グランシュヴァリエ(Grand Chevalier)とは高知競馬場所属の元競走馬であり、高知総大将である。
2000年代の地方競馬の業績不振、高知競馬場も例に漏れず存続の危機に陥っていた。そんな高知競馬場の一発逆転のキーマンならぬキーホースだったことで有名。高知競馬場の関係者、競走馬の未来を背負い、各地方競馬場存続をかけた激動の2000年代、「高知所属」という肩書を掲げて全国を行脚した。
芦毛の怪物のようなサクセスストーリーはなく、東北の英雄のように中央でGIを勝ったわけでもなく、獲得賞金は日本総大将の1/10にも満たず、知名度はさらに少ない。しかし、たしかに、間違いなくこの馬は高知総大将だった。
主な勝ち鞍
2012年:ファイナルグランプリ(地方重賞)、高知県知事賞(地方重賞)
2013年:二十四万石賞(地方重賞)、高知県知事賞(地方重賞)
父タヤスツヨシは日本最大種牡馬サンデーサイレンス産駒で初めて日本ダービーを勝った馬。母ラストキッスは中央で1勝クラスだった馬。母父にマルゼンスキーを持つ血統。近親に活躍馬はほぼ無く、4代母ホースマメールの半姉ホースジョーの仔にダービー馬オペックホースがいる程度。
獲得賞金は中央で4105万地方で3663万、主な勝ち鞍は3歳500万下(1勝クラス)。と、これだけ書けばどこにでもいそうな競走馬。「中央で2,3勝したけど頭打ちになって、10歳ぐらいまで地方競馬で走ってたんでしょう?」はい、奥さん。その通りです。
例えば良血馬であったり、初めから期待されGIを勝利した馬であれば「デビュー前から好タイム連発してました」とか、「牧場にいる時から気が強くボス的な存在でした」とか、非凡なエピソードが最初に書かれるのかもしれない。調べてみたが、残念ながらグランシュヴァリエにはそのような情報はなかった。
デビューは東京ダートのマイル戦、鞍上は蛯名正義だった。1番人気に外国産馬が推されて、グランシュヴァリエは3番人気とまずまず。調教助手から「しっかり稽古したので楽しみ」と言われていた。デビュー前の情報としてはこれぐらいである。ちなみに先行して楽々抜け出しデビュー戦は勝利で飾った。
その後3歳500万下を3戦し6着2着1着とクリア。順調に1000万下まで来るもののここで足踏み。5戦して掲示板を確保するも勝ちきれず、ほぼ1年間の休養に入る。なぜ休養に入ったか?情報がないです。
当時は夏競馬に入る際、4歳馬は獲得賞金が半額になるという降級制度があった。グランシュヴァリエは再び500万下を走ることとなり、2戦目にて勝利。中央3勝目、これがグランシュヴァリエの中央最後の勝利となった。
1000万下を4着し、まだ上のクラスは狙えそうだなーと思っていた次のレース、15頭中15位、しんがり負けを喫してしまう。グランシュヴァリエは屈腱炎を発症してしまったのだ。
屈腱炎…それは競走馬のガンと言われ、長期離脱必須な上に完治はほぼ不可能。かつて数多くの名馬たちを引退に追いやった怪我に条件馬であるグランシュヴァリエは見舞われてしまったのだ。
もしも、実績のある馬であればそのまま引退し種牡馬になるだろう。そこまで行かなくともグレード競走に出走できる強い馬であれば、屈腱炎と付き合いながらレースに出る方法が模索されるだろう。しかし、グランシュヴァリエはただの条件馬だった。実績が無く、怪我持ちの馬に中央の馬房は無い。グランシュヴァリエは無念の中央登録抹消となった。
2000年代から2010年代前半にかけて、地方競馬の業績は大幅に落ち込んだ。おそらくインターネットの普及による娯楽の多様化の影響である。数ある地方競馬場が少しずつ廃止となりつつあった。競馬場関係者は職を追われ、廃用となった競走馬の行く先は…言わなくてもわかるだろう。
高知競馬場は当時「馬の流刑地」とも呼ばれていた。地方競馬の最下級ですら勝てない馬達が最後に流れ着く場所、高知競馬場とはそのような立ち位置だったのである。実際年々高知競馬場の馬質は落ちてきていて、それに合わせて業績も落ちていた。経費節減のために賞金額、出走額も極限まで切り詰めており、レースの魅力も落ち込んでいた。
かつてハルウララで得た資金は底が見え始め、赤字になれば即廃止という条件下でなんとかやりくりしていた。関係者達は悪循環を打開しようと残り少ない資金を投じてナイター設備を導入したり、イベントを開催するなどあれこれ努力をするものの、集まる馬は弱い馬ばかり。競馬を彩るのは強い馬である。強い馬が強い馬と戦い、そこでドラマが生まれるのである。
