サダムパテックとは、2008年生まれの日本の競走馬である。
馬名の由来は、冠名+スイスの時計名(パテック・フィリップ)より。
主な勝ち鞍
2010年:東京スポーツ杯2歳ステークス(GIII)
2011年:弥生賞(GII)
2012年:マイルチャンピオンシップ(GI)、京王杯スプリングカップ(GII)
2014年:中京記念(GIII)
概要
西園厩舎の一等星
父フジキセキ、母サマーナイトシティ、母父*エリシオと言う血統。
父フジキセキは4戦4勝と真価がわからないまま引退した馬。母サマーナイトシティは中央で24戦3勝。母父*エリシオは凱旋門賞などGI5勝を挙げた名馬だが、日本での種牡馬成績はG1馬を出せず成功とはいいがたい結果だった。
デビュー戦こそ2着に終わったものの、続く未勝利戦ではクリストフ・スミヨンを背に勝利。
さらに、続く東京スポーツ杯2歳ステークスでは後方に3馬身半の差をつけて連勝を飾りし、この勝利で翌年のクラシック有力候補となった。
また、所属している西園正都厩舎のメンコである、『水色に赤い星』のメンコ同様、この世代の一等星に輝く未来が続いていた……はずだった。
雌伏の日々
しかし、続くGI朝日杯フューチュリティステークスでは1番人気に推されていたが、スタートでの出遅れなどが響き、グランプリボスの4着に敗れることとなる。
翌2011年は弥生賞から始動。
このレースから岩田康誠に乗り替わったが、プレイにクビ差まで追いつめられたものの1番人気にこたえ、見事に勝利し皐月賞に向けて弾みをつけた。
(なお、このレースにはウインバリアシオンも出走しており7着に敗れている。)
この勝利までは「世代で1番強い」と言われていたのである。
そう、あの馬が出てくるまでは……。
その後、東日本大震災の影響で東京競馬場に舞台が移った皐月賞に出走したのだが、このレースに『あの』金色の暴君・オルフェーヴルがいたのである。
弥生賞の走りを買われて1番人気に推されており中団から伸びた……のだが、先に直線で一気に伸びたオルフェーヴルに3馬身差をつけられ2着に敗退。
さらに、ダービーでも不良馬場に泣いたか直線で伸びあぐねて7着に敗れ、初めて掲示板をはずすこととなる。
秋もクラシックタイトルを目指し、セントライト記念から始動するがオルフェと同じステマ配合のフェイトフルウォーの3着に敗れてしまう。
そのごクラシック3冠の最後のレースである菊花賞も出走し直線も前で粘っていたものの、最後はオルフェーヴルの5着と敗れてしまい、クラシックタイトルに届くことはなかった。
クラシック終了後は、マイルから中距離路線に矛先を向けたものの、なかなか勝利の美酒を味わうことはできなかった。
それでも、京王杯スプリングカップでグレイグ・ウィリアムズを背に1年2か月ぶりの勝利を挙げると、安田記念では混戦ながらも1番人気に推された。
しかし、レースは直線で失速し、9着と敗れるなど、雌伏の日々を送り続けることとなった。
武豊との出会い、そして初のGIタイトル
そんな中、秋の初戦に選んだ天皇賞(秋)で武豊が騎乗することとなる。
しかし、天皇賞(秋)は、いいところがないままエイシンフラッシュの8着と敗れた。
そして、迎えたマイルチャンピオンシップ。
レースは、天皇賞(秋)でも逃げた同じ西園厩舎のシルポートが引っ張る中、6番手を追走していた。
最後の直線では、武豊が先行していた馬が接触し空いたスペースにサダムパテックを飛びこませ、インからそのまま一気に脚を伸ばすと、後方から追い上げたグランプリボス・ドナウブルーなどを抑え、GI初制覇のゴールに飛び込んだ。
この勝利が武豊にとっては初のマイルチャンピオンシップ制覇であり、2年ぶりの中央競馬GI制覇。
また、馬主である大西定氏にとってもGI初制覇となった。
レース後のインタビューで、武豊騎手は「お久しぶりです!」とファンにあいさつをし、西園調教師は「武豊で勝ったことが競馬サークルでは大きなこと。彼は競馬界の宝ですからね」と語り、さらに大西氏は「武豊騎手や西園調教師など、いい人に恵まれてGIを取ることができた」と、それぞれの言葉で喜びを語った。
レース後に、西園調教師は香港マイルに向かうことを明言した。
香港マイルでは直線で混戦となったが、香港の年度代表馬Ambitious Dragonに大外から差し切られ、サダムパテックは6着に敗れた。
その後
2013年は京王杯SCから始動したが7着、安田記念では世界の龍王ロードカナロアに足もでるまでもなく13着に惨敗した。
秋のスワンSでは3着と好走したが、マイルCSでは7着、年末の阪神Cでは8着とそこそこのレースをしながらも入着できない状態が続いた。
年が明けてからAJCCで11着のあと中山記念7着、安田記念7着とまたも入着できないレースが続いた。
7月の中京記念、サダムパテックはトップハンデの58kgを背負い出走した。やや後方からの競馬になったが、直線で大外から一気に追い込み、約1年半の勝利となった。
しかしこれ以降は京王杯AHで8着となり、そのあと3連続で2桁着順となり引退することとなった。
2015年から優駿スタリオンステーションで供用されていたが翌年2016年には韓国で種牡馬生活を送ることになった。
日本では残された産駒のうち8頭がデビューし合計地方1勝しかできない状態だが日本海の向こうで巻き返しはあるだろうか。
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https://twitter.com/gasgasoline/status/1573531618710462464
血統表
フジキセキ 1992 青鹿毛 |
*サンデーサイレンス 1986 青鹿毛 |
Halo | Hail to Reason |
Cosmah | |||
Wishing Well | Understanding | ||
Mountain Flower | |||
*ミルレーサー 1983 鹿毛 |
Le Fabuleux | Wild Risk | |
Anguar | |||
Marston's Mill | In Reality | ||
Millicent | |||
サマーナイトシティ 1999 鹿毛 FNo.9-h |
*エリシオ 1993 鹿毛 |
Fairy King | Northern Dancer |
Fairy Bridge | |||
Helice | Slewpy | ||
Hirondelle | |||
*ダイアモンドシティ 1988 鹿毛 |
Mr. Prospector | Raise a Native | |
Gold Digger | |||
Honey's Flag | Hoist the Flag | ||
Cathy Honey | |||
競走馬の4代血統表 |
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関連項目
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