日本維新の会 (2012-2014) 単語

ニホンイシンノカイ

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日本維新の会とは、2012年9月28日に結成された政党である。体は地域政党である大阪維新の会

概要

2010年4月橋下徹が結成した地域政党大阪維新の会」をベースに、自民党民主党みんなの党を離党した国会議員を加えて2012年9月に結成された政党である。結成直後に日本創新党太陽の党(旧たちあがれ日本)が合流しており、太陽の党で代表を務めた石原慎太郎橋下徹の二頭体制となった。

結成当時は社会保障や労働規制の縮小、TPP推進、フラットタックスの導入など底した新自由主義路線と首相選制・道州制などの統治機構改革をアピールポイントにしていたが、太陽の党合流後は日本国憲法の否定や自由義史観の推進など右イデオロギーが前面に出る傾向が強くなった。また当初は脱原発政党を標榜していたが、こちらも太陽の党合流後に軌修正している。

結党直後の2012年総選挙では54議席を獲得し、民主党に3議席差まで迫った。そのため一時は民主党に代わる大政党に成長し自民党との保守二大政党制を実現するのではないかと囁かれた。しかし太陽の党合流による中間層・無党派層の流出や党内対立の化、橋下共同代表の失言などから党勢は総選挙ピークに下り坂となり、翌2013年参院選では得票を大きく減らし、獲得議席も民主党の半分以下の8議席に留まった。また都議選など地方選でも敗北が相次いだ。

こうした中でみんなの党中道寄りメンバーが結成した結いの党との合流案が浮上すると、合流に積極的な橋下大阪)と合流に否定的な石原東京・旧太陽)の裂は修復不可能レベルにまで広がり、結局2014年5月に分党が決定された。手続上は同年7月31日付で日本維新の会を解散し、8月1日付で新しい「日本維新の会」(橋下新党)と「次世代の党」(石原新党)を結成するという形になっている。

分党直前の時点で衆議院議員53名(総選挙後に西村眞悟を除名)、参議院議員9名(2016年改選組1名)の計62名が所属していた。内訳は橋下が約30名、石原が約15名、中間が約20名程度とされていた。分党後の行き先は橋下新党38名、次世代の党22名、離党・所属2名となった。

メディアでは極右radical-right政党と表現されることも多かったが、所属メンバーの思想は政治的にはリベラル寄りの新自由主義者から新保義者、復古義者や義者まで多種多様であり、それゆえについに一枚岩になることはなかった。

2014年9月21日結いの党を吸収合併し、同時に党名を維新の党に変更した。

 以降は維新の党を参照。

政策について

党の統領として以下の維新八策が掲げられていた。

  1. 統治機構の作り直し ~決定でき、責任を負う統治の仕組みへ~
  2. 財政・行政政治改革 ~スリムで機動的な政府へ~
  3. 公務員制度改革 ~官民をえて活躍できる政策専門へ~
  4. 教育改革 ~世界準の教育復活へ~
  5. 社会保障制度改革 ~の弱者支援持続可能な制度へ~
  6. 経済政策・雇用政策・税制 ~未来への希望の再構築へ~
  7. 外交・防衛 ~権・平和益を守る万全の備えを~
  8. 憲法改正 ~決定できる統治機構の本格的再構築~

この他、核武装の推進・電力市場自由化・最低賃金止や解雇規制の緩和などの政策が掲げられていた(一部太陽の党が合流してきたことによりトーンダウン化した政策が存在する)。

また外国人参政権については、橋下は特別永住外国人在日朝鮮韓国台湾人及びその子孫)の地方参政権に限って容認の立場を示していたが、太陽の党合流後は党として外国人参政権を容認しない考えに転向した。

分党後の動向

所属議員の帰属先は2014年6月24日時点のもの。参加議員一覧政党名は維新入党前の最終所属政党斜体字参議院議員

日本維新の会維新の党
(橋下新党)
次世代の党
(石原新党)
離党・所属
参加人数 38名(衆32名 参6名) 22名(衆19名 参3名) 2名(衆2名)
参加議員 太陽の党 河野正美 三木村岡
片山虎之助
石原慎太郎 今村洋史 園田博之
中丸啓 中山成彬 平沼赳夫
藤井孝男 松田三宅博
中野正志 中山恭子
自由民主党 岩永 遠藤敬 新原秀人
鈴木 谷畑孝 松浪健太
儀間藤巻健史
西田
民主党 石関今井雅人 小沢鋭仁
坂口直人 松野頼久
室井邦
みんなの党 足立康史 清水一郎 上野内文 杉田水脈
大阪維新の会 井上浦野靖人 馬場信幸
東徹
西野
日本創新党 中田 山田
所属 伊藤信久 上西小百合 木下智彦
坂本 椎木保 重徳和
鈴木高橋美穂 丸山穂高
村上政俊 百瀬智之 山之内毅
清水
坂元大輔 田沼隆志 宮沢
アントニオ猪木
西岡林原由佳

