6502とは、整数のひとつ。また、以下の意味もある。
- 株式会社東芝の東京証券取引市場における企業コード。
- 米モステクノロジー社製CPU、MOS Technology 6502(MOS6502)。多くのカスタムLSIでそのアーキテクチャが用いられた。
- ライトノベル作家、ろくごまるに。元プログラマーであり、ペンネームの由来は2.
本項目では2.について述べる。
6502(CPU)の概要
モトローラ社からバックれたスピンオフした開発チームが開発したCPUである。モトローラのMC6800を設計のベースとしているが、変態的な構造による高性能は日本人や天才に捕まり、一躍メジャーCPUとなる。なお捕まるまではモステクノロジーの大得意先、コモドール社製のパソコンであるPET2001、VIC-1001(VIC-20)に入っていたことで知られている。
スピンオフした理由は、MC6800の開発チームのチャック・ペドル(Chuck Peddle)が顧客が求めているCPUは廉価なものだと気づいたことから。モトローラ社に低価格版の開発を提案したものの聞き入れなかったためという。モステクノロジー社でMOS6501(ピン配置はMC6800互換)、MOS6502(ピン配置の変更)が開発された。
後述する変態的構造の結果、チップを廉価に製造することに成功。同時代であるIntelの8080が149ドル、モトローラのMC6800も同程度なのに対し、MOS6502は25ドルという低価格を実現。しかもうまくプログラムするとMOS6502の方が速いというとんでもないコスパを発揮した(ちなみにヤバイと思ったIntelとモトローラは速攻で値下げしたがそれでもMOS6502の方が安かったそうである)。またクロック辺りの性能が高いのも特徴で、Z80と比較すると2~4倍の効率となる。供給クロックが低くて良いということは周辺回路的にも利点で、組み込みに有利な特性である。結果として多数のMOS6502アーキテクチャを採用したカスタムCPUを積んだゲーム機が生まれることになる。
もちろんモトローラも黙っていなく、1975年にモステクノロジーを訴え、モステクノロジーはモトローラに対して20万米ドルを支払うことになった。経営が立ち行かなくなったモステクノロジーはコモドール社に身売りをした。
その変態的構造
徹底的にシンプルさを追求した結果、次のような一見わけわからん仕様を持っている。
- アキュムレータレジスタが1本しかない
- 補助のインデックスレジスタも2本しかない
- アドレスは16bitなのにプログラムカウンタ以外(インデックスすら)8bitしかない
- スタックポインタもアドレス固定して8bit決め打ち
アキュームレジスタが一本しかないのがどれだけ変態か。ものすごくざっくり言うと、
待ち構えてるのは電卓もって机に座ったおっさん(=Aレジスタ)が一人だけ
という状況である。参考までにインテルの8080の場合、こちらもAレジスタ自体は一本だが汎用レジスタが後6つあり、実質7本のレジスタである。6502ではその代わりメモリの先頭から8bitで指定できる分を汎用レジスタ代わりに使う高速命令がこれを補うという設計になっており、実態はAレジスタ1+汎用擬似レジスタ256本という風に解釈するのが正しい。上の例で言えば、おっさんは電卓一個しか持ってないが、便利な数式が書かれたアンチョコを256枚持っててそれを見ながら作業する、と言えばいいのか。
その変態的な構造は完全なCISCアーキテクチャCPUであるにもかかわらずRISCチップの直接のご先祖様呼ばわりされる。
採用機種と歴史
6502が一躍有名となったのは、世界的ヒットとなったApple II(及びそのプロトタイプといえるApple I)に6502が採用されたことが大きい。当初スティーブ・ウォズニアックは自分の趣味の自作コンピュータには8080を使うつもりだったが、速くて安い6502の存在を知って狂喜乱舞したそうである。
モステクノロジーは6502発売の翌年の1976年にコモドールの傘下に入った(後に社名も変更)。コモドールのコンピュータにも当然のように採用された。1981年に発売されたVIC-20(前年にVIC-1001として日本で先行発売)は世界初の100万台以上を売り上げたコンピュータとなり、さらに後継機として1982年に登場した後継機コモドール64は最終的な売上台数が1700万台にのぼったとされる大ヒット商品となった(単一の機種としては世界一と言われている)。
その後日本でもファミコン用のCPUを探していた任天堂に、偶々6502のライセンスを持っていたリコーが売り込みを掛けたことで採用が決まり、歴史を変えた名機が6502で動くことと相成った。
ちなみに、当時の日本国内では主流派の流れをくむZ80が強く、6502はAppleオタクぐらいしか知らないマイナーCPUだった(プラザ合意以前で円が安かった当時、舶来品のApple IIは100万コースの超高級品)。ファミコンの発売後に設計を独自解析していたナムコも、CPUが6502であることを突き止めるまでに結構時間が掛かったそうである。それぐらい国内ではマイナーだったのだ。6502搭載パソコンであるVIC-1001やPET2001はもうこの当時日本でも売られていたのにね。
そのため当の任天堂ですら6502を完全には使いこなせていなかったが、6502CPUを採用していたパソコン、PET2001用のソフトを開発していた会社がファミコンに参入する。この会社こそHAL研究所であり、メインプログラマーであった岩田聡が任天堂で開発が難航していたソフト(ピンボールやゴルフ、バルーンファイトなど)を見事に完成させたという逸話が残っている。
またPCエンジンのCPU『HuC6280』は6502アーキテクチャーで音源制御とかもやらせている。スーパーファミコンでも6502の発展形CPUである『65816』が搭載されている。
ただ、徹底したシンプルさが身上だっただけに高機能化には限界があり、32bit化以降の後継CPUは存在しない。しかし同じく変態で名高いARMは魂の後継者を名乗っており、6502のsimple is bestの精神は死んでいないようだ。
互換CPU
- 65C02
- W65C02
- 6507
- MOS6510:モステクノロジー社。MOS6502に手を加えたCPU。Commodore64(コモドール64)
- 8502
- G65SC02
- RP65C02:リコー
- RP65C02:リコー
- Ricoh2A03(RP2A03):リコーと任天堂が共同開発したファミリーコンピュータのCPU。映像出力はNTSC。ロックウェル・インターナショナル(Rockwell)が開発したCMOSバージョンの6502が元になっている
- Ricoh2A07(RP2A07):Ricoh2A03(RP2A03)の映像出力をPALにしたもの
- HuC6280:ハドソン
- 65816
- 740ファミリ:ルネサスエレクトロニクス(旧・三菱電機)
- 77000ファミリ:ルネサスエレクトロニクス(旧・三菱電機)
- YM-2002:ヤマハ
- SPU:ソニー
ソフトウェア
マイクロソフト社の創業者ビル・ゲイツ(Bill Gates)と社員のリック・ウェイランドが開発したMOS6502用BASICインタプリタ「Microsoft BASIC for 6502 Microprocessor - Version 1.1」が2025年9月3日にオープンソース化し公開された。このソフトは1977年にコモドール社にライセンスされ、同社製コンピュータを通じて初心者プログラマーの学習に活用された。
ダウンロード先:https://github.com/microsoft/BASIC-M6502
関連項目
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- 0pt

