。
1975年1月、F-16(のコンセプト)がACFの勝者に選ばれた。ジェネラル・ダイナミクスはFSD(フル・スケール・デベロップメント:全面開発)の設計に移行、FSD(合計8機製造)の第1号機は1976年12月に初飛行、アメリカ空軍の生産1号機の受領は1978年8月に行われている。
米海軍
F-111という大失敗を経験しているにもかかわらず、米議会は再び米空軍と米海軍の戦闘機を共用化させようと考えていた。
海軍は新しい戦闘機を調達する計画であるNACF(海軍空戦戦闘機)を進めていたが、議会は1974年10月に「海軍の新しい戦闘機はACFの候補機のいずれかに基づくべきである」という指示を出し、F-16の海軍型がジェネラル・ダイナミクス社とLTV社のチームから、F-17の海軍型がマクダネル・ダグラス社とノースロップ社のチームから提案された。
確かに海軍と空軍の戦闘機が共通になれば投資コストや機体の維持コストの大幅な節約になった可能性はあるが、実際には空軍と海軍との間ではそのような議論はほとんど行われず、空軍は独自にYF-16を選定し、海軍も独自にYF-17の海軍型をF-18として採用した。→ F/A-18
各国の導入
- アメリカ空軍…1975年1月13日に、機動性、航続距離、加速性での優位、F-15と共通のエンジンを使用した事によるF-15調達コストの引き下げを理由として、従来のF-15配備計画を維持したままのF-16大量導入を発表した。ただ、F-15で発生していたトラブルが引き金となって、当初想定されていた空対空戦闘においてF-15を補佐する戦闘機から、対地攻撃を主体とし、副次的に空対空戦闘も行なう戦闘爆撃機としての運用が主体となり、のちにイスラエル空軍のF-16Dブラキート/IスーファやF-2と言った、派生型を生む切っ掛けにもなった。
- NATO4カ国…1975年3月には、NATO運営委員会からミラージュF1/M53、F-16、サーブビゲンの比較レポートが公開された。このレポートの中でF-16は価格と機体性能は他の2機種よりすぐれているが、ライセンス生産のオフセットの見返りが一番少なく、MFPGが機体の開発計画に殆ど影響力を行使出来ない、先端技術を用いた部品がブラックボックス化されており、技術的な見返りが少ないと言った事が指摘されていたが、この前後の時期から、断った上で持ちかけられた側が暴露した、ダッソーの代理人による、オランダの複数の政治家に対する買収工作やCIAが公表した、ノースロップによる、フランス国民議会副議長買収と言った、他の候補を売り込んでいた企業による裏工作が表沙汰になる等した。その後、1975年6月7日パリ航空ショーの会場で、ベルギー、デンマーク、ノルウェー、オランダのNATO四ヵ国が共同でライセンス生産したF-16を採用する事を公表した。
- 帝政イラン…F-16の採用を決定したが、1978年にイランのテヘラン州(現:ゴム州)ゴム市で発生した暴動を発端とした国内の情勢悪化と原油価格の急落により、発注は取り消された。
- イスラエル…帝政イランの発注分(75機)は既に製造が始まっていたため行き場を失っていたが、旧式化していたミラージュIII系列機の代替や第四次中東戦争で失われたアメリカ製戦闘機の補填を必要としていたイスラエルが引き取った。イスラエルは追加で第二次発注(75機)を行っていたが、これはしばらくの間隠されていた。イスラエルが運用するF-16は一部を除き、機体下部はヒルグレイスキームに準ずる塗装が行われているが、機体上部は独自の三色迷彩を施されている。
- 自衛隊、カナダ、イギリス…1974年にF-4やF-104の後継機の選定を開始した航空自衛隊、トーネードの開発計画から抜けたカナダ空軍、ライトニングの後継機を早急に必要としていたイギリス空軍等も有力なカスタマー候補と見られていたが、初期の量産機に、視界外交戦能力搭載を見送った事が仇となり、これらの国では、F-15やF/A-18、トーネードADVを採用した。
※ジミー・カーター政権下の1977年、F-16の輸出先をNATO諸国とイスラエルに限定する制限が加えられたが、この制限は諸事情により台湾と東南アジアを除き有名無実化、1984年にレーガン政権により台湾向けの高性能兵器売却禁止と引き換えに、販売対象国は拡大して行った。
- エジプト…1980年にはエジプトが東側製の航空機の更新を目的に、アメリカ空軍の中古F-4と共に導入を決定、その後複数回に渡り、東側製戦闘機の代替を目的に発注が行われたが、93年に契約された分はトルコ製のF-16をアメリカ軍から導入した。
