菅原由勢(すがわら ゆきなり、2000年6月28日 - )とは、日本のプロサッカー選手である。
イングランド・プレミアリーグのサウサンプトンFC所属。サッカー日本代表。
179cm69㎏。ポジションはDF(右SB)、MF(右WB、右SH)。利き足は右足。
経歴
生い立ち
愛知県豊川市出身。兄と姉がいる3人兄弟の末っ子として生まれる。5歳のときに仲のいい友達に誘われたことがきっかけでサッカーを始める。小学生の間は地元のASラランジャ豊川でプレー。現在は愛知県内でも強豪チームとなっているが、菅原が小学4年生の頃に愛知県サッカー協会に初めてチーム登録をしており、それまでは練習試合しかしたことがなかった。チーム登録から1年目で東三河の大会に優勝、小学6年生のときに愛知県の大会で準優勝。この頃には地元では注目の選手となっていた。当時の名古屋グランパスのスカウトからは「飛び抜けた選手ではなかったもののキックの質と自己主張ができてリーダーシップが取れるメンタリティに優れている」と評されていた。
中学生になると、ジュビロ磐田U-15からもオファーを受けていたが、最終的に名古屋グランパスU-15に入団する。この頃から将来プロになると決めていたと述べており、中学2年の頃には1つ上の3年生の練習に参加していた。当初はボランチがメインのポジションだったが、15歳になったあたりから右サイドバックでプレーするようになる。また、JFAの育成エリートプログラムに参加したり、U-15日本代表に選出するなどエリート街道を歩むようになっていた。2015年のJFAプレミアカップではベストイレブン、U-15の日本クラブユース選手権では大会優秀選手に選出されている。
高校生になった2016年、名古屋グランパスU-18に順当に昇格。1年生の入ってすぐの頃から主力として試合に出場しており、センターバックとしてもプレーするようになっていた。ただ本人はなんで自分がCBで使われているのか理解できなかったらしい。
名古屋グランパス
高校3年生となった2018年に名古屋グランパスより2種登録されたことが発表される。トップチームのキャンプに参加すると、風間八宏監督から高く評価され2月23日のJ1リーグ開幕戦ガンバ大阪戦にスタメンに抜擢。17歳6か月での開幕スタメンは当時の史上2番目の若さだった。しかしこの開幕戦は2失点に絡むなどプロとの差を痛感させられる試合となり、ほろ苦いJリーグデビューとなった。その後も風間監督からCBのスタメンとして起用され続け、プロA契約締結条件を満たした3月31日にクラブ史上最年少となる17歳10か月で名古屋とプロ契約を結ぶ。
その後もCBとしてスタメンで起用されていたが、チームはリーグ戦8連敗を喫するなどリーグ最下位に転落する泥沼の状態に陥ってしまう。CBとしては未熟さが目立っていた菅原は夏にクラブが大型補強をおこなったことで出場機会を失うようになり、後半戦はベンチにすら入れず、リーグ戦13試合に出場したものの挫折を味わうことのほうが大きかったプロ1年目となった。
2019年になっても信頼を取り戻すことはできず、ルヴァンカップでは出場していたものの、リーグ戦の出場は0試合という状況にあった。だが、この年のFIFA U-20ワールドカップでのプレーがスカウトの目に留まり、出場機会を得られない状況を変えようと19歳での海外移籍を決断する。
AZ
2019年6月19日、オランダ・エールディヴィジのAZアルクマールへの期限付き移籍が発表される。背番号は「26」。AZでは本職の右SBで勝負できたこともあり、7月25日のUEFAヨーロッパリーグ予選2回戦のBKヘッケン戦で公式戦初出場を果たす。8月4日、2019-20シーズンエールディヴィジ開幕戦であるフォルトゥナ・シッタート戦でスタメンに起用されると、デビュー戦にして初ゴールを記録。この活躍が認められ、右SBのレギュラーの座を勝ち取ることとなる。2020年2月23日にはAZへの完全移籍が決定。結局、新型コロナウィルスの影響でシーズンが途中で終了するが、16試合2得点1アシストという上々の海外1年目となった。
2020-21シーズンも右SBのレギュラーとして引き続きプレー。チームは監督が途中で解任になるなど開幕から不振に陥っていたが、パスカル・ヤンセン新監督からも信頼を受け、2020年12月13日の第12節トゥウェンテ戦ではニアの上を豪快にぶち抜いたゴールを決め、勝利に貢献。2021年2月6日の第21節エメン戦ではこの試合唯一のゴールとなる決勝ゴールを決めている。後半戦に入って盛り返したチームも最終的に3位と上位に入る。
