明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業とは、日本の世界遺産(文化遺産)である。2015年7月登録。
九州地方を中心とした、主に重工業からなる文化財23件で構成される。
幕末から明治期にかけての日本は、西洋技術の導入によって短期間で飛躍的に発展し、非西洋地域で初めて産業革命を起こした。特に、大陸に近くて海外との交流が多かった九州地方を中心に、製鉄・造船・石炭産業といった重工業の技術が日本の伝統技術と融合し、今日まで続く経済大国としての礎を築いた。
これらの遺跡や建造物などの資産は、当時の産業の様子を現代に伝えるばかりでなく、一部は今でも現役で稼働しており、日本の経済を支えている。
このことが世界に評価され、2015年に世界遺産として登録された。
本件は八幡製鐵所や長崎造船所に代表される、重工業の近代化遺産群で構成されているのに対して、日本の軽工業(製糸)の発展を支えた近代化遺産群は「富岡製糸場と絹産業遺産群」として2014年に登録されている。
なお、日本の産業遺産としては「富岡製糸場と絹産業遺産群」に次いで3例目、近代化遺産としても同件に次いで2例目となった。一方で、本件には現役の稼働遺産がいくつか含まれており、日本で稼働遺産が含まれる世界遺産の登録は初めての例となった。
また、民間が所有していて稼働中であることや、施設の老朽化、機密の保持などのため非公開となっている施設が多い。観光などで訪れる際は事前によく調べてから計画を練ることをお勧めする。
この世界文化遺産選定の嚆矢は古い城下町を持つ山口県萩市、または軍艦島を持つ長崎県長崎市に遡る。萩市では、萩城下町(市内には55ヘクタールが重要伝統的建造物群保存地区に選定されている堀内地区など重伝建地区が3ヶ所もあり、良好な状態で幕末からの古い街並みが残っている)や萩城址などに対し、世界文化遺産指定を目指す運動が興った(当時、歴史的な街並みとして評価され、世界文化遺産になった例は日本国内になかったため)ものの、文化庁から「もっとテーマ性が欲しい、でないと世界的に見た特殊性が評価されない」と下された。また、軍艦島擁する長崎市も当初は単独で世界文化遺産への運動を目指していたが、同様に「単一では小さすぎる、そしてもっと歴史的な背景に踏み込むべき」という評価を文化庁に下されていた。
一方で、2006年9月に文化庁が自治体から暫定リスト追加記載候補の公募を開始する。これを受けた九州の各自治体、とりわけ萩市、長崎市など運動を行っていた地区が団結して日本の近代化をテーマにした提案を作成、同年11月に文化庁へ提出する。さらに翌年12月には構成資産を見直して再提出を行い、審査の結果2009年に暫定リストへ追加掲載された。掲載時の名称は「九州・山口の近代化産業遺産群」。
正式登録へ向けて専門家らによる委員会が発足すると、構成資産の追加や除外などが審議された。委員会では岩手県釜石市の橋野高炉跡(登録名・橋野鉄鉱山)や静岡県伊豆の国市の韮山反射炉の追加が提言されたため、本件の名称が「日本の近代化産業遺産群―九州・山口及び関連地域」と変更された。このように広範囲に及ぶ連続性のある資産を1つにまとめることを「シリアル・ノミネーション」という。
登録推進協議会から推薦書の提出を受けた政府は、2013年9月に世界遺産推薦候補としてユネスコへ暫定版推薦書を提出。翌年1月には、8エリア28資産の暫定版から、8エリア23資産に修正した正式版を世界遺産センターへ提出した。
2014年9月より国際記念物遺跡会議(ICOMOS)の現地調査が行われ、翌年5月に「登録」勧告がなされた。
調査に先立って、ICOMOSは本件の名称を「明治日本の産業革命遺産 製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業」へ変更するよう提案していた。これは本件が重工業に限定された世界遺産であることを明確にする意図があり、日本側もこれに同意している(登録後に「鉄鋼」は「製鋼」へ改められた)。
本件に関して韓国側は、「第二次世界大戦中に多くの朝鮮人が徴用された」として、端島炭坑など7施設の申請撤回を日本側に要求した。対する日本側は、「本件の対象年代が1850年代~1910年であるため、徴用が行われた時代には重ならない」と反論した。