- パキスタン…1981年にF-16の採用を決めたが、ソビエトによるアフガニスタン侵攻に対応する必要が有ったパキスタンには早期に機体引き渡しが行われた。89年にフランスやソビエト製戦闘機の更新を目的とした追加発注を行い、前金も支払ったが、同国の核開発疑惑により引き渡しが凍結され、完成していた機体は航空の墓場であるデビスモンサンで保管される事となった。
- 韓国…韓国も1981年に採用を決定したが、東西冷戦の最前線では有るが差し迫った危機も無い韓国は、F-16を運用するに足る防空システムの構築を必要としていたため、機体の引き渡しは1986年まで待たなければならなかったが、結果的に海外カスタマーで初めてF-16C/Dを採用した国家となった。
韓国は続いて89年に決定した韓国戦闘機計画I(KFP I)において、ライセンス生産が可能と言う条件を満たす戦闘機として一旦はF/A-18を選定したが、艦載機の製造ノウハウ流出や過剰な対地攻撃力を持つ機体を韓国が保有する事への北朝鮮の反発、韓国の経済情勢の悪化等により、F-16のライセンス生産による増備に切り替えた。この計画と、2000年に契約された韓国戦闘機計画II(KFP II)で合計140機のF-16を生産、初期の導入分と合わせると保有機は180機となった。しかし稼働率がげほげほと言うのは、公然の秘密である。 - ベネズエラ…1982年に導入を決定し、83年から機体を受領、92年のウゴ・チャベスによるクーデター騒動では政府側に付いた部隊の運用するF-16がクーデター勢力への攻撃に投入された。99年にウゴ・チャベスが大統領就任し、彼の反米的な言動によりアメリカから部品供給が絶たれたので、今は基地の片隅でひよる毎日をおくっている。
- トルコ・ギリシャ…同じNATO参加国でありながら、キプロス島を巡る領土問題で対立関係にあり、60年代から小規模な武力衝突が発生している、トルコ(83年)とギリシャ(84年)が相次いで採用を決定した。
トルコは国内の航空機産業の育成とオフセット契約により金銭的な負担を軽減する目的で、ライセンス生産を行ったのに対し、ギリシャは完成機の輸入と言う形を取った。このトルコ製F-16は、アメリカ軍以外への販売が認められていない為、近隣の米軍基地でタッチ&ゴーを行い、アメリカ軍に納品した機体をトルコ空軍がアメリカ空軍から購入する形で、引き渡しが行われている。
この二ヵ国のF-16は、双方がエーゲ海上空でのパトロールに使用し、96年には、ギリシャ空軍のミラージュ2000との交戦によりトルコのF-16Dが、06年に双方のF-16が空中接触により失われている。なお、トルコ側はヒルグレイスキームと呼ばれるF-16の標準的な塗装(機体下面と機種周辺はライトゴーストグレイ、レドームと機体上部の機首周辺と垂直尾翼を除きガンシップグレイ)を採用しているのに対し、ギリシャは、機体をエーゲ海の海面に合わせた独自の塗装色を採用している。このギリシャのエーゲ海迷彩は、アメリカ海軍のF-16Nでも識別塗装の一つして使用された。 - タイ・シンガポール…1984年の販売対象国拡大と台湾向けの兵器輸出規制強化は、ベトナム軍拡への対応策として、非NATO参加国であった為、F-16/79の導入を決定していたシンガポールとタイが発注を在来型F-16切り替える事になった。
- アメリカ海軍…アメリカ海軍では少数機をアグレッサーとして導入、80年代後半にMig-29やSu-27の性能をシミュレートするのに、何機かのF-16C Block30前期型から、生産段階で機銃や空対空ミサイル関係の配線を省き、レーダーをA/B型と同様のAGP-66にダウングレード、主翼の構造材を補強した機体を導入したが、諸事情(主翼部分にクラックが生じていたため…空軍の規定では問題無しではあるが、海軍規定に抵触。改修のための予算は出なかった)により2、3年で引退することとなった。
その後、軍縮などに伴い行われた海軍レギュラースコードロン削減により、余剰機となったF-14やF/A-18に装備更新を行なったが、2000年代に入って、F-14が老朽化による整備コストの増加と一連のアフガニスタンとイラクでの戦費捻出の為に退役が前倒しにされた事の影響もあり、ふたたびF-16A/B(Block15 OCU)をアグレッサーとして導入した。この機体は本来パキスタンが受領するはずだった機体で、諸事情によりお蔵入りになったものを再整備したものである。 - 日本…80年代中盤にはアメリカとの深刻な貿易摩擦を起こしていた日本が三菱ジャギュア……もといF-1支援戦闘機の後継機の開発に乗り出していたが、機体の自主開発を目論んでいる事が発覚すると、アメリカはこれ幸いとばかリに、自動車に続いて航空機分野も日本に荒らされるを口実に介入、外交問題に発展した。そして、米空軍主導によるF-16XLの売り込みや欠陥とトラブル続きだったF/A-18の発展型を日本の要望でMDが開発すると言った提案、輸出の伸び悩んでいたトーネードの大口が狙える相手として、マルチロール型トーネードJの売り込み、採用実績があり、運用基盤が出来上がっているF-15の魔改造プランなど、紆余曲折をへて、F-16を元に魔改造した三菱F-2支援戦闘機を共同開発させる事になった。
