ELP - エマーソン・レイク・アンド・パーマー ( Emerson, Lake & Palmer ) は、 キース・エマーソン 、グレッグ・レイク 、 カール・パーマーの3人により、 1970年6月 に結成された イギリスのプログレッシブ・ロックバンド。英語圏では ELP 、日本語では EL&P と略されることが多い。
キング・クリムゾン、ピンク・フロイドやイエス等と並んで70年代のプログレッシブロックを代表するグループとして知られる。
元ナイスのキーボード奏者として人気と実力を兼ね備えたキース・エマーソン、当時脚光を浴びていたキング・クリムゾンのグレッグ・レイク、 アトミック・ルースターでの活躍が話題だった若手ドラマーのカール・パーマー。
輝かしい経歴をもった三人だけに、スーパーグループとしてマスコミに取りざたされた。
1970年6月の結成発表直前まで、三人のグループネームは"トライトン(TRITON - ギリシャ神話に登場する半人半魚の海神)"にまとまっていたが、お互いを尊重し合うという意味にて、"エマーソン・レイク・アンド・パーマー"となった。
ジャズやクラシックをはじめとする様々な要素を取り込んだ斬新なサウンド、演奏テクニック、ステージパフォーマンスが注目を集め、ロック界のスターとなった。
またルックスも華やかで、プログレバンドとしては珍しく女性ファンから黄色い声援が送られることもあった。
デビューギグは1970年8月23日イギリスのPlymouth Guild Hallにて行われた。(一般的にデビューショーとして伝わるワイト島ロックフェスは8月29日)
1944年11月2日 キース・ノエル・エマーソンがミドル・イングランド、ランカッシャー州トドモーデンで生まれる。
電気関係エンジニアの父とピアノ教師の母、父の妹はダンス教室を開き、母の祖母は歌を書いていたという、音楽に囲まれた家庭で育つ。
週に何日か両親は自宅に友人を招き"音楽の夕べ"という素人ばかりのグループコンサートを楽しんでいたそうだ。
1947年11月10日 グレッグ・レイクがサセックス州ボーマンスで生まれる。
キースと同じように、グレッグの母もピアノを弾いていたようだ。
幼い頃から、美しいものや新しいものに対する興味が強く、歌を聴きながらも自分で創り出してみたいと思っていたという。
1950年3月20日 カール・パーマーがイギリス中央部のバーミンガムで生まれる。
ローカルバンドの歌手でもありドラムも演奏していた父、かなりの腕前だったオーケストラパーカション奏者の祖父、という、音楽に囲まれた環境で育つ。
初めて手にしたドラムは11歳の時、ショウウィンドウで輝いていたエリック・ディレニーというドラムセットだった。
1961年10月 キース、議員が後援する25人編成のオーケストラ"ワーシング・スウィング・オーケストラ"へ加入。
在団当時、学校を辞めオスカー・ピーターソンの影響を受けたジャズ・トリオを結成する等、バンドを掛け持ち、生活の全てが音楽になっていった。
1962年3月 キース、昼間は銀行で働き、夜はジャズバンドでピアノを弾くという生活を続けていたが、ゲイリー・ファー&Tボーンズというロックグループのドラマーから誘いを受け、正式メンバーとなる。後のナイスに加わるベーシスト、リー・ジャクソンも同グループの一員だった。
1963年1月 カール、学友のスティーヴィー・ウインウッドとバンドを組み、パブやクラブでアルバイトをする。
1964年3月 キース、Tボーンズに限界を感じ、VIPSへオルガン奏者として加入。ドイツを中心に活動するバンドだった。
1965年3月 カール、学校を辞めてバーミンガムで活動していたキング・ビーズに加入、プロドラマーとしての歩みが始める。
1966年2月 グレッグ、初めて自分のバンドを結成。ローカルグループの一つではあったが1年間存続。
1966年12月上旬 キース、パット・アーノルドがバックバンドを探していると、知り合いのアンドリュー・オールダムに頼まれ、ザ・ナイス(The NICE)を結成。メンバーは、ベース&ボーカルのリー・ジャクソン、ギターのデヴィット・オリスト、ドラムのイアン・ハギュー、そしてキースの4人。
1966年12月下旬 ザ・ナイスのドラマーがブライアン・デヴィソンに替わる。
1967年1月 ザ・ナイスがパット・アーノルド&ハー・ナイスとしてホワイト・ハート・アクトンのバーでステージデビュー。ショーの半分はナイス単独のものだった。
1967年4月 カール、キング・ビーズが解散した為、クリス・ファーロウ率いるサンダーバーズに加入する。
1967年6月 グレッグ、学校を早々と辞めて製図屋になるものの馴染めず、プロミュージシャンを目指しウェイン・ガーデンで活動していたローカルグループ、ザ・ゴッズに加入する。ザ・ゴッズにはケン・ヘンズレー(ユーライア・ヒープ)、ミック・テイラー(ローリング・ストーンズ)を中心に67年に結成されたバンドで、ユーライア・ヒープの母体と言われる。グレッグはこの時ギタリストからベーシストに転向した。
1967年9月 ザ・ナイスはパット・アーノルドのバックバントから独立。マーキークラブを本拠地に新たな活動を開始する。
マーキークラブでは9月の第1週から連続6ヶ月出演、ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス、ザ・フー、ローリング・ストーンズの打ち立てた動員記録を破るという人気ぶりが記録されている。
余談だがこの客席最前列でキースに黄色い声援を送っていた子供はデイブ・スチュワートその人であった。(デイブ本人談)