その後の協議の結果、日本側は「本件の歴史には第二次世界大戦中の徴用も含める」と妥協した。また、韓国側も「百済歴史地区」の世界遺産登録を目指していたため、双方が世界遺産登録を果たせるよう協力することで一致した。
しかし、世界遺産委員会の直前になって韓国側の態度が硬化する。「百済歴史地区」の登録が全会一致で決定したのに対し、その後に審議される予定だった本件の調整がつかず、翌日に延期される異例の事態となった。日本側は、委員国としての任期が2015年で切れるほか、翌年以降の審議に影響させたくないため、同年中での決着を目指していた。
最終的に日本側は、韓国側が主張した「強制労働(forced labor)」という表現を避け、「労働を強いられた(forced to work)」という発言にとどめた。これによって委員会では「登録」決議がなされて正式に世界遺産登録となったものの、韓国をはじめとする諸外国では「強制労働」の文言を用いて日本の世界遺産登録が報道されてしまった。
依然として韓国政府・国民による批判は強い。今後も日本から新たな世界遺産候補の推薦がなされた場合、韓国側の歴史認識に基づく主張を展開する可能性を示唆している。
一方で国内においても、松下村塾や萩城下町など、近代の重工業化と直接的な関係を持たない物件まで世界文化遺産に選定されたことに疑問を持っている者が多い。だが、そもそも「萩城下町」、あるいは「軍艦島」を世界遺産にしたい、という思惑からこの運動が始まったことを知っておくべきである。
日本国内では、本件への拡張登録を望む声が各方面より複数挙がっており、今後の動向に注目が集まる。
| 名称 | 画像 | 所在地 | 概要 | 国指定文化財 |
|---|---|---|---|---|
| 萩反射炉 (はぎはんしゃろ) |
画像募集中 | 山口県萩市 | 日本に現存する2基の反射炉のうちの1つ。鉄製大砲の鋳造を目指した長州藩が1856年に建造したもので、その規模から実験炉であったと考えられている。 |
|
| 恵美須ヶ鼻造船所跡 (えびすがはなぞうせんじょあと) |
画像募集中 | 山口県萩市 | 黒船来航による危機感から、長州藩が1856年に建造した造船所跡。ロシアやオランダの技術を用いて大型の洋式軍艦を建造していた。 | |
| 大板山たたら製鉄遺跡 (おおいたやま―せいてついせき) |
sm20960520 ![]() |
山口県萩市 | 従来のたたら製鉄の技術を用いて製鉄を行っていた施設。恵美須ヶ鼻造船所で建造される洋式軍艦に船釘を供給していた。 | |
| 萩城下町 (はぎじょうかまち) |
sm17835339 ![]() |
山口県萩市 | 長州藩の中心拠点であった萩城とその城下町。武家屋敷や商家が立ち並んでおり、堀内地区は重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。 | |
| 松下村塾 (しょうかそんじゅく) |
画像募集中 | 山口県萩市 | 吉田松陰が講義を行ったことで知られる私塾。高杉晋作や伊藤博文、山縣有朋など、後に活躍する人物を数多く輩出した。 |
| 名称 | 画像 | 所在地 | 概要 | 国指定文化財 |
|---|---|---|---|---|
|
旧集成館 (きゅうしゅうせいかん) |
画像募集中 | 鹿児島市 | 欧米列強の脅威を感じた薩摩藩が「富国強兵・殖産興業」のもと建設した、アジア初の近代洋式工場群。世界遺産リストに登録されている「旧集成館」には、以下の3件の文化財が含まれる。 |
|
| 旧集成館反射炉跡 (―はんしゃろあと) |
画像募集中 | 鹿児島市 | オランダの技術書を基に、地元にある石積み工法や薩摩焼の技術で製造された耐火レンガなどを生かした、和洋折衷の反射炉が建設された。 | |
| 旧集成館機械工場 (―きかいこうじょう) |
画像募集中 | 鹿児島市 | 薩英戦争後の1865年に竣工した工場。主に洋式機械による金属加工や船舶の修理・部品加工が行われた。 | |
| 旧鹿児島紡績所技師館 (きゅうかごしまぼうせきじょぎしかん) |
画像募集中 | 鹿児島市 | 日本初の西洋式紡績工場である鹿児島紡績所で技術指導を行ったイギリス人技師の宿舎。1867年に建てられた、国内の洋風建築として最初期のものである。 | |
| 寺山炭窯跡 (てらやますみがまあと) |
