ここでは2について述べる。
「僕は海外競馬にはすごく詳しいんだ(キリッ」という人でも良く知らない事が多い、不思議な超名馬。それがサイテーションである。どれくらい名馬かというと、1999年にブラッド・ホース誌が選定した「20世紀のアメリカ名馬100選」でマンノウォー、セクレタリアトに続く3位にランクインするレベルである。
しかしながら他2頭に比べると日本での知名度は驚くほど低い。海外名馬を扱った本に出ていない事の方が多いくらいである。
父Bull Lea、母Hydroplane、母父Hyperionという血統で、名門カルメットファームの生産所有馬。父ブルリーはアメリカでリーディングサイアーに5回輝き、サイテーションを含めて7頭の殿堂馬を輩出した名種牡馬。母は不出走馬だがその母が英オークス馬。母父ハイペリオンは言うまでもなくイギリスの歴史的名馬である。かなりの良血だと言えよう。
小さいころは見栄えがしなかったらしいが成長後は堂々たる馬体となっている。見るからに筋肉ムキムキ。スピードがありそう。実際、彼は4回もレコード勝ちを収めているし、主戦騎手を務めたエディ・アーキャロ騎手は「乗っていて怖いほどだった」と語っている。
反面、神経質なところがあったらしく身食い(自分の身体を噛む)癖があったそうである。このため、いつも口に籠を被せられていたのだという。頭が良い馬で、調教師は「どんなレースでも出来た」と言っている。気性も素直だったのだろう。
さてこのサイテーション、デビューから物凄く強い馬であった。何しろ2歳4月のデビューからあっという間に5連勝。6戦目で初黒星を喫したものの、この1敗は、同父・同厩・同馬主の牝馬ビウィッチ(こちらも7戦無敗だった)に勝ちを譲ったのだという。その後は再び3連勝を挙げ、9戦8勝で最優秀2歳牡馬に選ばれたが、後から考えると6戦目は勿体無い負けであったと言える。
3歳時は古馬相手の始動戦でいきなり前年の年度代表馬アームド(こちらも同父・同厩・同馬主だった)を倒し、そこから4連勝して連勝を7に伸ばしたのだが、7連勝の直後、主戦を務めていたアル・スナイダー騎手が釣りに出たフロリダ沖で嵐に遭って急死するというアクシデントが発生。急遽エディ・アーキャロ騎手に乗り替わったのだが5戦目で2着に敗れてしまう。アーキャロ騎手はレース後に「8300ドル(ケンタッキーダービーの1着賞金の1割程度)程度のために、不良馬場の中で本気で追って馬に悪影響を残すつもりはなかった」と言ったのだが、結果的に後世から見ると「2歳時の負けとこの負けがなければ……」と言いたくもなる敗戦だった。
というのは、サイテーションはここから破竹の16連勝を飾るのである。そのどうとでもなったような2敗がなければ30連勝になるところであったのだ。まあ16連勝でも恐るべき記録であることには違いない。何しろこの記録は、1996年にシガーに並ばれるまで米国近代競馬における不滅の大記録として君臨し続けたのである。現在ではゼニヤッタがこの記録を一応抜いてはいるが、サイテーションの連勝記録は数以上に内容が凄いのである。
2連勝で出走したケンタッキーダービー(6頭立て)では、同父・同厩・同馬主のコールタウンを3馬身半差の2着に破って勝利。コールタウンが短距離路線に行ったため不在となったプリークネスステークス(4頭立て)では逃げて馬なりのまま5馬身半差で圧勝。ベルモントステークスまでの叩きで出走したジャージーSでは11馬身半差でレコード勝ちを決めた。
そして3冠目のベルモントステークスでは、アーキャロ騎手が「落馬でもしない限り、三冠は我々のものだ」と言い放ち、大逃げを打ってそのまま8馬身差で勝利。2年ぶり8頭目のアメリカ三冠馬となった。
続けて出走した古馬相手のスターズ&ストライプスHでは、レース中に脚を捻挫しながら2馬身差で勝利。療養を経て復帰した一般競走から更に5連勝を上積みすると、10月のピムリコスペシャルSでは他馬が全て回避したために単走で「勝利」した。
これでシーズンを終えても良さそうなものだが、馬主はサイテーションをタンフォラン競馬場(カリフォルニア州)に遠征させて、もう2連勝を積み重ねた。
こうしてサイテーションは20戦19勝(15連勝含む)・ステークス競走17勝(現在もこの年間記録は破られていない)という成績で3歳シーズンを終えた。あまりの衝撃に「マンノウォー以来の偉大な馬」としてマンノウォーのニックネーム「ビッグレッド」をもじった「ビッグサイ」という渾名がついたほどである。マンノウォーは当時既にアメリカの神話と化しており、その馬と並び称されるというのは余程のことであった。
年間獲得賞金記録も打ち立てて3歳シーズンを終えたサイテーションは当然年度代表馬・最優秀3歳牡馬に選ばれた。
しかしながら、栄光に包まれ前途洋々だったサイテーションに突然試練の時が訪れる。4歳になってすぐ、左前脚に球節炎を患ってしまうのである。
実は年末に遠征したタンフォラン競馬場は、コンクリート級の硬さと言われるほど馬場の評判が悪かったのだ。18戦もした上にそんな競馬場で走ったせいもあってか故障は長引き、4歳シーズンを丸々棒に振ってしまう。これほどの名馬であるから引退して種牡馬入りしても不思議ではなかったのだが、世界初の獲得賞金100万ドル突破を目指してサイテーションは現役を続行した。
5歳の1月、1年ぶりにサイテーションは競馬場に帰ってきた。そして復帰戦を勝利し、20世紀以降のアメリカ競馬における最高記録となる16連勝の大記録を樹立したのだった。
