イシノヒカルとは (イシノヒカルとは) [単語記事]

「三強とイシノヒカル。どの馬も、ライバルがいなければ、三冠馬にもなれたほどの可能性をもっていたと思う。同じ星の下に生まれたことがお互いに不運といえば不運だったのでしょう」。四陣営とも同じ言葉をつぶやいた。しかし、ファンは、競走生命を燃焼し尽してまでの戦いの展開に酔い知れ、サラブレッドの美しさ、悲しさを知り、競馬の醍醐味を十二分に満喫できたのだ。

――『日本の名馬・名勝負物語』「三強とイシノヒカル」より

イシノヒカル（Is hino Hikaru）とは、1969年生まれの日本の競走馬。鹿毛の牡馬。

1972年のクラシックで「関西三強」に立ち向かい、年度代表馬に輝いた「花の47年組」の関東総大将。

主な勝ち鞍
 1972年：菊花賞(八大競走)、有馬記念(八大競走)

1972年優駿賞年度代表馬、最優秀4歳牡馬

概要

父*マロット、母キヨツバメ、母父*ハロウェーという血統。
え、どんな血統かよくわかんない？　大丈夫、当時からすげえ微妙という感じの血統だった。

父はイタリアを代表する名馬にして名種牡馬 Ribotの産駒だが、20戦7勝で特に大レース実績はなしという平凡な馬。父の威光で種牡馬として輸入されイシノヒカルは4世代目の産駒だが、それまでの産駒には京都記念勝ち馬ヨコヅナがいた程度だった。後にイシノヒカルの3歳下の世代で、もう1頭のイシノ軍団の有馬記念馬イシノアラシを輩出している。
母はタニノムーティエやスターロツチを輩出した名種牡馬*ハロウェーの産駒だが、こちらも14戦1勝、近親にも産駒にも特に目立った活躍馬はない、これまた平凡な繁殖牝馬である。

1969年 5月6日、門別町の荒木牧場で生まれ「キヨハヤブサ」という幼名を貰った彼だったが、地味な血統に加えて生まれつき右前脚が外向しているという問題も抱えていたため、なかなか買い手がつかなかった。他の馬との抱き合わせで売ろうとしたのに結局片方の馬だけ買われてしまうなど、実に6人の馬主に断られ、東京競馬場の浅野武志厩舎に入厩した時点でもまだ馬主が決まっていなかった。
結局、イシノダンサーという馬の代金の残りを受け取りに行った際に浅野師の妻が熱心に口説き落として、ようやく石嶋清仁オーナーに引き取られたキヨハヤブサは、オーナーの「イシ」に光源氏から「イシノヒカル」と名付けられた。石嶋オーナーはこの2頭から「イシノ」を冠名として使い始めることとなる。

※この記事では馬齢表記は当時のもの（数え年、現表記＋1歳）を使用します。

路傍の石の光り輝く

禍福はあざなえる縄のごとし

どうにか馬主も決まったキヨハヤブサ改めイシノヒカルは、1971年 9月25日、中山・芝1000mの新馬戦にて小島武久を鞍上にデビューしたが、4番人気で後のオークス馬タケフブキの5着と、出だしは地味なものだった。
坂井千明を鞍上にした折り返し新馬戦も2着、東京に移っての未勝利戦では加賀武見を迎えたがハナ差2着。引き続き加賀が騎乗した11月の4戦目を7馬身差で圧勝しようやく初勝利を挙げ、以降も加賀が主戦となる。続く12月の中山、寒菊賞（100万下）も4馬身差で快勝、素質を見せつつ5戦2勝で3歳を終えた。

ところがこの1971年の年末から、関東の厩舎は激震に見舞われる。馬インフルエンザの大流行が発生したのだ。関東の厩舎にいた馬の実に8割が感染したといい、年末の有馬記念はメジロアサマ・アカネテンリュウら3頭が出走取消、中山大障害とステイヤーズSに至っては開催中止。翌1972年の年明けから2月末にかけて、東京と中山は競馬開催自体が出来なくなってしまったのである。