折しも馬券購入がネットで行えるようになりつつあり、これを積極的に整備することで売上の上昇基調は見られていた。ナイター開催にも手応えがあった。粘り強く広報活動を続けていけばきっと復調することができる。しかしもう後がない高知競馬にとってはその時間が残されていなかった。
せめて強い馬が移籍して来てくれれば…誰もがそう思っていた。
高地は生き残るために、高知を背負って立つ力のある馬を必要としていたのである。
グランシュヴァリエは高知の雑賀正光厩舎に移籍した。雑賀調教師は、かつて和歌山県の紀三井寺競馬場でリーディング調教師となり、高知への移籍後も同地で高い勝率を誇る地方の名伯楽であった。また、雑賀厩舎は集まる馬質の関係から、老いた馬や故障した馬を復帰させるリハビリ技術にも長けたスタッフが集まっていた。
雑賀師もまた高知競馬を何とか盛り立てようと、自分の担当する馬を積極的に遠征に出して高地に活気を呼び込もうとしていた。ケイエスゴーウェイがクラスターカップ(GIII)で5着に入るなどの成果を上げていたが、いかんせん他競馬場との地力の差は大きく、苦戦が続いていた。
そこにグランシュヴァリエが移籍してきたのだ。「中央で3勝」の戦績は、当時の高知競馬場に移籍してくる馬としては破格の実績だった。しかも衰えている訳でも、長年負け続けていた訳でもない。移籍3走前は勝っているのである。まだ上がり目だった、まだ走れる、ただ屈腱炎となったから中央を追われた……だけの馬なのである。
前述通り、屈腱炎は付き合いながら走ることができる。リハビリと調整さえ上手くいけば活躍できるのである。この馬はまだ走れる、走ろうとしている…雑賀厩舎は入念なリハビリと調整でグランシュヴァリエを復帰させていった。
移籍初戦は川崎競馬場で行われるダート2100m戦「報知オールスターカップ」となった。鞍上は高知のトップジョッキー・赤岡修次だった。
この競走、地方競馬ファンならば誰でも知っている地方全国交流競走、年明け一発目のビッグレースなのだ。各地方競馬代表と地方の実力トップである南関東競馬場のガチンコレース。上位人気勢は地方だけで億を稼ぐ強豪馬揃い。そんななかグランシュヴァリエは8番人気となった。
それもそのはずである。グランシュヴァリエは3ヶ月の休養明け、しかも中央でそこそこ走れていたにも関わらずあの「高知競馬場」に移籍している。「高知競馬所属の馬が南関東馬に勝てるわけがない」「高知に移籍したということはそれだけ復帰困難な怪我をしているに違いない」「どうせ思い出出走だろう」そんな評価だったのである。しかしここで地方競馬ファンをあっと言わせる結果を残すのである。
4番手追走となったグランシュヴァリエは第3コーナーを回ると先頭へ、最後の直線を先頭で迎えたグランシュヴァリエはゴール手前で3番人気マズルブラストに差され半馬身差の2着となった。「2着はグランシュヴァリエ高知代表!これも頑張りました!」まさか高知馬が馬券内に、しかも勝ち馬から0.1秒差という結果を残した。
関係者たちは一筋の光明を見た。彼がいれば、なんとかできるかもしれない。
結果を残したグランシュヴァリエは高知競馬場へ戻り、地元のレースに出走。2戦連続単勝オッズ1.2倍という圧倒的人気で支持され、これを圧勝。高知唯一のグレード競走「黒船賞」では11着と惨敗に終わったものの、ここからグランシュヴァリエの全国行脚が始まった。
8/12ブリーダーズゴールドカップ GII 門別競馬場(北海道)
これだけでまだ半年たっていないのである。「高知競馬場代表のグランシュヴァリエ」は積極的に遠征を行い、体調を崩すことなく出走を続けたのである。競馬場で配布される出馬表には「グランシュヴァリエ【高知】」の表記、実況では「高知代表グランシュヴァリエ」と何度も呼ばれた。結果、「高知のグランシュヴァリエ」は知名度を徐々に上げていったのであった。
迎えた2010年10月11日、日本最高峰の地方グレード競走GI「マイルチャンピオンシップ南部杯」にグランシュヴァリエは出走した。
地方グレード競走とは中央と地方のガチンコ勝負であり、地方に遠征してくる中央馬を地方馬が迎え撃つという形となる。しかし実際のところ、圧倒的な中央馬の実力に地方馬は太刀打ちできず、スタートしてから追走だけで精一杯となるケースが多い。大体第3コーナーを過ぎると中央馬が前で集団を作り、大きく離れて後ろに地方の馬群が…となる。そして、今年の南部杯も同じことが予想されていた。
