シャーガー(Shergar)とは、1978年生まれのイギリスの競走馬。英ダービーを史上最大着差の10馬身差で勝った名馬である。
父Great Nephew、母Sharmeen、母父Val de Loirという血統。父はフェアウェイ系で、日本に来たあの悪名高い*グランディの父でもある。母は名牝ムムタズマハルに行き着く牝系の出身で、母父も仏リーディングサイアーを3回獲得したという良血馬である。
生産者および馬主は大馬主アガ・カーン4世というイスラム教指導者で、この人は馬名の由来を明らかにしないことで有名。よって、シャーガーの由来も分かっていない。
2歳の時には2戦1勝。デビュー勝ちはレコードを出していて、負けたウィリアムヒルフューチュリティSは現在もフューチュリティトロフィーに名前を変えながら続いている権威あるGIだが、それを差し引いても大した馬だとは思われていなかった。
が、3歳になると一気に開花する。クラシックトライアル・チェスターヴァーズ(ともにGIII)を2戦とも10馬身以上の大差を付けるという勝ち方で2連勝。ダービーでは前年にシャーガーを倒したベルデイルフラッターが調教中の事故で休養に追い込まれた結果、ニジンスキーを下回る単勝1.91倍の圧倒的1番人気。このレースの勝ち方が凄かった。
直線入り口では早くも先頭。後の名手ウォルター・スウィンバーンが追い出すともう桁違いの伸びを見せる。当時19歳だったスウィンバーン騎手は夢中で追っていたのだが、はっと気が付いたら他の馬の気配が無い。「ありゃ?」というように後ろを振り向き、後ろが遥かに離れているのを確認するとゴールしてもいないのに馬の首を叩いて喜び、手綱を引いて、歩いてゴール。
それで10馬身差である。ダービー史上最大着差である。シャーガーから20馬身以内の差でゴールした馬すら5頭だけという圧勝劇では、スウィンバーン騎手が「あんなに差が付いてるとは思わなかった」と言い残し、逆に2着馬の騎手が「勝ったと思ったら地平線の彼方に別の馬がいた」と言ったのも無理はない。最後まで追ったらどうなったのだろうか。
アイリッシュダービーではほとんど追わずに4馬身差。レース後に早々に3歳限りでの引退・種牡馬入りが発表され、総額1000万アイルランドポンド(約43億円)という凄まじい額のシンジケートが組まれた。
それから1ヶ月後に出走したキングジョージでも、狭いところを一気に突破して4馬身差。この時、シャーガーのあまりの強さに恐れをなしてか外国馬は1頭も参戦していなかった。
これはもう、凱旋門賞もこの馬で間違い無い。そう思われたシャーガーだったが、何を思ったのかそのステップとしてセントレジャーへの参戦を決める。このレースを叩いて凱旋門賞に向かった馬には1970年のニジンスキーがいた。「シャーガーはニジンスキーよりも凄いんだ!」と言いたかったのかも知れないが……。
そういう事が成功したためしはナポレオンの上を行こうとしたヒトラーの例を挙げるまでもなく、歴史上あんまり無い訳で、シャーガーは出遅れて後方からの競馬になった挙句、5ハロン(約1000m)もある長い直線の前で上がっていくという滅茶苦茶なレースになったことが祟り、直線ぱったりの4着に沈んでしまう。このシャーガーの敗北で完全にセントレジャーは一流馬が出る競走ではなくなってしまうのだった。ドンカスター競馬場涙目。
シャーガーはこの後、凱旋門賞に出ずに引退した。凱旋門賞で再び惨敗でもしたら種牡馬価値が下がってしまうと思ったからだろう。なんつうか、ビジネスライクな判断で、当時のファンはがっかりしただろうなぁ。
とにかくダービーの勝ち方は口が開きっぱなしになる事請け合いである。切れというより持続する息の長い脚が持ち味の如何にもヨーロッパなレーススタイルだが、あれだけちぎれるのは瞬発力も相当なものがあっただろう。ちなみに、シャーガーがダービーに勝った1981年といえばジャパンカップが始まった年。招致が上手く行けば日本で見られた可能性もあったかもしれない[1]。
通算成績は8戦6勝(うちGI3勝)。3歳時のレーティングは凱旋門賞を連覇したアレッジドと並ぶ当時最高タイの140ポンドという今なお4頭しかいない評価を得ていた。(ちなみに一度見直しが起きて136に修正された…と思われていたのだが再度その修正が取り消され現在もなおシャーガーのレーティングは140である)[2]
先述したような約43億円という凄まじいシンジケートを組まれてアイルランドで種牡馬入りしたシャーガーは、先細りだったフェアウェイ系の新星として期待を集め、初年度から44頭の繁殖牝馬を集めた。
のだったが、種牡馬入り2年目の1983年2月8日。事件は起こった。
6人の男がシャーガーが繋養されていたアイルランドのバリーメニー牧場に押し入り、主任厩務員を銃で脅すと、シャーガーを用意していた馬運車に乗せて連れ去ったのである。この厩務員は一緒に拉致され、3時間ほど経ってようやく解放された。その後警察への通報が行われ、誘拐から8時間ほど経ってようやく警察が牧場に到着した。しかし初動が遅れた上、不運にも事件翌日に行われる大規模なセリのために事件当夜は大量の馬運車が走っていたということもあって、警察の捜査はかなり難航。馬運車を特定することすら出来ずじまいだった。
