鎌田大地(Kamada Daichi,1996年8月5日-)とは、愛媛県出身のプロサッカー選手である。
イングランド・プレミアリーグのクリスタル・パレスFC所属。サッカー日本代表。
「かまた」ではなく「かまだ」である。
ポジションは主に攻撃的MF。FWやボランチなどもこなすことがある。180cm72kg。効き足は右足。
概要
愛媛県伊予市出身。キープ力とパスセンスを生かしたゲームメイクと共に高い得点能力を持つMF。トップ下のみならずボランチでもプレーすることができ、攻撃に違いを作り出すことのできる希少価値の高いタイプの選手である。
京都の東山高校在籍時に注目を浴びるようになり、サガン鳥栖でプロデビュー。2017年に21歳の若さで海外移籍を果たすと、シント=トロイデンVV時代の2018-19シーズンに16ゴールを挙げる。その後、ドイツ・ブンデスリーガのアイントラハト・フランクフルトで攻撃の中心として躍動し、リーグでも屈指のMFと評価されるようになる。特に2021-22シーズンのUEFAヨーロッパリーグでは13試合5得点の活躍によってフランクフルトに42年ぶりの優勝をもたらしている。
2023年7月にイタリア・セリエAのSSラツィオに移籍し、2024年7月にはイングランド・プレミアリーグのクリスタル・パレスFCに移籍。
世代別の代表には縁が無かったが、海外移籍後の活躍が認められて2019年3月に日本代表にデビュー。その後、代表に定着し中心選手の一人に成長すると、2022 FIFAワールドカップでも全4試合にスタメンで出場。タレントの揃う日本の2列目の中でも異彩を放っている。
海外からも評価される非凡な才能の持ち主である一方で調子の波が激しい選手であることとしても知られ、1シーズンに何度かは調子を落としてポジションを失い、代表からも漏れることもある。
経歴
プロ入り以前
1996年8月5日に愛媛県伊予市で長男として誕生。かつては大学サッカー名門の大阪体育大学でサッカーを専修していた父が高い技術力のある選手として育てることを目指し、父の教えで3歳からサッカーを始めるようになる。父親が指導方法が気に入ったという地元のキッズFCに入団したのもその頃だった。
平日は練習、土日は試合の日々を幼少の頃からこなし、リフティングも小学1年のときには千回を超え、小学2、3年のころには、学年が上の試合にもずっと出場するなど早くから才能を開花していった。家に帰ると、母親が撮影した自分の試合の映像を見るなど研究熱心で、神戸で開かれたFCバルセロナのサッカー教室にもすすんで参加していた。小学5年生の頃には一学年上のナショナルトレセンU-12四国に選出。小学6年生のときには愛媛県少年サッカー大会優勝を経験している。
中学からは親元を離れて大阪府岸和田市の祖父母の家に住み、ガンバ大阪ジュニアユースに進む。中学1年時の2009年にはJOMOカップU-13Jリーグ選抜に選出。しかし、同じポジションに井手口陽介ら多くのライバルがいたことや3年間で175cmまで伸びたことで成長に筋肉が追いつかず、思うようなプレーができない「クラムジー」に陥り、腰の怪我もあってレギュラーを取れず、守備面やハードワーク面での物足りなさも指摘され、ユース昇格はならなかった。
技巧派を求めている他Jクラブユースへの道もあったが、選手権への憧れやハードワークを身に付ける目的、父と福重監督が大阪体育大時代の先輩後輩だった縁もあり、高校は京都の東山高校に進学。1年生の頃からポジションを掴み、第91回全国高校サッカー選手権京都府大会決勝戦では仙頭啓矢、小屋松知哉を擁した京都橘高校に惜敗している。
2年生の頃のプリンスリーグ関西1部2013では、18試合22得点18アシストの圧倒的数字で得点王とアシスト王のダブルを達成し、チームを3位に導く。
3年のときに主将を務め、高円宮杯プレミアリーグウエストにおいて低迷するチームの中でも10得点を記録した。卒業後、いくつかのJクラブから接触があったが、最も熱意を示したサガン鳥栖への入団を決意する。本人は当時について、2017年ホーム浦和戦後の海外移籍セレモニーで「鳥栖だけが僕を拾ってくれました」と語っている。
サガン鳥栖(2015年~2017年夏)