これでクラシックの日程もしっちゃかめっちゃかになってしまい、京成杯は例年より2ヶ月遅れの3月19日、弥生賞が4月23日、スプリングSが5月7日、同じ日に福島で東京4歳ステークス（現：共同通信杯）、そして皐月賞が例年より1ヶ月以上遅い5月28日、NHK杯が6月18日、日本ダービーが7月9日というスケジュールとなった。

しかし、脚の外向という爆弾を抱えていたイシノヒカルにとっては、この3ヶ月間はむしろいい休養になったようであった。明けて4歳となったイシノヒカルは、中山開催が再開すると、3月5日のオープンを小島武久とともに4馬身差で快勝。続くヴァイオレットステークス（400万下）では増沢末夫を迎え、後方から猛烈な追い込みを見せて朝日杯3歳Sの2着馬パワーライフをアタマ差差し切り勝ち。
この年の関東馬は馬インフルに加えて朝日杯を牝馬トクザクラに勝たれたこともあってめぼしい牡馬がおらず、この強い勝ちっぷりでの4連勝で、一躍イシノヒカルは手薄な関東馬の希望の星となった。

ところがどっこい、世の中そう上手くいくことばかりでもない。小島・増沢はともに加賀がオーストラリア遠征に行っていたための代打であり、クラシックには元から加賀と挑む予定だった。本番前に一度改めて加賀に乗ってもらうため、イシノヒカルは弥生賞を叩く予定だったのだが……なんと弥生賞が厩務員ストライキの影響で、皐月賞2週間前の5月14日に延期。しかもイシノヒカルの担当厩務員が組合の副支部長だったためそちらにかかりきりでイシノヒカルの世話に手が回らなかったのである。

脚の爆弾を抱えたイシノヒカルを本番前にあまり無理なローテでは使いたくなかった陣営は、仕方ないので4月29日の東京・芝1600mのオープンに加賀を迎えて出走させることにした。しかしここには、同じく弥生賞延期で仕方なく出てきた関西馬が2頭いた。デビュー3連勝の「重戦車」ロングエースと、京成杯2着で評価を高めたサラ系の「野武士」ランドプリンスである。関東代表としてこの年の関西有力馬2頭に挑むことになったイシノヒカルだったが、出遅れから強引に逃げてそのまま押し切ったロングエースと、それに猛然と追いすがったランドプリンスに蹴散らされて完敗の4着。
これでこの年のクラシックは、関西総大将ヒデハヤテが消えたものの、そのヒデハヤテをスプリングSで下した「貴公子」タイテエムが加わり、ロングエース・タイテエム・ランドプリンスの「関西三強」の争いという下馬評が固まることとなった。

vs「関西三強」

迎えた皐月賞。人気はロングエースとタイテエムが分け合い、ランドプリンスがやや離れた3番人気。関東総大将となったイシノヒカルは、加賀武見いわく「コンディションとしては生涯最高」の状態で本番を迎えたが、三強から離された4番人気であった。
レースは名手武邦彦のロングエースが大外枠から掛かり気味に先行し、タイテエムの須貝四郎は武邦のペース配分を信頼してロングエースを内から徹底マーク。川端義雄のランドプリンスが虎視眈々と中団のインに控え、加賀武見とイシノヒカルはその後ろの外にいた。
直線に入り、外に膨れたロングエースとタイテエムは先行争いで消耗してじりじりとしか伸びない。その空いたインに猛然と突っ込んできたのがランドプリンス。並ぶ間もなく抜け出したところへ、大外から猛然とイシノヒカルが襲いかかる！　――だがランドプリンスの末脚に半馬身及ばず、惜しくも2着。無念。

その後はNHK杯は使わず、「七夕ダービー」となった東京優駿へ直行。ここでも「関西三強」に次ぐ4番人気だったが、1番人気ロングエースも4.7倍で、3番人気タイテエムとの差は皐月賞よりぐっと縮まっていた。既に7度のリーディングに輝きながらダービー未勝利の加賀武見としても、騎手時代に名牝トサミドリでダービーを逃したトラウマがある浅野師としても、ここは是が非でも必勝のダービーだったのだが……。引いた枠はよりにもよって27頭立ての7枠23番。調整も上手く行かず、太め残りのままレースを迎えることになってしまう。府中の直線で末脚に賭けたイシノヒカルと加賀武見だったが、後方から馬群を捌くのに手間取ってしまい、ロングエース・タイテエム・ランドプリンスの300mにわたった火花散るデッドヒートには全く割って入れず6着。