さらにこの時代、中央のダート界にはスターホースがひしめき合い、黄金期とまで称されるほどであった。そしてそのダートスターホースの最先鋒・エスポワールシチーが南部杯に出走してきたのだ。アメリカ遠征を控えるエスポワールシチーは単勝オッズ1.0倍。さらには出走した中央馬6頭が1から6番人気に居座る始末であり、上位はさながら中央の重賞レースの様相であった。その中でグランシュヴァリエは12頭中11番人気と全く注目されていなかった。
誰もが思った、スタートしてから中央馬6頭が先団をつくり、地方馬は離されて着いていくのがやっとだろう。そして1から6着まで中央馬だろうと。エスポワールシチーから5頭流せば馬券は確実だろうと。
ゲートが開いた。ほれ見たことか、先団は予想通り6頭…あれ?7頭いる。
「このグループにはグランシュヴァリエも加わりました!」
へ〜この高知の馬、行き足はつくんだなぁ、でも大外回らさせられてるし、垂れるのも時間の問題だろう…
「外から上がっていった6番グランシュヴァリエが上がります!」
あれ?すごい良い手応えで大外から伸びてくる馬がいる。グランシュヴァリエって中央馬だっけ?
おそらく誰もが目を疑っただろう、雑賀師も信じられなかったと言っていた。先団に取りついたグランシュヴァリエが大外をぶん回す大ロスをしながらも、中央馬4頭を蹴り落とし、先頭を走るオーロマイスターとエスポワールシチーに食らいついたのだ。
騎手が早かったか、馬が早かったか。4コーナーの出口、グランシュヴァリエは勝負どころで、騎手の合図とほぼ同時に自らの意思でスパートを掛け始めた。
「今度はグランシュヴァリエか!?」
一瞬は先頭に立つグランシュヴァリエ、しかし最内ロスなく回ったオーロマイスターとエスポワールシチーはグランシュヴァリエを差し返し、中央馬としての意地を見せつけた。
「1着オーロマイスター2着エスポワールシチー、そして高知のグランシュヴァリエ続いています!」
誰もが思った
「エスポワールシチー負けるのかよ!」
「グランシュヴァリエなんて買ってねーよ!!」
それもそのはず、グランシュヴァリエの単勝オッズは636.3倍。これは「二度あることはサンドピアリス」で有名な20番人気でエリザベス女王杯を勝ったサンドピアリスの単勝オッズ430.6倍よりも遥かに高いのである。2勝しかしていない馬がGIを勝つことよりも期待されていなかったのだ。
1:35.6という当時のコースレコードが生まれたハードなレースにおいて、GIを勝つ馬たちの中で馬券に絡んでのけたのである。[1]
その後も高知所属を掲げて全国を飛び回るグランシュヴァリエ。南は佐賀県、北は北海道まで地方競馬場を走り続けた。高知に移籍後の初戦は2010年1月、そこから2015年9月の最終出走に至るまで61戦、屈腱炎持ちとは思えない多さであり関係者の努力が垣間見えるなぁと思う。
しかも「思い出出走」なんてものではなく、全てで勝ちを狙いに行っていた。2011年JBCクラシックGIでは8番人気ながら4着、2013年浦和記念GIIでは10番人気ながら4着と、最終的にはグレード競走に勝てなかったものの数回掲示板を確保し賞金を得ている。
レベルの高い競走に出走し続けていた為長らく無冠だったが、2012年福山競馬場の重賞ファイナルグランプリダート1800mで圧勝し重賞勝利馬の仲間入りを果たすと、地元では高知県知事賞ダート2400m(高知で最も位の高い競走)を連覇し高知総大将の実力を地元で見せつけた。他にも園田FCスプリントダート820mにも出走しており、場所も、距離も問わず走り続けたのである。
グランシュヴァリエが活躍するとともに年々業績を回復していった高知競馬場。どん底だった2008年の売り上げを2015年には約5倍にまで伸ばすに至っている。
高知の売り上げが復活する中、グランシュヴァリエはとうとう限界を迎えた。2015年、10歳となったグランシュヴァリエは長期休養明けに地元のレースに出走するも2着だった。その後の地元の重賞では8着、再び休養に入った。5ヶ月の休養明けは3着。
4~5歳がピークと言われる競走馬で、10歳である。衰えが見えてもおかしくない、むしろ4歳で引退寸前だったグランシュヴァリエはよく10歳まで頑張った。
