シュリーマン単語

シュリーマン

ハインリッヒ・シュリーマン(Heinrich Schliemann)とは、19世紀の考古学者・実業である。

概要

1822年1月6日プロイセンで生まれる。

幼い頃トロイア戦争伝説に夢中になり、長じてロシアの商売を手がけ、その類稀な商才と学力によって一代にして大富豪となるが、ある時期をに事業を中断し、それまでに溜め込んだ資を費やして世界旅行に出掛ける。

その後、考古学を学び、1871年(明治4年)、子供の頃夢に見たトロイア遺跡の発掘に成功。1890年に68歳で死去。というのが通説である。

その他、シュリーマンな経歴、人格、評価などについては、他サイト参照。

シュリーマン旅行記

1865年6月4日(慶応元年5月11日)、シュリーマンは事業を中断しての世界旅行の途上、清国を経由して東の果てにあるの群日本を訪れた。

到着後間もない6月10日(5月17日)に将軍・徳茂の上があり、これを見学。25日には米国代理使ポートマンに働きかけ、当時困難だった江戸見学を実現。

上陸後1ヶほど旅行し、7月4日(5月2日)、横浜からサンフランシスコへ出航。

1ヶという短い期間の旅行であったが、この間の事を書きとめ、後日旅行記として出版した。以下はその抜である。

(横浜上陸時)

「二人の官吏がにこやかに近付いてきて、オハイヨ〔おはよう〕と言いながら、地面に届くほど頭を下げ、30もその姿勢を続けた。次に、中を吟味するから荷物を開けるようにと示した。荷物を解くとなると大仕事だ。できれば免除してもらいたいものだと、官吏二人にそれぞれ1分(2.5フラン)ずつ出した。ところがなんと彼らは、自分の胸をいて「ニッポンムスコ」〔日本男児?〕と言い、これを拒んだ。日本男児たるもの、心づけにつられて義務をないがしろにするのは尊厳にもとる、というのである。おかげで私は荷物を開けなければならなかったが、彼らは言いがかりをつけるどころか、ほんの上辺の検満足してくれた。一言で言えば、たいへん好意的で親切な応対だった。彼らはふたたび深々とおじぎをしながら「サイナラ」と言った 」

(横浜公衆浴場を見学して)

「『なんと清らかな素さだろう!』初めて公衆浴場の前を通り、三、四十人の全裸男女にしたとき、私はこう叫んだものである。私の時計の鎖についている大きな、奇妙な形の珊瑚の飾りを間近に見ようと、彼らが浴場を飛び出してきた。かにとやかく言われる心配もせず、しかもどんな礼儀作法に触れることなく、彼らは衣服を身につけていないことに何の羞じらいも感じていない。その清らかな素さよ!オールコック卿の言うとおり、日本人は礼儀に関してヨーロッパ的観念をもっていないが、かといって、それがヨーロッパにおけると同様の結果を引き起こすとは考えられない。なぜなら、人間というものは、自の習慣に従って生きているかぎり、間違った行為をしているとは感じないものだからだ。そこでは淫らな意識が生まれようがない。夫婦兄妹―すべての者が男女混浴を容認しており、幼いころからこうした浴場に通うことが習慣になっている人々にとって、男女混浴は恥ずかしいことでも、いけないことでもないのである。」

(横浜・豊顕寺にて)

内に足を踏み入れるや、私はそこに漲る(みなぎる)このうえもない 秩序と清潔さに心を打たれた。大理石をふんだんに使い、ごてごてと飾り立てた中国の寺は、きわめて不潔で、しかも頽的だったから、 嫌悪感しか感じなかったものだが、日本の寺は、鄙びたといっても いいほど簡素な情であるが、秩序が息づき、ねんごろな 手入れの跡もわれ、聖域を訪れるたびに私は大きな歓びを おぼえた。 (中略) どのも清潔で、桟にはちりひとつない。老僧も子坊主も親切さと この上ない清潔さがきわだっていて、礼、尊大、下劣で汚らしいシナ坊主たちとは好対照をなしている」

(江戸見学にて)

「商業地域に入ってからは、じっくり見ることが出来るよう速度を落とした。どこを見渡しても、屋も牛乳屋も、バターを売る店も、具屋もない。日本人牛乳バターも食べず、また具の何たるかもまったく知らないからである。一方、で模様を施した素晴らしい、まるでガラスのようにく漆器や絵の等を商っている店はずいぶんたくさんにした。模様の美しさといい、セーブル焼き(フランスの代表的な陶器)に勝るとも劣らぬ陶器を売る店もあった 」

産の織物を商う店が多いのには驚いた。男女人をえる店員が働き、どの店も大きさといい、品数の豊富さといい、パリのもっともおおきな店にもひけを取らない」

「このほか、たくさんの下駄屋、屋、提屋、いろいろな教養書や孔子孟子典を売っている数件の本屋の前を通った。本は実に安価で、どんな貧乏人でも買えるほどである。さらに、おおきな玩具屋も多かった。玩具の値もたいへん安かったが、仕上がりは璧、しかも仕掛けがきわめて巧妙なので、ニュルンベルクパリ玩具製造業者はとても太刀打ち出来ない」

日本首都外国人にすることは一大事件であり、私がを通っている時も、人々は好奇心をあらわに唐人!唐人!(トウジン!トウジン!)と叫んだ。公衆浴場にさしかかると、喚はいちだんと高くなった。運の悪いことに、風呂屋の前を徒歩で通りかかるたびに、横浜で遭ったようなが繰り返された」