- バーレーン…中東のバーレーンが在来機の更新を目的とした商戦は、90年代から2000年代の戦闘機商戦を予期させる物であった。F/A-18、ミラージュ2000、トーネード等、従来の(親)西側諸国の採用計画で、常連とも言える顔ぶれに加えて、導入コストの安さを売りにした、Mig-29の売り込みも行なわれたが、バーレーン空軍は、イスラエルとの関係でアメリカの議会がF-16の輸出許可を出さなかったため、いったんはトーネードADVを採用したが、改めて輸出許可がでた1987年にF-16を採用し、1990年5月から引きわたしが行なわれた。この引き渡しから3ヶ月と経たない1990年8月2日にイラクがクエートに侵攻、バーレーン空軍のF-16も訓練未了のまま多国籍軍の一員として動員された。
実戦
1981年にイスラエル空軍によるバグダット近郊で建設中の原子炉爆撃(バビロン作戦)にF-15戦闘機と共に投入され、初めての実戦参加となった。イラクのオシラク原子力発電所に2000ポンド爆弾を投下、これを完全に破壊しイラクの核開発能力ごと「消滅」させが、バビロン作戦後も『今日明日にでも核兵器保有国の仲間入りが出来る』と、サダム・フセインは公言していた。しかし、イラクの核開発機関は、フセインの食事の毒味以外に具体的な成果を残せず、最終的にはイランイラク戦争とそれに続く湾岸戦争、国連による核査察と経済制裁、イラク戦争を経て、政権崩壊への道を歩む事となった。翌82年のガリラヤ平定作戦では、シリア空軍とのベッカー高原での航空戦に投入された。
湾岸戦争における「砂漠の嵐」作戦では、LANTIRNの不足(搭載している機体もあったが、航法ポッドのみで目標指示ポッドは無し)に加え、対空砲での撃墜を避けるために中高度からの爆撃を命じられた(爆撃ソフトウェアとパイロットの訓練は低高度での攻撃に最適化していた)ために、良い結果を残すことはできなかった。[5]
湾岸戦争後のサザン・ウォッチ作戦では飛行禁止空域に侵入したイラク軍のMiG-25を配備されたばかりのAIM-120Aで撃墜。これがAIM-120の初戦果となった。
2003年のイラク戦争では湾岸戦争での鬱憤を晴らすかのようにペイブウェイからJDAM、更にHARMといったスマート兵器の大盤振る舞い。湾岸戦争から更にハイテク化の進んだアメリカ軍の進化っぷりを見せ付けた。
バリエーション
計画機や実験機、事後アップグレードに運用国独自仕様等、詳しい違いはWikipedia英語版か航空専門誌(航空ファン等、航空専門誌ではないが、軍事研究/同誌別冊で特集を行ってる場合はおすすめ)、イカロス出版のF-16本を参照)
- YF-16/F-16FSD - 試作機。
- F-16A/B - Block1~15がこれにあたる。Bは複座型。
- F-16ADF - Block15ベースの州空軍向け防空戦闘機、この機体のADFは、Air Defense Fighterの略であってApartment house Defense ForceやAzusa Defence Forceの略では無い。
- F-16A/B MLU-オランダ、デンマーク、ベルギー、ノルウェーが保有するBlock15の改良型及び台湾向けBlock20新造機がこれに当る。
- F-16C/D - Block25~50+/52+までがこれに当たる。Dは複座型。Block25のグラスコクピット化、Block30/32からはF110/F100の二種類のエンジンを採用、Block40/42ではLANTIRNを使用した地形追従飛行に対応する為にホログラフィックHUDを採用、Block50/52では、F100/F110の出力増強型への変更、ハープーン及びJDAMへの対応、Block50D/52DはF-4Gの後継機として防空網制圧 (SEAD)への対応(現地改修の形で、在来型でASQ-213 HTSの運用を可能とする、Block50/52の50D/52D化改修も行われている。)、Block50+/52+は、アメリカ空軍では導入計画が無い為事実上輸出専用機となっている形式で、CFT搭載能力とD型にイスラエル空軍のBlock30/40の副座型と同じドーサルスパインが取り付けられている等が代表的な改良点。
