ドクタースパートとは、1986年生まれの日本の競走馬・種牡馬。鹿毛の牡馬。
稀代のアイドルホースが競馬ブームを巻き起こす中、ハイセイコーのような経歴と、タケシバオーの如き万能性を見せた皐月賞馬である。
主な勝ち鞍
1988年:北海道3歳優駿(地方重賞)、京成杯3歳ステークス(GII)
1989年:皐月賞(GI)
1990年:ステイヤーズステークス(GIII)
血統
父は大井競馬で羽田盃を含めた8連勝をして中央に乗り込んだためハイセイコーの再来と呼ばれたが、クラシック登録がなかったためクラシックに出走できなかった。ジャパンカップや有馬記念を目指して、セントライト記念には勝ったものの、その後繋靭帯炎に泣き、GI競走には出走もできず引退。11戦10勝で唯一先着されたのは外国馬という戦績。種牡馬としては地方を中心に重賞馬が出ている。
母はホッカイドウ競馬で18戦2勝。ダルモーガン系に属し、祖母ロダンエーコの半弟にスズユウ(東京ダービー、帝王賞、東京大賞典、東京盃)。ハイセイコーもこの牝系の一頭(5代母ダルモーガンがハイセイコーの祖母)。
注目は母父。重馬場だろうが良馬馬だろうが芝だろうがダートだろうが1200mだろうが3200mだろうが激走する万能馬。1991年の『優駿』ではシンボリルドルフ、シンザンに次ぐ最強馬に選ばれた元祖「怪物」である。種牡馬としてもGI馬こそ出ていないものの、中央地方問わず多数の重賞馬を輩出した。
母は産後に骨折して売れ残ったところを、小児科を営んでいたために「ドクター」の冠名をつけていた松岡悟オーナーに繁殖牝馬として見込まれ買われていった。本馬はその2番仔である。
生涯
1986年4月29日、出生。前脚の外向もあって、ホッカイドウ競馬から出走。重い調教が掛けられず、デビュー戦は3着。2戦目2着で3戦目にして初勝利をすると、3連勝で臨んだ北海道3歳優駿では中央競馬の3歳コースレコードに並び、ホッカイドウ競馬3歳レコードを12年ぶりに更新。
本馬はこれを機に中央へと転厩。中央初戦にして、初芝、重賞となった京成杯でも勝利を飾る。翌年のスプリングステークスでは、3着に敗れるも皐月賞への優先出走権を獲得して、父が出ることの叶わなかった中央GI、そして中央クラシック競走へと乗り込んだ。
この年のクラシック競争は、昨年の最優秀3歳牡馬のサクラホクトオーが中心と見られていた。が、兎に角、この馬は重馬場が苦手であった。更に、重馬場の弥生賞でそのサクラホクトオーを抑えたレインボーアンバーは脚を痛めて離脱。1番人気がホクトオーなのはいいとして、2番人気が重賞勝ちなしのアンシストリーである。まあ、はっきりと強い馬がいなかったのだ。そして迎えた皐月賞当日。朝の雨で中山競馬場は重を超えた不良馬場と化した。大混戦必至。
始まった本番では、マイネルムート、ナルシスノワールが先頭となりレースは展開する。途中10番のアンカーが落馬で競争中止となった以外は特段変化のないまま最終コーナーに入る。中段前目についてた本馬は、沈没するホクトオーを後目に、直線で内にいたナルシスノワール、オースミシャダイを交わし、ウィナーズサークルの追い込みも押さえて優勝。地方出身馬の皐月賞勝利はハイセイコー以来。鞍上の的場均にとっては15年目の初GI勝利。
記録的勝利を挙げたドクタースパートだったが、ここからドクタースパートは勝てなくなってしまう。東京優駿では14着。以後、1年以上に亘って距離や条件を変えて挑戦し続けるも8戦8敗。しかも全て着外。早熟なだけの皐月賞馬。このまま終われば、そう思われただろう。
だが、陣営は次走にステイヤーズステークスを選択する。10頭前後での出走が多かった当時のステイヤーズステークスにしては、15頭と多頭数での開催となり、本馬は3番人気で出走2000m越えの勝ち鞍ないのに。レースはローゼンリッターが先頭を切って進む。変化があったのは2週目向こう正面。中段にいたドクタースパートがまくり上げると、先頭に変わったツクバエースに競り掛け、三コーナーで先頭に立つとそのまま四コーナーを進み直線をむく。ミスターアダムスが直線で猛然と襲い掛かって来るが、これをクビ差で押さえて久方ぶりの勝利。しかもタイム3:45.6はコースレコードである。
そう、ダート1200mと芝3600mでレコードを持つ皐月賞馬の誕生であった。
この後、春の天皇賞を目指すが、屈腱炎で引退。翌年の天皇賞馬はメジロマックイーンだったことを考えると出れたとしても厳しかっただろうが。
種牡馬入りしたものの、これといった産駒は出ずに2011年10月28日、老衰のため25歳で死亡。
地方競馬出身の皐月賞馬というハイセイコーと同じ立ち位置だし、芝3600mをレコードで制したと言う点では、出走しなかったとはいえ3200mまでの記録しかないタケシバオーや、距離に限界のあったアグネスデジタル以上の変態性といえる。
なのだが、今日では両馬程語られることはない。本馬が長い間勝てなかったのもあるのだが、何しろ、本馬の走った同時代にはハイセイコー以来の絶大な人気を得て、良馬場でも重馬場でも芝でもダートでも、距離も800mから2500mまで勝ち鞍を持つ稀代のアイドルホース、オグリキャップが存在した。その上、本馬の世代である1989年クラシック世代は古馬混合GI勝利馬がオサイチジョージの宝塚記念のみであったために、世代間比較では最弱世代候補にあげられるという点が影の薄さに拍車をかけている。
