1,673
1471 ななしのよっしん
2021/05/25(火) 20:50:59 ID: Mz6053l/Uq
>>1469
前々からずーっとこういう文章見て思ってたけど
「キチガイよりマシ」ってむしろ侮辱してないか…?
知り合いに「あなたは凡庸ですけどキチガイよりマシですから安心してくださいよ」とか言ったら普通に怒られると思うんだけど…
多分、劉禅もそんな事言われたら普通に怒ると思うぞ
1472 ななしのよっしん
2021/05/26(水) 05:56:40 ID: hoi5rupXh8
劉禅は五胡十六国~南北朝の皇帝より優秀で、蟻より巨大で、巨岩より軽く、赤子より力強くて賢く、糞より清潔な男だと思う
いや赤子より賢いってのはちょっと不安になるけど多分大丈夫だろう
1473 ななしのよっしん
2021/05/28(金) 16:42:32 ID: bBUs8Bmcgw
たぶんこういうレスの流れは、五胡十六国以降の長い期間にわたり、どれだけの数の暴君・暗君が乱立して、
それがどれほど酷かったのかっていう点の共通認識が取れてないから起きるんだと思う。
世界史の授業でもほぼ扱わないようなマイナーな時代だし。(三国時代もそうだが)
董卓レベル、あるいはそれを超すような君主が続出するのは決して偶然ではなく、「乱世とはそういう環境」であるわけで、
そんな中にあって、劉禅には大量虐殺や猟奇的なエピソードが残ってないのは、一つのポイントではあると思う。
良いほうに解釈するなら、暴力や恐怖で押さえつけずとも統治ができる皇帝だったということになる。
もっとも、これは先帝の劉備や諸葛亮が、蜀という国の統治機構をそれだけ整えていたのも大きいだろうが。
1474 ななしのよっしん
2021/06/03(木) 16:40:37 ID: zO01qWS+ib
>>1473
劉琰の妻寝取ったあげく罪状擦り付けてさらし首にしたエピソードは十分猟奇的と言えるのでは?
1475 ななしのよっしん
2021/07/11(日) 10:32:14 ID: HX2WF535Zl
結局劉禅の低評価って、今川氏真と同じように「国を滅ぼしたのに生き長らえた元君主」ってところが発端だよね
とある本での評価だけど「無駄な徹底抗戦せず、すんなり降伏したことで蜀の民の命が守られた」「演技か本気か分からないが、劉禅の降伏後の無能エピソードのおかげで蜀の元家臣の再就職がスムーズになったのは事実」っていう、現代基準ならそこまで無能じゃないっていう評価があるんだよね
そのあたりの評価が無双のキャラ付けの元ネタかな?
1476 ななしのよっしん
2021/07/11(日) 15:36:34 ID: zO01qWS+ib
>>1475
劉禅が暗愚っていうのは蜀滅亡前から「主君は暗愚で己の過ちを知らず」って評価が下されている
>「無駄な徹底抗戦せず、すんなり降伏したことで蜀の民の命が守られた」
劉禅は南中に逃れようとしていたので、降伏を助言した譙周のおかげであって劉禅の手柄ではない
>「演技か本気か分からないが、劉禅の降伏後の無能エピソードのおかげで蜀の元家臣の再就職がスムーズになったのは事実」
そんな事実どこにもないんですが。もともと呉や蜀の降将を厚遇するのが晋のやり方であって劉禅の手柄ではない
1477 ななしのよっしん
2021/07/11(日) 17:34:38 ID: oG+HI16VDl
「国を滅ぼしたのに生き長らえた」のは時代が良かったからとしか思えない
献帝や孫皓、曹芳、曹奐だって殺されたわけではない
五胡十六国で同じことやっても普通に殺されてた気しかしない
降将が厚遇されるのは三国時代全般そうって感じだな・・・蜀でも姜維や夏侯覇は重用されてたし
>>1467
司馬衷だって嵆紹の忠誠がわかったわけだし、劉禅が諸葛亮の忠誠がわかったからってねえ・・・
1478 ななしのよっしん
2021/07/12(月) 20:30:33 ID: zh2ZQqRvXc
劉禅の暗愚について、いくつか具体的にあげると
・佞臣を重用し、讒言を信じて賢臣を遠ざけた
・姜維と黄皓らの対立を、ほぼ放置していた
・魏に攻められたとき、姜維の援軍要請を無視した
・皇帝でなくなった後ではあるが、後継者問題でもやらかしてる
中国史上では特にひどいというわけではないが、暗君なのは間違いない
1479 ななしのよっしん
2021/07/13(火) 11:55:20 ID: e7Hpq4m/4f
蜀の四相を正しく用いたってあるけど
単に諸葛亮派閥に逆らえなかっただけでは?