F-16A/Bと、Block40以前のF-16C/Dがアナログ式の飛行制御システムだったが、その後に製造された機体はデジタル式のシステムになっている。[6] - F-16N - 海軍用F-16N、一言で言えば、迷(運用)飛行機。
- F-16 CCIP - アメリカ軍が保有するBlock40/50(42/52)の機体艤装統一化計画、JHMCSやリンク16への対応、Block50(52)限定でMFDのカラー化やASQ-213とLANTIRNを始めとする外部搭載式光学センサーの平行運用対応が主な改良点。
- F-16E/F - Block60/62が該当、アラブ首長国連邦への輸出型で、FLIR(前方監視赤外線システム)、JHMCSを搭載。コンフォーマルタンク標準装備。
- F-16V(Block70/72)…エンジン推力を向上させたほか、AESAレーダーを搭載するなど電子機器も進歩している。2019年8月に台湾への供給が承認されている。[7]
配備国限定仕様
- F-16 Cバラク/Dブラキート/Iスーファ - イスラエル空軍専用F-16、バラク/ブラキートがBlock30/40、スーファがBlock52+の独自仕様機、ブラキートとスーファは、電子戦機器収容の為、機体背面にドーサルスパイン増設など、イスラエル御得意の魔改造が施されており、他国が導入したF-16との識別は容易であったが、D型のBlock50+/52+では、他国の機体でも機体背面のドーサルスパインが標準装備となっている。イスラエル空軍が公式ルートで公表したブラキートの写真では、ドラッグシュートの代わりに詰まってる電子機器類が黒塗りで潰されており、モデラー泣かせでもある。なお、イスラエル空軍のF-16で、標準装備とされている、600galドロップタンクは、航空自衛隊が運用するF-2で、同じ物も使用されている。(新明和製の同等品も保有している為、両者の識別方法は、モデルアートのF-2別冊でggrks)
- KF-16 C/D - 韓国空軍が1990年代から2000年代始めに導入した、韓国でライセンス生産されたF-16。F-16 Block52 CCIP相当の艤装が行われている。
- F-16IN - インドの新型戦闘機選定に提案されているBlock60/62の発展型で、アナログ計器の全廃による、グラスコクピット化やRCS軽減、プローブアンドドローグ式空中給油への対応改修が行われるとしているが、使い回しとは言え、試作機まで作ったのに技術移転障壁によって、選定から脱落。
試作機・計画機等
- F-16/79 - ジミー・カーター政権下での兵器輸出ガイドラインに因って、F100を搭載したF-16の輸出先が制限されたため、輸出専用にF-104やF-4で使用されたJ79を搭載した機体。シンガポール空軍やタイ空軍が一旦は導入が決定されたが、レーガン政権下で台湾向けの兵器輸出制限と引き換えの形で、在来型F-16の輸出規制が緩和され、この二ヵ国が在来型F-16を切り替えたため、量産機は製造されていない。
- F-16/101- 同じプラット・アンド・ホイットニー F100を搭載する、F-15でエンジントラブルが多発した為、ゼネラル・エレクトリックが、F-17向けに開発したエンジンを始祖とし、B-1向けに開発されたF101を搭載した実験機。このエンジンを使用するF-16の採用は無かったが、発展型のF110は、Block3X以降の機体の過半数以上とF-14B/Dで使用されている。なお、F-15で多発したトラブルであるスタグネーションストールは、最終的にインテークの可変ランプとエンジンの相性であると結論づけられた。
- F-16XL - F-16にデルタ翼を組み合わせた試作機。 → F-16XL
- F-16SE - 80年代後期から90年代始めにかけてイスラエル向けに開発が行われていた、イランやシリアの核開発施設等と言った、敵国中枢へのディープストライクに対応していた航続距離延長型で、間違ってもM$が製造した訳ではない。(類似例:F-16 Vista)F-15Iとのコンペに破れ、採用されなかったが、この機体向けに企画や開発が行われた機材の多くは、2000年代輸出の始まったBlock50(52)+で採用された。この中には、F-15Iの増勢ではなく、Block52+をF-16Iとして導入したイスラエル空軍も入っている。
