国鉄分割民営化 単語

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国鉄分割民営化とは、日本国有鉄道JNR)を客6社と貨物1社等に民営化した政治的な出来事である。
なお、同時期に電電公社現在NTT)や専売社(現在JT)なども民営化されている。

概要

前史

日本国有鉄道国鉄JNR)は1964年以降赤字に転落し、債務雪だるま式に蓄積していくという悪循環に陥っていた。
原因は
1)動近代化に伴う人件費削減の失敗(機関助士を止して1人乗務にしようとしたら動労が猛反対)2)団を介した採算の取れないローカル線の押し付け(鉄道敷設法に基づく路線建設)
3)通勤五方面作戦などの近代化投資費用を借で賄う一方で運賃の値上げ不認可による財務状況の悪化

石田礼助総裁「通勤対策は国鉄仕事ではないがふりかかる火の粉は振り払わなければならない」
磯崎副総裁「通勤対策は定期割引率が高くてからないからでやってくれ

4)順法闘争による貨物離れ
など多岐にわたるが、再生のための五カ年計画を定めては失敗するという状況下であった。
加えて、赤字補てんは東海道新幹線などの黒字路線の利益で行っていたため、これら優良路線への投資も停滞するほどであった。

このような状況下において、1980年の最後の自再建プランの破綻がみえつつあった1981年に土敏夫を座長とする第二臨調、1982年には自民党の三塚博を会長とする小委員会を発足させ、経営形態について議論を行い「分割民営化すべし」との結論を出した。この議論国鉄窓口となったのが仙台鉄道管理局から東京これ以上仙台で余計なことされては困ると戻されていた葛西敬之である。
この臨調や小委員会では分割の具体案も練ろうとしていたが、仮に練った場合「部外者に何がわかる、と反発が出る」と葛西が瀬三に提言している。
ちなみに、分割案は80年代に出てきた訳でもなく、高木文雄総裁が就任から1年程度経った時点で「全一体経営は厳しく、個人としては電会社のように9分割するのが適当であると考えている」とごく少数の人間っており、後に臨調が発足した際にも「私(総裁)から分割せよと言うのは国鉄内部のことを考えれば不可能である。だから臨調のほうから言ってほしい」と依頼している。
この経緯もあり、当時あった分割案としては電会社と同等の分割案、東西2社・三島会社、現行の本州3分割+三島会社案など。葛西敬之国鉄内部の非公式の勉強会のなかで「北海道四国九州は単体。本州新幹線ごとにするが、東北・上越新幹線は利府で車両整備するので一括、東海道・山陽新幹線は1つにすると本州2分割で大きいため、それぞれの路線で分割して東海道新幹線中部在来線山陽新幹線関西中国在来線。貨物も分割して客会社にくっつける」という案を出した。結果として、在来線鉄道管理局の界で分割し、新幹線はその特性上路線ごとの管理、貨物は全一括の別会社となった。
なお、十河信二総裁時代には支社制度が導入され、北海道東北関東中部関西西部の6支社(のちに一部分割新潟中国四国を新設して9支社)が設置された。組織の肥大化批判を受け1970年止され、北海道四国九州は総局体制へ移行したがこの支社制度が分割民営化時に参考になったとも言われている。

反対派の抵抗

国鉄内で民営化を反対する側は「国体護持」と呼ばれむしろ多数であり、葛西敬之松本正之、山田佳臣(いずれも後のJR東海社長経験者)ら「」は針のむしろであった。
その頃の総裁である仁総裁は分割民営化のために送り込まれたのだが、事前調整なしに民営化をぶちまけたところ反対に詰められて国鉄機関にて弁明に追われることとなった。

ただ、反対も何もしなかったわけではなく、国鉄革三人組の松田士、井手正敬をはじめとする地方に飛ばしつつ、全一体の民営化案(という名の先送り案)を作成し、国会議員などに説明をしてまわった。なお、この案は1987年から5年は全一体で民営化しつつ、の補助を得るというものであった。
一定の手応えを感じた反対の一人(常務理事)が新聞記者に意気揚々と話をしたところ、その記者葛西敬之に内容を詳細に報告。葛西が尾山太郎などにその話をしたところ中曽根康弘総理の知るところとなり、中曽根激怒。仁総裁は中曽根に呼び出され、当時の国鉄上層部は全員辞表を提出することとなった(うち数名の理事は杉浦総裁により再任される。そのなかの二人が後のJR東海初代社長須田寛JR九州初代社長石井幸孝)。
なお、この上層部更迭劇の直前に葛西は瀬三から「(仁総裁ら)上層部を仮に入れ替えて上が混乱したとする場合、自衛隊による国鉄業務代行が必要か否か」を尋ねられ、「不要。私のような課長がどうなろうとも現場は動く。それが鉄道マンです。」と返答している(その後、国鉄本社に戻った葛西エレベーター内で副総裁から「々は負けましたよ葛西さん」と言われたが、その時は何のことか分からなかったという)。