このダービーへ向けたイシノヒカル陣営を密着取材した沢木耕太郎は、それをまとめた「イシノヒカル、おまえは走った！」という文章の中でこう記した。

イシノヒカル。結局おまえはこれからも「追いつく」ために走らなくてはなるまい。これからもずっと。

間違いなく強いんだけど、関西三強には一歩及ばない末脚芸人。この時点でイシノヒカルがそんな風に見られていたことが端的に表された一文であると言える。
イシノヒカルはこのあと日本短波賞に向かったが、1番人気に支持されたここもスガノホマレに差し切られて2着。勝ちきれないまま夏休みに入ることになった。

その意志の光り輝くとき

秋の菊花賞へ向けて調整に入ったイシノヒカルだったが、右前の球節炎に悩まされ、笹針治療を行うも予定していたセントライト記念を回避。とても菊花賞には間に合いそうになかった。それでもなんとか本番3週間前にまともな調教ができるようになると、厩務員の心配を余所に一路栗東へ。菊花賞9日前のオープンを叩いて本番へ、という強行ローテで向かうことになった。

加賀は南アフリカ遠征に向かったため、小島武久が騎乗したそのオープンは、陣営の不安を一蹴するかのように、2馬身半差で楽勝。牝馬タイラップが2番人気と相手が手薄だったとはいえ、ほぼ調教同然の内容での楽勝に陣営は「これなら菊花賞はいけるのでは」と自信をつけることになった。

というわけで迎えた菊花賞。ロングエースとランドプリンスは春で燃え尽きたか臨戦過程がパッとせず、断然人気に支持されたのは神戸新聞杯・京都新聞杯を連勝して残る一冠獲りへ万全のタイテエム。イシノヒカルは連闘も嫌われて9.4倍の5番人気に留まった。鞍上はヴァイオレットS以来の増沢末夫に託されることになったが、増沢は実はそんなに乗り気ではなかったという。しかもイシノヒカルは本馬場入場後にファンファーレに驚いて暴れるわ、落鉄して蹄鉄打ち直しになり発走が数分遅れるわと、傍から見ても不安な感じしかなかった。
――ところが、そんな不安をイシノヒカルはとんでもないパフォーマンスで一蹴する。

レースが始まる。3歳時にゲートで暴れて調教再審査を食らったこともあるイシノヒカルだったが、発走前のイレ込みやら落鉄やらを気にせずぽんと好スタートを切ると、増沢騎手がすっと下げて後方に控え、関西三強を見ながらレースを進めた。タイテエムをランドプリンスが早めの仕掛けで捕まえに行き、ロングエースも徐々に進出するが、直線ではタイテエムがその2頭を振り切って堂々と先頭。四白流星の「貴公子」が最後の一冠へ向けて突き進むのを、関西のファンも固唾を飲んで見守った、そのとき。
大外、ほとんど外ラチ沿いからなんか1頭、猛然と追い込んでくる馬がいる。ゼッケン8番イシノヒカル！
勝ちを確信したであろうタイテエムを並ぶ間もなく抜き去ったイシノヒカルは、タイテエムを1と1/4馬身ちぎり捨ててゴール板へと飛び込んだ。

この後もハイセイコーやダイナガリバーといった名馬の手綱を取った増沢末夫は、自著『鉄人ジョッキーと呼ばれてわが愛しの馬上人生』の中で自分が跨がってきた馬の中で「一番強い馬を挙げるとしたら、私は迷わずこの時のイシノヒカルと答える」と語っている。勝ちきれない春と慢性的な脚部不安を乗り越えた先、イシノヒカルはいつの間にか覚醒の時を迎えていた。

