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芽殖孤虫(学名:Sparganum proliferum)とは、条虫の一種で、寄生虫である。
謎の多い寄生虫で、人間に感染すると致死的とされる芽殖孤虫症を引き起こす。幼虫(プレロセルコイド)のみ見つかっており、成虫の姿が分かっていないため「孤虫」の名がある。「致死率が100%、つまり罹ったら死ぬ寄生虫」と語られることも少なくない。だがこれはどうも定かでないようだ(後述)。
概要
症例は例えばこんな感じである。これは世界で6例目(日本では5例目)の症例の描写である。
熊本県天草地方。1915年9月15日の夜、18歳で独身の女性は
友人の家から帰宅すると、突然、悪寒戦慄と強い頭痛を感じた。
翌日は食欲も失い、4日後には赤く痛みのある腫れが左大腿部の内側にできる。
痛みは日に日に酷くなり夜も眠れないようになるにいたり、
医者に腫れを切開してもらうと膿が出てきた。
切開はその後2回行ったが腫れは引かないまま続く。
20歳になると腫れは左下肢・右大腿・下腹部に広がる。
その腫れを引っ掻くと破れて、膿や血に混じって動く白い虫が。
虫はある時は5,6匹、時には2,30匹におよんだ。そうして1921年の4月4日、九州大学の後藤外科に入院することになった。
入院後は肥大した下腹部と両大腿部の成形手術等を数回受けるも好転せず、
身体の数箇所に腫れが広がっていく。 やがて肺炎の兆候が現れ、
全身状態が悪化して1922年の4月23日に死亡してしまった。
死亡後解剖すると胸・腹・大腿部の皮膚、脳の表面・肺・小腸・腎臓・膀胱
などから白い虫体が多数検出された。
まさに全身虫だらけというにふさわしい恐ろしい状態であった。[1]
初めて芽殖孤虫が報告されたのは1904年に発見されて1905年に報告された日本の症例である。だが、その後の症例はかなり少ない。
2019年までの時点での芽殖孤虫の全症例報告をレビューした2020年出版の論文[2]によれば、この論文著者が確かに芽殖孤虫であった可能性が高いと判断した症例報告は、「可能性が高い疑い例」を含めてもたった18例であったという。なおこの論文の著者が「異なる寄生虫であった可能性が高い」と判断した症例報告は、それまで「芽殖孤虫の可能性あり」とされていたものであっても除外しているようだ。
その合計18例の中で、症例数が最も多い国は日本(6例)であった。他に複数回見つかった国としてはタイで3例、台湾で2例であり、中国やアメリカやベネズエラや韓国などの国でも1例のみの報告があった。
「日本で多いの!?」と驚いたかもしれないが、それでも2019年までの日本国内全症例数が合計6例に過ぎない非常に珍しい病気である上、しかも1987年に診断された症例を最後に日本では新たな患者が発見されていないため、それほど心配する必要はない(2021年6月現在)。
感染した場合の死亡率について
なお、本記事冒頭でも触れたように「芽殖孤虫が寄生した場合の死亡率は100%だ」と語られることもあるが、上記の2020年出版の論文によればそれまでの報告において死に至っているものは18例中10例のようであり、これをそのまま読めば致死率100%というわけではないようだ。
この論文では「Proliferative sparganosis has been recognized as a fatal nasty infectious disease, which is presumably due to the fatal cases in the first half of the 20th century. In cutaneous proliferative sparganosis, seven out of the eight patients did die. However, early diagnosis enabled by the modern medical technology, and immediate treatment would possibly save patients, because the progression of the disease is slow.」(和訳例:「芽殖孤虫症は致命的で重篤な感染症だと認識されているが、これはおそらく20世紀前半に報告された致命的な経過をたどった症例群がその理由であろう。皮膚の芽殖孤虫症において、8名中7名の患者が亡くなっていたのだ。しかし、現代の医療技術においては早期診断が可能になっており、早急な加療は患者らを救命できるであろう、なぜならこの疾患の進行は緩慢なものであるからだ。」)とも記述している。
しかし、この2020年の論文と著者が共通する2021年の論文[3]において「Only scattered cases have been reported, but S. proliferum infection is always fatal.」(和訳例:「散発的な症例のみが報告されているが、芽殖孤虫の感染は常に致死的である」)、「Not many cases have been reported to date but the infection was fatal in all reported cases (reviewed in ref. 5).」(和訳例:「今日までにさほど多くの症例が報告されているわけではないが、この感染は報告された全ての症例(参考文献5にてレビューしている)で致死的であった」)(※この「参考文献5」は上記の2020年の論文を指す)、「survival of the parasite is dependent on asexual reproductive traits of budding and branching, which lead to 100% lethality in infected humans.」(和訳例:「出芽と分枝を特徴とする無性生殖によってこの寄生虫は生存するが、これが感染した人間における100%の死亡率をもたらす要因である」)などと、死亡率100%であるとするような文章もある。
