レアル・ソシエダ(Real Sociedad de Fútbol)とは、スペイン・ラ・リーガに所属するサッカークラブである。
本拠地はバスク州ギプスコア県サン・セバスティアン。愛称はラ・レアル。ホームスタジアムはエスタディオ・アノエタ。
概要
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1909年に創設された、アスレティック・ビルバオと並ぶバスク地方を代表するクラブである。1980年代初頭に黄金期を迎えており、この頃にプリメーラ・ディビシオン連覇を果たしている。コパ・デルレイでは3回優勝している。近年は欧州のカップ戦出場を目標とする上位チームとして定着している。
「レアル」の冠が付いていることから分かる通り、スペイン王室公認のクラブであり、エンブレムには王冠が付いている。チームは“ラ・レアル”の名をひとつのブランドとして世界に広めることに力を入れている。ちなみに日本では「レアル」といえばレアル・マドリードのことを指すが、スペインで「レアル」といえばラ・レアル=レアル・ソシエダのことを現している。チーム名の「Sociedad(ソシエダ)」とは英語でいう「society(ソサエティ)」と同様の意味で、会社、協会、などとの意味になり、地名のことではない。
アスレティック・ビルバオ同様に、長年バスク純血主義を貫いていたが、1989年にチーム力の低下を懸念して初の外国人を獲得し方針転換をしている。スペインの中でも育成に定評があり、外国人選手を起用している今日においても、下部組織で育てた選手を積極的に起用する傾向にある。近年では、シャビ・アロンソ、イニゴ・マルティネス、アントワーヌ・グリーズマン、ミケル・オヤルサバルといった選手を輩出。
同じバスク地方の雄であるアスレティック・ビルバオは歴史的にライバル関係にあり、2チームの対戦は「バスク・ダービー」と呼ばれている。もっとも両チームの関係は険悪なものではなく、一般的なダービーとは異なり、友好的なダービーとして知られる。さらにスタジアム周辺で両クラブのサポーターが一緒に飲んでいたり、観戦している姿が見受けられる。
歴史
1900年代初頭、イギリスから帰国した学生や労働者によってサン・セバスティアンにサッカーがもたらされ、1903年にはサン・セバスティアン・レクレーション・クラブが作られ、1905年には当時におけるスペイン最高峰の大会であったコパ・デル・レイに初参加。同年5月、レクレーション・クラブからサッカー部門がサン・セバスティアン・フットボール・クラブとして独立し、1909年のコパ・デルレイで優勝している。1909年9月7日にはソシエダ・デ・フトボルが創立。その後、サン・セバスティアンを夏の首都(summer capital)として使用していたアルフォンソ13世によってレアルの称号が授与され、レアル・ソシエダ・デ・フットボールという名称に変更される。
1928年に創設されたリーガ・エスパニョーラの発足メンバー10クラブに選ばれ、記念すべき最初のシーズンで得点王となったパコ・ピエンソバスを擁し、4位に入る。スペイン第二共和政の到来により、1931年にはドノスティア・クルブ・デ・フトボルに名称が変更されるが、1939年にスペイン内戦が終結すると元のクラブ名に戻る。
1935-36シーズンに初めてセグンダ・ディビシオン(2部)へ降格すると、1940年代までの間は昇格と降格を繰り返すエレベーターチームとなる。1949-50シーズンにプリメーラ・ディビシオン(1部)に昇格してからは中位以下の成績が続きながらも12年間残留し続けるが、1961-62シーズンに15位に終わり降格。5シーズンをセグンダ・ディビシオンで過ごすことになる。1966-67シーズンにセグンダ・ディビシオンに優勝し、昇格した後はチームは徐々に力を付けるようになり、1970年代は安定した成績を残すことでプリメーラ・ディビシオンに定着。UEFAカップ出場権を獲得するなど、中堅から上位をうかがうクラブへと成長を遂げていた。