諸葛亮が劉備に後事を託されて影響力が強大な上に
出師の表で劉禅の周りもガチガチに諸葛亮の決めた人材で固められて、死後もその息の掛かった者が要職についてる
その影響が薄くなって身動きが取れるようになったのが黄皓等の重用なのでは
1480 ななしのよっしん
2021/07/14(水) 02:53:46 ID: g7PuY2D7Jr
1481 ななしのよっしん
2021/07/14(水) 02:58:05 ID: g7PuY2D7Jr
あと劉禅が抑えられるほど諸葛亮一派の影響力が強いなら李邈が誹謗する発言もおかしい
1482 ななしのよっしん
2021/07/16(金) 02:51:10 ID: ywcSy+uQcn
正直成り立ち見たら蜀漢ってカルト教団国家としか思えないからね
特に亡き父を本尊として祀る諸葛亮という神主から
「本尊の子供だから大人しくしてろ」と言われる立場だとしたら
実は劉禅は内心諸葛亮を憎んでたという演義ファンからすれば卒倒する展開もアリだよねw
1483 ななしのよっしん
2021/07/20(火) 14:23:02 ID: jiEIcEDym0
>>1482
李邈の誹謗を厳しき罰してるからさすがにそれはない
ただ劉禅に人事権が碌になかったのは残ってる資料的にほぼ間違いなくそうだろ
そもそもそうじゃなきゃ宦官の台頭なんておきん
1484 ななしのよっしん
2021/07/21(水) 15:14:10 ID: V0Bep3Ch2H
>>1480
四相時代の姜維は特に更迭される理由とか無いでしょ
本格的に姜維じゃアカンってなったのは黄晧が台頭して段谷でボロ負けした後なワケで
あと李邈は単にクソリプおじさんだっただけで、政治的意図とか背景とかは気にしなくていいんじゃないかな
1485 ななしのよっしん
2021/07/27(火) 10:07:25 ID: vEVxWOD7qF
宦官の台頭は皇帝の権限がデカくないと起きないぞ
膨れ上がった権限を持て余してる場合は有るだろうが
1486 ななしのよっしん
2021/08/04(水) 02:40:46 ID: Qb/DgGd/pr
蜀の意思に殉じた諸葛親子の最後には孔明が泣き
普の宴会のやりとりで劉備が泣くだろうな…
1487 ななしのよっしん
2021/08/18(水) 20:14:51 ID: RZ9t/FeFLo
車騎将軍・劉琰の処刑時は孔明、四相ともに存命で、孔明は五丈原で政務も行っていたのだからNTR疑惑は流石に冤罪じゃないのか?あんまりにも不適切なら董允が止めるだろうし。
劉琰自身かなりしょうもない人間だし、『吏卒』を使ってDVしてるんだから完全なアホ。
劉禅がNTR野郎なら「俺に妻や母を捧げないものは皆こうなるのだ!者ども女をよこせ」となるはずなのに、実際はこの事件を教訓に女性の参内の風習を止めさせている。
1488 ななしのよっしん
2021/09/03(金) 16:53:13 ID: Qb/DgGd/pr
罪状が不敬罪ならともかく顔は足を置く場所じゃないからというアホな罪状というのは孔明がやったとしたら相当間抜けだしそこはプライベートなところで関与してなかったんじゃないか
「俺に妻や母を捧げないものは皆こうなるのだ!者ども女をよこせ」なんて出来るわけないだろう皆から白い目で見られてるのに
しかし10年間のログを見てると
2010年初期:演義の被害者であり実際は名君なんだ!みなは勘違いしてる!
