陸遜単語

リクソン

陸遜とは、三国志に登場する人物である。

概要

生年183、没年245。字は伯言。もとの名は議といい、後に(恐らく230年頃)遜に名したと思われる。

関羽討ちによる劉備軍を夷陵の戦いで破った人物として知られている。

陸氏はの四姓と呼ばれる有族であり、陸遜はその傍系として生まれた。一時期、陸氏と孫氏は対立関係が続いたものの、陸遜は孫策の死後に後を継いだ孫権の幕下に加えた。

当時地以外に名の一青年であったが、十余年後に山越の功績によって孫権は彼を気に入り、姪である孫策を妻として与えこれからも官位急速な昇進を果たした。219年、荊州の関羽を攻める際に陸遜は呂蒙に献策をした。やる気さを関羽アピール、油断させる事に成功し関羽軍を攻略、荊州を手中に収める。

222年、荊州を取り戻すために侵攻してきた軍に対抗するため、孫権は彼を大都督に任じた。これまで多大な功績を挙げている諸将から不満のが噴出、さらに守りを固める姿勢に臆病者と揶揄されたが、陸遜は冷静に敵の配置を読み取り、大火計でもって夷陵の戦い軍の勝利に導いた。追撃中に石兵八に迷い込み劉備を取り逃がすも、これにより諸将は感し、以後彼を評価するようになる。

その後も孫呉を支え続け、石亭の戦い後に孫権は喜び\陸遜に皇帝同様の待遇を与えた。社稷の臣と評価された。244年に陸遜は丞相となった。しかし、孫の後継者争いで意見を述べるが、孫権に拒絶され続ける内に、憤死した(二宮の変)。の行く末を子の陸抗らに託した。

陳寿裴松之では彼に対する評価が180度違う。

漫画・ゲーム等における陸遜

ショタ化がヒットし、三国無双シリーズ三国志大戦シリーズ美少年・美青年として登場する。チラ、ズボンリボン金髪などなど…。「りっくん」と呼ぶ人が多い。

横山光輝三国志

おまんじゅうっぽい顔立ち。

荊州奪還や夷陵の戦い概要通り描写している。                           まだほぼ名であるはずの時に10万の兵を引き連れて来ている。

日経電子版パロディ広告で、担当者により傅士仁と間違えられており、HPに謝罪文が掲載されているexit

コーエー「三国志」シリーズ

は総じて高く、オールマイティ

青年イラストとされる作品が顕著。三国志11では曹操孫権劉備らと同様に第2のグラ(基本は老け顔・例外もある)が用意されていたが、陸遜は美青年グラフィックをほぼ崩さず少しが寄るだけの調整?をされている。劇でももともと美形の役者が演じる役柄であり、コーエーは陸遜=美形のイメージを促進させたと言える。

「三国無双」シリーズ

cv:野島健児 格ゲー時代の初代三國無双から登場している古参である。

夷陵以外でも火計が多く放火魔のイメージが定着してしまった原因の一つ。
初期の頃(に4くらいまで)には諸葛亮に対し「先生」呼びをして、尊敬する場面はあったがその描写は作品を重ねる毎に薄れつつある。
一方で周瑜呂蒙に対して尊敬する描写が増えてきている。

7猛将伝では相方朱然無双武将として登場している。

無双乱舞(6以降)

  • 炎環腿:「スキだらけですよ!」
    前方をなぎ払い、炎をまとった両足で連続攻撃を食らわす。 
  • 火山靠:「全で行きます!火山靠!!
    全身に炎をまとい、体当たりを食らわす。
    つまりは山靠の炎版。
  • 飛燕「今です!飛燕!」
    7で追加された無双乱舞。
    残像による連続攻撃を食らわす。 

三国志大戦

『3』ではokomeイラストSR陸遜(孫武の大号)、風間太氏イラストのR陸遜(英魂の大号)、三好イラスト軍師カードの計3枚がある。SRの方はショタっぽい事から「りっくん」、晩年を感じさせるRの方は「りっさん」と呼ばれている。どちらも計略にクセがあるため扱いこなすには慣れが必要。

