「ワニ料理」とは
広島県北部の三次市や庄原市などで食されている郷土料理で、サメ肉の料理なのに「ワニ」なのは「因幡の白兎」に登場するサメの怪物「和爾(わに)」が表すように、古語・そして中国地方の一方言でサメの事をワニと呼んでいるためである。したがって、日本の他地域でもサメを調理することはあるがそれを「ワニ料理」と称するのは中国地方だけである。
サメは泌尿器官が発達していないために身に含まれる尿素がアンモニアとなって残ることから、塩漬けにしなくても腐りにくいことから山間部や内陸部で貴重なタンパク源として親しまれる。ワニ料理以外の例では、宮城・気仙沼漁港で水揚げされたネズミザメが内陸県である栃木県で「モロ」として食される。こうしたサメ肉は独特のアンモニア臭が残ることもあるが、冷凍技術が発達して以降はほぼ無臭で、さらに刺身でも半月はもつ保存の効きがある。ただし加熱は覚悟のうえで。
備北地域ではサメの身の締まる秋から冬にかけてをワニ料理の旬だと捉えており、秋祭りや正月でハレの料理としてもふるまわれる。
庄原市では縄文時代後期のサメの背骨を加工した耳飾りが出土されており、4000年~5000年ほど前からサメ肉をたしなんでいたことが示唆される。
冷蔵技術が乏しかった頃の中国地方の山奥では干物や塩漬けの状態でしか海産物が手にはいらない状況が続いていた。しかし江戸時代になると街道が整備されたことにより、中国山地を越えた日本海で獲れるサメ肉が日持ちする生の海産物として重宝されるようになった。出雲(現在の島根)から「ワニの道」と呼ばれる峠道を経て運ばれたという。
三次地方史研究会長の藤村耕市によると、山陰沖では中国大陸向けのフカヒレ輸出を目論んで1892年(明治25年)頃に本格的にサメ漁がはじまったとされる。ヒレ以外の余ったサメ肉は刺し身として食べるようになり、荷車による輸送手段がはじまると山間へ運ばれてごちそうとして親しまれるようになった。「ワニを食べすぎると腹を冷やす」との迷信(?)が出たが、対抗してか「腹が冷えるほどワニを食べたい」とも言われるほどの人気があった。
冷蔵庫が普及して以降は他の新鮮な魚介類が手に入るようになったものの、三次市や庄原市では根強い人気からワニ料理専門店や鮫肉を寿司ネタとして出す店がある。
歴史的には主に島根県からサメを運んでいたが、戦後は西日本を中心に各地のサメが流通して使われる。伝統的なワニ漁で知られた島根・大田市の五十猛漁港では2004年以降、漁師の高齢化や漁法の断絶もありサメの水揚げ記録はない。
以下、ワニ料理についていくつか簡潔に記載する。
備北地域ではスーパーに行けばふつうにワニ肉として販売されている。もちろんワニ肉を調理して提供する店もある。島根県側山間部でも「道の駅とんばら」などで味わうことができる。
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最終更新:2024/06/07(金) 19:00
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