ミナミホマレ(Minami Homare)とは、1939年生まれの日本の競走馬。鹿毛の牡馬。
ディープインパクトの登場まで、史上唯一の「複数のダービー馬を出した純内国産ダービー馬」だった馬。
父*プリメロ、母フロリスト、母父*ガロンという血統。
父は1934年のアイルランド二冠馬で、小岩井農場に種牡馬として輸入され、*サンデーサイレンスに更新されるまで産駒クラシック最多勝記録を持っていた大種牡馬。ミナミホマレは3年目の産駒。
母は日本の基礎牝系の祖の1頭である*フロリースカツプの孫で、競走名をフロラーカツプといい、1924年の帝室御賞典(東京)や優勝内国産馬連合競走を制した名牝。自身の繁殖成績も凄かったが、その牝系はガーネツトやシラオキを経由して日本競馬にとてつもない影響を残している。ミナミホマレはその最後の仔。
母父は昭和初期を代表する大種牡馬で、母父としてもスゲヌマとミナミホマレと2頭のダービー馬を輩出している。
半兄・半姉にはハクリユウ、ハクセツ、スターカツプ、アカイシダケと、4頭の帝室御賞典勝ち馬がいるという、当時としてはおよそ考え得る最高レベルの良血馬である。
1939年3月31日、岩手県の小岩井農場で誕生。1941年の小岩井農場のセリに「第拾壱プリメロ」の名で出品された彼には、ダービーの1着賞金が1万円の当時において4万円という値段がついた。この高額で競り落としたのは、「ミナミ電機商会」社長の池得次オーナー。「ミナミ」の冠名を用いていた……というところで、戦前の競馬に詳しい人なら「ああ」と思い当たるかもしれない。そう、ミナミホマレの1歳上、初代三冠馬セントライトのダービーでセントライトを抑えて1番人気に支持された5万7000円の超高額馬、ミナミモアのオーナーである。ミナミモアの値段を見てしまうと4万円が高く見えないから怖い。
そして実際、ミナミホマレもそのセリの最高額ではなかった。彼より高い値段がついたその馬は、後に彼の最大のライバルとして立ち塞がることになる。
※この記事では馬齢表記は当時のもの(数え年、現表記+1歳)を使用します。
初代ダービー馬ワカタカを管理した中山競馬場の東原玉造厩舎に入厩したミナミホマレは、4歳となった1942年3月22日、横浜競馬場・芝1700mの新呼馬でデビュー。遅い? いやいや、当時の競馬は現在でいう2歳(旧3歳)戦は存在しなかったし、冬期は開催されていなかったので、ミナミホマレは関東の競馬開催2日目のデビューであったので最速に近い。
佐藤邦雄騎手を鞍上に、1番人気に応えてこのデビュー戦を快勝したミナミホマレは、2週間後の2戦目で横濱農林省賞典四歳呼馬――すなわち現在の皐月賞(横浜競馬場・芝1850m)に臨んだ。当時としてはこれが普通のローテである。セントライトだって2戦目で皐月賞だもん。
さてこの横濱……長いしわかりにくいので以下現在に合わせて皐月賞と呼ぶが、この年の皐月賞は6頭立て。少ない? 新馬戦始まって2週間後だぞ。ミナミホマレは単勝支持率12.2%の3番人気であった。では支持率58.0%の圧倒的1番人気に支持されていたのは? 誰あろう、前述の小岩井農場のセリでミナミホマレを上回る4万9100円の値段がついた超高額馬、その評価に応えてデビュー戦をレコード勝ちしてきたアルバイトである。なんでそんな高いんだよって? 当たり前だろセントライトの半弟だぞ。まあこれに人気で負けるのはしょうがないが、なんでデビュー戦で負かしているハヤチネ(支持率15.0%)より人気がなかったのかは謎である。
ともあれ迎えたレースは、圧倒的な支持に応えてアルバイトが2馬身半差で完勝。ミナミホマレは3着ハヤチネは4馬身ちぎったものの2着。前評判通りの完敗であった。
この敗戦で東原師は、どうやらレースを使うよりも1ヶ月半後のダービーに向けてじっくりミナミホマレを鍛えることにしたらしい。横浜競馬場の開催が終わって中山競馬場の開催が始まってもミナミホマレをレースに使わず、丸1ヶ月以上ミナミホマレを休ませた。連闘は当たり前、とりあえず使えるレースは使っておけ的な当時において、自場で開催があるのに怪我でもないのにレースに使わないというのはなかなか大胆な判断であったことだろう。
東京競馬場の開催が始まった5月、1ヶ月ぶりにレースに復帰したミナミホマレは、開催2日目の古馬オープン(芝2000m)に出走。1番人気に応えて2馬身差で古馬を蹴散らし、2週間後の東京優駿競走に乗りこんだ。もちろんこのダービーも、単勝支持率48.3%の断然人気に支持されたのはアルバイト。皐月賞のあとも中山で2戦2勝、東京でも初日に古馬相手に特ハンで62kgを背負って勝利。5戦5勝、兄セントライトに続いて弟が今度は無敗の二冠馬待ったなしという感じであった。ミナミホマレは支持率14.7%で2番人気である。
晴れの良馬場に恵まれたこの年のダービー、ハナを奪いに行ったのは10番人気の関西馬ハヤタケ。アルバイトはきっちり前目の好位に構え、ミナミホマレは後方に控えた。ハヤタケが快調に飛ばしてやや速めのペースで進んだレースは4角からアルバイトが進出開始、直線残り300mで粘るハヤタケを捕まえて堂々と先頭に踊り出た。断然人気が好位先行から抜け出しの王道競馬、現代でもどう見たって勝ち確の流れである。
