ツキサムホマレ 単語

ツキサムホマレ

4.4千文字の記事

ツキサムホマレとは、1969年生まれの日本競走馬である。栗毛

現在でも最強世代として語り継がれる「花の47年組」の一頭で、他の競馬場ではさっぱり勝てないのに北海道競馬場でやたらと強かったことから「北海ヒグマ」と渾名された。なのに

な勝ち
1974年:函館記念
1975年:札幌記念函館記念

※当記事では活躍した当時に合わせて旧馬齢表記(現在の表記+1歳)を使用しています。

概要

チャイナロックハロスカイハロウエーという血統。

チャイナロックハイセイコータケシバオーとしておなじみの大種牡馬チャイナロックの代表産駒たちはとは違いい系統の毛色をしていることが多かったのだが、ツキサムホマレはと同じ栗毛を受け継いでいた。

ハロスカイ1964年生まれの未出走。ツキサムホマレが繁殖入りして最初の産駒であった。

ハロウエーは50年代から60年代にかけてヒンドスタンライジングフレームと覇を競った戦後期の大種牡馬。代表産駒にはタニノハローモアスターロツチがいる。

1969年4月16日オグリワンオグリダンディの出身牧場である新冠の山田武吉郎氏(現ヤマタケ牧場)によって生産された。その後札幌市寒の「ツキサム」を冠名にしていた末氏に購入され「ツキサムホマレ」と名付けられた。3歳になったツキサムホマレは後に秋天3着のアサカツビートアングロアラブの名ウルフケイアイを手掛ける美浦トレセン開場前中山競馬場の元石正雄厩舎に預けられた。

現役時代

1971年7月函館開催で増田騎手上にデビュー福永洋一騎手に乗り替わった9月札幌で勝ち上がった。勝ち上がったツキサムホマレと営は直後に開催される北海道3歳ステークスに連闘で出走したが、11頭立て10番人気で最下位11着にあっけなく敗れた。

短期の休養を挟み地元関東で復帰したツキサムホマレは11月100万下尾賞に出走。17頭立て17番人気断トツの低人気だったのだが、低人気を跳ね返し7着まで食い込んだ。しかし5番人気まで人気を上げた次走の寒菊賞では後の年度代表馬イシノヒカルの前に16着に敗退し、結局デビューした71年は未勝利戦1勝に終わった。

4歳になった1972年2月の200万下から始動。初戦の200万下条件戦を7番人気13着。15番人気に下げた次走では5着というレースを繰り返した。6月日本ダービー出走の為前田騎手に乗り替わってトライアルNHK杯に出走…したはいいものの、200万下の条件がこれまでの戦績では勝つ可性は全く見えず、最低人気16番人気で12着とまさしく記念出走のような形で終わった。しかし世代の一流と一緒に走った経験はツキサムホマレを大きく成長させることになったのか、7月に200万下を突破した後は成績が向上し、3着内に入ることが増えてきた。12月には400万下も突破し、オープン入りも視界に入り始めた。ちなみに4歳時は一度も北海道競馬場では走っていない。

5歳になった1973年中京競馬場の穂高特別で5着の後2層バレンタインステークスをクビ差で勝利し遂にオープンになった。速次走には重賞となる中京記念が選ばれたが、例によって最低人気12番人気レースでは中京競馬場と化していた同期ナオキに跳ね返されたものの、掲示板入りとなる5着に健闘し見返して見せた。次走のダイヤモンドステークスも10番人気だったが4着と好走。ついにここでファン達はツキサムホマレが本格化したことを察したのか、ここからは多くのレースで上位人気に名を連ねるようになった。

京王杯スプリングハンデキャップ4着、アルゼンチンジョッキークラブカップ7着の後、ツキサムホマレは3歳以来となる北海道へ遠征。横山富雄騎手に乗り替わって5戦して1勝と期待したほどの成果は上げられなかったが、その1勝はダート1800mで2着に5馬身、3着に13馬身という大勝だった。

地元の関東に帰ってきたツキサムホマレは、10月条件戦で14頭立て7着となった後、以来の重賞挑戦として目黒記念(秋)に出走。伝統の一戦というだけあって天皇賞ベルワイドメジロムサシを始め骨折から復帰して重賞連勝中のタニノチカラ、長距離重賞定評のあるトーヨーアサヒとメンバーが集まった。しかしツキサムホマレも13頭立て8番人気に踏みとどまり、レースでも掲示板入りとなる5着に好走。一流と走ってもいい勝負ができるようになってきた。

6歳時の1974年の復帰戦は5月の700万下条件戦だった。初戦は2着だったものの、2戦勝利を収め、今年も北海道横山騎手と共に遠征する。北海道ファンは前年に見せた大勝をまだ覚えていたようで、初戦から1番人気に支持され、3戦して2勝2着一回、函館記念では秋天3着のオンワードガイを破って重賞勝利を成し遂げた。関東に戻っての2戦は同期のタケクマヒカルイナボレスにそれぞれ敗れ、74年はこれで切り上げた。

