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杉内俊哉(すぎうち としや、1980年10月30日-)とは、福岡県出身の元プロ野球選手(ブルガリア投手)である。現在は読売ジャイアンツのコーチを務める。
松坂世代の一人。
概要
読売ジャイアンツ #81 一軍投手チーフコーチ |
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杉内俊哉 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 福岡県大野城市 |
生年月日 | 1980年10月30日 |
身長 体重 |
175 cm 85 kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 左投左打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 2001年ドラフト3巡目 |
引退 | 2018年 |
経歴 | |
選手歴 コーチ歴 | |
国際大会 | |
代表チーム | 日本 |
五輪 | 2000年、2008年 |
WBC | 2006年、2009年、2013年 |
プロ野球選手テンプレート |
鹿児島実業では甲子園でノーヒットノーランを達成するなど活躍。社会人の三菱重工長崎で大きく力をつけ、2001年のドラフト3位で福岡ダイエーホークス(当時)に入団。ちなみにこの時の1位指名は寺原隼人である。ダイエー・ソフトバンク所属時の背番号47は憧れの工藤公康のもの。
ダイエー・ソフトバンク時代
2003年、斉藤和巳やルーキーの和田毅・新垣渚と共に先発ローテーションとして10勝を挙げ優勝に貢献。この4人はホークス4本柱と呼ばれることになる。日本シリーズでも2勝を挙げシリーズMVPに輝いた。
2004年、千葉ロッテマリーンズ戦で2回7失点とKOされ、その悔しさからベンチを両手で殴って骨折、長期離脱となった上に球団からは罰金を科せられた。この際、止めに入ろうとしたジョージ・マッケンジーが「利き手は止めろ!ブルガリア!ブルガリア」と叫んだことは有名。
2005年は神懸かり的な活躍を見せ、18勝4敗、防御率2.11でシーズンMVP、最多勝、最優秀防御率、沢村賞を獲得。最多奪三振は松坂大輔に奪われ投手三冠はならなかったが、球界を代表する左腕に成長する。
2006年は開幕当初こそ絶好調だったが、シーズン中盤から大失速。7勝に終わり、憧れの工藤公康同様に隔年投手であるとのレッテルが定着した。
2007年はレッテルを証明するかのように15勝を挙げ投手陣の柱として活躍。
2008年も10勝を挙げ最多奪三振を獲得(ちなみにこれによってダルビッシュ有は2008年シーズン無冠に終わっている)、一応隔年投手のレッテルは返上した。
2009年、WBC日本代表に選出。経験の無い中継ぎとして起用され、5試合に登板。6回1/3を無安打に抑える力投を見せる。MVPは3勝の松坂大輔が獲得したが、杉内を影のMVPに挙げる者も多い。シーズンでも投手陣の柱として力投を続け、15勝5敗、防御率2.36。2年連続の最多奪三振を獲得した。
2010年も4月中に6勝を挙げるなど、援護にも恵まれて開幕から快調に白星を積み重ね、復活した同僚の和田毅と最多勝争いを繰り広げる。8月から一ヶ月白星に見放されたが、マジック2で迎えた143試合目の北海道日本ハムファイターズ戦でダルビッシュ有と投げ合い1-0の完封勝利を収め、お立ち台で男泣きした。最終的に防御率こそ規定投球回数到達では自己最低の3.55に終わったが、リーグ3位の16勝を挙げ2年連続で最優秀投手(最高勝率)のタイトルを獲得。隔年投手のレッテルは完全に返上し、名実ともにホークスのエースとなった。ところがCSでは大乱調で2敗。見事に秋の風物詩となる。オフには契約更改で「携帯電話会社と同じですよ。新規加入の人には優しくて既存の人はそのまま」という名言を残して保留。つば九郎に「すぎうちくんもはんおそう。」と言われた。
2011年は前年の反動か、抑えても援護に恵まれない試合が続く。節目の通算100勝、通算1500奪三振を達成したりもしたが、8月から9月にかけて4連敗すると肩の違和感で一ヶ月離脱したこともあって、最終的に防御率1.94をマークしながら8勝7敗に終わり、5年ぶりに二桁勝利を逃した。なお援護率はリーグで下から2番目の2.58。シーズンオフにFA権を使い、交渉の末読売ジャイアンツへ移籍した。背番号18。
ちなみに奥さんの妹の旦那が新垣渚であり、チームメイト同士で義兄弟と言う珍しい関係にあった。
巨人時代
2012年は5月30日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で、完全試合達成まで後一人のところで四球を出し、完全試合を逃したが、続く聖澤諒を見逃し三振で仕留め、史上75人目(交流戦では2人目)のノーヒットノーランを達成した。なお甲子園とプロ野球の両方でノーヒットノーランを達成したのは今のところ杉内ただ一人である。7月27日の広島東洋カープ戦で勝ち星を挙げ、工藤公康以来史上2人目の「近鉄を含む全13球団から勝利」を達成。最終的に25試合に先発して12勝4敗、防御率2.04、172奪三振で史上初の両リーグ奪三振王も達成し優勝に大きく貢献した。クライマックスシリーズと日本シリーズでは左肩痛で登板を回避した。