(浅草観音寺にて)

「左側のお堂には像の傍らに、優な魅に富んだ江戸の「おいらん」の肖像画がかけられている。肖像画は布やに描かれ、どれも額縁に収められている。日本でもっとも大きくて有名な寺の本堂に「おいらん」の肖像画が飾られている事実ほど、われわれヨーロッパ人に日本人の暮らしぶりを伝えるものはないだろう。他では、人々は婦を憐れみ容認してはいるが、その身分は卑しく恥ずかしいものとされている。だから私も、今の今まで、日本人が「おいらん」を尊い職業と考えていようとは、夢にも思わなかった。ところが、日本人は、他の々では卑しく恥ずかしいものと考えている彼女らを、崇めさえしているのだ。そのありさまをのあたりにして-それは私には前代未聞の途方もない逆説のように思われた-長い間、婦を格化した絵の前に呆然と立ちすくんだ 」

日本宗教について、これまで観察してきたことから、私は、民衆の中に宗教心は浸透しておらず、また上流階級はむしろ懐疑的であるという確信を得た。ここでは宗教儀式と寺と民衆の娯楽とが奇妙な具合に混じり合っているのである。浅草観音の広い内には、ロンドンのベイカストリートにあるマダム・タッソーの蝋人形館によく似た生き人形の見世物や店、バザール、十の矢場、芝居小屋、独楽しの曲芸師の見世物小屋等々がある。かくも雑多な娯楽が宗教心と調和するとは、私にはとても思えないのだが」

(封建制度について)

元では大部分の土地を領有し、そこに絶対権を振るっている大名たちは、二つの権の臣下として法を遵守しながらも、実際には、大君との権威に対抗している。好機到来と見るや、自己の利益と情熱に従って、両者の権威を縮小しようと図るのである。これは騎士精度を欠いた封建体制であり、ヴェネチア貴族の寡頭政治である。ここでは君がすべてであり、労働者階級はである。にもかかわらず、この邦には平和、行き渡った満足感、豊かさ、璧な秩序、そして世界のどのにもましてよく耕された土地が見られる。」

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シュリーマン

3 ななしのよっしん
2014/01/29(水) 19:10:52 ID: fLI1X+eXBD
概要1971年の所って1871年の間違いだよね?
かいつかこの記事を見ることがあったら直してください
4 ななしのよっしん
2014/05/06(火) 00:37:05 ID: 1Ju57IMDF8
トロイヤは現在トルコに位置するが、移籍から出た財宝はロシアにある。
そしてシュリーマンドイツ人。このあたりが権利関係をややこしくしている。
5 ななしのよっしん
2015/05/13(水) 06:38:20 ID: p4T+QqzPwJ
この人の学勉強法についても面いから書いてほしい
6 ななしのよっしん
2016/02/06(土) 13:10:53 ID: sCk8i5cH98
日本を称える系の話は最近やたらと捏造もんが増えてきたせいか、こういうの見ても「また捏造か?」と思えて素直に喜べないんだよなあ
7 ななしのよっしん
2016/02/21(日) 03:02:09 ID: qF8838WiEw
>>6
根拠のない思い込みで「捏造」などと書き込む前に
シュリーマン旅行記」を読んだらいかがでしょうか
8 ななしのよっしん
2016/07/19(火) 22:59:21 ID: Mggnp+Tk1o
そう、何事もみは良くいよ。
チャナッカレ領事のカルヴァールトという英国人が
トロイアの発見者であり、シュリーマントロイア
の"発掘"者でしかない。
シュリーマンの遺跡破壊や出土遺物をトルコから勝
手に持ち出した事は事実だし、山っ気のある人物で
あった事は多少批判されるべきかも知れない。
ただ、いくらか反論もある。

ズバリ当時は発掘品の横流しや破壊は当たり前の事
だった。
むしろ詳細なスケッチを残したシュリーマンマシ
(省略しています。全て読むにはこのリンクをクリック!)
9 ななしのよっしん
2016/07/19(火) 23:39:03 ID: IKIVBd716c
というか考古学の基礎を作った人だよ。
シュリーマン以前に発掘スケッチ残し
た学者なんて居なかった。
学術調と偉そうに言うが当時の学術
調は単なる財宝漁りに近い。
日常生活の遺物やら記録やら十分考古
学のと呼ぶに相応しい。
10 ななしのよっしん
2016/08/19(金) 12:09:19 ID: bbUIbFEhvf
やけに情報が少ないと思ったらシュリーマンの孫のパウルシュリーマンってスパイだったのかよw
第一次世界大戦の時にロシアバルカン半島で死んだって新聞に載ったらしいな。
実在の人物だったとは以外だ。
11 ななしのよっしん
2017/12/03(日) 05:32:00 ID: HYf4u9cQy0
>>9
いや1世紀前のポンペイ発掘の際もちゃんと記録取ってるぞ
他の発掘でも画が随伴してスケッチを残してたりするし

それに、貶めるわけじゃないけどシュリーマンは素人発掘で
自分が探してた遺跡を破壊してしまったうっかりさんだ
12 ななしのよっしん
2018/08/10(金) 15:51:52 ID: mAeoN5wrya
幼少期の夢をえた人ではなく
老後の余で流行りの学説に乗っかった人。

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