新作ではレアのみ。イラストレーター葉・K氏。
絵師絵師である為かショタでもおっさんでもなく普通に若いイケメン

スペックは武6・知9・征圧2の兵と陸遜らしく知偏重。さらに防柵・魅持ち。
何気に陸遜に魅が追加されたのは今回が初ゆーか今まで付いてなかったのか
計略は『3』に近い感じで「駿才の大号」。武+6・征圧+1が長時間続く代わりに長めの溜め時間を要する為、どれだけ陸遜を守り抜けるかがデッキの鍵となる。相変わらず癖が強い。

 恋姫無双シリーズ

率の高いのメンツにしてはい肌がまぶしい。発育が良いのがっているのメンツでも一際なサイズおっぱいしい。
また、何故か呂蒙より年上っぽく描かれている。

関連商品

関連コミュニティ

関連項目

【スポンサーリンク】

スマホ版URL:
https://dic.nicovideo.jp/t/a/%E9%99%B8%E9%81%9C

この記事の掲示板に最近描かれたお絵カキコ

この記事の掲示板に最近投稿されたピコカキコ

ピコカキコがありません

陸遜

180 ななしのよっしん
2018/03/12(月) 02:52:33 ID: fD9JwNDGuq
年齢的にもほぼ自然死じゃね
わだかまりを残したままというならそのとおりかもしれないが
181 ななしのよっしん
2018/03/28(水) 17:13:14 ID: dWlSd1TVpj
わざわざ憤死と書くってことは史書を残した連中からしたら「察しろよ」ってことだからな
問題はその察しろと言うのが死因なのか心労の元のことかってことだが
182 ななしのよっしん
2018/08/02(木) 11:43:38 ID: j6twfxbDQf
説明に石兵八はやめたれよ
183 ななしのよっしん
2018/09/30(日) 10:20:00 ID: nmCr6xEsIN
が積極的に外征しなくなったのは陸遜が重職に就いた影かもしれない。地元であるの名士だったので、「外征より地元の安定重視」という気持ちは強かったと思われる。
184 ななしのよっしん
2018/10/05(金) 22:24:20 ID: JQtyKduKr9
>>183
そもそもが積極的だったのが周瑜時代だけだと思う。
魯粛は防衛重視の隙あればって方針だし、呂蒙も前任の路線だと尾思う(呂蒙は勉強不足で荊州奪取後の方針が分からんけど)。

それに陸遜の時代には情勢の変動が見込めない状態だったのもあると思う。勢が三に集約されて、に単独でいけば返り討ちにあうだろうし、にいけばに刺される。
185 ななしのよっしん
2018/10/23(火) 07:15:57 ID: ilCZ23Pngr
そもそも積極的に外征はしてた
周瑜時代との違いは「方向が北向き」「に担当するのが孫権本人」「攻めに関してはほぼ負け専」の3点
186 ななしのよっしん
2018/10/23(火) 10:01:59 ID: h8Vc/rJNgn
親征という形でしか実行されなかったとも取れる、陸遜などは
特に諌めたという記述も散見されるし、周瑜が生きていたころの
つまり境線が未画定だったころの外征とは趣を異にすると思うなぁ
187 ななしのよっしん
2019/03/10(日) 16:07:07 ID: Ln8viKI741
孔明が北伐してた頃は陸遜も積極的に領に侵攻した
諸葛瑾たちもだね。孫呉の各武将の伝には軍による北伐の記述が結構ある
の北伐がその後は小規模になり、司馬懿らの戦を荊州に集中したため、孫権陸遜は止むを得ず割拠を選んだというところでは
188 ななしのよっしん
2019/05/03(金) 02:46:50 ID: ZEKW4IeM+0
話が変わるけど、この人名したんだね。
徐庶といい程昱といい、晩年になりかけて名するってなんだかロマンを感じる。
189 ななしのよっしん
2019/05/04(土) 16:28:34 ID: yUgAs1tkCx
の項あるなら三国伝も是非