杉浦総裁就任から分割民営化へ

総裁の解任に伴い、杉浦総裁が就任。反対秘書課長に反対の人物就任による総裁業務の握を画策したが、杉浦総裁と交のあった国鉄革三人組の一人・松田士の進言によりが就任した(なお、総裁就任後のささやかパーティーの中で葛西マル生運動時の国鉄総裁・磯崎から「君は総裁を何人死なせるつもりだ」と初代総裁・下山定則の件を例に忠告した)。
その後、杉浦総裁直下の会議機構を創設し各種案件を処理したが、最も重要なのが人員整理と配置であった。
この頃、再建のため新卒採用がストップしており、運転手のを直接採れなくなっていた(=組合加入者が減少する)の動労が労組を守るために方針を180°転換し、穏健労とともに分割民営化に協することとなった。一方、最大労組労は様々なセクトが入り組んでいたため、自民党社会党葛西や南二郎(後のJR西日本社長)ら国鉄職員局の提案すら決議にかけられず、やがて修善寺大会でと反が分裂。はその後社会党などの支援を受けつつ、分割民営化に協することとなった。

人員整理は新規採用の停止と公安警察への転籍などで順調に進捗。一方の民営化後の人員配置のついて運輸省はどの新会社に行くのかについて行き先を示する形にこだわったが、葛西国鉄出向中の法務の専門から「国鉄清算事業団が国鉄の後継組織、JRは新規に設定される会社」「国鉄職員は一旦退職し、新会社に応募し採用される」という形が良いとアドバイスを受け、この形を取ることとした。これは後に23条問題として裁判に発展した。

なお、民営化に際し「新幹線鉄道保有機構」が設置されることとなったが、これはJR東日本初代社長東海道新幹線の利益で東北新幹線未完成部分などを建設し、かつ赤字を補填するためにぶちまけて設置されたものであり、当時の運輸省担当者や三塚などは設置に反対の立場だった(この機構はのちに上場の際に各社の利益確定ができない要因となるとの東摘から止された)。

なお、この分割民営化議論の際に議論されなかったことがある。元から採算性に疑問符がついていた北海道四国を念頭に「保線などにがかかるのだから運賃は各社で決め、北海道などは運賃を上げるべき」「職員の賃金は地域の賃金相場にあわせるべき」「赤字路線は適切な形にすべき」といったことを葛西などは認識していたものの、結局国会議論されなかった。そんなことを議論すれば紛糾し法案を通すことが危うかったからである(結果、現在ローカル線問題に至る。自民党新聞広告ナンノコトヤラ)。
法案は衆議院選挙により自民党勝利したことで、成立が確実視されるようになる。また、総選挙に伴い運輸大臣がに近い三塚博から労務系の橋本龍太郎に交代。これによりJR東日本の初代社長人事が杉浦総裁続投案から運輸省OB案へと動くことになる。

分割民営化後

1987年4月1日に分割民営化。このとき社長をはじめとする人事は紆余曲折あり、当初、松田士はJR北海道井手正敬JR東日本社長の予定であったが、橋本龍太郎との会談の際にそれぞれJR東日本JR西日本へと変更となった(これはJR西日本の初代社長に法案に協した運輸省出身者を論功行賞で置くこととなり、年次的にすぐに副社長となれる井手をそのサポート役として置く必要があったため)。同様に石井幸孝も当初は東日本を担当する予定で近鉄の経営について研究していたが、九州総局(門)の前任者が急に辞めたため門に異動。そのままJR九州初代社長に就任した。一方、葛西敬之は予定通りJR東海であったが、JR東海初代社長となる須田寛は全一体の民営化案策定に常務理事として関わっていたこともあり分割民営化にあわせて辞めるつもりであった。が、会議中に社長就任の一報が秘書官よりメモで知らされ、驚きつつ受諾した。
また、JR東日本を民営化の成功事例とすることが必達標でもあったため、JR東日本資産を手厚く継承させた。加えて、JR東日本国鉄本社的な機を持たせることとし、他JR東京を担わせる予定であった(だが、JR東海が民営化直前に東京オフィス秘密裏に設置した)。JR東日本資産を手厚くしたことが2005年福知山線脱線事故の際に再度話題に上ることとなる。

一方、労組問題は々にこじれた。労がJR東日本上層部と図ってJR総連からの脱退を宣言したところ、諸事情から々にJR東日本から梯子を外される。結果、JR東日本は動労のが強くなりこの解消に2018年まで30年掛かることとなった。一方、この脱退の件については井手正敬労に相談された際に「辞めとけ」と忠告したほか、葛西敬之に至っては労より相談ではなく「邪魔するな」と言われていた。
なお、後に葛西井手の仲介で労と旧とが合流する形でJR連合が結成され、JR東海以西のJR連合が多数である。