事前の予測よりも次世代の党を選ぶ中間議員が多く、ほぼ3:2に分かれる結果となった。国会議員でない橋下に党を運営されることへの不満に加え、自民党寄りの姿勢を明確にしている石原が次回選挙での自民党との選挙協力確保を謳い文句にしたことで、地盤の弱い新人議員の一部がそちらにいたこともした[1]

橋下新党は結いの党に加え民主党(非労組系)やみんなの党の一部との連携を志向し、新自由主義と統治機構改革を旗印に経済勢力の結集をしている。政治面では右色を控えにする可性が高く、方向性としては戦前保守二大政党制の左側を担った立憲民政党ポジションしているとも言える。

次世代の党は自憲法の制定や自由義史観に基づく大日本帝国歴史的再評価など、底した右イデオロギー路線を打ち出している。また自民党への「右」からの協力姿勢を明確にし、自民党の「左」のパートナーである公明党を連立かパージさせることを重要標に掲げている。ポジション的には近年欧州で躍進著しいフランス民戦線などの本格的極右政党の役割を担うものと見られる。

なお当初は田母神俊雄航空幕僚長の石原新党参加が報じられていたが、後に田母神は「日本真正保守党」(真保党)の結成を宣言し、当面は次世代の党とは別の独立した政党として協力関係を築きたいとしている。また韓国人へのヘイトスピーチを理由に党を除名された西村眞悟衆議院議員田母神と共に次世代の党に参加したいとしているが、中田など一部の議員は西村の合流に否定的な見方を示している[2]

みんなの党は両新党の間で難しい取りを迫られている。既に江口次世代の党に移籍したほか、和田政宗など右色の強い議員の一部も参加が囁かれている。次世代の党との統一会結成をす動きもあるものの、浅尾慶一郎代表は「歴史修正主義には立てない」として勉強会などを通じた共闘関係に留めたいとの意向を示している[3][4]。一方橋下新党もみんなの党波を送っているものの、結いの党分裂の経緯などから心情的なしこりを残している議員も少なくないため、呼応の動きがどの程度広がるかは依然不透明である。

ネット世論調査

公式ニコ割アンケートネット世論調査で毎行われている政党支持率調における日本維新の会支持率の推移は以下の通りである。なお2014年7月8月は「次世代の党日本維新の会 石原)」を「日本維新の会橋下)」と別で集計している。

やはり2012年総選挙ピークに下り坂になっており、後期には自民党に次ぐ支持率第2位の座を共産党に明け渡す場面が立った。特に20代以下の若い世代の支持率低下がしく、2014年に入ってからは老高若低の支持率分布が明確になっていたが、分党後は若年層の支持率にやや改善傾向が見られるようになった。男女別では一貫して男高女低傾向にあり、2ポイント近い差がつくこともあった。