2015年サガン鳥栖への入団が正式に決まり、背番号は「24」となる。当時鳥栖の監督を務めていた森下仁志監督に評価され、5月10日のJ1第11節ホームの松本山雅戦で後半27分から出場し、プロデビュー。後半アディショナルタイムに鳥栖を敗戦危機から救う同点ミドルシュートを沈め、デビュー戦でプロ初ゴールを記録。プロ1年目の年はJ1リーグ戦21試合に出場し、3得点を記録した。
2016年には、監督はイタリア人のマッシモ・フィッカデンティに交代したものの、レギュラーとしての地位を確立。4月1日のJ1 1stステージ第5節FC東京戦ではシーズン初ゴールとなるボレーシュートを試合終了間際に決めて勝利に貢献。6月18日の1stステージ第16節ガンバ大阪戦では、プロになって初となる1試合2ゴールを記録。中盤をダイヤモンド型にしたトップ下のポジションでプレーメーカーとしての才能を見せ始め、リーグ戦28試合7得点を記録。緻密な守備から連動性ある攻撃につなげるフィッカデンティの戦術において中盤と前線を繋げるリンクマンという重要な役割を果たし、完全に鳥栖の中心選手となった。オフにはかねてから希望していた海外移籍を模索していたがオファーは届かず、鳥栖に残留する。
2017年は背番号を7番に変更し、不動のトップ下としてリーグ戦16試合3得点を記録。5月27日の第13節コンサドーレ札幌戦では、決勝点を決めて自らの結婚に花を添えている。日本でのラストマッチとなった6月25日の浦和レッズ戦でアシストを記録している。
フランクフルト(第1次/2017年夏~2018年夏)
2017年6月24日長谷部誠が所属するアイントラハト・フランクフルトへの完全移籍が発表される。背番号は40。DFBポカール1回戦エルンテブリュック戦で公式戦デビュー。ブンデスリーガ開幕戦フライブルグ戦にも出場したが、結果を残せず、3試合出場にとどまった。
シント=トロイデン(2018年夏~2019年夏)
2018年8月31日チームの構想外となったことでベルギー・ジュピラ―リーグのシント=トロイデンVVへレンタル移籍する。背番号「15」。9月16日ジュピラーリーグ第7節AAゲント戦において、途中出場でデビュー戦。その試合で得点を決める活躍を見せ、勝利に貢献。その後、2トップの一角としてレギュラーに定着すると、攻撃をリードする存在となる。前半戦だけでゴール数は二桁に到達、同胞の冨安健洋、遠藤航らとともに、シント=トロイデンの中心選手として活躍し、最終的にリーグ戦24試合12得点という素晴らしい記録を残す。公式戦全体でも36試合16得点9アシストという数字となった。
フランクフルト(第2次/2019年夏~2023年夏)
ベルギーでの活躍が認められ、2019-20シーズンは、保有先のアイントラハト・フランクフルトへ復帰。当初はアドルフ・ヒュッター監督の構想外とされ、放出が確実視されていたが、練習を通じて監督に認められ、監督との会談により残留を決意。背番号も40から「15」に変更。
8月11日のDFBポカール1回戦でゴールを決めて主力に定着。特にUEFAヨーロッパリーグ(EL)での活躍が目覚ましく、グループリーグ第5節では強豪アーセナルを相手に2得点の大活躍を見せ、大金星に貢献。第6節のビトーリアSC戦でもEL2試合連続となるゴールを決め、チームを決勝トーナメント進出に導く立役者となる。決勝トーナメントに入っても勢いは止まらず、ラウンド32のレッドブル・ザルツブルク戦でハットトリックの大活躍。一時は6得点でEL得点ランクトップに立つ。一方、ブンデスリーガではなかなかゴールが生まれずにいたが、5月26日のSCフライブルク戦で待望のリーグ戦初得点が生まれる。さらに、5月30日のVfLヴォルフスブルク戦でも2試合連続となる得点を決め、6月13日の第31節ヘルタ・ベルリン戦では、ドリブルでDF3人を次々とかわしてアンドレ・シウバのゴールを演出するスーパーアシストを見せている。 シーズン終了後、アドルフ・ヒュッター監督から「今年もっともポジティブな存在だった」と評されている。
オフシーズンに契約延長交渉が難航し、移籍話も浮上するが、契約を延長したことで2020-2021シーズンもフランクフルトに残留することとなる。開幕からシャドーの位置で定着すると、2020年10月3日のホッフェンハイム戦ではシーズン初ゴールを決めるなど躍動し、ドイツのビルト誌から最高評価の1が付けられると共に第3節のベストイレブンに選出される。12月5日のドルトムント戦では、先制ゴールとなる技ありのゴラッソを決めている。リーグ折り返し時点でアシスト数は8を記録し、攻撃の核としてチームを牽引する存在となる。2021年2月20日には、王者バイエルン・ミュンヘンを相手に1ゴール1アシストの活躍を見せ、チームの金星獲得に貢献する。惜しくもCL出場権獲得は逃したものの、5位と上位で終えたチームの攻撃の中心として躍動し、アシスト数はリーグ3位の12アシストを記録している。
