牡丹灯籠とは、明の頃の小説集『剪灯録』に収録された小説に基づき、三遊亭圓朝によって落語の演目として翻案された怪談噺である。
『剪灯録』の概要
各時代の話を収録していたが、特に唐(618年~690年,705年~907年)の伝奇小説の影響を強く受け、艶情を記すのに優れ、幽玄なさまを流麗な筆致で描写している。選者は瞿 佑で1378年(洪武11年)頃の作とされる。明の永楽15年(1417年)ころに再構成され、剪灯新話と称される。
全40巻(各巻21編)であったと伝えられているが、現代まで伝わるものは第4巻の21編のみ、清の初期の頃の短編小説集『聊斎志異』にも影響した。しかし、士大夫の教養とは認められず支那において禁書の措置を受け、清の頃には断片しか伝えられなくなった。
また日本にも伝来し、江戸時代の文学に多大な影響を与えた。慶長(1596年 - 1615年)中の刊本が伝世していたため、1917年になって、董 康によって翻刻され支那に逆輸入されることとなった。
収録されている「牡丹灯記」に基づく三遊亭圓朝の「牡丹灯籠」は、本書の翻案である。
この『剪灯新話』の余編として明の頃に編纂されたものに『剪灯余話』がある。技巧面では更に進み洗練した作品が書載される。こちらも支那では伝えられなくなったが、日本のに伝わった本を1917年に翻刻した董 康が、支那に逆輸入した。
※瞿 佑(く・ゆう[Qú yòu]): 元朝末期~明朝初期の文人で錢塘(現在の浙江省杭州)の出身。1341年生~1427年没。
※董 康(とう・こう[Dǒng kāng]): 清朝末期~中華民国の法学者。蔵書家。江蘇省武進県(現在の江蘇省常州)の出身。1869年(一説には1867年とも)生~1947年没。
原作「牡丹灯記」では…
元朝末期の明州(現在の浙江省寧波市付近)で、壮年(40歳位のおっさんという設定らしい)の書生の「喬生」が妻に先立たれ、5月15日の灯籠祭りを観るともなく、抜け殻の様に自宅の門前にたたずんでいた…。
…と、深夜0時過ぎ、自宅前の道を歩いてくる絶世の美少女「麗卿」(年齢は数えで17~18位とのことだから、満年齢だとミクさんや雪歩さんと大体同年代…)と牡丹灯籠を掲げて先導する「金蓮」という侍女に遭う。
麗卿が余りにも美少女なのでロリ属性発動…じゃなかった、一目惚れした喬生は彼女を自宅へと丁寧に誘い、彼女たちも素直についてきて楽しく楽しく談笑+α(お察し下さい)するのであったが…ここから先は翻案後と似ている。
近所の住人は、抜け殻同然だった彼が毎夜毎夜、楽しげに誰かと談笑+α(お察し下さい)しているのに気がつき、覗いてみると、喬生が談笑し同衾している相手は髑髏(ドクロ)。
周囲が喬生に真実を告げ、喬生は湖の西にある彼女の邸宅を訪ねるが…誰も彼女を知る者はなく徒労に終わってしまったかにみえた。
しかし、帰る途中で休憩に立ち寄ったある寺で「元奉化州(浙江省寧波市の市内にある奉化市付近。ややこしいが現在の支那には、寧波市の中に奉化市という行政区がある。寧波市の中心部から南南西方向にある)、州判(支那の地方官)の娘、麗卿の棺」と記された棺と、「金蓮」と記された副葬品の紙人形、傍らには御馴染みの牡丹灯籠を見つけてしまう!