~2021年:むしろ演義は最悪部分削除してて手加減してて優しいよね。
に変遷してて時間の経過を感じる
1489 ななしのよっしん
2021/09/03(金) 19:07:17 ID: RZ9t/FeFLo
劉琰の件は、DV・離婚をされた胡氏が訴え出て、担当官が判決という流れ。「兵士は妻を鞭打つのが役割ではないし、顔は草履を受ける地面ではない」。勿論、かなり重い処分だから、劉禅や皇太后に配慮したのだと思うが、単なる推測で主君を疑えば…。
一応、現役の車騎将軍なのに、「鞭打ち20以上の刑罰はすべて、自分で取り調べ」ていた孔明にさえ庇ってもらえない。
劉琰は、贅沢三昧、酒乱、魏延への誣告とコンボを決めて、孔明に更迭された男。白い目で見られていたのは、彼の方。
陳寿に「劉備の古参だから、出世したが、品格に欠け贅沢かつ酒好きが禍して身の破滅を迎えたのは当然」と評されてしまう。NTR云々ではなく、これがそのままだったのではないか。
1490 ななしのよっしん
2021/09/03(金) 20:14:23 ID: V5/moTWGm1
>>1475
ネットの正史も演義もまともに読んでない半可通共が自己投影込みで逆張り再評価してるところに三国志の新機軸を作りたかった肥が乗っかっただけ
ただ無双の劉禅のキャラ付けは好意的に見れば人は良いみたいなのはことごとく潰されてて無能のフリした有能みたいなツラしてるけど結局何も出来てないクズにしか見えないんだよね(再評価が多少反映されてるのはモブ時代の無双4)
これまた新機軸狙いな晋(というより司馬一族)ageに都合のいいキャラ付けな上、後期蜀は一方的に蹂躙されるだけなんで批判は受けるわ、人気は無いわでもう投げやりになってる感がある
1491 ななしのよっしん
2021/09/03(金) 20:27:19 ID: RZ9t/FeFLo
「演技の被害者で実際は、名君なんだ!」からの「やっぱりこいつは酷い暗君なんだ」からの「この人はよく分からん」と言った感じ。
この人、ビックリするぐらい粛清しない。はっきり、誅したと云えるのは、魏延・楊儀・李邈・劉琰ぐらいか。この人らは程度の差はあれ、罰せられるだけのことは、やらかしている。
戦死を除けば、姜維が降伏後に悪足掻きをするまでは、荊州・益州・涼州各派閥の人物は天寿を全うしている。
張氏、関氏、呉氏、諸葛氏、費氏、夏侯氏等は、皆、劉禅の親戚となり、重用され、他の王朝にありがちな、皇族・外戚・姻戚間のバトルロワイヤルは最後まで起こらなかった。廃后、廃太子騒動も無し。黄皓と仲が悪かった劉永も害されていない。
これは、五胡十六国時代は勿論、後漢末から三国志終焉までの諸勢力を俯瞰しても、割りと凄いことだと思う。
劉禅が無能なら、もっと何かしらありそうなものなのに。
太子を失い、安楽公になった後は、出来の悪い六男に跡を継がせた。ただ、一族が滅んだのは、お家騒動ではなく、永嘉の乱のとばっちり。
黄皓の台頭が陳祗の死後からなら、「暗君」だったのは治世最末期の数年だけなのか?
1492 ななしのよっしん
2021/09/03(金) 23:16:15 ID: Qb/DgGd/pr
なんというか「粛清してない」から名君凡君にしたい→それは暗君であることは否定できる要素ないってので延々ループしていってるなここ
「優秀な部下にすべて投げて何もしてない」という評価が難しいままでいるなら「よくわからん」になるだろうがその傘がなくなり皇帝が臣下を選ぶという最初の部分で躓いてるのだから最後だけ暗君だった!なんてことはないだろう
また優秀な部下がいたときでさえ放蕩しか頭にないのが露見されてるし
暴君と暗君は違うしそれぞれの問題があるって話だろう
1493 ななしのよっしん
2021/09/04(土) 01:30:24 ID: RZ9t/FeFLo
劉禅が「よくわからん」のは、まず、四相の権力集中。彼らの権力の源泉は何だったのだろう。劉禅の信任(積極的丸投げ)なのか、彼ら自身の権力なのか。史書の記述を基にすると前者寄りなのだろうか。
女性も遊びも好きだったのだろうが、董允に諫められたら、中止している。後で恨んだらしいが、別にそれで何かしたわけではない。自分を諫めた光禄大夫・譙周を最後まで重用している。お前、黄皓の傀儡なんじゃないのか。なんでなんだ?