つまり、同じ著者による2本の論文で死亡率に関する記述が矛盾しているようにも思える。要するによくわからん。
ゲノム解析で得られた情報
かつてはこの芽殖孤虫について「マンソン裂頭条虫などの寄生虫の、ウイルス感染などで変異することによって生じた異常個体ではないか」といった仮説も立てられていた。しかし、これはどうやら誤りではないかとみなされている。
というのも、1981年にベネズエラで診断された症例から採取された芽殖孤虫は実験動物への植え付けと数十年以上にわたる継代に成功しており、この継代された虫体を使用して全ゲノムの解析がなされたのだ。その結果、マンソン裂頭条虫のゲノムと比較して「近縁ではあるものの明らかに別種」であることが判明している。もちろん「このベネズエラの症例の場合はマンソン裂頭条虫とは明らかに別種だった」というだけで、「これまで芽殖孤虫とされてきた全ての症例の中には、マンソン裂頭条虫の異常個体に感染した症例も混じっていた」という可能性が完全に否定できるわけではないが。
また「本来の宿主が別にいてそちらに感染すると成虫になれるのだが、本来の宿主でない人体などに入ると成虫になることが出来ずに幼虫のまま分裂して増えるだけになるのではないか」という仮説もあった。これは「幼虫移行症」として、様々な寄生虫で生じる現象であり、例えば前述の「マンソン裂頭条虫」が人に感染した場合にも起きる。
だが上述のベネズエラの症例由来の芽殖孤虫のゲノム解析においては、器官の形成や成熟や生殖において重要な遺伝子について、数が著しく少なかったり生存上での重要性が低下していることが判明した。そのため芽殖孤虫は「そもそも成虫の段階が存在しない」「幼虫の形態のまま分裂して増えるのみ」という奇妙な生物だという可能性も示唆されている。
感染経路
症例の少なさから、芽殖孤虫がどのように人間に感染するのかという経路については不明瞭である。
類縁種であるマンソン裂頭条虫が人に感染するときの経路としては、鶏や爬虫類や両生類の生肉の摂食、あるいはケンミジンコが含まれる水の飲用などがある。これら鶏・爬虫類・両生類・ケンミジンコなどがマンソン裂頭条虫の中間宿主となるため。
芽殖孤虫の患者でも鶏肉や蛙の生食の嗜好がある例があったため、マンソン裂頭条虫と類似の感染経路を取っているという可能性はある。また、1987年の日本の症例ではこういった生食の嗜好は無かったものの井戸水を飲用しており、その井戸水からケンミジンコが検出されたためにこれが感染経路かとも疑われている。ただし同じ井戸水を飲用していた患者の家族は症状を呈していないこともあって、この症例でも井戸水が感染経路であるとは断言できていない。
関連動画
関連リンク
- 青島 正大, 中田 紘一郎, 松岡 正裕, 河端 正也, 中村 卓郎, PIE症候1群, 肺塞栓症を合併した芽殖孤虫症の1例, 日本胸部疾患学会雑誌, 1989, 27 巻, 12 号, p. 1521-1527
- Kikuchi T. & Maruyama H. Human proliferative sparganosis update. Parasitol Int. 2020 Apr;75:102036.
- Kikuchi T, et al. Genome of the fatal tapeworm Sparganum proliferum uncovers mechanisms for cryptic life cycle and aberrant larval proliferation. Commun Biol. 2021 May 31;4(1):649.
- 【国立科学博物館】謎の寄生虫「芽殖孤虫」のゲノムを解読 -謎に包まれた致死性の寄生虫症「芽殖孤虫症」の病原機構に迫る-|文化庁のプレスリリース|PR TIMES
関連項目
脚注
- *おそらく、西村謙一による書籍『頭にくる虫のはなし』からの引用改変。ちなみに同作者の書籍『佐賀の蝶』のインターネット公開版
の299-300ページにもほぼ同様の文章が掲載されていることが確認できる。
- *Kikuchi T. & Maruyama H. Human proliferative sparganosis update. Parasitol Int. 2020 Apr;75:102036.
- *Kikuchi T, et al. Genome of the fatal tapeworm Sparganum proliferum uncovers mechanisms for cryptic life cycle and aberrant larval proliferation. Commun Biol. 2021 May 31;4(1):649.
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