いずれにせよダート1200mと芝3600mの両方を勝利という馬はなかなかいない。ましてや、クラシック競走の勝馬が双方でレコードというのは。当時ですらタケシバオーの活躍が規格外だったのだから、路線分けが進んだ令和の時代では挑戦者(挑戦馬?)すらでてこないのではなかろうか。その点では、本馬は間違いなく未来においても語られ続ける馬であろう。
戦績
| 競走日 | 競走名 | 格 | 競馬場 | 距離 | 天気 | 馬場 | 頭数 | 枠番 | 馬番 | 騎手 | 斤量 kg |
人気 | 着順 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1988/6/29 | サラ系3歳新馬 | 帯広 | ダ900m | 良 | 7 | 1 | 6 | 柳澤好美 | 53 | 6 | 3着 | ||
| 1988/7/13 | サラ系3歳 | 帯広 | ダ900m | 重 | 12 | 8 | 1 | 伊藤隆志 | 53 | 1 | 2着 | ||
| 1988/7/27 | サラ系3歳 | 帯広 | ダ900m | 良 | 12 | 3 | 1 | 伊藤隆志 | 53 | 1 | 1着 | ||
| 1988/8/1 | サラ系3歳 | 石見沢 | ダ1400m | 良 | 7 | 1 | 2 | 佐々木一夫 | 53 | 2 | 1着 | ||
| 1988/8/18 | カルビー特別 | 札幌 | ダ1200m | 良 | 9 | 3 | 2 | 佐々木一夫 | 54 | 2 | 1着 | ||
| 1988/8/3 | 北海道3歳優駿 | 重賞 | 札幌 | ダ1200m | 不 | 12 | 9 | 1 | 佐々木一夫 | 53 | 1 | 1着 | |
| 1988/11/13 | 京成杯3歳S | GII | 東京 | 芝1400m | 晴 | 良 | 8 | 7 | 7 | 的場均 | 54 | 2 | 1着 |
| 1989/3/26 | スプリングS | GII | 中山 | 芝1800m | 晴 | 良 | 14 | 6 | 9 | 的場均 | 56 | 2 | 3着 |
| 1989/4/16 | 皐月賞 | GI | 中山 | 芝2000m | 晴 | 不 | 20 | 8 | 19 | 的場均 | 57 | 3 | 1着 |
| 1989/5/28 | 東京優駿 | GI | 東京 | 芝2400m | 晴 | 良 | 24 | 6 | 16 | 的場均 | 57 | 4 | 14着 |
| 1989/11/12 | 富士S | OP | 東京 | 芝1800m | 晴 | 良 | 9 | 2 | 2 | 杉浦宏昭 | 55 | 2 | 9着 |
| 1989/12/3 | 鳴尾記念 | GII | 阪神 | 芝2500m | 晴 | 良 | 13 | 4 | 5 | 的場均 | 55 | 8 | 6着 |
| 1989/12/24 | 有馬記念 | GI | 中山 | 芝2500m | 雨 | 良 | 16 | 4 | 6 | 的場均 | 55 | 13 | 14着 |
| 1990/3/4 | 中日新聞杯 | GIII | 中京 | 芝1800m | 晴 | 稍 | 15 | 7 | 12 | 的場均 | 59 | 3 | 9着 |
| 1990/4/11 | 帝王賞 | 重賞 | 大井 | ダ2000m | 良 | 13 | 3 | 4 | 的場均 | 56 | 4 | 8着 | |
| 1990/9/16 | オールカマー | GIII | 中山 | 芝2200m | 曇 | 重 | 17 | 5 | 9 | 的場均 | 57 | 4 | 6着 |
| 1990/10/28 | 天皇賞(秋) | GI | 東京 | 芝2000m | 晴 | 良 | 18 | 5 | 9 | 的場均 | 58 | 8 | 12着 |
| 1990/12/8 | ステイヤーズS | GIII | 中山 | 芝3600m | 晴 | 良 | 15 | 6 | 10 | 的場均 | 56 | 3 | 1着 |
血統表
| ホスピタリテイ 1979 黒鹿毛 |
*テュデナム 1970 アイルランド 黒鹿毛 |
Tudor Melody 1956 黒鹿毛 |
Tudor Minstrel |
| Matelda | |||
| Heath Rose 1964 鹿毛 |
Hugh Lupus | ||
| Cherished | |||
| トウコウポポ 1969 黒鹿毛 |
*アイアンリージ 1954 黒鹿毛 |
Bull Lea | |
| Iron Maiden | |||
| フジチヨ 1964 黒鹿毛 |
*スコット | ||
| フヂチヨ | |||
| ドクターノーブル 1980 栗毛 FNo.12-g |
タケシバオー 1965 鹿毛 |
*チャイナロック 1953 イギリス 栃栗毛 |
Rockefella |
| May Wong | |||
| タカツナミ 1958 黒鹿毛 |
ヤシママンナ | ||
| *クニビキ | |||
| ロダンエーコ 1972 栃栗毛 |
*ロダン 1956 イギリス 栗毛 |
Supreme Court | |
| Romanella | |||
| パルスター 1966 鹿毛 |
*シプリアニ | ||
| ロンジー | |||
| 競走馬の4代血統表 | |||
関連動画
関連リンク
関連項目
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- 0pt


