アンネリーゼ・エスベルガー(anneliese essberger)とは、第二次世界大戦中にドイツ海軍が運用した封鎖突破船である。1942年11月21日に自沈。
元はハンブルクの海運会社ジョン・T・エスベルガー所属の貨物船。姉妹船にエルザ・エスベルガーがある。ジョン・T・エスベルガーは1924年に設立された石油専門の輸送会社であったが、事業拡大に伴い、貨物船によるばら積み輸送を行う事となり、数隻のタンカーを発注。その1隻がアンネリーゼであった。
要目は排水量5173トン、全長133.8m、全幅17.44m、最大速力13ノット(24km/h)、ディーゼル燃料785トン、乗組員34名。兵装は10.5cm砲1門、20mm対空機関砲2門、魚雷艇、機関銃4丁。(いずれも1942年以降)。
1935年12月19日にドイチェヴェルケAGのハンブルク造船所で竣工。ジョン・T・エスベルガー海運会社の貨物船となる。第二次世界大戦が勃発した1939年9月3日、アンネリーゼは神戸に所在しており、同日中にドイツ海軍が徴用、エルザともども補給任務を帯びるエタッペン・Vシッフに指定される。乗組員はまだ国交があったソ連のシベリア鉄道を使ってドイツに帰国。代わりに別の乗組員が補充された。
神戸及び大連にはアンネリーゼ、エルザ、ブルゲルラント、シャルンホルスト、横浜にはザールラント、エルベ、オーデンヴァルトが停泊し、継続的に燃料と物資の補給を受ける。日本側はこれらのドイツ船舶が仮装巡洋艦の補給船に使われている事を否定したが、イギリス海軍当局は少なくとも12隻のドイツ船舶が補給任務に従事しているとし、監視を続けていた。
給油可能なタンカーであるエーゲルラント、エッソ・ハンブルク、ロートリンゲンを一挙に失ったため、活動中の仮装巡洋艦は補給に窮する事となった。ドイツ海軍はアンネリーゼに補給任務を命じ、1940年9月に太平洋でコメートと合流・補給を施した。
1941年1月10日、神戸にて独商船ウィネトウとともに封鎖突破船ミュンスターラントに燃料を補給。
6月20日、同盟国日本が管轄する大連で、コメートとオリオンに1200トンの燃料を補給したのち出港。レーゲンスブルクと同じようにヨーロッパへの帰投を試みる。だがロンドン当局は、去る4月3日にエルムラントが帰国成功した事を大層悔しがり、これ以上の封鎖突破船のヨーロッパ帰投を阻止すべく、海軍本部と経済戦争省に封鎖突破を行う可能性がある船舶の動向に警戒するよう命令、またイギリス空軍にはビスケー湾の哨戒活動を厳重化するよう命令した。
7月14日から25日にかけてツアモツ諸島近海でコメートに690トンの石油と食糧を補給。その後しばらくはコメートと行動をともにし、オーストラリア・ニュージーランド・パナマ間で通商破壊を行うコメートを支援。やがて支援任務を終えたアンネリーゼはヨーロッパへの帰投を目指して単身出発。
道中の南大西洋、トリスタン・デ・クーニャ島でオリオンに燃料補給。オリオンは補給予定のタンカー2隻を撃沈され、危うく洋上で燃料不足に陥るところだったため、アンネリーゼの補給は非常にありがたいものであった。また中部大西洋でもUボートに補給を施している。8月30日、ノルウェーの貨物船ヘルシュタインに偽装中のアンネリーゼはオリオンと合流して補給する予定だったが、予定ポイントにオリオンが現れなかったので、断念して北上を続ける。
9月2日、合流予定地点で待機していたU-106と合流し、9月8日にスペイン北岸へと到着するまで護衛を受ける。連合軍はアンネリーゼを捕捉すべく捜索部隊を送り込んでいたが、9月10日、敵に捕まる事無くドイツ占領下フランスのボルドーに入港。ここで日本から運んできた貴重な生ゴム3400トン、鯨脂3000トン、キニーネ40トンと便乗者を下ろした。生ゴムは4個機甲師団、もしくは10個歩兵師団を1年間保持出来る量で、鯨脂もドイツ全土の鯨脂消費量を1週間まかなえる量であり、キニーネはマラリア予防薬不足の解消に大きく貢献。この絶大なる功績によりアンネリーゼの士官たちは二級鉄十字章が授与されている。
しかしイギリス軍の封鎖突破船狩りは確実に実を結んでおり、エルベは英空母イーグルのソードフィッシュに捕まって沈没、オーデンヴァルトはアメリカ海軍の中立パトロールに拿捕され、ラムセスはエルベの沈没に伴って横浜に引き返した。
アンネリーゼは封鎖突破船の指定を受け、自衛用武器及び魚雷艇、優れた照準装置の搭載や、改装工事を行った。乗組員は62名、このうち23名がドイツ海軍兵である。積み荷は染料、機械部品、燃料用植物油、火薬入り木箱、ジャガイモなど2000~4000トン。加えて中部大西洋で食糧、真水、弾薬などを補給する任務を帯びていた。航路については喜望峰を回るルートと、南米南端ホーン岬を抜けるルートの二通りが用意されていた。ちなみにアンネリーゼにはマスコットとして犬が乗っていたらしい。
