笑福亭鶴瓶とは、関西並びに日本お笑い界を代表するお笑い芸人の一人である。同時に、すでにベテラン・重鎮のポジションに居るにもかかわらず、若手芸人も真っ青の暴走をやってのけるパンクな芸人魂を持った猛獣でもある。所属事務所はデンナーシステムズ。(松竹芸能にも籍を残している。ちなみにデンナーシステムズ自体が、元松竹芸能社員で鶴瓶の元チーフマネージャーが設立した芸能事務所である。)
経歴
1951年、現在の大阪府大阪市平野区長吉に生まれる。本名・駿河学。
中学校の頃落語に熱中、落語家になる夢を持つ。その後京都産業大学で落語研究会に在籍しつつも、後にプロデビューするコミックフォークグループ「あのねのね」のメンバーとして活動していた。パートはバックダンサー(自称)。歌に合わせて適当に後ろで踊っていたらしい。
この時に一緒にメンバーとして在籍していた女性と後に結婚することとなる。
またこの経歴からか、鶴瓶はこの時期のフォークソングに非常に造詣が深く、ミュージシャンの知り合いも多い。
二人の間に生まれた息子の駿河太郎は子供時代に後述の「パペポTV」で「ハワイの海へ流されかけた」「鏡の後ろへ隠れて鏡台が勝手に傾くといういたずらをされた」などネタにされていたが、後にロックミュージシャンとなり、30歳を機に俳優に転向。NHKの朝ドラ「カーネーション」で物語の前半の鍵となる、ヒロインの夫役を演じたほか、大河ドラマへの出演や、2013年に大ヒットしたドラマ「半沢直樹」第2部のキーパーソンの1人を演じるなど、徐々に活躍の場を広げている。
1972年に笑福亭松鶴(六代目)一門に入門。大学も中退し、お笑いの道に入る。
しかし、師匠は当初から鶴瓶に落語家としてよりもお笑いタレントとしての素質を見抜き、ほとんど落語の稽古をつけなかったという。
この頃は巨大なアフロヘアーにオーバーオールという出で立ちで、一目見ただけで忘れることができなくなるほどのインパクトのある風貌をしていた。現在でも自身の出演する「きらきらアフロ」という番組名に名残が残る(「きらきら」は番組もう1人のホストである松嶋尚美)。
芸歴数年の駆け出しの若手時代からテレビやラジオで活躍。
ラジオパーソナリティとしては「ミッドナイト東海」(東海ラジオ)、「MBSヤングタウン」(MBSラジオ)、「鶴瓶・新野のぬかるみの世界」(ラジオ大阪)などで人気を博した。
テレビでも関西の番組はもちろんのこと、徐々にではあるが関東の番組にも出演するようになる。
だが、そんな折に「独占!男の時間」(東京12チャンネル、現:テレビ東京)という生放送深夜番組で自分の男性器を露出してカメラに押し付けるなど、前代未聞の暴挙を行う。これがきっかけでテレ東無期限出入り禁止(現在は解除)となり、関東の他局でも「生放送で何をしでかすかわからない男」として知れ渡ってしまい、東京から撤退をせざるを得ない状況になる。
大阪・名古屋での活動中心に一度は戻ったものの、再びチャンスが巡ってくる。
1982年、「突然ガバチョ!」(毎日放送)という関西ローカルのバラエティ番組が始まる。「テレビにらめっこ」などヒット企画が生まれ、この番組の司会者であった鶴瓶が再び脚光を浴びることとなる。
翌1983年には、あのNHKが「YOU」という若者向け番組の大阪製作版の司会に起用し、関東でも徐々にその顔を見る機会が増え始める。この機に乗じて、東京のテレビ番組にも数々出演や司会で登場するようになる。
だが、なかなかヒット番組が生まれず打ち切りの連続で、「東京進出は再び失敗か?」と囁かれた。
それを救ったのがビートたけしやタモリといったほぼ同世代の大物たちである。
たけしは「こんな逸材を関西に帰らせてはいけない」と言って業界関係者を説得。タモリも、鶴瓶が1987年からレギュラー出演している「笑っていいとも!」(フジテレビ)の降板を自ら申し出た時もなんとか慰留させ続けて2014年の番組終了まで出演させた。その恩義と敬意を感じてか、たけしに対しては同期であるにもかかわらず「たけし兄さん」と呼んで慕っており、タモリに対しても芸歴は鶴瓶の方が長いが「年上だし(狭義の意味の)芸人じゃないから(タモリの方が)目上だ」というというスタンスで接している。
