アラン・チューリング(Alan Mathieson Turing)とは、純愛を貫いたが故に悲しき最期を迎えた天才数学者である。
概要
1912年6月23日、ロンドンのメイダヴェールにて生まれる。インド高等文官だった父は母を連れてインドとイギリスを往復する日々を過ごさざるを得ないため、兄とともに父の友人に預けられていた。幼少の頃から数学とパズルが非常に得意で、セント・マイケルズ学校の担任と校長は既に彼の才能に気付いていた。しかし、進学先となったシャーボーン学校は古風なパブリック・スクールなので、シャーボーン学校の校長はチューリング夫妻に「ふたつの学校の間で落ちこぼれないことを望みます。パブリックスクールに留まるなら、教養を身に付けねばなりません。単に科学者になるのなら、パブリックスクールに通うのは、時間の無駄です」という手紙を送るほど、学風により彼の才能が埋もれることを恐れていた。
そんな校長の心配をよそに16歳にしてアルベルト・アインシュタインの論文に記載された矛盾を指摘したほど、彼の才能は開花していた。その頃にライバルで親友だったクリストファー・モルコムに恋心を抱くも感染牛のミルクを小さいころに飲んでいたことが原因で牛結核症にて夭逝。この悲恋が原因で彼は無神論者となった。
ケンブリッジ大学キングス・カレッジ卒業後、中心極限定理を証明した論文が認められ、キングス・カレッジのフェローに選ばれた。数学者としてはチャーチ=チューリングのテーゼと計算可能性理論という現代科学の基盤を提唱し、プリンストン高等研究所でも才能を認められた。
時は流れて1939年。彼は当時のイギリス軍を苦しめた暗号機「エニグマ」の解読を命じられた。そこで暗号解読にて軍に貢献する一方、軍の内部では『Prof』と呼ばれる変人としても有名だった。なにせ、花粉症対策としてガスマスクしながら自転車で通勤し、マグカップ盗難対策として、カップをラジエータパイプに鎖で繋いでいた等の逸話を残している。だが、その仕事内容故に1970年代までその業績は秘密にせざるを得ず、母親に一度だけ「軍関係の研究をしている」と話したこと以外は決して漏らすことはなかった。
そして、解読機のbombeとBanburismus、Turingeryを考案して「エニグマ」を攻略。秘話装置 Delilahも考案したが、当時は技術が追いついていないために完成したのは終戦間近だった。1945年から1947年まではリッチモンドに住む。1946年2月の論文では、プログラム内蔵式コンピュータの英国初の完全なデザインを発表するなど、ここでもコンピューターの基礎づくりに貢献している。1948年、マンチェスター大学数学科の助教授に招かれる。この頃には人工知能の論文を発表し、コンピュータチェスのプログラムを発表。こうして、戦後の彼は数々のコンピューターに関する理論やプログラミングを提唱し、世界に貢献するはずだった…
1952年1月、映画館のそばでアーノルド・マレーと出会う。最初はランチデートのみであったが、二人は次第に体を重ねるようになった。しかし、泥棒に入られたことを通報したことが彼の悲劇に繋がった。実はマレー、泥棒にチューリング宅へ泥棒に入るよう、手引きをしていたのだがその時の捜査で二人の関係を警察が知ってしまう。当時、同性愛は犯罪とされていた時代、チューリングとマレーは同性愛の罪で逮捕されてしまう。判決では有罪とされ、投獄を逃れたいチューリングは女性ホルモン注射の投与を受け入れてしまう。この事件によりGCHQ(Government Communications Headquarters、政府通信本部)での暗号コンサルタントの職を辞せざるを得なかった。この事実に精神に異常をきたしたのか、1954年6月8日、青酸中毒により亡くなった。ベッドの脇には齧りかけのリンゴが落ちていて、リンゴに青酸化合物が塗布されているかどうか分析されなかったという。公式では自殺とされているが部屋には青酸の瓶が多数あった事から、チューリングの母は実験用化学物質を不注意に扱ったために起こった事故であると主張している。
彼の死について
前述のとおり、公式では自殺とされているがリンゴに青酸化合物が塗られているか検証されておらず、多数の青酸化合物の瓶が転がっていたことも特徴であった。母の主張が正しいのか、本当に自殺したのかは再調査しなければ検証できないが、同僚はある証言を残している。それは、映画『白雪姫』を鑑賞し終えた後のチューリングの言葉だった。
もしかしたら彼はこの頃から初恋の人の元へ旅立ちたいという願望があったのかもしれない。
再評価
1966年、計算機科学において彼のような功績を残した人物へ授与されるACMチューリング賞(ACM A.M. Turing Award)が新設される。そして、1974年夏に出版された「ウルトラ・シークレット」によって彼の功績が明るみとなった。この事で1999年、タイム誌の「タイム100: 20世紀の最も影響力のある100人」の一人にも選ばれた。更に時を経て2009年8月、ジョン・グラハム=カミングが英国政府にアラン・チューリングを同性愛で告発したことへ謝罪するよう請願活動を開始。数千もの署名を受領したのゴードン・ブラウン首相(当時)は正式に謝罪した。当時の扱いに対して「呆れたもの (appalling)」と表現しつつ。その時の謝罪表明は以下の通り。
数千の人々がアラン・チューリングのための正義と彼がぞっとする扱われ方をしたという認識を求めて集まった。チューリングは当時の法律に則って扱われ、時計の針は戻すことはできないが、彼に対する処置はまったく不当であり、深い遺憾の意を表す機会を得たことを我々全てが満足に思っている… イギリス政府とアランのおかげで自由に生活している全ての人々を代表し、『すまない、あなたは賞賛に値する』と言えることを非常に誇りに思う。
流石に免罪(名誉回復)に関しては当時は合法だった為に実現しなかったが、2013年12月24日にエリザベス2世女王の名をもって正式に恩赦が発効された。
また、1986年にはチューリングを題材とした戯曲『ブレイキング・ザ・コード(原題:Breaking The Code)』が発表され、1986年11月からロンドンのウェストエンドで初の舞台披露となった。1996年にはデレク・ジャコビ主演でテレビドラマ化され、同作はブロードキャスティング・プレス・ギルド賞を受賞。日本でも1988年には劇団四季により上演された。その後、2014年11月14日、同じくチューリングの人生を題材とした映画『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密(原題:The Imitation Game)』が公開された。最初はイギリスで、日本では2015年3月13日、ギャガによって配給された。
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関連項目
- 学者の一覧
- 計算機科学
- コンピューター
- プログラミング
- 暗号
- ケンブリッジ大学
- 白雪姫
- チューリングマシン / チューリング完全
- デレク・ジャコビ / ベネディクト・カンバーバッチ(共にチューリングを演じた俳優)
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