それは同時に、衰えたグランシュヴァリエでは勝つのが難しくなるほどに高知のレベルが高まっていたことを意味した。賞金が増額し、馬のリハビリ技術の蓄積が評価され故障した馬の預託が増え、より質のいい馬の所属が増えていった。2015年には長く行われなかった新馬戦が復活し、新しい世代が競馬場の主役を担っていく循環が出来上がっていった。
グランシュヴァリエの奮闘は確実に、高知競馬そのもののレベルを向上させていたのである。
2015年10月31日、高知競馬場でグランシュヴァリエ号の引退セレモニーが行われた。高知を支えたグランシュヴァリエは、最後に地元ファンに支えられながら静かにダートを去った。
通算成績は74戦17勝、怪我に負けずよく走ったと思う。
その功績から個人所有の種牡馬として登録された。1,2年で用途変更となった為産駒はかなり少ないが、その少ない産駒の内のリワードアヴァロンが「高知優駿(高知競馬場版日本ダービー)」の勝ち馬になるという奇跡のような出来事をやってのけた。文章にするとどうしても簡単に見えてしまうが、本当に奇跡のようなことなのである。
現在は乗馬としてご存命(2022年7月現在)、気性はやや強めで上級者向けとのこと。これからも高知を見守っていて欲しい。
高知競馬場は経営の危機を脱した。業績はV字回復を果たし、今や経営方針は攻めに転じている。2021年3月16日の黒船賞ではついに、武豊がハルウララに騎乗した際のレース単独の売得金記録を17年ぶりに塗り替える快挙を達成し、高知競馬が新たな船出を迎えたことを象徴した。
それは高知競馬場関係者の類い稀なる努力の結果であろうが、高知競馬場所属を掲げ全国を行脚したグランシュヴァリエも当然復活の立役者として語られる。
圧倒的な成績を収めている訳でも、獲得賞金が高い訳でもない。しかしこの馬は確かに高知総大将として皆に愛された。高知競馬場に長年携わる実況担当アナ・橋口浩二は、レース前に競走馬の紹介やレースの歴史などを取り入れた前説を行うことで知られている。グランシュヴァリエ産駒が走る時や、グランシュヴァリエの勝ったレースや功績を語る時、どこか嬉しそうに語っている気がする。
おそらくそれが、高知競馬場を愛する人々の総意なのかもしれない。
タヤスツヨシ 1992 黒鹿毛 |
*サンデーサイレンス 1986 青鹿毛 |
Halo | Hail to Reason |
Cosmah | |||
Wishing Well | Understanding | ||
Mountain Flower | |||
*マガロ 1980 黒鹿毛 |
Caro | *フォルティノ | |
Chambord | |||
Magic | Buckpasser | ||
Aspidistra | |||
ラストキッス 1990 鹿毛 FNo.16-g |
マルゼンスキー 1974 鹿毛 |
Nijinsky II | Northern Dancer |
Flaming Page | |||
*シル | Buckpasser | ||
Quill | |||
ユーワエアメール 1982 黒鹿毛 |
*ダイアトム | Sicambre | |
Dictaway | |||
ブラットメール | *ナディア | ||
ホースマメール | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Buckpasser 4×4(12.50%)
掲示板
26 ななしのよっしん
2023/01/19(木) 20:10:09 ID: B8MSYsqP8m
ちょっと泣けてきた
27 ななしのよっしん
2023/03/11(土) 19:52:24 ID: F54OKnGDc6
イブキライズアップ、ハルウララ、そしてグランシュヴァリエと高知競馬場に奇跡を起こした名馬達だけど
同時に地方競馬廃止の流れに抗って最後まで諦めなかった高知競馬場関係者の努力があったから掴めた奇跡なんだろうな。
28 ななしのよっしん
2023/11/21(火) 16:04:58 ID: k/Iz/680NJ
グランシュヴァリエが繋いだバトンは巡り巡ってユメノホノオへ…
いよいよ遂に高知から単純に強さだけで引っ張る究極の高知総大将が生まれるかもしれない…
急上昇ワード改
最終更新:2024/11/16(土) 18:00
最終更新:2024/11/16(土) 18:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。