1967年11月 ザ・ナイス、シングルThe Thought og EMERLIST DEVJACKでレコードデビュー。キースはこの頃から"オルガンのジミヘン"と呼ばれはじめる。
1968年1月 ザ・ナイスがシングルと同名のアルバムをリリース。
1968年3月 カール、クレイジー・ワールド・オブ・アーサー・ブラウンに加入。
1968年7月6日 ザ・ナイスの2枚目シングル"America"が29位にランクされ、グループ初のヒットとなる。
1968年7月 カール、クレイジー・ワールド・オブ・アーサー・ブラウンの"Fire"が世界的ヒット。一躍注目の存在となる。
1968年10月 ザ・ナイス、2枚目のアルバム録音直後にギタリストのデヴィット・オリストが仕事疲れを理由に脱退、以降トリオ編成となる。
1969年1月上旬 グレッグ、ロバート・フリップの誘いでキング・クリムゾンへ加入。ロバートとは同じギター教師に学んでいた間柄だった。
2人以外のメンバーは、マイケル・ジャイルズ(ドラム)、イアン・マクドナルド(サックス・フルート)、ピート・シンフィード(作詞・照明)の5人。
1969年1月中旬 カール、クレイジー・ワールド・オブ・アーサー・ブラウンのオルガン奏者ヴィンセント・クレインと一緒に、リーダーのアーサー・ブラウンをアメリカに残しイギリスへ帰国。ニック・グラハム(ベース・フルート)を加えアトミック・ルースターを結成。
1969年4月5日 ザ・ナイス、2枚目のアルバムArs Longa Vita Brevis(邦題は少年易老学難成)をリリース。
1969年8月15日 ザ・ナイス、3枚目のアルバムNICEをリリース。
1969年9月12日 ザ・ナイス、第9回ナショナル・ジャズ&ブルース・フェスティバルに出演。ピンク・フロイド、ザ・フー、ソフト・マシーン等のグループを押し退け"Most Exciting Group"と絶賛される。
1969年9月20日 キース、メロディメーカー紙69年度人気投票ミュージシャン部門で、エリック・クラプトンに続き2位に選出される。また同じ頃発表されたレコードミラー紙の69年度人気投票で、ナイスがインストゥルメンタル・グループ部門でクリーム、ジミヘンに続く3位となる。
1969年11月5日 ザ・ナイス、4枚目のアルバムFive Bridgesをリリース。
1969年11月中旬 ザ・ナイス、キング・クリムゾンと共にアメリカ公園を12ヶ月間行う。この時キースがグレッグの才能に惚れ込んだと伝えられる。
1969年12月 キング・クリムゾンがアルバムIn The Court Of The Crimson King(邦題はクリムゾン・キングの宮殿)でレコードデビュー。ビートルズのアビー・ロードをチャートから引き摺り下ろす程の人気を呼んだ。
1970年1月下旬 キング・クリムゾンからイアン・マクドナルド、マイケル・ジャイルズが脱退。
1970年2月10日 ザ・ナイス、5枚目のアルバムELEGYをリリース。
1970年3月16日 メロディメーカー紙、グレッグがキースの新しいバンドに入る事をスクープ。センセーションを巻き起こす。
1970年3月20日 カール、アトミック・ルースターがアルバムAtomic Roosterでレコードデビュー。
1970年4月10日 ザ・ナイス、正式解散を発表。キースは解散の理由を「単に音楽的なもの」と説明。
1970年4月22日 キースとグレッグはニューバンドの為、カールを口説き落とし、アイランド・スタジオでジャムセッションを行う。キースはこの頃4千ポンドをかけモーグを導入。
1970年5月5日 ドラマーにカールを正式決定。レーコーディングリハーサルを行う。
1970年5月31日 アトミック・ルースターは6週間の予定で決まっていたアメリカ公演を、カール脱退を理由にキャンセル。
1970年6月3日 エマーソン・レイク・アンド・パーマー結成が正式に発表される。
書きかけの項目です。
掲示板
18 ななしのよっしん
2016/03/19(土) 04:03:45 ID: Z1janweXzS
まさかこんな形で人生に幕下ろすとはなあ
ネットで「もうやめとけ」とか言われたのと実際まともに演奏できんのかもしれんて不安が原因みたいね。実際不調だったみたいだし
来日公演予定されてたみたいだけど実際上手くいかなかったら確実にバッシング食らうしなあ
2chでサポートでキーボード入れて負担減らして、後はキメるとこでバッチリキメるだけでも良かったんじゃねって言ってるのいたけど確かにそんな気する
サポート入れるのってそこまで珍しい話じゃないし
19 ななしのよっしん
2016/12/08(木) 21:41:41 ID: KFebn3+NE9
グレック・レイクも逝ったか
当時活躍してたアーティストもだいぶ高齢化してきてるからな
20 ななしのよっしん
2024/04/08(月) 12:08:19 ID: rFiiGCOlvt
プログレの中では親しみやすい音楽でよく聴いていたな。
彼らなりに敷衍してくれたのかな。
タルカスとか長尺ながらダレることなく鑑賞できる。
そっからフロイドとかクリムゾンとかも抵抗なく入れるようになった。
今でも彼らには感謝してる。
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最終更新:2024/09/15(日) 08:00
最終更新:2024/09/15(日) 08:00
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