3年目となった2021-22シーズンから背番号を「2」に変更。課題とされていた守備面で成長が見られるようになり、1対1の対人プレーでの勝率も上がり、これまでよりも安定して試合に出続けるようになる。年末年始に超過密日程を強いられたときは右SBのみならず、右WB、右WGでもプレーするマルチプレイヤーぶりでチームを助ける。2021年12月13日には敵地のアヤックス・アムステルダム戦での勝利に貢献するハイパフォーマンスを披露。こういった活躍が認められ、2022年1月にはオランダの月間若手MVPに選出。3月30日のヴィレムⅡ戦ではAZでの公式戦100試合出場を達成。エールディヴィジ第32節まで公式戦全試合にスタメンで出場し続けていたが、右膝の負傷を抱えたままプレーしていたこともあり、リーグ戦残り2試合を欠場する。
2022-23シーズンは右膝の手術の影響で合流が遅れ、2022年8月18日のUEFAヨーロッパカンファレンスリーグ(ECL)予選のジル・ビセンテ戦で戦線に復帰し、3分のみの出場でアシストを記録。その後しばらくは途中出場が続くが、スタメン復帰となった9月15日ECLのファドゥーツ戦でゴールを決める。以降、スタメンに定着すると、右足のキックの精度にさらに磨きがかかり、プレスキックのキッカーを任されるようになったことでアシストが増える。2023年1月25日のゴー・アヘッド・イーグル戦ではゴラッソを含む1ゴール2アシストの大活躍で勝利に貢献。一部のオランダメディアからは「リーグ最高の右SB」という評価を得られるようになり、エールディヴィジでは3ゴール8アシストのキャリアハイの成績を残す。また、ECLでもベスト4進出に貢献。充実したシーズンを過ごし、自身の価値を高めることとなった。
2023-24シーズン、エールディヴィジ開幕戦のゴー・アヘッド・イーグル戦でCKからアシストを記録し、大勝に貢献。9月24日のズヴォレ戦、9月28日のヘラクレス戦では2試合連続アシストを記録。10月26日にはECLグループステージ第3節アストン・ヴィラ戦にフル出場し、クラブ新記録となる欧州主要大会47試合出場を果たす。さらに、8月、9月、10月と3か月連続でエールディヴィジ公式の月間ベストイレブンに選出される。2024年3月2日の第24節スパルタ・ロッテルダム戦ではシーズン初ゴールとなる先制ゴールを決めている。しかしこの試合では後半に足首を負傷し、途中交代となっている。3月17日の第26節フォレンダム戦ではGK長田澪を相手に鮮やかなFKを含む2ゴールの大活躍を見せる。1試合2ゴールは自身のキャリアで初となり、現地メディアによる第26節のベストイレブンにも選出。5月19日の最終節ユトレヒト戦ではピンポイントクロスでハンゲリス・パブリディスが得点王タイを確定させるゴールをアシスト。リーグ戦通算4ゴール7アシストと前年に匹敵する成績を残す。
サウサンプトン
2024年7月14日、イングランド・プレミアリーグのサウサンプトンFCに4年契約で完全移籍することが発表される。背番号は「16」。シーズン開幕から定位置を掴むと、8月31日のプレミアリーグ第3節ブレントフォード戦の試合終了間際に左足でのボレーシュートによるプレミアリーグ初ゴールを記録する。
日本代表
15歳だった2015年にU-15日本代表に選出。2016年9月にはU-16日本代表としてインドで開催されたAFC U-16アジア選手権2016に出場。さらには2017年にインドで開催された2017 U-17 FIFAワールドカップを戦うU-17日本代表にも選出され、ラウンド16までの全4試合に出場。このときのチームには久保建英や中村敬斗らがいた。
2018年からはU-19日本代表に選出され、このカテゴリーでも主力としてプレー。10月のAFC U-18選手権では本大会出場権を獲得。さらにU-20日本代表として2019年5月にポーランドで開催された2019 FIFA U-20ワールドカップのメンバーにも選出。この頃クラブではCBでプレーしていたが、U-20代表では本来の右SBでプレー。チームはラウンド16で韓国に敗れる不本意な結果に終わるが、「就職活動」と位置付けていた菅原は全4試合にフル出場したパフォーマンスがスカウトに認められ、オランダへの移籍を勝ち取るきっかけとなった。
2020年10月には海外組のみの選出で欧州遠征をおこなう日本代表に初めて選出される。10月9日のカメルーン戦に途中出場し、20歳4か月でフル代表デビューを果たす。
東京オリンピック出場を目指すU-24日本代表にはU-20ワールドカップ後からたびたび選出されていたが、スタメンに定着するまでには至らず、オリンピック本番にはオーバーエイジで同じ右SBの酒井宏樹が選出されたことでメンバーから落選。
2022年6月にAZでの活躍が認められ、2年半ぶりにフル代表に選出されるが、膝の負傷のため辞退。ここで代表に合流できなかったことが響き、2022 FIFAワールドカップのメンバーからも落選となる。