この菊花賞の強烈な勝ち方で、イシノヒカルと「関西三強」の立場は一気に逆転。有馬記念ではなんと、イシノヒカルは堂々ファン投票 1位に輝き、レース本番でもメジロアサマら並み居る古馬を抑え、関西三強で唯一出走してきたロングエースも押しのけて、単勝4.0倍ながら堂々1番人気に支持された。
有馬記念は1956年の創設以来これまで、4歳牝馬はスターロツチが勝っていたが、4歳牡馬の勝利は未だ無かった。しかし覚醒を迎えたイシノヒカルにとって、もはやそんな歴史は覆すためのものでしかない。人気薄のパッシングゴールとタクマオーが大逃げする展開を、中団後方に構えたイシノヒカルは徐々に位置取りを押し上げていき、3コーナー前では早くも逃げる2頭を射程に捕らえる前方集団へ。そして直線堂々と抜け出したイシノヒカルは、メジロアサマの追撃を悠々と振り切って完勝。

4歳牡馬による初の有馬記念制覇。春は「関西三強」に一歩及ばぬ末脚芸人だったイシノヒカルは、「関西三強」に追いつくどころか悠々と追い越し、この年の年度代表馬を受賞。堂々たる現役最強馬に名乗りを挙げた。

……だが……。

その後

「花の47年組」こと1972年クラシック世代は、昭和の競馬ファンの間では「最強世代」のひとつとして語り継がれる。ハイセイコーブームに沸いた1973年の古馬王道大レースをこの世代が独占、ハイセイコーの引退レースもこの世代が制したことがその評価を決定的なものにしたのだが……。

皐月賞馬ランドプリンス、ダービー馬ロングエース、そして菊花賞馬イシノヒカルの姿は、その古馬王道戦線にはほぼなかった。ランドプリンスとロングエースはともに燃え尽き、イシノヒカルはもともと抱えていた脚部不安が顕在化。有馬記念のあとは長期休養となり、5歳となった1973年、11月の東京のオープンで復帰したものの、そのときの彼からもう年度代表馬の輝きは消え失せていた。7頭立ての最下位7着に終わったイシノヒカルは、それを最後に現役引退。同期の皐月賞馬・ダービー馬とともに、4歳で燃え尽きてターフを去った。通算15戦7勝。

あの菊花賞と有馬記念で、確かにイシノヒカルはこの「最強世代」の中の「最強」の称号を手にしていた。しかしそれは、「最強世代」であったからこそ、その競走生命を燃やし尽くさなければ勝ち取れない称号だったのかもしれない。

引退後は日本中央競馬会に種牡馬として買い上げられ、十勝で種牡馬入り。しかしただでさえ内国産種牡馬不遇の時代にあってこの地味な血統では繁殖牝馬に恵まれず、地方ではそこそこ走る産駒を出したが、中央ではミラクルハイデンが4勝を挙げたのが最高成績と、種牡馬としては結果を残せなかった。

17歳となった1985年、イシノヒカルは鹿追の中野一成牧場に無料で払い下げられることとなった。中野牧場で種牡馬を続ける予定だったのだが、翌1986年 4月11日、放牧から戻って来たイシノヒカルは突然ふらつきはじめ、そのまま起立不能となった。往診に来た畜産大の教授の診断は「肺気腫」。3時間ほどもがき苦しんだイシノヒカルは、牧場スタッフに看取られて安楽死の処置がとられた。18歳だった。

イシノヒカルを引き取り、その最期を看取った中野牧場の中野広氏は、安楽死の決断を下したときのイシノヒカルのことを、一言、こう語っている。

「その時、あいつはとても寂しい目をしたんだよね」

――徳間文庫『サラブレッド 101頭の死に方』P270

血統表

*マロット 1959 黒鹿毛	Ribot 1952 鹿毛	Ten erani	Bellini
			Tofa nella
		Romanella	El Gr eco
			Bar bara Bur rini
	Macchie tta 1946 鹿毛	Nic colo Dell'Arca	Coronach
			Nog ara
		Mill doria	Milton
			Doria
キヨツバメ 1958 栗毛 FNo.9-e	*ハロウエー 1940 黒鹿毛	Fairway	Phalaris
			Sc apa Flow
		Rosy Legend	Dark Legend
			Rosy Cheeks
	シエーン 1952 栗毛	トキノチカラ	*トウルヌソル
			*星谷
		豊元	*プリメロ
			*フリツターサン