サクラローレル(1991年5月8日生)とは、天皇賞(春)と有馬記念を制し、さらに海外挑戦の先鋒として凱旋門賞を目指した日本の元競走馬で現種牡馬である。
所属厩舎は境勝太郎厩舎→小島太厩舎、主戦騎手は小島太騎手→横山典弘騎手
※当記事は、サクラローレルの活躍した時代の表記に合わせて、年齢を旧表記(現表記+1歳)で表記します。
父Rainbow Quest 母ローラローラ 母父Saint Cyrien
ノーザンダンサーやミスタープロスペクター、ヘイルトゥリーズンといった日本で主流の血統を持たない珍しい馬。
父は凱旋門賞馬。繰り上がり優勝だけど。シンボリルドルフが5歳時の凱旋門賞馬なので、もしルドルフが無事凱旋門賞に遠征していれば・・・という際にダンシングブレーヴ(ルドルフ6歳時の凱旋門賞馬)と共に話題になる。種牡馬としても凱旋門賞親子制覇を生み、優秀であることをアピールした。
母は恐怖の無限ループで有名6戦1勝と平凡ながらフランスオークス出走経験がある。が、それよりも若き日のオリビエ=ペリエ騎手がこの馬にまたがり「素晴らしい馬だ」と称賛したエピソードが有名だろう。
そんな良血から生まれたサクラローレルだったが馬体は素晴らしかったが、残念ながら脚部の弱さも抱えてしまっていた。サクラローレルの生産牧場長は以前、同じ脚部不安を持つサクラトウコウ(ネーハイシーザーの父)を強引に仕上げてしまい、クラシック前に故障、その後は慢性的な脚部不安に悩まされ大成できなかったという経験があるため、サクラローレルに関してはじっくり育てていく方針を立てた。
サクラローレルは境調教師が引退間近の境厩舎に入厩したが、やはり脚部の弱さには手を焼き、デビュー戦は4歳に。1番人気だったが出遅れて9着惨敗。結局勝利は3戦目。しかもダート戦。次の2勝目もダート戦。同世代に強力な逃げ馬サクラエイコウオーという馬がいたため、ローレルは無理せずクラシック戦線は諦めるか・・・と思った矢先、境師に衝撃が走る事件がその年の皐月賞で起こった。
サクラエイコウオーが引っ掛かって逃げ潰れるような超ハイペースを好位から追走し、一頭だけバテるどころか差し馬達を寄せ付けず圧勝した衝撃的な馬が現れたのである。その馬の名は、ナリタブライアン。
境師はエイコウオーじゃムリポと考えサクラローレルの才能の開花に打倒ナリタブライアンの一縷の望みを託すしかないと考えた。そのためサクラローレルはダービートライアルの青葉賞(GIII)に出走。しかし結果は3着といまひとつ。しかもダービー出走権は確保したものの(当時は3着までがダービー出走優先権獲得)、その後球節炎を発症してダービー出走はかなわず。そのダービーはナリタブライアンが5馬身差で圧勝していた。
ならばと菊花賞を目指した陣営だが、条件戦の佐渡Sを出遅れで3着、菊花賞トライアルでセントライト記念(GII)に格上挑戦したものの8着惨敗。さらに次の条件戦でも2着に敗れ、ついにサクラローレルがナリタブライアンの待つクラシックの舞台に立つことはなかった。
皮肉にもサクラローレルが調子を上げてきたのは菊花賞が終わった後からだった。菊花賞前週の条件戦2着のあと、条件戦を連勝して一気にオープン馬となったのである。クラシックこそ出れなかったが今後が楽しみになるレースぶりであった。
条件戦連勝の勢いに乗り、中山金杯(GIII)も勝利して3連勝。勝ち方も強く、「ナリタブライアンを脅かすのはこの馬」と話題になりはじめた。
次の目黒記念(GII)こそ鞍上のミスにより2着に敗れたものの、そのレースぶりは「負けてなお強し」と称されるものであり、打倒ナリタブライアンの一番手の座はますます確実なものとなっていった。
そして次はついに立つGIの舞台、天皇賞(春)。そこに待つのは、クラシックに間に合わず、相対することがかなわなかった三冠馬ナリタブライアン。しかし、ここでナリタブライアンが故障発生で脱落。一気にGI勝ちのある馬が近走不振のライスシャワーのみとなる戦国天皇賞の開幕となった。となれば、もちろんこの天皇賞(春)の本命はサクラローレル以外にあり得ない。
しかし、天皇賞(春)でサクラローレルが1番人気に支持されることはなかった。なぜなら、レースに出走できなかったから。サクラローレルは天皇賞(春)の直前調教で故障、その診断結果は「両前脚第三中手骨骨折、競走能力喪失」であった。4歳春秋とクラシック出走のために無理をした結果、抱えた爆弾は最悪の時に爆発してしまったのである。
最悪安楽死、普通でもまず引退レベルの故障であったが、サクラローレル陣営は諦めずに治療の選択をした。4歳~5歳冬の活躍から、陣営はサクラローレルを見捨てることはできなかったのである。