(「笑っていいとも!」終了の発表のきっかけを鶴瓶に出してもらえるようタモリが自ら依頼したり、逆に鶴瓶も「いいとも」終了を決断したフジテレビに対して嫌味のこもった批判を生放送の番組終了特番でしたりと、鶴瓶とタモリには相当の信頼関係があるのが窺える)
タモリとは「いいとも」の他、NHKで冠番組(「鶴瓶の家族に乾杯」と「ブラタモリ」)を持っていることもあり、近年ではそちらでの共演も多い。
ここでさらに鶴瓶の人気を決定付けるテレビ番組が関西ローカルから始まる。
1987年、「鶴瓶上岡パペポTV」(読売テレビ)がスタート。同じく関東ではそこまで評価されていなかった上岡龍太郎と二人のみでダラダラ雑談するだけのこの番組だが、そのトークの絶妙さから徐々に他地域でも放送される人気番組となっていく。1988年秋、関東でちょうど同時期から始まったテレビ放送の24時間化の波に乗って放送が始まり、それまであまり認知されていなかった鶴瓶のトークの面白さが評価されるようになる。
この頃からようやく関東発の全国ネット番組にも多く出演するようになり、現在まで続く人気を定着させた。
お笑い芸人としての活動の傍ら、数々のテレビドラマや映画にも出演し俳優としても活躍している他、2000年代以降は落語家としての活動を再び活発化させている。
悪瓶
若手時代から現在に至るまで、時には非常に常識外れのアナーキーな言動を見せることで知られる。
特に、酒を飲ませて泥酔させたり、番組スタッフや上層部に憤りを感じさせると、「悪瓶」(ナインティナイン命名)モードに変身し、数々の事件を起こした。
生放送で男性器と肛門露出、テレビ東京に26年間出入り禁止
1975年、「独占!男の時間」(東京12チャンネル、現:テレビ東京)の生放送で突如男性器を露出しカメラに押し付けるという事件を起こす。
鶴瓶本人の話によると、当時の鶴瓶のような若手お笑い芸人には横柄な態度を取る反面、大物には媚びへつらう番組ディレクター(当時)の態度が許せなかったのが、暴挙に出た理由らしい。ディレクターから何を言われたのかは長らく不明であったが、2015年5月にNHKの「あさイチ」出演時に「『(山城)新伍さんから言われたから、お前を使ったんだよ』という一言にカチンと来た」と、初めて当事者である鶴瓶からその真相が明かされた。バスタオルを巻いた姿の女性かと思いきや鶴瓶だった、というオチの映像を、カメラを下から上へパンして映すという演出の際、ディレクターから「バスタオルの下にブリーフを履いてもらわないと困るよ」と言われたので、そこで「ディレクターを困らせてやろう」と思い、ブリーフを履かずにスタンバイし、前述の暴挙に出たのである。
なんとか番組司会の山城新伍の計らいで2年後に放送された最終回にも出演したが、ここでも生放送で肛門をカメラに見せつけた。
その後のさらに悪乗りし、当時のテレ東局内にあった池に飛び込み大暴れ。その勢いで、当時の同局社長が可愛がっていた錦鯉(時価数百万円相当)を踏み、池の噴水に頭から突き刺す形で殺してしまった。
一度恩赦を出したのにもかかわらず再び暴走した鶴瓶に、鯉を殺された社長も激怒するなど大問題となり、結局鶴瓶はテレビ東京から無期限出入り禁止処分を喰らう。
2003年、「きらきらアフロ」(テレビ大阪)の東京収録でこの処分が26年ぶりに解除され、ようやくテレビ東京に足を踏み入れるのを許された。余談ではあるが、その後「きらきらアフロ」は松嶋出産のため2011年末に休止した後、2012年4月からはテレビ東京制作の番組として再開されているため、35年ぶりにテレビ東京制作の番組にレギュラー出演することとなった。
この時、事件当時に「男の時間」の番組ADとして鶴瓶を羽交い絞めして止めた人物と再会したそうだが、現在ではかなり上層部の幹部にまで出世していた。その後2012年に放送された「きらきらアフロ」の再開第一回目において共演を果たしている。ちなみにこの当時ADだったこの人物は更に出世し、現在テレビ東京の関係会社の社長を務めている。