1942年11月5日午前11時45分、機雷原を抜けるための水先案内人が乗船し、13時50分、ゆっくりとボルドーを出港。遥か彼方の神戸港を目指す。19時45分にジロンド河口のロワイアンに寄港して水先案内人を退船。機雷原啓開船と巡視艇の先導を受けて川を下っていった。ジロンド河を出た後は西進。途中まで第3魚雷艇隊と第5魚雷艇隊の計8隻が同行した。
翌6日午前10時頃、ビスケー湾を通過中、船内拡声器から「F」(Flieger、航空機の意味)のモールス信号が打たれ、総員戦闘配置命令が発令。まずイギリス空軍第19飛行隊所属のB-24リベレーター爆撃機より8発の爆弾が投下され、次にホイットリー爆撃機が最初に2発、その後に1発の爆弾を投下してきた。アンネリーゼは全ての砲を使って応戦、ホイットリー1機に10.5cm砲弾を命中させて損傷を与えた。14時に敵機は退却。幸い直撃弾は受けなかったものの至近弾が原因で速力が11ノットに低下したという。
同日夕刻、水平線上に潜水艦が目撃される。識別信号を発していなかったためイギリスの潜水艦と思われ、攻撃を避けるべく一時針路を変更した。アンネリーゼは何とか難所のビスケー湾を突破して北大西洋に進出する。
11月7日14時、今度はショートサンダーランド飛行艇の襲撃を受け、爆弾8発と爆雷1発が投下。いずれも回避に成功している。アゾレス諸島北西まで西進を続けた後、船は南下を開始。約10日後、マストに立つ見張り員が2本煙突の商船を発見したため、即座に針路変更して逃走を図り、数時間後に元の航路へと戻った。これまでの航海で味方のドイツ商船とは一切出会わなかった。
11月20日、ブラジルからジブラルタルに向かっていた連合国の民間機らしきクリッパー航空機に発見される。その航空機は暗号無線を放っていた事から乗組員たちはアンネリーゼの位置が連合軍に知られたと悟った。
1942年11月21日午前5時16分、ブラジルのセントピーター・セントポール諸島東方740kmにて、ルウォーキー、シンシナティ、駆逐艦サマーズからなる第23.2任務群は、ジグザグ運動を取りながら封鎖突破船の捜索を行っていた。午前5時32分、ミルウォーキーのレーダーが約20km先のアンネリーゼを捕捉して旗艦のシンシナティへ報告、6分後には16kmまで肉薄してアンネリーゼを直接視認し、更に距離を詰める。
午前5時51分、任務群司令は全艦に右315度の緊急回頭を命令。アンネリーゼと並行に進むよう艦の位置を調節した。午前6時にミルウォーキーが対空機銃で威嚇。するとアンネリーゼは「L-J-P-V」のコールサインで応答した。これはノルウェー貨物船シェルブレッドの国際呼出番号である。マストの先端にはノルウェー国旗が掲げられた。つまり連合国の船舶と偽って急場を凌ごうとした訳だが、今度は連合国の秘密識別信号で呼び出され、応答する事が出来なくなってしまう。
午前6時40分、もはやこれまでと判断したアンネリーゼは秘密文書や暗号文を素早く破棄し、自沈のための爆薬を点火。それと同時に海上へボートを降ろして船員が脱出を始める。午前6時56分、船首、デッキハウスの後ろ、船尾の3ヵ所で大爆発が起きる。特に船尾の爆発は一層激しく残骸が30~60mの高さにまで吹き飛んだほど。午前7時、最後の意地か、士官がマストに掲げられていたノルウェー国旗を降ろしてハーケンクロイツが描かれたドイツの戦闘旗を掲揚している。またマスコット犬はリボルバーの銃弾を撃ち込まれて殺処分された。
第23.2任務群は救助した下級士官1名を案内役とし、爆炎に包まれるアンネリーゼに拿捕隊を送り込み、午前7時14分までに積み荷からスワスティカ、ノルウェー国旗、機銃弾、弾薬、4インチ高性能爆薬、衣服を、士官室から士官ノートと宣伝冊子を持ち去る。それから程なくして炎が上部構造物全体を覆い、船尾が急速に沈み、そして午前7時28分に左舷へ傾きながら沈没していった。あまりの沈没の早さに連合軍はアンネリーゼの拿捕に失敗。乗組員62名はミルウォーキーに救助されている。
乗組員たちは一旦ブラジルのレシフェへ送られて尋問を受ける。ブラジル人と乗組員との間には通訳としてアンネリーゼの軍医レオ・ホフマン博士が入っていた。捕虜となっても乗組員は誇り高く、善良な振る舞いをしていた事に現地のアメリカ軍は驚きを隠せなかったという。1943年9月21日から1944年4月15日までポウソアレグレ強制収容所に収監。
封鎖突破船の第一陣はアンネリーゼ、カリン、コルテラッゾ、ゲルマニアの4隻だったが、このうち拿捕を免れて日本の勢力圏まで辿り着いたのはカリンのみであり、ドイツ海軍司令部は12月と1月にこれ以上の封鎖突破船を派遣する計画を断念した。1978年、シュヴェンフルトで病院を経営していたホフマン博士はアンネリーゼの物語をまとめた本を出版。尋問を行った元アメリカ軍のホセ・アルナルド将軍との交流も続けている。
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