2014
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
総合 2.8 4.0 3.9 3.6 2.9 3.2 3.0 3.4 維新の党時代)
年齢 50代以上 2.5 8.3 7.1 7.2 5.1 3.3 3.8 4.5
40代 3.2 4.6 4.4 4.2 3.4 3.7 3.0 3.8
30代 2.6 3.8 4.0 3.6 3.0 2.9 3.2 3.0
20代 2.5 3.3 3.0 3.0 2.2 2.7 2.8 3.4
10代以下 3.0 3.9 3.0 3.1 2.3 2.9 3.0 3.4
性別 男性 3.4 4.8 4.8 4.4 3.6 3.7 3.7 4.2
女性 2.1 3.1 2.9 2.8 2.2 2.6 2.3 2.6
2013
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
総合 5.8 4.9 4.9 4.1 4.2 4.7 6.6 4.7 4.2 4.4 4.5 3.1
年齢 50代以上 5.1 4.3 6.0 3.8 5.3 4.2 6.8 3.8 4.6 5.0 4.7 4.1
40代 5.9 5.0 5.2 4.2 4.5 4.7 6.4 4.5 4.3 3.9 4.8 3.1
30代 5.7 4.5 4.6 4.1 4.2 4.6 6.8 4.5 3.8 4.4 3.8 3.1
20代 5.8 5.3 4.8 3.9 3.9 4.8 6.5 5.3 4.5 5.2 4.9 3.0
10代以下 7.0 6.3 6.4 4.8 4.8 4.8 7.8 6.5 5.6 6.4 6.2 3.4
性別 男性 6.1 5.3 5.5 4.5 4.6 5.9 7.3 5.6 4.8 5.6 4.9 3.6
女性 5.5 4.4 4.2 3.7 3.8 3.4 5.9 3.7 3.5 3.2 4.1 2.5
2012
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
総合 (結成前) 5.2 5.8 5.6 7.1
年齢 50代以上 5.1 6.8 6.1 5.4
40代 5.3 5.7 5.7 6.5
30代 5.3 6.3 5.8 6.9
20代 5.0 5.3 5.4 8.0
10代以下 4.8 6.0 6.9 10.0
性別 男性 6.1 6.7 6.7 7.3
女性 4.3 4.9 4.5 6.8

歴代代表

党首名 在任期間
1 橋下徹 2012/09/28 - 2012/11/17
2 石原慎太郎 2012/11/17 - 2013/01/19
3
(共同)
石原慎太郎
橋下徹
2013/01/19 - 2014/07/31
4 橋下徹 2014/08/01 -

所属国会議員

分党直前の2014年5月時点で、大百科記事のある所属議員のみ掲載する。

傘下の地域政党

当初は地方支部ではなく体となった大阪維新の会のような地域政党を各地に設け、日本維新の会がそれらと協定を結んで下に置くという独特な組織構想が練られていた。

しかし独自の政治団体としての活動実態を長期間残せたのは体の大阪維新の会の他は、いずれも日本維新の会結成前から橋下への賛同姿勢を見せていた愛媛維新の会・松山維新の会・西予維新の会の3団体のみで、日本維新の会結成後に下組織となった5つの「○○維新の会」はこれと言った活動実績のないままであった。

また党勢の衰えもあって以後は他地域での「○○維新の会」の立ち上げも見られなくなったため、結局維新側もこの構想を放棄し、他党のようにトップダウン都道府県支部を設立して各地の「○○維新」を合流させることにした。

ところが愛媛の3団体はこれに反発して総支部への参加を拒否。さらに2014年4月松山市議選で松山維新の会が敗北すると、「維新名前のせいで苦戦させられた」として党名変更を検討する(有権者の混乱を防ぐためとして結局現状維持)など、地方の「維新離れ」も次第に加速している。また党分裂に際しては少なからぬ地方議員が橋下新党にも次世代の党にも参加せず所属に転じている。

なお大阪維新の会が躍進を遂げた2011年統一地方選挙では、正式な協定を結んでいないにもかかわらず「○○維新の会」を設立してその補を名乗り、あたかも大阪維新の会パートナーであるかのように装う補者が大量に出現した。例えば兵庫県議会議員選挙で「西宮維新の会」を名乗って当選した野々村竜太郎(元は所属)や、吹田市議会議員選挙で「吹田・維新の会」を名乗って当選した明(元は維新政党・新風)などである[5]

関連動画

関連チャンネル

関連項目

外部リンク

脚注

  1. *【維新分党】石原系そろい踏み 終わらぬ橋下氏との多数派工作 みんなは「草刈り場」危機 - MSN産経ニュースexit
  2. *石原新党の内部も混乱する西村真悟と田母神俊雄の合流宣言 | ニコニコニュースexit_niconews
  3. *時事ドットコム:維新分裂で野党再編加速へ=民主、海江田降ろし活発化もexit
  4. *時事ドットコム:勢力拡大へしのぎ=石原・橋下新党が「始動」-維新分党exit
  5. *ただし排外義的な言動で知られる右市民グループチーム関西」の活動家らが催した当選祝賀会に、大阪維新の会に所属する東大阪市議が出席して祝辞を述べていたことが確認されており、大阪維新の会は全く関係というわけではないと摘するもある。
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