(※便宜上、この記事における「障害者・障碍者・障がい者」の表記は「障害者」に統一しています。)
感動ポルノ(原語:Inspiration Porn)とは自身も障害者であるジャーナリストのステラ・ヤング氏が作った造語である。
この場合の「ポルノ」とは「『感動』という快感を煽り立てるための消費対象としてのみ利用されていること」ことを強調するためにあえて「ポルノ」という表現を用いており、本来の意味である「性的な興奮を起こさせる」という意味は含まれていない。
したがって「泣きゲー」と呼ばれるアダルトゲームや感動的な要素を含むAV作品等は一切関係ない。これは「テロリズム」の意味を含めない「飯テロ」が近い表現と言える。
また、海外で飯テロを意味する「フードポルノ」も似たような意味で「ポルノ」が用いられている。
概要
この言葉「Inspiration Porn」は、オーストラリアのジャーナリスト兼コメディアンのステラ・ヤング(Stella Young)氏が2012年にウェブマガジン「Ramp Up」の記事「We're not here for your inspiration」(タイトル和訳:「私たちはあなたの感動のために居るんじゃない」)内で使用し、以後広まった言葉である。
簡単に言えば「障害者を非障害者の利益のために活用し、健常者を良い気分にさせるために障害者を利用対象としてモノ扱いする」という行為である。
氏によれば「あえて『ポルノ』と言っているのは、ある特定の人たちをモノ扱いして他の人が得するようになっているから」としている。
健常者の利益や娯楽、感動体験のために障害者を扱っていただけで、そこにいるのは障害者自身ではなく切り貼りされたステレオティピカルな「障害者像」があるだけで、本人の意志とは関係のないところに自分の姿が使われている。
「障害者は可哀そう」といった視点から、「何もできない・うまくいかないからこそ健常者と同じことをしてもらい、達成したことへの感動」といったように善意から障害者を下に見ているといっても差し支えない姿勢が問題になっており、清く正しい障害者としてのイメージを植え付け、感動を押し付けることへの問題点が表面化してきたともいえる。
昨今では「障害者の活躍の場」として使われてきた24時間テレビが、障害者を見世物にしているのではないかという批判もあり、感動や悲劇を「演出」している姿勢が批判の対象となっているのである。
留意点
障害者への差別といえば、「使えない奴」「社会のゴミ」などといった要不要論で述べられることもある。2016年には相模原の障害者施設で、障害者に対し「税金の無駄」などと強い蔑視や敵愾心を抱いていた犯人によって多くの入所者が殺害されるという、非常に痛ましい事件も発生している。が、この感動ポルノにおける障害者の扱いというのは、それとは違う方向ではあるが、それと似た視点を正当化しようとして行われているという面が否定できない。
とはいえ、感動的な展開を作ることで健常者に意識を向けさせる、というのは一概には悪いことだとは言えない面もある。いまでこそ批判もあるが、24時間テレビがそういった「感動」を描いたことによって障害者支援への理解が進んだということもある。社会の一員であると報道したというのはそれだけでも、わずかではあるが進歩していたのである。感動がなければ、光が当たることはなかったという側面もあるのだ。
また24時間テレビ開始前の障害者差別は非常に強力であった。障害者の乗車拒否に対する青い芝の会の講義映像を見れば凄まじさが理解できる。そして当時は優生保護法[1]が存在し、また優勢思想に基づく障害者の安楽死を公言する政治家もいた。今日も将来を悲観した保護者が、障害者を殺害・心中する事件が時として発生するが、当時は殺された障害者ではなく、保護者に対して同情の目が向けられていた。
このような事態に危機感を覚えた障害者とその保護者は、感動を作り出すことで、生命保証を図ろうとした可能性も考えられる。
だがその過程で、「可哀そう」や「何もできない」といった負のイメージが先行してしまった結果、障害者は可哀そうだから特別扱いすべきといった考えが主流となったという考え方もある。
「五体不満足」などの著作で有名となった乙武洋匡氏も、障害者は決して可哀そうな存在ではないと常々訴えている。
また「感動ポルノへの批判=障害者のテレビ出演を否定」ではないことに注意すべきである。「障害者を出すな」「見たくない」と付帯するものも多く見られる。しかしこれは相模原の事件同様、障害者の社会的隔離[2]を推奨しているに等しい。言葉で表現していない場合や、無意識下でも同様である。
「見世物小屋」の用語を用いて批判する意見もある。ただ「見世物小屋を見たくない」は、障害者をそのような人間としてしか見ていないことに等しい場合もあり、この用語は慎重に用いるべきと言える。
もしも日テレが特別番組ではない、普段の番組にも障害者を出演させていれば、評価も変わる可能性もある。この場合も、障害者が健常者と均等な機会を得られるよう配慮し、可哀想なイメージを付けないことが前提である。その上であれば、感動の演出は問題ない。24時間マラソンにみられる感動の演出と同様であり、障害者でも問題視されないだろう。
変に特別扱いするのも、差別するのも正しくないということだ。なかなかに難しいことであるが、この言葉が突き付けているのはそういったことである。