だがそこに、馬群の中から突如として1頭の馬が襲いかかった。ミナミホマレだ! 押し切りを図るアルバイトのインに潜り込み、内ラチ沿いから強襲したミナミホマレは、残り100mで馬体を併せての完全な一騎打ちに突入。アルバイトも必死に振り切りにかかったが、鞭も折れよと末脚を伸ばしたミナミホマレが、最後クビ差アルバイトを捕らえて抜け出したところがゴール板だった。
断然人気を打ち破り、2:33.0の堂々のレコードタイム(翌年にクリフジに1秒6も更新されるけど)で栄光のダービー馬に輝いたミナミホマレ。父*プリメロは彼が初のダービー馬となり、最終的に4頭のダービー馬を出した。池オーナーは前年のミナミモア9着の無念を晴らす悲願の制覇であった。
そしてミナミホマレはこのレースを最後にあっさりと現役引退、翌1943年から種牡馬入りとなった。故障があったのかもしれないが、引退の理由は詳らかではない。通算4戦3勝。
さて、種牡馬入りしたミナミホマレだったが、故郷の小岩井農場ではなく、青森の太平牧場で種牡馬として供用された。小岩井農場には既に三冠馬セントライトが種牡馬入りしていたという事情もあったかもしれない。しかしその小岩井農場は戦後、GHQの財閥解体の煽りを受けて競走馬の生産から撤退、セントライトもその影響で種牡馬としてはあまりいい扱いを受けられなかった。一方、小岩井農場を離れていたミナミホマレはその影響を受けず、種牡馬として目覚ましい活躍を見せる。
戦後の競馬再開とともに初年度産駒がデビューすると、初年度から中山大障害勝ち馬ブルーホマレ、2年目からダービー3着馬ヒロトシ、3年目から皐月賞2着馬ミナミホープと3着馬ベストランナーを出すなどなかなかの成績を挙げたが、爆発するのは7年目から。ジツホマレが1953年のオークスを制して初のクラシックホースとなると、翌1954年には地方上がりのゴールデンウエーブがダービー馬の栄誉に輝き、カブトヤマに次いで史上2頭目の「ダービー馬を生んだダービー馬」となった。
さらに12年目の産駒ダイゴホマレもやはり地方上がりでダービーを制し、純粋な内国産馬としては初の複数のダービー馬を出した種牡馬となる(持込馬では月友がいたが)。最終的にこのクラシックホース3頭を含む平地重賞馬7頭、中山大障害馬2頭を送り出した。
戦後しばらく活馬(活きた馬)の輸入制限があったので輸入種牡馬が数年間入ってこなかったという事情はあるにせよ、当時の内国産種牡馬としては素晴らしいの一言に尽きる成績で、青森の生産者にとっては救世主であったという。ミナミホマレは50年代の青森産馬黄金時代を支える名種牡馬となったのであった。
母父としても皐月賞馬ニホンピローエースを輩出している他、菊花賞馬ナスノコトブキや天皇賞馬カミノテシオ、オークス馬ヒロヨシなどの母系にその名を残している。
1962年9月、24歳で死亡。彼のあと、「種牡馬として複数のダービー馬を輩出した純粋な内国産ダービー馬」が出現するのは、実に63年後。そう、ディープインパクトの登場を待たねばならなかった。今なお、「複数のダービー馬を出した(持込馬を除く)内国産ダービー馬」はこの2頭しかいない(「ダービー馬を複数出した内国産種牡馬」なら他にもいるが、キングカメハメハは持込馬だし、ハーツクライはダービー勝ってないし)。そして長いダービーの歴史においても、地方デビューのダービー馬は未だ、ミナミホマレ産駒2頭のみである。
| *プリメロ 1931 鹿毛 |
Blandford 1919 黒鹿毛 |
Swynford | John o'Gaunt |
| Canterbury Pilg | |||
| Blanche | White Eagle | ||
| Black Cherry | |||
| Athasi 1917 鹿毛 |
Farasi | Desmond | |
| Molly Morgan | |||
| Athgreany | Galloping Simo | ||
| Fairyland | |||
| フロリスト 1919 栗毛 FNo.3-l |
*ガロン 1909 栗毛 |
Gallinule | Isonomy |
| Moorhen | |||
| Flair | St. Frusquin | ||
| Glare | |||
| 第四フロリースカツプ 1912 黒鹿毛 |
*インタグリオー | Childwick | |
| Cameo | |||
| *フロリースカツプ | Florizel | ||
| Stirrup Cup |
クロス:Gallinule 5×3(15.63%)、St. Simon 5×5×5×5(12.50%)、Melton 5×5(6.25%)
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