7歳を迎えた1975年も現役続行。普通競走馬はそろそろ衰えが見えてくるころだが、ツキサムホマレはここからが全盛期だった。復帰戦は7歳にして初となる関西山陽特別。ここを2着とした後デビュー以来初の八大競走挑戦となる天皇賞(春)へ出走。7歳の初挑戦ということで久しぶりの低人気となる12番人気だったが、掲示板を逃すものの6番人気ナオキには先着する7着。帰り際には平安ステークス勝利して関東に引き上げている。

6月後半、ツキサムホマレは年々成績を上げる北海道開催に今年も遠征。初戦の札幌日経賞は3着に取りこぼしたが、次走札幌記念では2着に3馬身を付けレコード勝ち、続く大ハンデキャップではトップハンデタイで5馬身差、前年勝利した函館記念では60kgの大台に乗ったが、ここでも勝利し連覇して見せた。同じ年に札幌記念函館記念を連勝したのはツキサムホマレが初めてのことで、他には2013年トウケイヘイローのみである。しかし2013年札幌競馬場の改装の為札幌記念函館競馬場で行われており、それぞれの競馬場勝利したのはツキサムホマレしかいない。しかも当時札幌競馬場には芝コースかった為、芝とダート双方の重賞勝利した記録も作っている。

北海道で大暴れしたツキサムホマレは地元中山を通り越し、京都大賞典に出走した。北海道の活躍は遠く京都にも知られていたのか2番人気に支持されたが、北海道ではなかったので5着に敗れた。その後ツキサムホマレは何がどういう事情があったのかアメリカで行われていたワシントンDC国際の招待に選出され、営もその招待に乗り、アメリカローレル競馬場に遠征。当時日本の多くの名が出走したワシントンDC国際に出走した。現地では坂本九の『上を向いて歩こう』がスキヤキソングの名で流行っていたためにスキヤキホマレ愛称をもらって歓迎されたが競走馬としての評価では当然というかなんというか9頭中9番人気最低人気で、レースでは3番手につけて先行したものの向こう正面からずるずる下がっていき、結局勝ちノビリアリーから30馬身も離された最下位に敗れた。原因は現地の飼い葉が実にアメリカンな高カロリー調教師が気づいた時にはおたっぷりすき焼き状態になってしまっていたからだった。

ツキサムホマレが日本に帰って来た時、営を待っていたのは挑戦に対する慰めの言葉ではなく、罵詈雑言ともとれる批判であった。ツキサムホマレが大敗したことは新聞などで既に日本にも伝わっていて、ファン達は「あんなを代表にするから、日本はいつまでたっても勝てない」だのなんだの、ツキサムホマレを軽んじる批判を繰り返したのである。営はこれを聞いて何を思ったのかまでは分からないが、ツキサムホマレはいつも11月に切り上げて休養に入っていた日程を変え、12月有馬記念に姿を現した。有馬記念には二冠馬キタノカチドキトウコウエルザの他、天皇賞フジパーシア重賞4勝のキクノオー、3歳の有力シノアラシなどが参戦。ツキサムホマレは前走の大敗、7歳にして初出走と確かに不利な条件も多かったものの13頭立てで94.0倍の12番人気と、ここでもツキサムホマレはめられっぱなしであった。しかしレースではワシントンDC国際と同じく3,4番手を先行し、突っ込んで来たイシノアラシにこそ振り切られたものの2着フジパーシアに迫る3着に入り、観客の度肝を抜いて見せた。

その後のツキサムホマレは8歳の1976年も現役を続行したが、6月まで2戦した後引退札幌日経賞6着が最後のレースだった。通算成績52戦13勝。うち重賞3勝。賞金1億5300万は「ツキサム」の名を付けられた競走馬の中では最多の賞金額だった。

引退後

引退後は種牡馬となったものの、供用開始が1977年にずれ込み、立った産駒も現れなかった。としては92年のセントライト記念で3着になったスーパーブリンを出している。6年後の1983年種牡馬のまま死去した。

年を経るごとに北海道類の強さを発揮し、現在でも2頭しかいない同一年での札幌記念函館記念連勝。他の競馬場では北海道程の強さを見せることは少なかったが、められて2桁人気になった時はそれを跳ね返し人気以上の着順になって見せる。軽んじる人間にその脅威を思い出させる、そう考えればヒグマという渾名もそう的外れなものではなかったのかもしれない。

血統表

*チャイナロック
China Rock
1953 栃栗毛
Rockefella
1941 黒鹿毛
Hyperion Gainsborough
Selene
Rockfel Felstead
Rockliffe
May Wong
1934 栗毛
Rustom Pasha Son-in-Law
Cos
Wezzan Friar Marcus
Woodsprite
ハロスカイ
1964 鹿毛
FNo.2-i
*ハロウエー
1940 黒鹿毛
Fairway Phalaris
Scapa Flow
Rosy Legend Dark Legend
Rosy Cheeks
ブランドスカイ
1956 鹿毛
セントオー セントライト
オーソリテイー
スカイゴールド Gold Nib
Sky Maid

クロスDark Ronald 5×5(6.25%)、Chaucer 5×5(6.25%)

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