ディアデラノビア 単語

5件

ディアデラノビア

4.0千文字の記事
  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • LINE

ディアデラノビアとは、2002年産の東・居勝厩舎のブロンズコレクター競走馬で、元繁殖牝馬である。

関西競馬番組ではおなじみの大坪元雄御大が正しく名を言えなかった競走馬の1頭でもある。
大坪さん、「デラデラノビア」とか「ディアデラノビヤ」とかではありませんよ! 

名の由来はアルゼンチン競走馬だったことにちなみ、アルゼンチンの「恋人の日 (Dia de la Novia) 」のこと。日本の血統を根底から覆したサンデーサイレンスアルゼンチンの最優秀3歳、最優秀古を受賞したポトリザリスという血統。 

な勝ち
2005年:フローラステークス(GII)
2007年:京都牝馬ステークス(GIII)、愛知杯(GIII)

2歳~3歳時代(2004年~2005年)

2004年12月という遅めの時期に阪神競馬場デビューし、だけで勝ってしまったようなレースぶりで快勝。続く2005年500万下も後にオークス対決することになるエアメサイア以下を圧倒し連勝。同じ厩舎、同じ馬主シーザリオと共に一気にクラシック路線の有補に名乗りを上げる。

その後、桜花賞トライアルチューリップ賞(GIII)に単勝1.5倍の圧倒的支持を受けて出走するも7着に敗れてしまう。テレビ東京競馬中継の某解説者が「全に上の騎乗ミス」と放送中にもかかわらず激怒したのは有名な話。 しかし、居師は何が何でも彼女桜花賞に出したいということでなんと連闘で同じく桜花賞トライアルフィリーズレビュー(GII)に出走させる執念を見せたが、結果は4着。桜花賞出走を断念し、オークス標を切り替えた。

その後、オークストライアルフローラステークス(GII)に武豊を迎えて出走。見事に本来の後方一気の末脚で差し切り勝ちを収め、重賞初制覇とともにオークスの出走権を確保した。オークスでは桜花賞で好走したシーザリオエアメサイアに続く3番人気で出走。上はアメリカの名手、ケント・デザーモを迎えた。 

しかし、連戦の疲れや気性面で折り合いがつくか上がゴールの位置を間違えないかなど不安要素もかなりあっての出走だったが、折り合いはなんとかつき、鋭い伸び脚を見せるものの、シーザリオの反則的な末脚とエアメサイアりに屈し、3着に終わる。こうしてディアデラノビアのブロンズコレクターはここから始まったのである。

オークス後は同門でライバルシーザリオと共にアメリカオークスに出走する予定であったが、連戦の理が祟ったのか、膝を剥離骨折してしまい、半年以上の長い休養期間に入り、3歳の競走生活を終えた。 

古馬時代

半年の休養期間を経て2006年にディアデラノビアは京都金杯レース復帰したが、ブランクが祟ったのか、6着に敗れてしまう。その後、1番人気で迎えた京都牝馬ステークスも上がり最速を記録するも5着がやっとだった。
ここで騎手をその年から中央競馬に移籍したばかりの岩田康誠スイッチ中山牝馬ステークスで2着に入り、久々の連対を果たして復活の兆しを見せるとマイラーズカップヴィクトリアマイルオールカマー府中牝馬ステークスエリザベス女王杯と出走レース5レース連続3着とある意味ナイスネイチャ先生ビックリな離れ業を成し遂げブロンズコレクターを発揮する。

ちなみにエリザベス女王杯では4位入線だったものの、1位入線のカワカミプリンセスが走行妨で降着になり、繰り上がりで3着になったこともあって、ブロンズコレクターナイスネイチャネタにされだしたのもこの頃である。 暮れには香港カップに出走するも、7着に敗退。4歳は9戦して未勝利(2着1回、3着5回)に終わる。