陳祗死後は、内政を諸葛瞻・董厥・樊建、+黄皓に任せる。董厥・樊建は一角の人物であったようだが。黄皓・諸葛瞻・董厥は姜維を降ろして、代わりに閻宇を立てようとするが、劉禅はそれを拒絶。姜維に黄皓を謝罪させている。仲裁しようとしているのか。わからん。
黄皓の讒言で、羅憲を左遷するが、重要地域の巴東太守に任じた上で閻宇の副将にしている。バランスを取っているのか?
彼は存在感は少ないが、皆無と言う訳でもない。治世後半の大赦・改元の乱発は陳寿からも批判されているし、勿論、褒められたことではないが、沈みゆく蜀漢を必死に支えようと努力しているようにも感じられる。
「よくわからん、不思議な人だ」
1494 ななしのよっしん
2021/09/04(土) 03:46:43 ID: Qb/DgGd/pr
よくわからんというのがよくわからん
ただ仕事をしたくない政治という難しいことはしたくないが自分の決断により周りの人からは恨まれたり批判されたくない、これだけじゃないか
四相は父同然の孔明が選んだ政治を代わりにやってくれる人だから権力与えるからみな従ってね!
姜維も北伐してくれるし恨まれたくないからいてほしいなあ…という感じで(いてほしいだけで必死に擁護はしない)
お気に入りの贔屓はいるがその他も別に嫌いじゃないから傍に置くというメンタルは誰しも馴染みがあるだろ?
あと諌められても従ったり恨まない、左遷してもまた優遇する、これは親と子の関係としたらよくわかる、ずっと臣下全員の子供だったんだろうこの人は
この臣下が親で君主が子という関係は蜀という国が劉備と孔明というご神体を崇める宗教団体のような特性がありクーデターが起きにくいゆえに許された関係だったんじゃ
そしてこれら劉禅の采配はもちろん国を考えるというより自分が所属する狭いグループ(朝廷)を円満に保つのみという幼げな思考が見て取れる
1495 ななしのよっしん
2021/09/05(日) 12:28:21 ID: RZ9t/FeFLo
「臣下が親で君主が子」「ずっと臣下全員の子供」か。なんだか腑に落ちる部分がある。蜀漢の歴史は、ほぼ劉禅の治世。
劉備「もし我が子が補佐するに足る人物ならば、これを補佐してやってほしい。もし才がないならば、君が自ら取れ」
孔明「(感涙)命がけで、劉禅様の手足になってお仕えします」
劉備「孔明を父と思い仕えなさい」劉禅「はい!!!」
このやり取りが、蜀漢の国の在り方(国体)を良くも悪くも決めてしまったのか。
そして、孔明以後も、臣下たちは「このお方(この子)を自分が何とかお支えしなければ!」劉禅「thank you」を続けてしまった、と。
どなたかが劉禅のことを「八方美人で誰とでも仲良くしたい人」「蜀漢のアイドル(偶像)」と評していた。
劉備と孔明は「水魚の交わり」でありながらも、良い意味の緊張感を持っていた。他の臣下ともそうだっただろう。一方、素直な(白糸のような)劉禅は、父親の云うことをそのまま素直に聞いてしまう。どこかで、主君も臣下も親離れ、子離れするべきだったのに。所詮武将どまりの劉封は論外だし、他の皇族も「劣化劉禅」どまりだっただろう。ただ、それが劉禅の限界だったのかな。
1496 ななしのよっしん
2021/09/05(日) 19:40:10 ID: d29/ufc7MC
>>1471
例えて言うなら、50代半ばで中卒以降学歴職歴免許資格など履歴書に何も書けることがない引きこもりを「無敵の人」よりマシと評してるようなもんか?