重傷の場合、諦めず治療を続けても直る見込みがなくなり引退、というケースも多いが、サクラローレルは奇跡的に早めに骨がつながり、復帰までこぎつけることができた。1年1ヶ月ぶりの復帰レースは中山記念(GII)である。その間に小島騎手は引退しており、あらたなパートナーとして横山騎手が選ばれた。
通常の名馬なら(中長距離馬は特に)既にいくつものGIタイトルを取っていたり、それどころか実績を手土産に5歳までで引退することもある年齢。しかし、この時のサクラローレルは「GIIIを1勝しただけの馬」。しかも1年1ヶ月の休み明けとあってはそう買えるはずもなく、9番人気。しかし、皐月賞馬であり、この中山の舞台を得意とするジェニュインをあっさり差し切ってしまうというとてつもない競馬でサクラローレルは復活をアピールした。次に目指すはもちろん、1年前に出れなかった大舞台、天皇賞(春)である。
しかし、天皇賞(春)でのファンの注目は阪神大賞典(GII)で劇的なマッチレースをしたナリタブライアンとマヤノトップガンにのみ集まっていた。単勝配当がナリタブライアン1.7倍、マヤノトップガン2.8倍、サクラローレル14.5倍(3番人気!)という事実が全てを物語っている。しかし、阪神大賞典組に負けない衝撃的な前走だったサクラローレルを侮ったファン達は、あとで凍りつく事になる。
レースが始まると、パドックから終始かかっていたマヤノトップガンが引っ掛かりまくって強引な競馬をして4コーナーで自滅、脱落。ナリタブライアンは普通にレースをしてたものの、マヤノトップガンの動きに触発されてしまったのか、それとも動かざるを得なかったのか、やや早めのタイミングで動いていき、自滅したマヤノトップガンを交わして先頭に立った。
ナリタブライアン・・・復活! 「俺・・・ナリタブライアンが勝ったら結婚するんだ・・・」
誰もがそう思った瞬間、なんとナリタブライアンを差そうかという馬がいるではないか。そんな馬がいるはずが・・・いた。それが、サクラローレル。杉本清アナウンサーの「かわすのかー!?・・・かわったー!!」は、まさにナリタブライアンの時代からサクラローレルの時代への移り変わりを示すかのようであり、その言葉通りサクラローレルはナリタブライアンをかわしていく。そして
「また桜だ!また桜が満開になる京都競馬場!桜が満開だ!サクラローレル!」
というかつて同じ勝負服の、故障でこの世を去った悲劇の名馬、サクラスターオーを意識した実況と共に、今度は故障から復活したサクラローレルが天皇賞(春)の頂点に立ったのである。
4歳から一貫してサクラローレルが目標として意識したナリタブライアンはその後故障により天皇賞(春)の後にふたたびサクラローレルと相見えることなくターフを去った。サクラローレルはその後のローテーションとして5歳の故障の過ちを繰り返さぬよう、宝塚記念に出走せずに休養後、2カ月おきのレース間隔を取るようにした。すなわちジャパンカップには出走しない。と宣言した。タマモクロスのように前哨戦に出ずに3連戦という考えもあったかもしれないが体質の問題であったタマモクロスと違い脚元の問題なので短期間での負担が危険につながるとの判断であろう。
上記の方針通り、秋の最初のGI、天皇賞(秋)の前哨戦は約2カ月前のオールカマー(GII)が選ばれた。そこには宝塚記念(多分GI)を制したマヤノトップガンと早くも激突。しかし、伸びないトップガンを尻目にローレルは快勝。この2頭の勝負付けは済んだかとも思える落差がこの時の2頭にはあった。
そして天皇賞(秋)。「ローレルより格下」の汚名を注ぐべく出走してきたマヤノトップガンに加えて、重賞4連勝中のマーベラスサンデー、4歳馬からの刺客バブルガムフェローもいたが、1番人気は当然とばかりにサクラローレルであった。
しかし、この天皇賞(秋)では、出遅れるわ、スローペースなのに後方から動かないわ、外から差せばノーリスクなのにリスクのある内に突っ込み馬群に囲まれるわ、という今なら2chに「レース中だが立てる!横典氏ね!」が立つレベルの横山騎手のスーパー騎乗ミスによって3着敗退。しかしこれでなお3着というのは馬の方は負けてなお強しである。特に4着のマーベラスサンデー陣営はショックを受けただろう。そして、ダメすぎた騎手の方には境師から「これなら俺が乗った方がマシだ!」という有難いお言葉をいただく破目になった。
予定通りジャパンカップを回避して有馬記念に専念することになったが、一部では「ローレルは外国馬を恐れてにげだした」などと批判する所もあったという。こうなれば、有馬記念は負けられない背水の陣である。