5歳(2007年)になってからは年明け初戦の京都牝馬ステークス(GIII)で久々勝利をあげるも、次の阪神牝馬ステークスでは断然の1番人気に支持されるもまたもや3着に敗れた。その後はなかなか馬券圏内に入ることができずに掲示板に載るのがやっとの状態で引退文字も見え隠れしていたのだが、暮れの愛知杯(GIII)で久々勝利をあげた。

この愛知杯勝利サンデーサイレンス産駒の史上初となる重賞300である。2022年現在、各産駒重賞100勝以上を達成したのはたったの5頭[1]。その中でもサンデー産駒311勝と、280勝のディープインパクト産駒にいまだ差を付けており、どれだけヤバイかがわかるはず。ブロンズコレクターにもちゃんとサンデーの血は流れているのだ。

6歳(2008年)になってからは2走したが両方とも掲示板どころか2ケタ着順になってしまい、小倉大賞典10着を最後に引退。生まれ故郷のノーザンファームで繁殖生活に入った。

総評すれば名前が呼びづらい、ブロンズコレクターなどとネタにされたではあったが、重賞戦線を盛り上げた名脇役の1頭と言えるだろう。 

現在~繁殖牝馬として

現役を引退後は生まれ故郷のノーザンファームで繁殖牝馬として頑っていた。先に触れた通り、彼女サンデーサイレンスなので、サンデーサイレンス系は交配できず、交配相手はシンボリクリスエスキングカメハメハハービンジャーなどといった非サンデー系である。

産駒成績としては二番であるディアデラマドレがマーメイドステークス(GIII)、府中牝馬ステークス(GII)、愛知杯(GIII)の3重賞を制し、エリザベス女王杯3着の成績を収めている。そのディアデラマドレの一番クラヴェルも、エリザベス女王3着に加え、その前走新潟記念・前々走中京記念(共にGIII)で3レース連続3着という記録を達成した。も孫も、彼女遺伝子をしっかりと引き継いでいるようである。 

余談ではあるが、彼女産駒はディアデラバンデラ、ディアデラマドレ、ディアデルレイと「ディア○○」という名前がずっとつけられており、大坪さんが「勘弁して下さい」と言いそうな名前ばかりだったが、四番が「サンマティン」と名付けられたため、その法則性は崩れた。よかったね、大坪さん!ただし、大坪さんはこのも「サンマテン」と呼びかねないところが非常に怖いところである。 

2021年7月16日をもって繁殖牝馬引退ノーザンファームで功労として余生を送ったが、2023年4月10日に世を去った。

ちなみに彼女兄弟子供はほぼアルゼンチンにちなんだ名前になっているので、興味のある方は調べてみよう! 

血統表

*サンデーサイレンス
1986 青鹿毛
Halo
1969 黒鹿毛
Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Cosmah Cosmic Bomb
Almahmoud
Wishing Well
1975 鹿毛
Understanding Promised Land
Pretty Ways
Mountain Flower Montparnasse
Edelweiss
*ポトリザリス
1995 栗毛
FNo.2-u
Potrillazo
1982 鹿毛
Ahmad Good Manners
Azyade
Azalee Tripical Sun
Akinos
Chaldee
1980 鹿毛
Banner Sport Raise a Native
La Douphine
Gever Right od Way
Zaris

クロスアウトブリード

産駒成績

特に記載がない場合、中央のみの成績。

関連動画

関連項目

脚注

  1. *2022年11月13日現在産駒JRA重賞勝利数はサンデーサイレンス(1986年産)311勝、ディープインパクト(2002年産)280勝、キングカメハメハ(2001年産)133勝、ステイゴールド(1994年産)116勝、ヒンドスタン(1946年産)113勝(全て地方海外は除く)
この記事を編集する

掲示板

おすすめトレンド

ニコニ広告で宣伝された記事

記事と一緒に動画もおすすめ!
もっと見る

急上昇ワード改

最終更新:2024/04/28(日) 01:00

ほめられた記事

最終更新:2024/04/28(日) 01:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。

TOP