2021-22シーズンは移籍問題や監督交代の影響もあって開幕から絶不調に陥り、定位置を失うことに。だが、ELで2試合連続でゴールを決めるなど結果を残したことでスタメンに返り咲くと本来のプレーレベルを取り戻す。2021年12月15日の第16節ボルシアMG戦ではブンデスリーガのシーズン初ゴールとなる逆転ゴールを決め、勝利に貢献。しかし、年明けの後半戦になるとチーム状態と共に調子が下降線を辿るようになる。2022年2月19日の第19節ケルン戦では後半から途中出場しながら試合終盤に交代させられたうえに公衆の面前でグラスナー監督から厳しく叱責されている。しかし、3月9日のELラウンド16 ベティス戦でゴールを決めると、3月12日のボーフム戦では公式戦2試合連続ゴールとなる逆転ゴールを決め、その後は復調するようになりレギュラーを奪還。強豪FCバルセロナと対戦することとなったEL準々決勝では、2試合を通して高いパフォーマンスを披露。4月14日の2nd legでは決勝ゴールをアシストし、大金星となる準決勝進出に貢献している。さらに、4月28日の準決勝 1st legウェストハム戦でも後半9分に決勝ゴールをマーク。チームは2nd legも勝利し、クラブ史上初の決勝進出を果たす。ELでは5得点1アシストという成績を残し、特に決勝ラウンドに入ってからの活躍が目覚ましく、チームの42年ぶりの優勝の立役者となる。
2022-23シーズンは契約最終年ということもあって移籍が確実視される中、フランクフルトでシーズンの開幕を迎えることになる。2022年8月13日の第2節ヘルタ・ベルリン戦ではボランチの位置で出場し、シーズン初ゴールとなる同点ゴールを決める。さらに8月21日のケルン戦では直接FKを決め、2試合連続でのゴールを記録。移籍市場が閉まる8月下旬にはSLベンフィカへの移籍話が浮上するが、結局残留を決断する。9月17日のシュトゥットガルト戦でも直接FKを決めるなど、1ゴール1アシストの活躍によって勝利をもたらす。初出場となったUEFAチャンピオンズリーグでは、10月12日のグループステージ第4節トッテナム戦で初ゴールを記録する。10月15日の第10節レヴァークーゼン戦ではPKによる2ゴールを決めて通算6得点とし出場9試合目にして自身のブンデスリーガでの最多得点記録を更新する。10月26日のオリンピック・マルセイユ戦ではCL2試合連続ゴールを決め、公式戦の得点数が二桁に到達。さらにグループステージ最終節のスポルティングCP戦ではPKを決めたことでCL3試合連続ゴールを記録し、フランクフルトの初のグループステージ突破の立役者となる。しかし、ワールドカップ後は低調なパフォーマンスが続き、契約延長を拒否していることも重なって次第にスタメンから外れるようになる。そして、2023年4月12日、シーズン終了後にフリーで退団することが発表される。シーズン終盤に入って復調し再びスタメンに名を連ねるようになると、フランクフルトでの最後のシーズンで公式戦16ゴール6アシストという成績を残す。
フランクフルト退団後、イタリアのACミランと契約寸前と報じされたが、ミランのSDであるパオロ・マルディーニが突如退任したことで契約は白紙となり破断となる。その後も複数のクラブが移籍先として名前が挙がるが、なかなか移籍先が決まらずにいた。
ラツィオ(2023年夏~2024年夏)
2023年8月5日、イタリア・セリエAのSSラツィオへの完全移籍での加入が発表される。契約期間は2025年までの2年契約とされ、背番号は「6」。
