西村幸祐 単語

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ニシムラコウユウ

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西村幸祐
西村幸祐(ニシムラコウユウ)とは、ジャーナリス・作家である。戦略情報研所株式会社客員研究員桜プロジェクト報道ワイド日本Weekendの土曜日コメンテーターでもある。

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来歴

慶應義塾大学文学部哲学中退

大学在学中から第6次『三田文学』の編集に携わり、その後、音楽雑誌編集、レコーディングディレクターコピーライターを経て、1980年代後半からスポーツテーマ作家ジャーナリストとして活動を開始。1990年代前半はほぼF1テーマとした取材、執筆活動に専念していたが、1993年ワールドカップ予選からサッカー取材を開始。1994年レーサーアイルトン・セナ事故死をきっかけに、取材対サッカーへ移行した。1996年日本初のサッカーオンラインマガジン「2002JAPAN」(後の「2002CLUB」)の編集長。2000年には「サッカーイナーズ」(新潮社)をプロデュース

このほか、三島由紀夫の評伝や週刊少年ジャンプF1を題材にした漫画原作ゴルフテーマにした海外ミステリー翻訳などを手掛けている。

これまでに扱った領域はサブカル音楽文学)からスポーツF1サッカー)、政治日本人拉致問題反日人権擁護法案など)・マスコミインターネット言論(2ちゃんねるブログ)と幅広い。時代の転換点をいちく捉え、「2ちゃんねる」やブロガーの活動にくから注、肯定的に評価するなど、インターネット言論を最も重視するジャーナリスト評論家としても知られる。その評価の理由として人権擁護法案国会上程阻止運動ネット言論リードしたことを挙げている。また、ブログにおいて、中国製品の不買運動キャンペーンチベット独立運動ネットワーク活動にも参加する他、ラジオ番組の配信を行ったり、既存メディアにない可性を模索している。

2006年からはオークラ出版から出されている「撃論ムックシリーズの編集に携わり、既存メディアの対中迎合報道偏向報道人権擁護法案の危険性を摘しているほか、南京事件批判的で、核武装の必要性、靖国神社参拝などに肯定的であり、それらの意義について独自の視点で切り込んでいるのが特徴である。

2008年には4月に設立された「教育における体罰条項を考える会」(後の「体罰の会」)の発起人となり、同会の理事も務める。

2008年7月には「チベット自由人日本100人委員会」のメンバーとなり、7月30日に開催された発足記念シンポジウムに櫻井よしこ酒井東大教授と一緒に参加した。

朝日新聞記者、雑誌『学生』編集長を務め、後に早稲田大学教授になった、『大和時代』で知られる歴史学者、西村次。また、叔父文化人類学者の西村朝日太郎(元早大名誉教授)、従兄弟に前沖縄県知事、稲嶺一がいる。

また、評論家渡部昇一呉智英と並び「CHINA」を支那と表記するのも既存メディア常識への挑戦と受け止められている。

著書 

F1,サッカー関連 
反日・特定アジア・メディア関連
漫画原作 
翻訳 

その他

1982年朝日広告賞部門賞(コピーライター)を受賞している。

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