ラフレッシュ(La Fleche)は、1889年生まれのイギリスの競走馬・繁殖牝馬である。
史上4頭目となるイギリス牝馬三冠を達成し、更にはアスコットゴールドカップを身重の身で制したという、19世紀イギリスにおいてトップクラスの成績を残し、繁殖牝馬としても現代にまで影響を与えている名牝。馬名はフランス語で「矢」という意味で、一説には母クイーヴァー(矢筒)からの連想といわれる。
父St. Simon、母Quiver、母父Toxophiliteという血統で、イギリス王室が所有するハンプトンコートスタッドの生産馬。
父セントサイモンはともかく、母クイーヴァーや母父トクソフィライトは古すぎてピンと来ないような馬ではあるが、母父は現役時代に英ダービーで2着がある。
後に説明不要の大種牡馬となったセントサイモンも、ラフレッシュが1歳6月のセリに上場された当時は初年度産駒が3歳を迎えたばかりの新鋭種牡馬だったが、その初年度産駒から本馬の全姉メモワールが英オークスを勝っていた[1]ことに加えて、ラフレッシュ自身も見栄えのする馬体だったため、取引価格は高騰。結局1歳馬としては当時の世界記録となる5500ギニーという値段で落札され、ユダヤ人の資産家・篤志家であるモーリス・ド・ハーシュ卿の所有馬となった。管理調教師となったのは、最大の得意先であった初代ウェストミンスター公爵の代理人としてセリに来場していたジョン・ポーター師であった。
2歳7月のデビュー戦では、後の2000ギニー馬ボナヴィスタらを相手に馬なりのまま逃げ切って勝利。中1週で出走した2戦目でも、この年の1000ギニー・オークス馬ミミの半妹プリーステスとの良血馬対決を制して連勝し、2日後のモールコームSも快勝した。更に1ヶ月ほど間隔を開けて出走したシャンペンSも1馬身半差で勝利し、4戦全勝で2歳シーズンを終えた。
当時のポーター厩舎には、父に生涯無敗の三冠馬オーモンド、母にセントサイモンの全姉アンジェリカを持つという初代ウェストミンスター公爵所有の超良血牡馬オームがおり、同馬もミドルパークプレート、デューハーストプレート[2]と大競走を勝ち6戦5勝としていたことから、ラフレッシュとオームのどちらが強いかが各所で盛んに議論された。
3歳シーズンの年明けに、本馬は厩舎内で脚を滑らせて転倒したが、幸い膝の外傷だけで済んだため、予定通りクラシックを目指すこととなった。ポーター師としてはオームを2000ギニーに向かわせ、本馬を1000ギニーに向かわせる予定だったが、2000ギニーの数日前にオームが水銀を盛られて体調を崩し、春全休となってしまった。犯人は見つからず、ラフレッシュ贔屓の誰かの犯行ではないかという陰謀論まで飛び出したが、いずれにしてもラフレッシュはこの一件をきっかけに牡馬を交えた世代の上位と見られるようになった。そんな中で出走した1000ギニーでは単勝1.5倍の圧倒的支持に応えて、この年の2000ギニーより1.6秒も速い時計を叩き出して優勝した。
続くダービーでは、2000ギニーで勝ったボナヴィスタや2着だったセントアンジェロらを抑えて単勝2.1倍の1番人気となった。しかし再三のフライングによって発走が30分も遅延したこのレース、本馬は最後方から追い込む競馬をしたものの、かつてシャンペンSで3着に破っていた伏兵サーヒューゴを捉えることが出来ず、3/4馬身差の2着に惜敗。位置取りが位置取りだけに、主戦騎手を務めていたジョージ・バレット騎手は「常軌を逸した騎乗」と大きな非難を浴びた。
ともかく、本馬はダービーから2日後のオークスにも出走した。しかしダービーの影響があったのか、単勝オッズは当初の1.4倍から1.73倍に上がっていた。それでも、1000ギニーで2着に破ったザスミューを再び短頭差の2着に退けて勝利した。
しばらく間隔を開け、復帰戦のナッソーSを勝利すると、1ヶ月後のセントレジャーに挑戦。水銀事件の傷も癒えたオームやダービーで苦杯を舐めさせられたサーヒューゴも出走してきて、オームが単勝1.91倍、本馬が単勝4.5倍となった。全戦で手綱を執ってきたバレット騎手がオームに騎乗したため、本馬にはジョン・ワッツ騎手が騎乗したが、結局2着サーヒューゴに2馬身差を付けて勝利し、イギリス史上4頭目の牝馬三冠を達成した。
以降、再び鞍上に戻ってきたバレット騎手とのコンビでランカシャープレートを勝ち、2頭立てとなったグランドデュークマイケルSを馬なりで勝ち、ニューマーケットオークスも楽勝。当時は大競走であったケンブリッジシャーハンデキャップでは本馬が122ポンド(約55.3kg)に対し食い下がってきたペンショナーが88ポンド(約39.9kg)という凄まじい斤量差の競り合いとなったが、それでも最後は1馬身半差で勝利した。
しかしこのレース後、ハーシュ卿のレーシングマネージャーと初代ウェストミンスター公爵の間で揉め事が起き、この余波でラフレッシュを含むハーシュ卿所有のポーター厩舎の馬は全てリチャード・ハーシュ厩舎に転厩した。
転厩騒ぎの影響があったかは定かではないが、4歳始動戦は7月のエクリプスSとなった。ここでは中距離に戻って活躍していたオームが相手となったが伸びあぐねて3着に敗れ、次走のゴードンSでもオームのクビ差2着に終わった。
続くランカシャープレートでは、無敗で三冠を達成したアイシングラスが挑戦してきて、ラフレッシュとアイシングラスの2強と目された。斤量はラフレッシュが143ポンド(約64.9kg)、アイシングラスが137ポンド(約62.1kg)だったが、互いにマークし合って共倒れとなった結果、2000ギニー・ダービーでいずれもアイシングラスの3着と煮え湯を飲まされていた127ポンド(約57.6kg)のレーバーンの3着に敗退。2着に敗れたアイシングラスにとってもこれが結果的に生涯唯一の黒星となった。
