昭和(しょうわ)とは、日本の元号の一つである。
すべての期間にわたって暦法にはグレゴリオ暦が用いられ、日付において西暦とのずれは無い。
四書五経の一つ書経尭典の「百姓昭明、協和萬邦(人々はすべて聡明で、様々な国が仲良く助け合うという意味)」に因んでいる。
概要
西暦で1926年12月25日から1989年1月7日まで。平成の前、大正のあと。
その期間は62年と2週間に及び、日本のみならず、世界で最も長い元号である。世界でも60年を上回る元号は清の「康熙」など3つしかない。
昭和から西暦を計算するには昭和の年数に25を足すとよい。西暦から計算するには同様に25を引く。
例:昭和50年 → 50+25=75 → 1975年
昭和初期~昭和10年代
娯楽の面で言えば、乏しいと思われがちの昭和初期であるが、小説、舞台、映画など今の時代に勝るとも劣らない名作も多い。子供たちの間では紙芝居なども流行り、アメリカ合衆国からの映画などもこの頃は普通に庶民の間で楽しめ人気であった。著名なコカ・コーラやディズニー作品なども、大正末からこの時期には日本に入っていたのである。
一方で、昭和初期の日本経済は長引く不況に陥っていた。1923年(大正12年)に発生した関東大震災を発端とする震災恐慌に続いて、1927年(昭和2年)に金融恐慌が起こる。
さらに1929年(昭和4年)、アメリカ・ニューヨークのウォール街において株が急落したことをきっかけに世界恐慌が起こる。日本にもその影響は広がり、失業者や会社の倒産が増えた。
国内政治は政党に変わり、軍の影響力が強まっていった。1931年(昭和6年)に日本は満州事変を起こし、満州国を建国。その後の五・一五事件、二・二六事件を通して、軍部の力はますます強まった。1933年には国際連盟を脱退、徐々に国際的に孤立していくこととなった。
そして、1937年(昭和12年)に開戦した日中戦争(当時の呼称は支那事変)の頃になると戦時体制が強まり、娯楽にも軍事色が多くなっていった。1941年(昭和16年)に太平洋戦争(大東亜戦争)が勃発し、日本軍が真珠湾を攻撃。日本は太平洋や東南アジアを舞台に、イギリス・アメリカと戦争を始めた。
アメリカとの戦争は、日本の学校教育で英語を習っていたり、それまではアメリカの映画・雑誌なども普通に楽しめていただけに国民はひどく困惑した。英語は敵性語とされ、野球の「ストライク」、「ボール」は「よし」「だめ」に言い換えられた。
1941年(昭和16年)~1945年(昭和20年)は、昭和という時代にとって一番の爪痕を残した時期である。
昭和20年代
1945年8月、2つの原爆が広島と長崎に落とされ、ソ連が日本に侵攻、8月15日に日本はポツダム宣言を受諾、無条件降伏し太平洋戦争は終了した。その後、日本はダグラス・マッカーサー率いるGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の統治下に置かれた。1946年(昭和21年)に民主化を定めた日本国憲法が公布され、日本の軍事主義と帝国主義は終了した。
その後はアメリカともすぐに戦前と同じように交流が戻り、大量の娯楽や文化がまた日本に入ってくるようになった。それは、今までの戦争の4年間を取り返すような急速な吸収だった。爆発的な変化と言っても過言ではないかも知れない。
終戦後の数年間は日本経済の混乱期であり、爆発的なインフレが起こったが、1950年(昭和25年)に始まった朝鮮戦争によって日本はアメリカ軍などの軍需物資の生産基地となり、好景気に沸いた。1951年(昭和26年)9月、サンフランシスコ平和条約が締結され、日本は主権を回復した。
昭和30年代
昭和30年代(1955年~)に日本は高度経済成長期に突入。テレビ、冷蔵庫、洗濯機の「三種の神器」が一般家庭にも普及した。一方、テレビの急速な普及によってそれまで映像メディアの主役であった映画館の入場者数は急速に落ち込んでいった。この時期に石炭からガソリンへとエネルギー市場が代わり、多くの炭鉱が閉山していった。昭和39年(1964年)には新幹線が開通し、東京オリンピックが開かれる。
日本はこの頃には既に戦争の面影がない程に、各地で見違えるように発展していた。「もはや戦後ではない」が流行したのもこの時期である[1]。
一方、海外では朝鮮戦争やベトナム戦争などの要因ともなる、いわゆる『東西冷戦』の時代に突入した。ソ連とアメリカの戦いが、世界各地で繰り広げられていた。
昭和40年代
昭和40年代に入ると、100円硬貨が製造され、カラーテレビ、クーラー、自家用車の「3C」が普及した。
1972年(昭和47年)、それまでアメリカの施政下に置かれていた沖縄が日本に返還された。
日本経済の高度成長は続き、1968年(昭和43年)には、国民総生産(GNP)が当時の西ドイツを抜き資本主義国の中でアメリカに次ぐ2位となった。しかし、1973年(昭和48年)に第一次オイルショックが発生。翌年は戦後初のマイナス成長となり高度経済成長は終わりを告げ安定成長へと移った。
昭和50年代
昭和50年代には、インベーダーゲーム、ファミリーコンピューター(ファミコン、FC)などが製造され、ゲームも機械で出来る時代になり、この時代には様々な電化製品が開発されていった。
政治面では自由民主党の政権が続いたが、田中角栄内閣の退陣後は派閥政治の時代となり政権の短命化が目立ち始めるようになった。
1970年代の記事も参照。
昭和60年代~ そして平成へ
昭和60年~63年の間に、バブル期が訪れ、以後、1991年~1993年(平成3年~5年)ごろまで好景気が続き、庶民がマンションや株などを購入して、後に損した者も出た。詳細はバブル経済の記事参照。
1989年1月7日に昭和天皇が崩御したため、翌日より『昭和64年』から『平成元年』となり、昭和時代は終了した。
ファッションや家具、その他のデザインは今から見ると古臭く感じることもある。
しかし組み合わせによっては逆に良い物になったり、あえてレトロ調として楽しんだりも出来る。
またこの時代に想像して作られた「未来像」を見て、そのファッションやガジェットのデザインに「昭和」を感じることもある。
1980年代の記事も参照。
関連動画
関連項目
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大正(たいしょう) 1912~1926 |
昭和(しょうわ) 1926~1989 |
平成(へいせい) 1989~2019 |
脚注
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