1497 ななしのよっしん
2021/09/05(日) 21:34:26 ID: RZ9t/FeFLo
>>1496
凡庸な人と狂人には超えられない壁があり、一般人である引きこもりと一線を越えてしまった無敵の人は比べる余地もない。空欄が多いが職歴(在位)は長い履歴書を見ながら、首を捻る人が居るということだろう。行ったり来たりして、結局、陳寿の評に近くなるのだろうか。薛珝が見たのは、治世の最末期。彼の言のみで総合点を出すのも気の毒だろう。
1498 ななしのよっしん
2021/09/10(金) 22:53:26 ID: jy2Drm7Y1g
長い治世の間に「評価すべき治績」があるなら、それは普通に評価されてマイナスの部分と相殺されるべきだが、劉禅にはそれがない。
全体的な流れとして劉禅の代の蜀漢は「無謀な外征を繰り返して消耗し、内部分裂の末に侵攻を受けて滅亡」なのだが、各時代での劉禅はこれに積極的に棹差したようには見られない(しいて言えば蒋琬のハイリスクな計画にNOを出した時ぐらいか)。
若い頃に自分から臣下に諮問するとか、積極的に朝議に顔を出すとか、群臣を主導して善政をしくとか、裁判に臨席するとか、優秀な臣下を見出し引き立てるとか、外征に当たって通り一遍ではない銘文の詔を出すとか、あるいは自身で親征に向かうとか、そういった名君ムーブをしていたのなら「若い頃は優秀だったが末期は堕落した」とすることもできる。
しかし劉禅の場合、リーダーシップがなく人事や政治・軍事に関わろうとしない姿勢がその初期のころから見えるし、逆に後宮の増員希望や宦官の寵愛など、感心できない行動も同じく若い頃から見える。
薛珝が見たのは確かに蜀の最末期の朝政だが、だからといって「昔はそうでなかった」ということにはならないからね。
1499 ななしのよっしん
2021/09/11(土) 22:24:36 ID: RZ9t/FeFLo
「後主は賢相に任せれば循理の君となり、閹豎に惑えば昬闇の后となり」と評されているのに、前半部分を見ないのはよろしくない。「賢相」が費禕までを指すなら、少なくとも253年(治世30年)までは「循理の君」であったことになる。また、黄皓の台頭は258年(陳祗の死)以後なのだから、「昬闇の后」となったのは治世35年以後(ただし、陳寿は陳祗に辛い)となる。
劉禅のリーダーシップが見えにくいのは、宰相に権力が集中する蜀漢の政治構造にも起因する。しかし、蒋琬が次代の宰相になれたのは、劉禅に孔明が「密表(密かに上表)」していたからで、劉禅は握り潰すことも出来たはず。実際、楊儀は、後継者面していた、…哀れ。詔に関しては、北伐を控えた227年に結構カッコいいのを出している。
女性に関しては、董允に「古代にあっては、天子の后妃の数は十二人」と止められている。実は周代は121人(董允が云うのは三夫人・九嬪のことか)。何にしろ、皇帝に「もう12人の定員は足りている。我慢せい!」とは、他の王朝と比べ、ちょっと厳しいような。劉禅が充足したいと云ったのは采女だし。しかも、彼が死んだ後、特に増員したという記録もない。
1500 ななしのよっしん
2021/09/11(土) 22:49:16 ID: RZ9t/FeFLo
陳寿は孔明以後の治世について、改元と大赦の乱発を批判している。実際、大赦は即位時の1回+孔明以後に11回。責められるのも無理はない。「蜀漢は人口が少なく、戦争中だから労働力の確保と兵力補充の為だったんだ」という意見もあるが、限度を弁えるべきだった。
ただ、改元についての批判は、裴松之は「充分には理解できない」と言っている。曰く、孔明死後、延熙の年号は数えて二十年を数えていると。劉禅の改元は4回。最後の炎興は魏の侵攻に際して、士気を発揚するためのもので短いが、よく言われる「乱発」という感じはしない。
しばしば比べられる孫皓は治世16年で8回(文字通り乱発)、司馬炎は24年で4回。
「改元が多い。良くないことだ」というのは、蜀漢に仕えたことのある陳寿の「肌感覚」の話で、そこまで責められる程でもないということなのか。
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