なお障害者と健常者が同等の権利を持ち、均等な機会を得られるように配慮することは、特別扱いではない。未だ現実的に十分とは言える状態ではない[3]が、障害者差別解消法[4]の制定や、ノーマライゼーション化やインクルーシブ教育と呼ばれる、等生化も推進・実施されてきている。そんな中で障害者を感動ポルノとして扱う行為は、等生化に反しているとも言える。
日本での普及
上記のように2012年から存在している言葉であるが、日本ではさほど普及はしていなかった。
そんな中、2016年8月27~28日に第39回24時間テレビが放映された。その回でも、「障害を持つ子どもを悪天候の中で富士登山させる」などの障害者に何らかのチャレンジをしてもらうという内容が放映された。これに対して、例年通りに批判意見を持つ人も多かった。
富士山のような山は、雨が降っている状況では体温を奪われやすく、特に子どもの場合は大人以上に体温低下のリスクが高い。そのような中で頂上に登らせた姿勢に対して「アタックを中止させるべきではないのか」という疑問の声が挙げられた。
その裏番組として、NHK教育テレビでは、毎週日曜夜7時に放送されているテレビ番組「バリバラ」の2016年8月28日回(※2016年9月2日0時再放送)が同日19時から放映された。「バリバラ」は、番組HPによれば「バリアフリー・バラエティ・ショー」の略で、障害者やバリアフリーなどをテーマにしたバラエティ番組、トーク番組である。24時間テレビは年一回のみだが、「バリバラ」は通年放送している。
その回の「バリバラ」は「検証!「障害者×感動」の方程式」と銘打ち、「障害者を描くのに感動は必須か?」「チャリティー以外の番組に障害者が出演する方法は?」と言った内容を生放送で討論するという特別企画だった。これは明らかに、裏番組の24時間テレビを意識したものである。
そしてこの回の「バリバラ」の中で上記のステラ・ヤング氏の言葉として「感動ポルノ」という言葉が紹介された。すると、「まさに今放送されている24時間テレビへの批判」というライブ感、そして「今まで24時間テレビに対して行われてきた批判を一言で表す、しっくりくる感じの言葉」であったことなどから、インターネットの日本語ユーザーの中で一気に広まったのである。
このニコニコ大百科記事(初版作成日2016年8月28日23時50分)も、日本語版Wikipediaでの「感動ポルノ」の記事(初版作成日2016年8月29日0時5分)も、作成日から判断するとこの「バリバラ」の影響を受けて作成された可能性が高い。
なお、大きく広めたのはこの「バリバラ」2016年8月28日放送回であろうが、この番組が「感動ポルノ」という言葉を日本での最初の紹介者だった、と言うわけではない。例えば「日経ビジネスオンライン」では2016年8月2日に、「障害者を傷つける、私たちの「感動ポルノ」の刃」という記事を掲載している。
「感動ポルノ」という言葉がポルノ差別であるという批判
一方、感動ポルノという言葉は「性的な興奮を起こさせる」という意味でのポルノ差別であるという意見も存在する。
「感動ポルノ」という言葉は批判的な文脈でのみ使用される言葉であるが、「性的な興奮を起こさせる」という意味でのポルノが批判の対象にならなければいけないわけではないからである。ポルノとは独立した人間同士が互いの合意による契約に基づいて製作されているものであり、そのポルノが障害者番組を批判する言葉で使われているのは「性的な興奮を起こさせる」という意味でのポルノに対する差別に他ならないという意見もある。
そのような指摘に対し、「『消費対象としてのみ利用されていること』を強調するためにあえて『ポルノ』という表現を使っており、『性的な興奮を起こさせる』という意味は含まれていない」との説明がなされることがあるが、それならば「感動消費対象専用物」と呼んで批判すればいいのであり、批判する際に「ポルノ」という言葉を使わなければならない必然性はどこにも存在しない。
そのような説明がなされる際には「性的な興奮を起こさせる」という意味でのポルノを差別したいという本当の意図を隠蔽するために、そのような見せかけの言い訳を作っているのではないかという疑惑も持ち上がってくる可能性がある。
また、オーストラリアというキリスト教が多数を占める国の出身である人間が関係しているという経緯を分析すると、「性交は生殖をするためのものであり、楽しんではいけない」「オナニーをしてはいけない」という古びた考えを持つキリスト教的価値観を多分に反映して不当に「性的な興奮を起こさせる」という意味でのポルノを差別するために出てきた言葉である可能性も考えられる。
関連動画
関連項目
脚注
- *障害者や特定の病気(ハンセン病)などの患者が対象となる、去勢手術について定めた法律。優勢思想(人間には優劣が存在するという考え)に基づく。1996年の母体保護法に変更されるまで存続。家族の許可のみで、本人の去勢手術が可能となっていた。
- *特別支援学校や障害者施設の多くが、郊外や山間部に設置されている現実がある。相模原事件の津久井やまゆり園も、山麓付近に位置していた。
- *公共施設での物質的バリアフリーは進んでいるが、社会進出や障害理解に関する社会的バリアフリーの進展は遅れている。
- *2016年4月施行。障害を理由とした入店拒否や入学拒否、入居拒否などの不当な差別を禁止し、健常者・障害者双方が建設的対話を行い、合理的配慮が可能となるよう定めた法律。詳細は内閣府HP、厚労省HP、バリバラ 障害者差別解消法(YouTube)などを参照。
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