民営化後、バブル景気もあり上々な滑り出しとなった結果、当初は関係者はも上場できないと思っていたのにJR東日本JR東海は上場の処が々に立つこととなった(なお、これに焦ったJR西日本新幹線リース料の付け替えを要請し、保有機構解散を前提に債務を固定する葛西案で実行された)。前述の新幹線鉄道保有機構止による資産(と借)の付け替え、JR東日本が強固に反対した東海道新幹線品川駅問題や東京駅不動産問題の解決が上場に向けた整理の際に行われた。
また、90年代後半には住専問題で揺れるなか、年金に関しての最終解決が図られた。それ以前にも年金の負担増を受け入れていたJR各社は反対であったが、特にJR東日本はその急先鋒となった(JR西日本も基本は反対、JR東海は「反対だが今やらないと解決しないから」と静観)。そんななか、年末ぎりぎりに長期債務活用するJR東日本案を山崎拓私案として政府案に対抗する話が進んだが、JR西日本の南社長が「JR東海が賛成するなら」とした後に葛西が「JR東海にとって損になる」と反対したことと、それに手を付ければ九州新幹線の建設がストップすると運輸官僚が摘したことから立ち消えになり政府案が通った。

他方、前述のバブル景気とその破綻による低利はJR本州3社にとっては大な債務返済に有利に働いたが、三島会社にとっては経営安定のために割り当てられた基の運用に不利に働くこととなった。近鉄を範に多化を推し進めたJR九州新幹線効果もあり上場できたが、他の2社(JR北海道JR四国)は苦しい状況が続いている。
もっとも、民営化後30年を経過した頃に葛西敬之インタビューで「あらゆる制度設計は30年も持たない」とっており、特に低利で基運用の前提が々に崩れた2社については何らかの手直しが必要な時期ともいえる。

以後の動向は各社のページを参照のこと。現在本州3社とJR九州全民営化し、JR貨物が次の座を狙っている。JR北海道JR四国お察しください。

新幹線の分割と新幹線総局

冒頭でも述べているが、分割にあたって在来線鉄道管理局の界での分割が原則とされた一方、新幹線はその性質上区間単位で区切ることは適切でなかったため、路線単位で分割された。本州3社の分割方法は新幹線を路線単位に分けたことに由来するともされている。
国鉄時代に開業した新幹線のうち、東海道・山陽新幹線新幹線総局、東北・上越新幹線は各鉄道管理局の管轄となっていた。特に新幹線総局については山陽新幹線博多開業時に総局閥の肥大化を防ぐため岡山以西を各鉄道管理局の管轄にすることも国鉄上層部では検討されるなどしており、民営化直前まで所謂「総局の輪切り」が検討されていた。

民営化後、総局閥を引き継いだJR東海新幹線総局体制を堅持(新幹線鉄道事業本部)したが、JR西日本は翌1988年に輪切りを敢行し各支社に移管した。表向きは経営効率化のためだが、JR東海側は新幹線特有の技術面の問題などから反発。
だが、2005年福知山線脱線事故後、JR西日本は技術向上などが必要と判断し新幹線運行本部を2007年に設置。2017年の「のぞみ34号重大インシデント」後にはこの体制を強化し総局体制にほぼ先祖返りした(コロナ禍の組織再正で事実上運行本部時代に戻ったが)。ただし、北陸新幹線については金沢支社管轄のまま残置し、山陽新幹線側組織とは線引きを行っている。
なお、元々各鉄道管理局の管轄であったJR東日本2019年新幹線統括本部に移行するなど、総局体制への転換が続いている。

ちなみに、国鉄分割民営化前に東北新幹線東海道新幹線の直通運転は行わないことで決着していたが、民営化後にJR東日本東京駅新幹線ホームの関係もあり直通運転を蒸し返した。「直通運転をするだけの需要がないためしない」としていたため、JR東海はこの提案に反発。結果、運輸省を交え「線路の接続や直通運転をしない」ことで決着した。
また、国鉄時代はすべての新幹線路線がCOMTRAC(コムトラック)を用いていたが、JR東日本ミニ新幹線とそれに伴う分割・併結に対応するCOSMOSへ切り替えた。この運行管理システムの変更とATCの差異も新幹線の直通運転を不可としており、北陸新幹線敦賀以西のルート検討の際にJR東海米原駅での東海道新幹線乗り入れ不可の理由としても挙げている(このため、霞が関が検討している新大阪駅地下ホームでの北陸新幹線山陽新幹線の直通運転もシステム不可能である)。

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