画像募集中 | 鹿児島市 | 集成館事業における燃料供給を目的として、1858年に島津斉彬が設置を命じたもの。集成館から5kmほどの場所で木炭を製造していた。 | |
| 関吉の疎水溝 (せきよしのそすいこう) |
画像募集中 | 鹿児島市 | 集成館の水車動力用に取水していた水路。島津氏の庭園である仙巌園へ水を引いていた疎水を改修したもので、現在は灌漑用水として利用されている。 |
| 名称 | 画像 | 所在地 | 概要 | 国指定文化財 |
|---|---|---|---|---|
| 韮山反射炉 (にらやまはんしゃろ) |
sm23266779 ![]() |
静岡県 伊豆の国市 |
日本に現存する2基の反射炉のうちの1つ。実験用であった萩反射炉とは異なり、江戸幕府が実際に鉄製大砲を製造していた実用炉である。 |
|
| 名称 | 画像 | 所在地 | 概要 | 国指定文化財 |
|---|---|---|---|---|
| 橋野鉄鉱山 (はしのてっこうざん) |
画像募集中 | 岩手県釜石市 | 鉄鉱石の採掘場から高炉までの製鉄工程全体の遺構が登録されている。橋野高炉は、那珂湊にあった水戸藩の反射炉に銑鉄を供給するために建造された、日本最古の洋式高炉跡である。 |
|
| 名称 | 画像 | 所在地 | 概要 | 国指定文化財 |
|---|---|---|---|---|
| 三重津海軍所跡 (みえつかいぐんしょあと) |
画像募集中 | 佐賀市 | 佐賀藩海軍の訓練場および造船所跡。現存最古の乾船渠(ドライドック)の遺構が残っており、1865年には日本初の実用蒸気船の建造も行われた。 |
| 名称 | 画像 | 所在地 | 概要 | 国指定文化財等 |
|---|---|---|---|---|
| 小菅修船場跡 (こすげしゅうせんばあと) |
画像募集中 | 長崎市 | 1868年に完成した日本初の西洋式ドック。計画にはイギリス人商人トーマス・グラバーらが携わった。明治政府が買収したのち、1884年以降は三菱(三菱重工業長崎造船所)が所有・管理している。 | |
|
三菱長崎造船所 第三船渠 (―だいさんせんきょ) |
画像募集中 | 長崎市 | 1905年に竣工し、現在も現役で稼働している大型乾船渠。東洋最大といわれた全長222.2m、建造能力3万t(当時)を誇るこのドックでは、重巡洋艦羽黒をはじめとした多くの艦船が建造された。 | |
| ジャイアント・ カンチレバークレーン (―) |
画像募集中 | 長崎市 | イギリスのアップルビー社製で、1909年に竣工した大型カンチレバークレーン。工場拡張のため1961年に移設されたが、現在も機械工場で製造した部品の船積み作業などで活躍している。 | |
|
三菱長崎造船所 旧木型場 (―きゅうきがたば) |
画像募集中 | 長崎市 | 鋳型製造に用いる木型を作っていた工場で、1898年の竣工は長崎造船所内で現存最古。現在は造船所の史料館として利用されている。 | |
| 三菱長崎造船所占勝閣 (―せんしょうかく) |
画像募集中 | 長崎市 | 長崎造船所所長の邸宅として、第三船渠を見下ろす丘の上に1904年に建設されたもの。落成後に迎賓館として使用されることとなり、「風光景勝を占める」という意味をこめて占勝閣と命名された。 | |
|
高島炭坑 (たかしまたんこう) |
画像募集中 | 長崎市 | 1868年に佐賀藩とトーマス・グラバーによって採掘が始まり、後に三菱の経営となった。蒸気機関による近代炭坑開発の技術は、端島炭坑など近隣の炭鉱へと広がっていった。 |
|
| 端島炭坑 (はしまたんこう) |
sm4111085 ![]() |
長崎市 | 1870年に採掘が始まった炭鉱で、質の良さから製鉄用の原料炭を供給していた。「軍艦島」という通称は、長崎造船所で建造された戦艦土佐に姿が似ていたことに由来するという。 |
|
|
旧グラバー住宅 (きゅう―じゅうたく) |
sm4966433 ![]() |
長崎市 | 日本の近代化に貢献したイギリス人商人トーマス・グラバーの邸宅で、木造洋風建築を中心とした「グラバー園」は長崎屈指の観光スポット。戦艦武蔵の建造を隠すため、三菱が所有していた時期がある。 |
|
| 名称 | 画像 | 所在地 | 概要 | 国指定文化財 |