ところが、流石にこれで勝ち続けられるほど競馬はそんなに甘くない。5戦連続で2着。2着を外さないのは流石だったが、イギリスからやってきた快速馬ヌーアがアメリカで本格化して立ちはだかり、なかなか勝てない。ゴールデンゲートマイルハンデキャップで世界レコードを叩き出して復活したかと思いきやまだ本調子ではなく、次走のフォーティナイナーズハンデキャップでヌーアに敗退。ゴールデンゲートハンデキャップでは最初で最後の2番人気に甘んじ、レースでも3馬身差で敗れた挙句、レース後に再び左前脚の状態が悪くなり、長期休養を余儀なくされた。ヌーアとの対戦では5回中3回で世界レコードが飛び出すという激しい競馬が続いており、流石に3歳時に20戦をこなしたサイテーションといえども厳しいものがあったのだ。結局5歳時は獲得賞金の北米記録は更新したものの、9戦2勝2着7回の成績で終わった。
その上6歳初戦で、デビュー以来38戦連続で続けてきた連対も途切れてしまい、次走も3着に終わった後、6歳3戦目では遂に最初で最後の着外となる5着に終わってしまう。しかしその後、2着を挟んで出走した6歳5戦目でようやくサイテーションは本来の走りを取り戻す。そこから3連勝を飾り、ハリウッドゴールドカップで10万ドルを獲得。生涯獲得賞金額を108万5760ドルとしたことで念願の100万ドルの大台に乗せ、これを手土産に引退した。
通算45戦32勝2着10回。三冠・16連勝・38連続連対・ステークス競走年間17勝の記録が燦然と輝いている。まさしく名馬と言うに相応しい戦績である。しかし、サイテーションが現在でもアメリカで不滅の名馬と評価される理由の一つとしては、当時の時代背景も考慮に入れる必要があるだろう。
彼が走った1940年代後半というのは、実はアメリカ競馬の全盛期である。当時、アメリカで観戦スポーツといえば断然競馬と野球だったのである。人気が高い時代のそのスポーツの選手への評価は高くなる。野球選手を評価する際、現在の選手より、王・長嶋時代の選手を高く評価する傾向があるのと同じことである。いわゆる思い出補正というもので、サイテーションはまさにアメリカ競馬全盛期の栄光を象徴する馬なのである。
サイテーションは種牡馬入りして、数頭の一流馬を出してはいるものの、全体的には低調に終わった。サイアーラインはほぼ壊滅状態にあるが、*アフリートや古くは*コインドシルバー(アサヒエンペラーなどの父)、海外ではExceed and Excel(豪州リーディングサイアー)の血統に入っているため、現代でも時折名前を見かけることができる。
1959年に殿堂入りを果たし、1969年に種牡馬を引退した後、その翌年の1970年に死亡。遺体はカルメットファームに埋葬された。3歳シーズンの始まりの地であるフロリダ州・ハイアリアパーク競馬場にはサイテーション像が建っている。
ちなみに、アメリカのスポーツチャンネル・ESPNで行われた「20世紀のトップアスリートベスト100」という企画で、人間に混じってなんと97位に選出されている(マンノウォーやセクレタリアトもランクインしている)。それを聞けば、サイテーションらがアメリカでどんな存在なのか、なんとなく想像出来るだろう。
Bull Lea 1935 黒鹿毛 |
Bull Dog 1927 黒鹿毛 |
Teddy | Ajax |
Rondeau | |||
Plucky Liege | Spearmint | ||
Concertina | |||
Rose Leaves 1916 黒鹿毛 |
Ballot | Voter | |
Cerito | |||
Colonial | Trenton | ||
Thankful Blossom | |||
Hydroplane 1938 栗毛 FNo.3-l |
Hyperion 1930 栗毛 |
Gainsborough | Bayardo |
Rosedrop | |||
Selene | Chaucer | ||
Serenissima | |||
Toboggan 1925 鹿毛 |
Hurry On | Marcovil | |
Tout Suite | |||
Glacier | St. Simon | ||
Glasalt | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:St. Simon 5×5×4(12.50%)、Bay Ronald 5×5(6.25%)
掲示板
1 ななしのよっしん
2012/09/04(火) 02:38:40 ID: xV39B0s8Ca
良記事乙!
2 ななしのよっしん
2013/08/19(月) 01:09:06 ID: 0yVfoApCPX
2歳時に勝ちを譲ったとされる同馬主(カルメットファーム)・同厩の馬は、ビウィッチと言って、こちらも当時無敗だった。
サイテーションの引退レースとなったハリウッド金杯で2着に入り、当時の賞金女王に輝いている。
また、サイテーションの前に賞金王の座についていた馬はスタイミーと言って、カルメットファームが生産した名馬、アームドの記録を塗り替えてのものだった。
サイテーションが仮に3歳時点で引退してしまうと、スタイミーの賞金額には15万ドル程度及ばず、引退を伸ばしてまで賞金王を目指したのは、当時の大牧場・カルメットファームの意地があったのかもしれない。
以上、憶測も混じりの補足でした。
3 ななしのよっしん
2016/10/04(火) 03:37:32 ID: AsdPhPxvF4
3歳時「だけ」で20戦19勝とか頭おかC
急上昇ワード改
最終更新:2025/01/14(火) 06:00
最終更新:2025/01/14(火) 06:00
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