- A-16 - 破壊ネ申の後継機として開発されており、30mmアヴェンジャーを固定武装に、また7.62 mmガンポッド搭載と、A-10の後継機として、ふさわしい武装であったが、さすがにF-16の軽い機体に30mmは機体的に問題があったらしく、計画は頓挫した。試作2機。
- F/A-16 -CAS支援機として改修したF/A-16を導入するという計画もあったが、『てめぇみたいな軽装甲の早漏野郎が親方の後釜に座ろうとはおこがましい』や『ドサクサに紛れてA-16と言う名前のF-16を買い増したいのが見え見え』と言う理由で、A-7現代化案とともに冷戦の終結よる予算低下に基する陸軍と議会の反対にあう。結果、実践のデータが芳しくなかったこともあり、Block40/42の限定的CAS機能強化に終り、破壊ネ申は現役のままとなりました。24機が湾岸戦争にて実戦投入。
- F-16DSI -JSFロッキード案(X-35)に採用された、低視認性インテークの技術実証機。
- X-62 VISTA - F-16ベースの実験機で、当初はNF-16Dと呼ばれていた。
現在はAI制御によって空戦を行う機体として研究に使用されており、学習を重ねることで有人機に勝利する段階まで来ているという。[8]
ペーパープラン
- F-16/FSW -GDによる前進翼実験機X-29案、計画のみ
- F-16CM -アグレッサーとしての使用がメインであった、F-16N見たいに、電子機器のダウングレードを行なった、州空軍向け特売用Block30、既に保有しているが、それほど古く無い航空機を改造して末永くこき使いましょう計画の産物である、F-16ADFが選定されたため、F-20共々量産されず。
- F-16 アジャイルファルコン -アメリカ空軍とNATO向けに計画された、C/D型の重量増加により、豚とまで酷評されるレベルにまで低下した、運動性能を主翼の大型化による翼面加重軽減で、改善した形式。実機は制作されなかったが、研究成果がF-2の設計時に間接的な影響を与えた。
- F-16 Block 40/42 SX-1/2/3/4 -航空自衛隊のF-1支援戦闘機後継機選定に提案されていた形式。SX-の後に続く数字が大きくなる程、原型機からの魔改造度が上がり、SX-3は主翼の大型化等、アジャイルファルコンに近い内容が盛り込まれていたほか、一部ではF-16の双発機型である、SX-4まで改造プランが存在したとされている。
その他
ゲームにおいてはパソコン専用ソフトでFalcon4.0がリリースされており、操作体系まで拘ったリアル志向のゲーム性を味わうことが出来る。また、テレビゲーム等においても人気が高く、特にエースコンバットシリーズにおいては未来設定の3を除き皆勤と高い登場頻度を誇る。何かとお世話になるため馴染みの機体である人も多い(はず)。エースコンバットZEROでは空飛ぶ死亡フラグで名高いPJの使用機体であり、エースコンバット6ではプレイヤーの初期機体である。また6では、DLCとしてアイドルマスターの双海真美の痛戦闘機(アイドルコンバット)としてF-16Cが登場している。
関連動画
関連コミュニティ
出典/参考文献
- 航空ファン-1999年6月号
- エアワールド-1989年9月号/1990年12月号/2004年7月号
- F-16ファイティングファルコン 最先端テクノロジー機のすべて
- 航空ファン別冊 No10 F-16ファイティングファルコン
- 世界の名機シリーズ F-16ファイティング・ファルコン
- 軍事研究別冊 新兵器最前線シリーズ8 空自F-2/F-1戦闘機と世界の戦闘攻撃機
関連項目
脚注
- *Behold The First F-16 Viper Built In South Carolina 2022.11.22
- *湾岸戦争史 第4章「航空作戦から見た湾岸戦争」 防衛研究所
- *「F-16戦闘機のすべて」 ビル・ガンストン 浜田一穂:訳 原書房 1984 pp.10-12
- *「F-16戦闘機のすべて」 pp.68-73
- *「トム・クランシーの戦闘航空団解剖」トム・クランシー 平賀秀明:訳 新潮社 1997 p.220
- *「トム・クランシーの戦闘航空団解剖」p.210
- *台湾にF-16V戦闘機66機、米が売却へ 「より攻撃的で挑発的」中国紙 2019.8.21
- *An AI-controlled fighter jet took the Air Force leader for a historic ride. What that means for war 2024.5.4
親記事
子記事
- なし
兄弟記事
- 13
- 0pt