翌日、パリに滞在していたアガ・カーン4世殿下の元に「シャーガーを解放してほしければ200万ポンド(約7億円)よこせ」という犯人からの脅迫電話が届く。つまり営利誘拐であった。
要求金額はとてつもないがシンジケートの金額から考えれば過大な要求とも言えないのかもしれない。しかし、シンジケート側は要求を拒否した。「模倣犯が出ると大変な事になる」ということだったらしい。確かに平和な馬産地に営利誘拐犯が跋扈する事態にでもなれば一大事ではある。
すると、犯人サイドからの連絡はぷっつりと途絶えてしまった……。つまり、シャーガーの行方は闇へと消えてしまったのである。
もちろん大騒動になった。馬主のアガ・カーン4世殿下が強引な性格で敵が多かった事も相まって、マスコミの犯人探しで濡れ衣を着せられた人も数多かった。しかしながら真犯人は結局見つからず、もちろんシャーガーも帰ってはこなかったのである。
警察はおそらくはIRA(アイルランド共和軍)による犯行で、シャーガーは誘拐後すぐに殺されているという見解を発表しており、シンジケートがIRAに対する非難声明を出したこともあって、現在ではIRA犯行説が定説化している。また元IRAメンバーの一人が「馬運車内で大暴れして怪我した後、扱いに困って射殺された。遺体は山中に埋められた」とも証言しているが、以上の説は全て物的証拠が無いために、未だにこの事件の全容は分かっていない。まあサラブレッドは繊細な生き物であり、いきなり見知らぬ連中に無理やり馬運車に押し込まれたりすれば大暴れしても不思議は無いのだが……。他にも「カダフィ大佐がイスラム世界全体の指導者の地位を得るために邪魔者になるアガ・カーン4世殿下を蹴落とすために仕組んだ」「アメリカのマフィアの犯行だった」などの説があるようだが、今となっては全て闇の中である。
真相は置いておいて、これほどの超名馬が営利目的で闇に葬り去られるとはなんともやるせない。唯一の救いは残された産駒の中から*アウザール(アイリッシュセントレジャー勝ち馬)他、活躍馬が何頭か出て、シンジケート金額に恥じない種牡馬能力を証明した事であった。ちなみに、シンジケートには保険でお金が戻ってきている。
1999年から始まった騎手対抗戦「シャーガーカップ」は彼の名を冠している。
1991年のこと。イギリスのザ・サン紙に「シャーガーは生きていた!」という記事が出て競馬界を仰天させた。なんでも「去勢はされているが元気であり、キングジョージでの復帰を目指している」という……。
が、これはエイプリルフールの嘘記事であった。いやいや、欧米のエイプリルフールの嘘記事の本気度合いというのは毎回凄まじいのだが、これにはだまされた他の新聞や雑誌が追跡取材を試みる騒ぎになったらしい。確か、日本でも事実として報道された筈である。
これを皮切りに、毎年毎年エイプリルフールになると、イギリス各地、アメリカなどでシャーガーの「発見」が報じられるようになった。生きているというものもあれば、遺骨が見つかったという報もあり、ネッシーネタと並んでエイプリルフールの定番として知られるようになったそうな。最近は日本でも2chで毎年スレが立つ。
まあ、生きていればもう40歳を超えている。流石に生きている筈も無いのでそろそろ新しいネタを見つけてそっとして欲しいものである。実際陣営や牧場関係者はこのネタのせいでかなり苦しんだらしい。
ちなみに、この誘拐事件を元にした「シャーガー(Shergar)」という映画(デニス・ルイストン監督作品)がハリウッドで作られた。最後はシャーガーが一人の少年によって助けられるというストーリーになっている。そうだったら良かったのだが……。
| Great Nephew 1963 鹿毛 |
Honeyway 1941 鹿毛 |
Fairway | Phalaris |
| Scapa Flow | |||
| Honey Buzzard | Papyrus | ||
| Lady Peregrine | |||
| Sybil's Niece 1951 栗毛 |
Admiral's Walk | Hyperion | |
| Tabaris | |||
| Sybil's Sister | Nearco | ||
| Sister Sarah | |||
| Sharmeen 1972 鹿毛 FNo.9-c |
Val de Loir 1959 鹿毛 |
Vieuz Manoir | Brantome |
| Vielle Maison | |||
| Vali | Sunny Boy | ||
| Her Slipper | |||
| Nasreen 1964 鹿毛 |
Charlottseville | Prince Chevalier | |
| Noorani | |||
| Ginetta | Tulyar | ||
| Diableretta | |||
| 競走馬の4代血統表 | |||
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最終更新:2025/12/24(水) 20:00
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