大変だと「魏法師」に相談に行くと、二枚の護符を渡されて、一枚は門柱に張りもう一枚は寝台に張るよう言われ、再びその寺に近づくことを絶対に禁止される。
法師の命令を守っていた喬生だが、ある日…酔っ払って禁令を忘れて寺の横を通ると…金蓮が待ち構えていた。
「お嬢様がお待ちでございます」と喬生を寺の中へ連行。
棺のある部屋には麗卿が待っていた。
「お目にかかれた以上、もう絶対に離しはしませんわ♥」と麗卿は喬生をしっかりと抱きしめ、棺の中に喬生を引込むと棺の蓋が閉じ…。
喬生が戻らないのを心配した近所の人が捜索すると、この寺で喬生の衣服がはみ出た棺を見つける。老人が棺を開くと…
絶世の美少女麗卿の亡骸を愛おしげに抱きしめ、かつ麗卿の亡骸にしっかりと抱かれた喬生が事切れていた。
(ここで日本式に終われば「ああ、やれやれ美しい悲恋の物語だなぁ…」なのだが、支那版にはつづきがある)
ところでその後、喬生と手をつないで楽しげに歩く麗卿、牡丹灯籠を掲げて先導する金蓮の姿を目撃した人が多発、しかも目撃者は重い病気(麗卿達の盛大な供養をしないと助からない程度の病気)になってしまった。
恐れおののいた人々は法師に相談、法師は道士を紹介、道士は幽霊を捕らえ、頸枷をして鎖で縛り上げ、むち打ちして供述調書を取り、地獄に封じ込めるとともに、法師に紹介されてきた人々や法師を「自らの隠遁生活を邪魔立てした」として厳罰に処したのだった…。
翻案後の「牡丹灯籠」では…
旗本「飯島平左衛門」の娘「お露」は浪人の「萩原新三郎」に恋し焦れ死ぬ。お露は下女「お米」とともに深夜、萩原新三郎の許に牡丹灯籠を手に通う。
萩原新三郎の下男「関口屋伴蔵」は、髑髏と情交する主人を発見、お露が亡霊であると知る。
このままでは命がないと教えられた萩原新三郎は、「良石和尚」から金無垢の海音如来をもらい魔除けの札を張るが、下男が裏切り、お露の侵入を許してしまう…という話である。
日本の3大怪談とされる「皿屋敷」「四谷怪談」「牡丹灯籠」のうち、前2編は強く深い怨念と怒りを抱く女性の幽霊を描くのに対し、生きている人間を愛し続ける娘の幽霊という、支那的な趣が興味深い。
なお、日本の幽霊は江戸期には脚がないのが普通になっているが、牡丹灯籠のお露は駒下駄の音をカラコロと鳴らして歩く、脚のある幽霊であるところは、原作の支那風の演出となっている。
その他、脚のある幽霊
日本でも江戸期に狩野派の幽霊画が一般的になるまでは、脚のある幽霊が大半だったというが、近代から現代の、実際の幽霊の目撃例によると脚がある例がかなり多い模様。
日露戦争の前後からは戦争や悲惨な事故で多数が一度に亡くなる例も多く、集団で現世にいらっしゃる例霊もある。
- 帝国陸軍第八師団青森歩兵第五聯隊雪中行軍隊(八甲田山で210名中199名が死亡。編成外として加わった…つまり雪中行軍隊の指揮権がない…第五聯隊第二大隊長山口鋠少佐が、雪中行軍隊指揮官の神成文吉大尉を差し置いて、悪天候下に勝手に命令を下し指揮系統を混乱させたことが主因であるという。今でも凍死した将兵が集団で出現・行進してくると伝えられる。似たような話では、ガダルカナル島で全滅した一木支隊が深夜、集団で原隊の第七師団(北海道旭川)の営庭に出現するという話もあった)
- 常紋隧道(言わずと知れた怪奇現象頻発の鉄道トンネル。隣接する常紋信号場を含め転勤を命ぜられた鉄道職員の多くが極度に忌避したという)
- 帝国陸海軍硫黄島守備隊(現在も全島で頻発。霧の中で零戦や砲、戦車等を整備したり訓練する日本兵を目撃した米軍が驚愕大混乱)
- 国鉄三河島事故(出現地:JR東日本常磐線三河島駅付近。毎年、事故の起きた日の深夜帯の電車の運転士が散乱する轢死体を目撃)
など、脚がある幽霊の話は、探せば沢山出てくる。もっと調べれば、あなたの住む街にもきっと…。
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