このレース後にバレット騎手は降板となり、セントレジャーの際に騎乗したワッツ騎手が新しく主戦騎手となった。そしてロウザーSを6馬身差で圧勝したが、続くケンブリッジシャーハンデキャップでは8着に敗れ、生涯初の着外となった。更に2戦して1着→6着という戦績でシーズンを終え、結局この年は7戦2勝だった。
5歳になり、ラフレッシュはゴールドカップ勝ち馬モリオンと交配されて受胎したが、なんとそのまま現役を続行。身重のまま出走した20ハロン戦のゴールドカップで単勝1.4倍に支持されると、並ぶ間もなく直線で他馬を差し切り、3馬身差で完勝した。
続けて翌日のハードウィックSに出走し、単勝1.2倍に支持された。前年の三冠競走で全てアイシングラスの2着に敗れていたラヴェンズベリとの叩き合いとなったが、ゴール前では相手の伸びが勝り、半馬身差の2着に終わった。当時の新聞記事によると、時の皇太子アルバート・エドワード(後の国王エドワード7世)も本馬の単勝に大金を賭けてスッてしまったという。
さておき、ラフレッシュはしばらく間を開けて9月下旬に復帰。復帰戦は4着だったが、それでも引退レースとしてチャンピオンSに出走した。この年3戦3勝だったアイシングラスが回避したために本馬とラヴェンズベリの2頭立てとなったが、これを馬なりのまま8馬身差で圧勝し、これを最後に引退した。
引退後はハーシュ卿の牧場で繁殖入りし、5歳時から身籠っていた初仔を産んだのち、不受胎を挟んで7歳時に再びモリオンを交配されたが、その直後にハーシュ卿が死去。初仔のラヴェーヌともどもセリに出され、ラヴェーヌは3100ギニー、ラフレッシュは1万2600ギニーという高額で、ヨークシャー州のスレッドメアスタッドという牧場の所有者であるタットン・サイクス卿の夫人に落札された。しかしこの額を聞かされたサイクス卿が激怒して受け入れを拒否したために、本馬は輸送されてきた駅で2週間も足止めを食らった。
すったもんだの末に繁殖生活を始めたラフレッシュだったが、活躍したと言えるのは2000ギニーとダービーでいずれも2着だった5番仔ジョンオゴーントくらいのものだった上に、そのジョンオゴーントも両競走を勝ったセントアマントともども同世代の名牝プリティーポリーに一蹴されてしまい、直仔から大物を出すことは出来なかった。
ところが、競走馬としてはあまり大成しなかった4番仔バロネスラフレッシュが、1000ギニー馬キンナを輩出。キンナ以外の仔の牝系子孫からもカドラン賞を勝ったメルカルやその仔で日本で走った*ファビラスラフイン、天皇賞馬メジロムサシ、ドイツでGIを3勝しジャパンカップにも来たタイガーヒルなどが登場した。かのツインターボも元を辿ればこのラインに行き着く。
キンナの牝系からはオセアニアを中心にGI馬が多く出ているが、血統図に大きな影響を与えた馬としてはインディアンリッジと*サンデーサイレンスの2頭が挙げられるだろう。前者はGI未勝利だったが種牡馬としては現代のヘロド系において重要な役割を担う存在となり、後者は評価の低かった幼少期から一転して米二冠・BCクラシックを含むGI5勝を挙げ、種牡馬としても説明不要の大活躍を収めた。
バロネスラフレッシュ以外に目を向けると、ジョンオゴーントの産駒で英オークス馬カンタベリーピルグリムを母に持つスウィンフォードがセントレジャーを勝ち、種牡馬としてもリーディングサイアーを獲得する大活躍を収めた。更にスウィンフォードから出た大種牡馬ブランドフォードは英ダービー馬ブレニムを出し、そのブレニムの孫マームードからはノーザンダンサーやヘイローの牝系祖先となったアルマームードが出ており、もはやアルマームードの血を持たない馬は探す方が難しくなっている。
牝系子孫自体は超一流と呼べるほどの発展を遂げていないにせよ、その血を持たない馬を探す方が難しくなっているほど後世に血統的影響を与えたラフレッシュは、1916年に27歳で死亡した。
St. Simon 1881 鹿毛 |
Galopin 1872 鹿毛 |
Vedette | Voltigeur |
Mrs. Ridgway | |||
Flying Duchess | The Flying Dutchman | ||
Merope | |||
St. Angela 1865 鹿毛 |
King Tom | Harkaway | |
Pocahontas | |||
Adeline | Ion | ||
Little Fairy | |||
Quiver 1872 鹿毛 FNo.3-e |
Toxophilite 1855 鹿毛 |
Longbow | Ithuriel |
Miss Bowe | |||
Legerdemain | Pantaloon | ||
Decoy | |||
Young Melbourne Mare 1861 鹿毛 |
Young Melbourne | Melbourne | |
Clarissa | |||
Brown Bess | Camel | ||
Brutandorf Mare |
クロス:Pantaloon 4×5(9.37%)、Voltaire 5×5(6.25%)
ないです。でも現代の競走馬はほぼ全て何らかの形でこの馬の血を引いていると思う。
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最終更新:2024/04/18(木) 16:00
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