2014年3月に放送されたテレビ東京開局50周年記念番組でこの事件を検証した再現ドラマも作られるほど有名な出来事となった現在では「伝説」として広く知られている。
生放送で男性器露出(未遂)
ちなみに鶴瓶はテレビ東京での凶行とほぼ同じ同時期に、日本テレビでも男性器露出事件を起こしている。
金曜夜の生放送バラエティ番組「金曜10時!うわさのチャンネル!!」にあのねのねと共にレギュラー出演していた当時、歌のコーナーで山口百恵が歌を歌っている最中に、何を思ったのか突然ズボンを下ろし男性器を露出。鶴瓶の陰茎が目に飛び込んできた山口百恵は、歌っている最中に絶叫した。
事態を重く見た日本テレビは、テレビ東京と同様鶴瓶を出入り禁止処分とするが、幸いにもこのときは日本テレビのスタッフが機転を利かせたおかげで鶴瓶の開チンが全国の茶の間に流れる事態を間一髪で回避していたこともあって、結局数年後には出入り禁止処分が解かれている。
なお、このときは鶴瓶の陰茎がテレビ画面に映らなかったために便宜上「露出(未遂)」と表題に書いているが、実際には露出していたため、本当は「未遂」ではなく露出しちゃっていたのである。現場では。
「うわさのチャンネル!!」のレギュラー出演はこの事件のために降板を余儀なくされるだけでなく、仲間のあのねのねも鶴瓶の巻き添えを食らってレギュラー出演を降板させられた。とんだとばっちりである。
生放送で泥酔し、丹波哲郎邸で脱糞未遂
1997年、「27時間チャレンジテレビ」(テレビ朝日)の企画の一環で結成されたブリーフ4(ビートたけし、今田耕司、東野幸治と共に白ブリーフ一丁でロケを行う)で、深夜の丹波哲郎邸に訪問し丹波の私物の骨董品をおもちゃにしてゲームコーナーを行うという企画が生放送で行われた。
これに先駆けて4人は都内の寿司屋で飲酒しており、鶴瓶は「悪瓶」になってしまっていた・・・
丹波邸訪問前から、近所のお宅の奥さんを口説こうとしたり、真夜中の高級住宅街で奇声を挙げて歌うなど、他の3人と比べ明らかに言動がおかしい鶴瓶。嫌な予感は的中する。
番組の進行を無視して鶴瓶は「たーんばさーん、パーンパン♪」と歌い踊り、突如丹波邸のリビングで脱糞しようとし、他の3人やスタッフから本気で阻止されるという強烈な行動を行い、日本中を震撼、そして爆笑させた。
なお、後日談で東野幸治が「このとき咄嗟に鶴瓶の尻の下に両手を伸ばし、鶴瓶のうんこを受け止めた」と言っており、本当は「未遂」ではなく脱糞しちゃっていたのである。現場では。
生放送で男性器露出(2回目)
2003年、「27時間テレビ」(フジテレビ)の企画で長崎県松浦市の飛島から中継ロケを行った。
前年2002年に泥酔して半ケツを晒して、スタジオの明石家さんまが若手時代に京都に居た恋人と駆け落ちしようとした話を突如暴露するなど暴走したため、「今年は酒を飲まない」と宣言するも早速飲酒。完全に出来上がった「悪瓶」は大事件を起こす・・・
深夜の中継で、ココリコが酒で潰れた鶴瓶を起き上がらせようとしたのだが、鶴瓶はなぜか薄手の布団の下にパンツを半分ずり下ろした状態で寝ていたため、起き上がって布団がめくれた瞬間、全国ネットの生放送で男性器が露出してしまった。
カメラマンやココリコが映らないようにすぐ動き、放送もすぐにCMが流れたが、はっきりと男性器を映し出してしまった。
翌日のスポーツ新聞では「鶴瓶開チン」の見出しが躍ったのは言うまでもない。
無期限出入り禁止処分を出したテレビ東京と違い、スタッフ・出演者側も煽ったということでフジテレビはこのような処置は行わなかった。
この件に関して鶴瓶は後日談で泥酔して記憶になかったことや、鶴瓶が出演するロケの中継時間が2年連続で予定より2時間以上も時間が押したため、腹立ちまぎれに深酒をしていたことなどが明かされている。
…どうやら鶴瓶を怒らせてはいけないようだ(いろんな意味で)。
しかしそんな鶴瓶も、いまや二人の孫が居るおじいちゃん。この先、このような暴挙に出る可能性は低いと思われるが…
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