由良(アズールレーン) 単語

5件

ユラ

3.1千文字の記事
  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • LINE

由良(アズールレーン)とは、スマホゲームアズールレーン』に登場するキャラクターである。
CV:野口瑠璃子

もしや、占いに出てきた「わざわい」は概要のことでしょうか…

2021年9月12日の4周年記念生放送にて実装が発表され、9月16日から開催のイベント『駆けよの吹き』で実装された重桜所属のKAN-SEN大日本帝國海軍が建造した長良軽巡洋艦4番艦由良モチーフにしている。レアリティSRで、建造時間は1時間5分。生放送ではスキンの発表も行われた。

の長巫女装束という大変しい純和風の装い。白衣と緋を着こなし、その上から千早を羽織っている。KAN-SENにありがちな過剰な露出が正統派装と言える。

長良共通の一人称「あて」も備。お姉さん、霊感持ち、イケメンなど何かと個性が強長良の中では言動ともに大人しい。喜怒哀楽に乏しく、表情が3種類しかない(他のKAN-SENは5つ以上ある事が多い)。ただしスキン「ふたりはさきゅばす?」ではちゃんと5種類用意されている。胸を触っても怒るどころか「入りするしかない」と肯定的。プレイヤーの事は「指揮官さん」と呼ぶ。不可思議なを持っているのか、装が宙に浮いている。装には垂(しで)、紅白の注連縄、緋色の勾玉、吉祥結びなど和の要素が多数盛り込まれている。背丈と同じくらいの長だが、神道では「は長ければ長いほどを増す」とされており、由良が相応の実者である事を物語っている。右手に艦が一体化したの物体を持っているが、おそらく神楽舞で使用する三番叟(さんばんそうすず)と思われる。ここまで重桜文化を体現したKAN-SENは非常に少ない。装には14cm単装、8cm単装、61cm魚雷発射管が装備されている。

寮舎の具「メガステージ」(バックダンサーサンディエゴが大量に出てくるアレ)に乗せると、両手を上下させて踊る。また、布団やベッドで寝かしつけると三角帽子をかぶる。の長巫女装束の一部と見なされており、維持をめられる事からや頭皮へのダメージを避けるために着用していると考えられる。やられモーションが他のKAN-SENと違って新規になっており、格闘ゲームで倒された時のような挙動をする。

使いであり、背後に式と思われる半透明女性が映っている。そちらは「私(わたくし)」という名前との事。紛らわしい。立ち絵では映っているが「私」はに見えず、由良が呼び出した時だけ画面に現れる。…のだが、霊感のある五十鈴には見えているようでオバケと勘違いしている。「私」には意思があるようで、由良と会話していたり、彼女を通して意思疎通も出来る。「ふたりはさきゅばす?」ではセクシー衣装を着ている。また、呼び出すと実体を得るらしく瓦礫を撤去する描写がある。霞(アズールレーン)の「ふわりん」と「私」は対話が可なようであり、由良自身もには「はじめて会った気がしない」とっている。ちなみにケッコンすると後ろの「私」が画面から見切れる。どうやらケッコンの対由良だけらしい。

巫女だけあって重桜の術式に詳しく、結界に関する知識も豊富。占術にも長けている様子。好感度を上げると手製のお守りを授けてくれるようになる。イベント『駆けよの吹き』では、奇怪な竜宮城」に閉じ込められた島風たちを助けるために内へ突入した。裏山にお社があり、普段はそこで手伝いをしている。

艦名は京都府北部を流れる由良から取られているが、軽巡京都河川が採用されたのは由良京都市上京区には陰陽大家で式を使役した安倍晴明った明神社があり、ここから式使いの設定が生まれたと思われる。また軍艦由良の乗員と由良は良好な関係を築いており、艦内神社でもある宮津市由良神社は艦長の働きかけで社格が上がったというエピソードがある。巫女装束なのはこのエピソードに起因しているのかもしれない。いかなる時も動じないマイペースな性格は、第8戦隊や第5潜戦隊、第4戦隊の旗艦を歴任したり、杭州湾上陸ことH作戦の総揮を執ったとしての立場に由来している可性がある。姉妹艦の中で影が薄いのは、っ先に撃沈されたからか。それでも工から戦まで19年半が経過しており、実装された同期の中ではぶっちぎりの長寿である。名前と縁がある式を使役できる」事から、おそらく式の正体は艦名補の鈴鹿ではないかと推測される。

スキル

こちらは重桜駆逐艦がいないと役に立たないスキルとなる。その代わり重桜駆逐艦共通の長所である装を強化し、欠点の対を補えるという非常に便利な効果となっており、上記の邪祓も手伝って価を発揮するには営統一が必須。戦隊の旗艦を務めた経歴を反映してのスキルであろう。戦隊を率いたのは僅か5ヶ半程度であり、潜戦隊の方が1年半以上率いていたのは内緒。

元ネタ

詳しくは→由良(軽巡洋艦)

1921年5月21日、佐世保工で起工。1922年2月15日に進し、1923年3月20日工した。

由良軽巡洋艦として初めて艦載機運用を得た艦である。艦載機を載せるだけなら球磨でも出来たが、運用を持ったのは由良が初。また画期的な巡洋艦夕張と同時期に同じ工で建造されたため、その先進性を説明するために由良がよく引き合いに出されるという悲劇の艦。ちなみに夕張とは関東大震災の救援で一緒に行動したり、1934年10月の対抗演習で衝突事故を起こしたりするなど何かと縁がある。

1928年のアムステルダムオリンピックに出場し、200m平泳ぎ金メダルを獲得した鶴田義行氏は新兵時代、一等機関兵として由良に乗り込んでいた事がある。その頃から得意の泳ぎを存分に活かしていたという。機動部隊を率いた南雲忠一中将日中戦争時は第8戦隊として由良に乗艦していた。長時代の田中頼三少将や、艦長時代の豊田副武大将も乗艦しており、未来大物が見受けられる。

関東大震災の救援、第一次上海事変、日中戦争太平洋戦争に参加。南方作戦ベンガル湾機動作戦で特務(名不明)と英武装商タクツァンを撃沈し、砲艦1隻を拿捕。5隻の輸送や雑役を協同撃沈して戦果を挙げている。マレー沖海戦では揮下の伊65が英東洋艦隊を発見・通報するという重要な役割を果たした。

1942年10月25日アメリカ軍襲で沈没し、日本軽巡初の喪失艦となった。

関連項目

この記事を編集する

掲示板

おすすめトレンド

ニコニ広告で宣伝された記事

記事と一緒に動画もおすすめ!
もっと見る

急上昇ワード改

最終更新:2024/04/24(水) 20:00

ほめられた記事

最終更新:2024/04/24(水) 20:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。

TOP