『レオレオ詐欺』とは
①プロ野球チーム・埼玉西武ライオンズが絡むトレードで、結果的に西武が得した場合に言われるネット用語の一つである。
②特撮番組「ウルトラマンレオ」にてババルウ星人がレオの弟「アストラ」に化けて起こした事件。
本稿では①について説明する。
概要
選手間トレードにおいて結果的に西武側が得した場合、球団マスコットであるレオと、『オレオレ詐欺』という言葉を合わせてこう言われる。
2004年オフに行われた中日ドラゴンズとのトレード、玉野宏昌&大友進⇔正津英志&宮越徹
かつて清原和博の背番号をつけていた玉野は中日では一試合も出されずポイ。大友は守備こそ期待されていたものの玉野共々2005年のオフに戦力外通告。一方、正津は制球に不安があったものの2008年には継投陣の一人として奮投、宮越は2005年に4勝を挙げチームは3位に終わるも西武ライオンズの連続Aクラス記録に大きな貢献をした。明暗分かれた内容にいつしかファンの間では『レオレオ詐欺』と囁かれるようになった。
2006年3月広島東洋カープとのトレード、青木勇人⇔福地寿樹
無防備の状態から近鉄のタフィ・ローズに殴られた青木はスランプに陥ったが、2006年から広島へ場所を移し西武時代と同様セットアッパーで活躍。故障がちだった福地は打撃が開花し、2007年にはスタメン1番をもぎ取り高打率をマーク、盗塁を量産した。こちらは互いに活躍しているが、福地はスタメンを脅かす存在にまで昇華したので西武の方が得をした事になっている。しかしFAで西武へ移籍する石井一久の人的保障としてヤクルトは、西武がプロテクトしなかった福地を指名。この報せに西武ファンは落胆した。
2009年2月オリックスとのトレード 、阿部真宏⇔赤田将吾
07,08年ライオンズ選手会長とオリックスの守備の名手のトレード。これは、2月のキャンプ中に小瀬浩之外野手(享年24)が転落死したことにより、外野手の強化を目的としていたオリックスと、内野の守備要員を求めていたライオンズの思惑が一致したトレードであった。その年、阿部は、守備固めや主砲中村剛也の故障により原拓也との併用でスタメンでも大活躍。一方、赤田は、交流戦序盤までは活躍したが、その後はさっぱりで、一軍と二軍を往復する日々が続き、阿部よりも出場機会が多いにもかかわらず(阿部64試合、赤田79試合)、打率は阿部より低かった(阿部.256、赤田.217)。
脱線するが、よくトレードと誤解されている藤田太陽とクレイグ・ブラゼル。ブラゼルは2008年終了時に西武を退団し、翌年シーズン中に阪神が獲得した。藤田太陽は水田圭介とトレード(阪神は高山久を指定していたとか)。2010年は水田が一軍でお呼びがかからない有様だが、ブラゼルは本塁打を量産し一気に阪神の顔へと成長した。藤田太陽は中継ぎとして大事なリード時に任される事が多い。この事から双方のファンから「いいトレードだった」といつしか、藤田⇔ブラゼルの実質トレードのような形となってしまい、実際にこのトレードが行われたと誤解するファンもいる。
その他の主要なトレード
成功度の点数はこの項設置者の独断によるもの。西武買収・所沢移転後に限定。
年月 | 相手球団 | 相手球団成功度 | 西武から移籍 | ⇔ | 西武へ移籍 | 西武成功度 | 備考 |
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1978年12月9日 | 阪神タイガース | ○ | ⇔ | ○ |
寝業師根本陸夫が仕掛けた「世紀のトレード」と称される大トレードの一つ。 当時阪神の正捕手にして4番だった田淵は西武移籍後一塁手に転向したが、打棒で所沢移転後のライオンズを大きく支える選手として貢献。一方の阪神も85年優勝メンバーの一人であり、後に監督にもなる真弓を獲得。結果的にWin-Winとなるトレードとなった。 |
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1982年6月4日 | 広島東洋カープ | × | 古沢憲司 大原徹也 |
⇔ | 高橋直樹 | ○ |
上記の世紀のトレードで田淵とともに西武に入団した古沢は移籍後も振るわず、広島にトレードされても往時の輝きを取り戻せず3年後に現役引退。大原も広島では活躍できず2年後に近鉄に放出。 一方東映から広島に移籍し燻っていた高橋直樹はトレード後の1982年に7勝を挙げると、1983年に13勝、1985年に7勝を挙げる大活躍。西武が一方的に得したレオレオ詐欺の嚆矢ともいえるトレードとなった。 |