2013年、WBC日本代表に選出。日本代表では唯一の3大会連続。ところが合宿中に女性との密会を週刊誌にスッパ抜かれ厳重注意と罰金の処分を受ける。大会ではリリーフで登板した。
シーズンでは24試合に先発し11勝6敗、防御率3.35と一定の成績は残したが、投球内容は不安定なものが多く、日本シリーズでも2試合続けてノックアウトとピリッとしないシーズンであった。
2014年7月12日の阪神タイガース戦で通算2000奪三振を達成した。
2015年5月5日の広島東洋カープ戦で6失点と大炎上。7月23日に股関節の故障で二軍に降格し、以降一軍での登板はなく6勝6敗に終わった。オフに右亦関節の手術を受けた。契約更改では4億5000万円ダウンとなったが、これは球界史上最大の大減棒だった。
2016年は手術のリハビリの影響で、一軍での登板がなかった。
2018年も一軍登板がないまま、9月12日に現役引退を発表した。
引退後
2019年から読売ジャイアンツの投手コーチを務める。背番号は85。2019年からは二軍、2021年からは一軍を担当。2024年からは背番号を81に変更。
銭闘員としての杉内
2010年の契約更改以前は銭闘員としてはあまり働いてこなかった。
しかし2010年の契約更改後は一転して銭闘員に変身。
2011年のFA移籍の際には凄まじい銭闘力を見せつけ、一部で中村紀洋(ブラック)の再来と言われる程に。
下の表を見ればわかるが、杉内は生涯ホークス宣言をしながら巨人に移籍している。
ちなみに過去には杉内と似た様なことを行い、古巣から黒歴史扱いされている選手もいる。
- 生涯ホークス宣言
- 冷めたビールかけ
- アジア一宣言し欠場
- ビールかけでのオーナー無視
- アジアシリーズ決勝戦の日にFA
- 福岡のファンは最高
- 気持ちはフラット
- わざわざ東京に出向いて交渉
- 人見知り
- 条件面だけじゃない、環境は福岡がいい
- 横浜からのオファーは嬉しい
- 47番はグッさんが、山口が付けてますから
- 野球人生を全部引き受けるという覚悟を示してほしい
- 4年でポイ捨ては困る。45歳まで終身雇用して
- 内川だって来年もあの成績を残さないと上がらない。税金も払えない
- 終身雇用じゃなくて、長く現役をやりたいだけ
- 巨人(との交渉は)楽しかった。趣味の話とかもしたし、満足している。ソフトバンクとの交渉では絶対にしないような話もした
- 杉内に巨人上回る4年22億円提示…ソフトバンク
- 杉内、残留の可能性も=ソフトバンクの条件見直しで
- 最終的にはどこでやれば一番無心で腕を振り続けられるかということだと思います
- 条件面は言うことはない
- 言ってみれば労使交渉を(杉内)一人でやってきたみたいなもの
- 今後の交渉には「練習もあるし、僕は出られないと思います」
- みんな不満を持っている。言えてないだけでね。不満を押し殺している選手もいる
- (巨人の背番号18の提示案に)野球人生を受け止める覚悟と思いを結晶させたものだった
応援歌
球団 | レス | No | プレイヤー |
---|---|---|---|
巨人 | 応援歌のピコカキコ一覧#163 | 8766 |
成績
通算投手成績
通算:14年 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
NPB | 316 | 309 | 48 | 21 | 142 | 77 | 0 | 0 | .648 | 2091.1 | 614 | 2156 | 735 | 686 | 2.95 |
タイトル・表彰・記録
タイトル | ||
---|---|---|
最多勝 | 1回 | 2005年 |
最優秀防御率 | 1回 | 2005年 |
最多奪三振 | 3回 | 2008年、2009年、2012年 |
表彰 | ||
月間MVP | 9回 | 2003年8月、2005年3月・4月、5月、2007年5月、2008年5月、2009年6月 2010年3月・4月、2012年5月、2013年3月・4月 |
日本シリーズMVP | 1回 | 2003年 |
MVP | 1回 | 2005年 |
沢村賞 | 1回 | 2005年 |
ベストナイン | 1回 | 2005年 |
セ・パ交流戦MVP | 1回 | 2009年 |
最優秀バッテリー賞 | 1回 | 2010年(田上秀則) |
その他 | ||
オールスターゲーム出場 | 7回 | 2005年、2007年-2012年 |
ノーヒットノーラン | 1回 | 2012年5月30日 |
13球団に勝利 | 史上2人目 |
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