|---|---|---|---|---|
| 三池炭鉱 (みいけたんこう) |
画像募集中 | 福岡県大牟田市 熊本県荒尾市 |
江戸時代より採掘が行われてきた炭坑。1889年に三井財閥に払い下げられたのち、閉山まで100年余りにわたって石炭を産出してきた。世界遺産リストに登録されている「三池炭鉱」には、以下の4件の文化財が含まれる。 |
|
| 三池炭鉱宮原坑 (―みやのはらこう) |
画像募集中 | 福岡県大牟田市 | 1898年に操業を開始した坑口で、明治から昭和初期にかけての主力坑口。高島炭坑に次いで西洋の採炭技術を導入して開発された。 |
|
| 三池炭鉱万田坑 (―まんだこう) |
画像募集中 | 福岡県大牟田市 熊本県荒尾市 |
宮原坑に次いで1902年に操業を開始した坑口。昭和中期にかけての主力坑口で、明治期の施設が良好な状態で現存している。 |
|
| 三池炭鉱 専用鉄道敷跡 (―せんようてつどうじきあと) |
画像募集中 | 福岡県大牟田市 熊本県荒尾市 |
石炭や資材を運搬するために敷設された専用鉄道。切土・盛土の跡が残っているほか、現在その一部が三井化学へ原材料を運ぶ専用鉄道として利用されている。 | |
|
三池港 (みいけこう) |
画像募集中 | 福岡県大牟田市 | 三池炭鉱で産出した石炭を積み出すために建設された港。干満差が激しい有明海に面するため、潮待ちの内港や長大な防砂堤、閘門式ドックを有している。 | |
|
三角西(旧)港 (みすみにしこう) |
sm19032490 ![]() |
熊本県宇城市 | 1887年に産業開発と一体となって整備された近代的な港。三池港が開港するまでは三池炭鉱の石炭積出港として機能したが、後に三角東港が整備されたことによって衰退した。 |
|
| 名称 | 画像 | 所在地 | 概要 | 国指定文化財 |
|---|---|---|---|---|
|
官営八幡製鐵所 (かんえいやはたせいてつしょ) |
画像募集中 | 北九州市 | 明治政府が推進した殖産興業によって建設され、日本の重工業発展の象徴となった製鉄所。世界遺産リストに登録されている「官営八幡製鐵所」には、以下の3件の文化財が含まれる。 | |
| 八幡製鐵所旧本事務所 (―きゅうほんじむしょ) |
画像募集中 | 北九州市 八幡東区 |
八幡製鐵所操業2年前の1899年に建設された初代本事務所。中央上部にドームを有する赤レンガ建造物で、管理機能移転後は研究施設などとして利用された。 | |
| 八幡製鐵所修繕工場 (―しゅうぜんこうじょう) |
画像募集中 | 北九州市 八幡東区 |
1900年に建設された、製鉄所で使用する機械の製作・修繕を行う工場。国内最古の鉄骨建築物で、3回の増築を経て現在でも稼働中の施設である。 | |
| 八幡製鐵所旧鍛冶工場 (―きゅうかじこうじょう) |
画像募集中 | 北九州市 八幡東区 |
製鉄所建設に必要な鍛造品を製造するために1900年に建設された鉄骨造の工場。現在地に移設後は製品試験所として使用され、現在は史料室となっている。 | |
| 遠賀川水源地ポンプ室 (おんががわすいげんち―しつ) |
画像募集中 | 福岡県中間市 | 1910年に建設された、鉄鋼生産に用いる工業用水を取水する施設。ボイラー室やポンプ室の建屋などが現存する、八幡製鐵所の現役施設である。 |
掲示板
1 ななしのよっしん
2016/01/09(土) 17:10:28 ID: SukueY67R1
作成乙!
丁寧な作りで良いですね。それだけに「画像募集中」が大半なのが悔やまれます。
2 初版作成者
2016/01/09(土) 18:52:54 ID: ztV7b+ccdq
>>1 ありがとうございます。
とりあえず募集中としましたが、非公開施設が多いので致し方ないかと。
ニコニコ外ならいっぱいあるんですけどね…。
3 ななしのよっしん
2016/01/10(日) 01:12:08 ID: SukueY67R1
ああ、非公開なんですね。なるほど、それなら仕方ないですよね、失礼いたしました。
急上昇ワード改
最終更新:2025/12/08(月) 23:00
最終更新:2025/12/08(月) 23:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。