1985年1月30日 | 中日ドラゴンズ | ○ | 杉本正 大石友好(知宜) |
⇔ | 田尾安志 | △ |
看板選手だった田尾と2年前に二桁勝利を挙げた杉本、伊東勤に正捕手の座を奪われ控えに甘んじた大石のトレード。 杉本はこの後2度の2桁勝利を挙げ、大石も3番手捕手ながら近藤真一のノーヒットノーラン、郭源治登板時のリリーフキャッチャとして地味ながら活躍。 一方の田尾もまあまあ活躍したが首位打者を争った中日時代ほどの活躍はできず、1986年オフに前田耕司・吉竹春樹とのトレードで阪神に放出。やや逆レオレオ詐欺となった。 |
1986年12月20日 | 横浜大洋ホエールズ | ○ | 永射保 片平晋作 |
⇔ | 広瀬新太郎 (+金銭) |
× |
逆レオレオ詐欺の代表例。ピンクレディーの代表曲「サウスポー」のモデルとなった投手の永射、そして打者側のモデルである王に憧れ一本足打法を貫いた片平と、若手のホープであった広瀬のトレード。 永射・片平ともベテランであったため長期の活躍は望めなかったが、それでも両者とも一定の活躍は見せる。一方の広瀬はというと、西武では未勝利。1991年にヤクルトに移籍するも、1年だけ中継ぎで活躍。圧倒的に大洋が得をしたトレードとなった。 |
1989年12月8日 | 読売ジャイアンツ | × | 西岡良洋 | ⇔ | 鹿取義隆 | ○ |
野村克也に「日本一の肩」と称された強肩と「左殺しの西岡」と称される打者だった西岡は1988年にアキレス腱断裂の重傷を負い、翌1989年には復帰するも打率.206とふるわず。一方の鹿取も長年の酷使による疲労や先発完投主義を掲げる藤田監督の影響で活躍に陰りが見えていた。 トレード後、西岡は初期こそ活躍したものの1994年に左キラーとして活躍したヘンリー・コトーの入団で出場機会が激減し翌1995年にロッテに放出。一方の鹿取は西武移籍で復活。潮崎哲也・杉山賢人とともに「サンフレッチェ」と称された救援トリオを結成し、黄金期後半を支えた名選手となり、通算成績でも巨人時代を上回る活躍をした。 |
1993年3月24日 | 横浜ベイスターズ | △ | ⇔ | 清水義之 | × |
1988年に10勝を挙げ新人王に輝いた森山は翌年以降故障に泣き1勝も挙げられずにいた。中村も1992年に二軍で24本塁打を放つも、一軍では2三振1四球にとどまり二軍の帝王にとどまっていた。片や清水は石井琢朗や進藤達哉に押されるも、3年間はレギュラーを張っていた選手だった。 森山は新人王の時ほど活躍はできなかったが、ローテーションの谷間を埋め、3年で36試合に登板、3勝4敗。中村も代打の切り札として少しだけ活躍した。 一方の清水は初年度こそ鈴木健の守備固めとして41試合に出場したが、大洋(1993年に横浜ベイスターズに改名)時代ほどの活躍はできず、3年で阪神に放出された。 |
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1993年11月29日 | 福岡ダイエーホークス | ○ | ⇔ | 佐々木誠 村田勝喜 橋本武広 |
○ |
西武監督時代に上述の田淵トレードを実現した根本監督がダイエー監督就任後に行ったトレード。 西武の主軸打者だった秋山は移籍後も主軸として活躍。既に腰痛を抱えていた渡辺智男(とみお)は西武時代のような活躍ができなかったが、内山は西武時代をやや上回る活躍をしたといえる。 一方ダイエーから西武に移籍した佐々木はそれなりの活躍を見せる。南海・ダイエー時代ムエンゴに悩まされていた村田は管理野球になじめなかったこともあり4勝にとどまったが、橋本は左の中継ぎとして7年連続50試合登板の活躍。ソフトバンクの監督にも就任した秋山を抱えるダイエー側には及ばないものの、西武側も得したトレードであると言えそうだ。 |