痛烈なお言葉をいただいた横山騎手であったが、有馬記念でも再びサクラローレルの騎乗を任された。しかし、それは「次はない」ということの裏返しでもある。
そしてこの年の有馬記念は超豪華メンバーがそろっていた。欠場したのはバブルガムフェローくらいで、上記の天皇賞(秋)の3頭に加えて牝馬からもジャパンカップ2着のファビラスラフィンに芝の女傑ヒシアマゾン&砂の女王ホクトベガと牡馬を打ち負かせるメンバーがそろっており、「このレースを勝った馬が年度代表馬」と言ってもおかしくないレベルのレースとなった。
有馬記念ではまたしても掛かりっぱなしのマヤノトップガンを尻目に、サクラローレルは今度は内ラチ沿いからいつの間にか外に出す好騎乗で進路を確保し、マーベラスサンデーと一緒に追い出しにかかった。マヤノトップガンは失速し、マーベラスサンデーは追いすがるものの引き離されていく一方。かつて同じ勝負服の馬が悪夢に呑みこまれたこの有馬記念を、このメンバー相手に圧勝した。当然、この年の年度代表馬はサクラローレルに決まった。
1997年の2月に境師は調教師を引退となり、その後は騎手を引退した小島太調教師が後を継いだ。サクラローレルの春の目標は天皇賞(春)連覇である。その後は海外遠征も計画された。
しかし、このときサクラローレルは軽度の故障を発症していたようで、天皇賞(春)はぶっつけ本番となってしまった。だが、この馬は1年1ヶ月のブランクすらものともしない馬であることは去年証明済み。ということで順調に前哨戦を勝ったマヤノトップガンとマーベラスサンデーを差し置いて1番人気に支持された。この3頭は3強と呼ばれていたが、対戦成績ではマヤノトップガンがかろうじて天皇賞(秋)で1勝(でも自身は2着)してるだけで、あとは全部サクラローレルが勝っており、やはり頭一つ抜けているというのが衆目の一致であった。
レースは平均ペースだったが、今回はマヤノトップガンは折り合っていた。逆に向こう正面で掛かり気味に上がっていったのはサクラローレル。外に持ち出した時に馬がそのまま上がっていってしまったようであった。それとともにローレルマークのマーベラスサンデーも動き、レースはよどみない流れとなっていった。しかし不気味に動かないマヤノトップガン。
4コーナーでサクラローレルは早くも先頭に立つ勢いである。それについていくマーベラスサンデー。しかしこれほどサクラローレルが強引な競馬をしていてなお追いつけないことにマーベラスサンデー鞍上の武豊騎手は愕然となった。しかし、最後の最後、2頭の死闘の隙を突くかのように豪脚を繰り出した馬がいた。マヤノトップガンであった。さすがにサクラローレルといえど、これほど強引な競馬をして、マヤノトップガンの豪脚を退ける程の力は残されていなかった。天皇賞(春)はマヤノトップガンがサクラローレルに一矢報いる形で幕を閉じた。3頭の死闘のすさまじさを物語るように、勝ちタイム3分14秒4はライスシャワーがメジロマックイーンを下した時のレコードを2秒7も縮める芝3200mの世界レコード(当時)であった。
そしてサクラローレルは予定通り凱旋門賞を目指してフランスへ旅立ったが、慣れない海外遠征にスタッフの戸惑いなどが仇となったのか、前哨戦のフォア賞(仏GIII)でレース中に故障、そのまま引退となった。
レース中の故障は並みの馬ならば予後不良レベルの物であったため、現地の人間が「薬殺してもいいか」とフランス語で話しかけ、「日本語でおk」思わず頷きかけた所へ、フランス語を理解する他のスタッフが「馬鹿野郎!ローレルを殺す気か!」と怒鳴ったため薬殺を免れたというエピソードがある。
薬殺を免れたサクラローレルは日本で種牡馬入りしたが、初年度から重賞勝ち馬を出したとはいえGI勝ち馬はおらず、後継がつながるかどうかは今後次第だろう。ただ、突如大物を出すことのある系統であり、日本の主流血統をほとんど持たない馬なのでいつか一発あっても驚けない。
サクラローレルの海外遠征は失敗に終わったが、それを糧に海外遠征のノウハウは徐々に確立され、タイキシャトルやエルコンドルパサー等の快挙へとつながっていった。
サクラローレルに関するニコニコミュニティを紹介してください。
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最終更新:2024/04/30(火) 20:00
最終更新:2024/04/30(火) 20:00
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