セリエA開幕戦から右のインサイドハーフの位置でスタメンの座を掴むと、9月2日の第3節では前年度の王者SSCナポリを相手にセリエA初ゴールとなる決勝ゴールを決め、チームのシーズン初勝利に貢献する。だが、その後は低調なプレーが続いて次第にマウリツィオ・サッリ監督からの信頼を失い、序列が低下。出場時間も減ってしまい、2024年1月から2月にかけては公式戦出場が0という戦力外同然の状態にまで追い込まれ、放出の噂が飛び交うようになる。だが、3月12日に成績不振からサッリ監督が辞任し、後任にイバン・ユリッチ監督が就任したことで状況が一変。ボランチのレギュラーとして起用されるようになると、4月19日の第33節ジェノアCFC戦ではルイス・アルベルトのゴールをアシストし、地元メディアから高評価を得る。サッリ監督とは対照的にユリッチ監督からは信頼を寄せられ、チームにとって重要なプレイヤーとして扱われる。5月19日の第37節王者インテル戦では、左足を振り抜いての鋭いミドルシュートを決めている。
シーズン終了後、クラブ側は契約延長を希望したが、単年契約を望む鎌田側と複数年契約を望むラツィオ側との溝が埋まらず、交渉は決裂。1年でラツィオを退団することになる。
クリスタル・パレス(2024年夏~)
2024年7月1日、フランクフルト時代の恩師であるオリバー・グラスナーが監督を務めるイングランド・プレミアリーグのクリスタル・パレスFCに完全移籍することが発表される。2年契約で背番号は「18」。
2024年8月18日、開幕戦のブレントフォード戦にスタメンで出場し、プレミアリーグデビューを果たす。8月27日のカラバオカップ2回戦ノリッジ・シティFC戦では移籍後初ゴールと初アシストを記録する大活躍を見せている。カラバオカップでは3回戦のQPR戦でアシストを記録し、ラウンド16のアストン・ヴィラ戦では見事なミドルシュートを決めるなど活躍。一方、プレミアリーグではリーグへの適応に苦しむ。11月9日の第11節フラムFC戦では危険な足裏タックルによりキャリア初の一発退場となり、3試合の出場停止処分を受ける。
日本代表
2015年に自身初の代表選出となるU-22日本代表に選ばれ、2016年トゥーロン国際大会に出場。しかし、この大会でアピールができず、リオデジャネイロオリンピック本大会のメンバーからは落選。
ベルギーでの実績が認められ、2019年3月キリンチャレンジカップに挑むメンバーとして初選出。3月22日のコロンビア代表戦にてデビュー。10月10日のカタールワールドカップ2次予選モンゴル戦では、代表初ゴールを決めている。2020年11月におこなわれたパナマ戦に途中出場、メキシコ戦ではスタメンで起用されてインパクトを残し、ポジション争いが激しい2列目で存在をアピールする。2021年3月25日の韓国戦でもスタメンで起用され、前半27分に個人技から代表2得点目となるゴールを決めている。
2022 FIFAワールドカップ アジア2次予選では攻撃の中心として躍動していたが、最終予選になり初戦のオマーン戦と第3節のサウジアラビア戦にスタメンで出場したものの精彩を欠いたことに加え、チームがトップ下を置かない4-3-3に変更したこともあって序列が大幅に下がってしまう。2022年に入っての終盤の4試合には代表メンバーにすら招集されず、悪い流れを引きずったままとなった。だが、代表から外れた間にELで活躍しチームの優勝に貢献したことで待望論が浮上し、最終予選後に復帰。6月2日のパラグアイ戦ではIHで起用され、圧巻のパフォーマンスから1ゴール1アシストの活躍でアピールに成功する。9月23日のアメリカ戦ではトップ下で起用され、先制ゴールを決めるなど攻撃の中心として躍動し、チームの中での存在感を増す。
2022年11月の2022 FIFAワールドカップ・カタール大会でも攻撃の中心として期待され、全4試合にスタメンで起用されるが、チームが堅守速攻の戦術を採用した影響もあってフランクフルトで見せるハイパフォーマンスを見せることが最後までできなかった。グループリーグ第3節のスペイン戦、ラウンド16のクロアチア戦では途中で交代になるなど、本人にとっては不本意な大会となった。
2024年1月のAFCアジアカップ2024は所属するラツィオで出場機会を失っていたこともあってメンバーから落選となる。同年6月の2026 FIFAワールドカップ アジア2次予選で復帰すると、10月10日のアジア最終予選第3節、敵地でのサウジアラビア戦で先制ゴールを決め、日本代表の開幕3連勝に大きく貢献。複数のメディアからこの試合のMVPに挙げられる。11月15日の第4節敵地のインドネシア戦ではオウンゴールを誘発するなど2ゴールに絡む活躍。優れた戦術眼とスキルで抜群の存在感を見せる。
個人成績