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2001年5月8日 | 阪神タイガース | ○ | 谷中真二 | ⇔ | 平尾博司(博嗣) | ○ | 松坂大輔入団時、松坂の影武者を務めた谷中は移籍後、途中入団ながらローテーションに入り7勝3敗、2002年には41試合に登板し5勝8敗と活躍を見せる。しかし2003年は3勝3敗ながら防御率5.88と悪化しオリックスに放出。一方の平尾はレギュラーにこそ定着しなかったが、内野をオールマイティに守れるということもあって10年以上現役で活躍。また地元(旧浦和市、高校は大宮東高校)出身ということもあって名誉生え抜きとまで呼ばれるほどの活躍を見せた。が、その後いろいろあった。 |
2002年12月27日 | 横浜ベイスターズ | △ | 中嶋聡 富岡久貴 |
⇔ | ◎ |
中嶋は1997年にFAでオリックスから西武に移籍するも、黄金期以来の絶対的正捕手であった伊東勤の壁には勝てずにいた。移籍後は、前年の谷繁元信流出後の正捕手争いに中村武志(同年谷繁と入れ替わりで中日から移籍)、相川亮二とともに争う形となった中嶋だが、復調した中村や正捕手として台頭した相川に追いやられ、日ハムに移籍。また西武では活躍できなかった富岡は移籍した2003年に38試合に登板するも翌2004年に退団。その後西武復帰、楽天移籍するも西武・楽天では一軍出場することなく引退した。 一方、守備難が問題視され、古木克明や村田修一の台頭で出場機会を失っていた石井義人は西武でブレイク。2度の規定打席3割を記録し、その他でも右投手相手の代打の切り札として2011年まで西武で活躍した。 |
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2009年7月11日 | 阪神タイガース | × | 水田圭介 | ⇔ | 藤田太陽(太陽) | ○ |
2000年、阪神にドラフト1位(逆指名)で入団した藤田は阪神時代はわずか5勝に終わる。一方その年西武にドラフト7位で入団した水田圭介は内野オールマイティな守備と2005年にファーム3割を記録した打撃が買われていたが、なかなか活躍できずにいた。 トレード入団した藤田は移籍した2009年、2ヶ月半で25試合に登板、翌2010年には48試合に登板し19ホールドを記録。その後は精彩を欠き2013年にヤクルトに放出されるも、一定の活躍葉見せたと言える。一方の水田は移籍初年度こそ守備固めや代走として活躍したものの、翌年は一軍出場なくオフに中日に放出された。 なお、両者はその後社会人クラブチーム「ロキテクノベースボールクラブ(2020年よりロキテクノ富山)」でチームメイトになっている。 |
2018年3月14日 | 阪神タイガース | △ | 岡本洋介 | ⇔ | 榎田大樹 | ○ |
左腕の中継ぎ要員を強化すべく、入団初期こそ中継ぎとして活躍したものの、ここ数年は低調で前年未勝利だった榎田と、前年6勝を挙げた右腕の岡本との交換トレード。 しかし左の先発陣が菊池雄星しかいなかったことから榎田は先発として調整、移籍初年度には二桁勝利を挙げる。なお、翌年は4勝3敗を挙げるも防御率6.52と乱調、翌々年は1勝にとどまっている。 |
最近のトレード
年月 | 相手球団 | 西武から移籍 | ⇔ | 西武へ移籍 | |
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2010年開幕前 | オリックス・バファローズ | 赤田将吾 | ⇔ | 阿部真宏 | |
2010年6月 | 東京ヤクルトスワローズ | 山岸穣 | ⇔ | 米野智人 | |
2011年1月 | 横浜ベイスターズ | 大沼幸二(総帥) | ⇔ | 坂元弥太郎 | |
2011年5月 | 東京ヤクルトスワローズ | 小野寺力(力者) | ⇔ | 鬼崎裕司 | 小野寺トレード発表の翌日に黒瀬トレードが発表された。 |
2011年5月 | 阪神タイガース | 黒瀬春樹 | ⇔ | 江草仁貴 | |
2011年11月 | 横浜ベイスターズ | 後藤武敏 | ⇔ | 武山真吾 | |
2012年開幕前 | 広島東洋カープ | 江草仁貴 | ⇔ | 嶋重宣 | |
2012年11月 | オリックス・バファローズ | 原拓也 | ⇔ | 山崎浩司 | |
2013年5月 | 阪神タイガース | 高山久 | ⇔ | 川崎雄介 | |
2013年7月 | 横浜DeNAベイスターズ | 長田秀一郎 | ⇔ | 渡辺直人 |
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