ワールドカップ後の2023年3月に日本代表に復帰。3月24日のウルグアイ戦で右SBのスタメンに抜擢されると、6月のエルサルバドル戦、ペルー戦では右WGの伊東純也や久保建英と好連携を披露。第二次森保JAPANの右SBのファーストチョイスとして定着するようになる。そして、9月10日の敵地でのドイツ戦では伊東の先制ゴールをアシストし、2点目の起点になるなど4-1の歴史的快勝に貢献する。
11月21日の2026 FIFAワールドカップ アジア二次予選のシリア戦ではFKの流れから豪快なミドルシュートを叩き込み、代表初ゴールをマーク。
2024年1月にカタールで開催されたAFCアジアカップ2023でも右サイドバックの一番手として出場したが、第1戦のベトナム戦と第2戦のイラク戦で不安定なパフォーマンスに終始。サイドを突破されて失点を喫するなどチームの穴となってしまい、第3戦以降は毎熊晟矢にポジションを奪われ出場機会は訪れなかった。
個人成績
シーズン | 国 | クラブ | リーグ | 試合 | 得点 |
---|---|---|---|---|---|
2018 | 名古屋グランパス | J1リーグ | 13 | 0 | |
2019 | 名古屋グランパス | J1リーグ | 0 | 0 | |
2019-20 | AZ | エールディヴィジ | 16 | 2 | |
2020-21 | AZ | エールディヴィジ | 25 | 2 | |
2021-22 | AZ | エールディヴィジ | 32 | 1 | |
2022-23 | AZ | エールディヴィジ | 31 | 3 | |
2023-24 | AZ | エールディヴィジ | 30 | 4 | |
2024-25 | サウサンプトン | プレミアリーグ |
プレースタイル
右サイドならどこでもこなせる選手だが、もっとも得意としているポジションは右サイドバック。モロッコ代表のアクラフ・ハキミにプレースタイルが似ていると言われ"和製ハキミ"を呼ばれる通り、攻撃力を持ち味としているサイドバックである。
サイドバックながらもテクニックの高さが持ち味で、名古屋時代に風間八宏監督が評価したのも「止めて蹴る」技術を評価して抜擢している。そのためパス能力の高いSBであり、視野が広く、長いレンジのパスを得意としている。また、躍動感のあるドリブル突破も魅力の一つで、スプリント力で攻撃力に厚みを加えることができる。外だけでなく中にも行けるタイプのため、右WGのプレースタイルに応じて立ち振る舞いを変えることも可能。
中長距離のキックの精度も高く、ピンポイントのクロスを合わせてアシストをすることがも多い。AZではプレスキックのキッカーを任されており、アシストを多く稼げる要因になっている。
課題と言われている守備面だが、オランダで経験を積むことによって当初の課題であった一対一の対人の弱さはかなり改善されている。一方、守備の判断や優先順位を間違えたり、ボールホルダーに対して食い付ぎ過ぎる場面がたびたび見られるのが欠点であり、マークを見失ってサイドを破られることもある。また、攻撃参加のせいに髙い位置を取りすぎて裏のスペースを突かれがちである。
人物・エピソード
若干ヤンキーっぽい強面の風貌だが、人懐っこく明るいキャラクターであり、コミュ力も高い。そのためオランダでもすぐにチームメイトと打ち解けることができ、日本代表も含めチームのムードメーカー的な役割も果たしている。
Jリーグデビューして間もない時期にSNSに連続で変顔をした動画を投稿している。
2021年9月5日に一般女性と結婚したことを自身のSNSで発表。このとき21歳。
世代別代表の頃から一緒にプレーしている久保建英や中村敬斗と仲が良い。同い年である中村敬斗は実は同じ日のJ1リーグ開幕戦でデビューし、しかも互いに対戦相手として顔を合わせている。2023年10月のカナダ代表戦で中村が相手の悪質なタックルで負傷した際は、「あいつの思いしか背負っていない」と決意を述べている。
2024年のAFCアジアカップに参加した際、JFATVのTeam Comeにおいてミーティング中に居眠りしているように見える画像と別のミーティング時に森保監督の目の前に座らされるように見える画像が公開されてしまう。当初は笑い話となっていたが、大会中に不調だったこともあって批判を受けることになる。
2024年5月29日のレアル・ソシエダと東京ヴェルディの親善試合ではAbemaの解説者を務め、ソシエダに所属する久保建英にインタビューをおこなっている。
関連項目
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