シーズン | 国 | クラブ | リーグ | 試合 | 得点 |
---|---|---|---|---|---|
2015 | サガン鳥栖 | J1リーグ | 21 | 3 | |
2016 | サガン鳥栖 | J1リーグ | 28 | 7 | |
2017 | サガン鳥栖 | J1リーグ | 16 | 3 | |
2017-18 | フランクフルト | ブンデスリーガ | 3 | 0 | |
2018-19 | フランクフルト | ブンデスリーガ | 0 | 0 | |
シント=トロイデン(loan) | ジュピラー・プロ・リーグ | 24 | 12 | ||
2019-20 | フランクフルト | ブンデスリーガ | 28 | 2 | |
2020-21 | フランクフルト | ブンデスリーガ | 32 | 5 | |
2021-22 | フランクフルト | ブンデスリーガ | 32 | 4 | |
2022-23 | フランクフルト | ブンデスリーガ | 32 | 9 | |
2023-24 | ラツィオ | セリエA | 29 | 2 | |
2024-25 | クリスタル・パレス | プレミアリーグ |
プレースタイル
攻撃的なポジションなら全て経験しているが、もっとも適性が高いポジションはトップ下、もしくはセカンドトップ(シャドー)。攻撃的な役割ならマルチにこなすことができ、鳥栖時代は攻撃の起点となるプレーメーカーとしてパスセンスの高さが目立ち、細かいステップによるドリブルで相手を抜き去ることもできる。味方を使いながら、自らスルっと抜け出してゴールを決める得点力もあり、ドルトムント時代の香川真司に近いタイプの選手という声が多い。ベルギーでブレイクして以降は、むしろシャドーストライカーとしての特性が注目されている。
細身ではあるものの守備側を背中に背負うポストプレーのような形でタメを作るプレーを得意としており、ワンタッチで味方に落とすプレーの正確性は久保建英や堂安律などよりも明確に優れている。背中に迫る相手の勢いを逆に利用し、ターンで前を向くプレーも多く見られる。
守備面でも、前線から相手にプレッシャーをかけ、中盤に戻ってブロックを形成することもできるなど、貢献度が高い。
課題は、ドリブルで持ちすぎてボールロストしてしまうことがあること。プレーの判断力が遅くなることもあり、フィジカルコンタクトへの耐性が低いためすぐに潰されてしまう。また、シーズンごとにプレーにムラがあるのが大きな欠点で、不調時は守備の対応が緩慢になりがちのため毎年のようにスタメンを外れる時期がある。良くも悪くも、我が道を行く天才肌のタイプの選手である。
エピソードなど
- 5つ年下の実弟の鎌田大夢もプロサッカー選手であり、福島ユナイテッドFCやベガルタ仙台でプレー。
- 従姉妹の西元ジュリと西元エミリの姉妹はプロサーファー。
- 2017年5月13日に同い年の一般人女性と結婚。21歳という若さで既婚者となっている。
- 一見やる気のなさそうな佇まいが「無気力」と批判の対象となることがある。特に結果が出せなかった場合に顕著であるが、本人は「自分では完全に集中していると断言できるので、周りの声は気にならない」と話している。
- 各所でライバルや気になる選手として、同世代の井手口陽介、北川航也、奥川雅也を挙げている。2020年に奥川雅也がチーム事情で日本A代表招集断念となった際には、「昔からすごい知っていたので残念。ずっとこれから一緒にプレーできると思うので楽しみにしている」と述べている。
- 内気で周囲となかなか溶け込めない性格として知られ、フランクフルト時代は日本代表の先輩でもある長谷部誠がチームメイトとの橋渡し役を担うなどサポートしていた。SSラツィオ移籍直後もチームに溶け込むことができず、マウリツィオ・サッリ監督から冷遇されることとなった。
- 自身を冷遇したサッリ監督について、DAZNの『内田篤人のFOOTBALL TIME』に出演した際に「とにかくすごく守備的」「すごく古いやり方」「雰囲気作りとか選手マネジメントとかも一切ない」と酷評。自身とウマが合わなかったことを明かしている。
- 2024年7月14日、YouTubeで自身のチャンネル、鎌田大地chを開設。
関連動画
関連項目
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