1978-79シーズンに4年前まで選手としてプレーしていたアルベルト・オルマエチェアがコーチから監督に昇格。オルマエチェアは、コーチ経験を活かしてクラブ生え抜きの若手を積極的に起用し、就任1年目で4位という好成績を残す。1979-80シーズンは32試合連続無敗のリーグ新記録を樹立して首位レアル・マドリードと勝ち点わずか1差の2位となり、失点率0.58を記録したルイス・アルコナーダがクラブ史上初のサモラ賞受賞者となる。そして1980-81シーズンは、レアル・マドリードと白熱した優勝争いを演じ、最終節で試合終了間際にゴールを決める劇的な形での初のリーグ優勝を達成。さらに、1981-82シーズンも緊迫した優勝争いを演じ、最終節のバスク・ダービーを制して2連覇を達成。1982年にはスーペルコパ・デ・エスパーニャで優勝し、1982-83シーズンのUEFAチャンピオンズカップでは最終的に優勝するハンブルガーSVに敗れたものの、準決勝進出を果たした。このクラブの歴史に残る黄金時代の主力となったのは、アルコナーダに加え、ヘスス・マリア・サトゥルステギ、アルベルト・ゴリス、ペリコ・アロンソ、ロベルト・ロペス・ウファルテ、ヘスス・マリア・サモラ、若手のホセ・マリ・バケーロなど数多くの地元出身選手だった。地元開催の1982 FIFAワールドカップではスペイン代表のゴールを守ったアルコナーダは3シーズン連続でザモラ賞を受賞している。
クラブに栄光をもたらしたオルマエチェアが1985年に退任すると、ジョン・トシャックが監督に就任。1986-87シーズンには2度目となるコパ・デルレイ優勝を果たす。トシャック時代もリーグ優勝に絡むほどの強豪チームとして君臨していたが、勢いに徐々に陰りが見られるようになり、アルコナーダやサモラが現役を引退した1989年でラ・レアルの黄金期は幕を閉じる。黄金期の主力が次々とチームを去ったことでチーム力の低下を危惧したレアル・ソシエダは、長年こだわってきたバスク人純血主義を辞め、外国人選手をチームに加えるという重要な決断を下す。
1991年にチームに加わったメホ・コドロが4シーズン連続二桁得点を記録する活躍を見せたが、1990年代に入ると中堅クラブというポジションに落ち着くようになる。コドロがFCバルセロナに引き抜かれて以降は獲得した外国籍選手はいずれも期待外れに終わり、1997-98シーズンに3位と躍進を遂げたものの、その後4シーズン連続で二桁順位に終わるなど低迷していた。
2002-03シーズンにフランス人のレノリー・ドゥヌエが監督に就任。この年のチームはダルコ・コバチェビッチ、ニハト・カブヴェシ、ヴァレリー・カルピンといった強力な攻撃陣を地元出身のシャビ・アロンソがプレーメーカーとして操る強力なスカッドが実現。特にコバチェビッチとニハトの強力2トップは2人ともが20ゴールを超えるという圧倒的な火力を発揮し、リーグ終盤で首位に立つ大躍進を遂げる。20年ぶりの優勝に大きく期待が膨らむが、第37節でセルタ・デ・ビーゴに敗れたことでレアル・マドリードに優勝を持っていかれ、惜しくも2位に終わる。2003-04シーズンは期待を大きく裏切ることになり、UEFAチャンピオンズリーグとの二足の草鞋に耐えられるスカッドを準備できなかったチームは残留争いに巻き込まれ、15位と大きく低迷してしまう。
2004年にチームの中心となっていたシャビ・アロンソがリヴァプールFCに移籍すると、チーム力はさらに低下。ニハトは怪我に悩まされるようになり、コバチェビッチが深刻なスランプに陥ったことで不振に拍車がかかるようになる。毎年降格圏ギリギリを彷徨っていたチームは、2006-07シーズンに19位に終わり、1967年以来40年ぶりのセグンダ・ディビシオン降格が決定する。降格したチームは3000万ユーロ以上とされる負債によって厳しい経営を強いられ、2008年7月には破産を承認される。主力の流出を余儀なくされたチームは、若手選手を中心にチームを作る原点回帰により2009-10シーズンのセグンダ・ディビシオンに優勝し、4シーズンぶりにプリメーラ・ディビシオンへと返り咲く。
1部復帰3シーズン目の2011-12シーズンは、フィリップ・モンタニエル監督のもと堅守速攻のスタイルがうまく嵌り、成長著しいアントワーヌ・グリーズマンとカルロス・ベラの活躍によって4位に入り、10年ぶりにUEFAチャンピオンズリーグに出場する。その後もグリーズマンを筆頭にイニゴ・マルティネスやアシエル・イジャラメンディといった生え抜きの選手が中心となり、安定した成績を残すようになる。
グリーズマンらがチームを去った後は、新たに下部組織出身のミケル・オヤルサバルやイゴール・スベルディア、マルティン・スビメンディが台頭。2018年12月にイマノル・アルグアシルがBチームから監督に就任すると、生え抜きの選手を主体としたポゼッションスタイルに舵を切るようになり、リーガでも魅力的なスタイルのチームとして高く評価されるようになる。2019-20シーズンにはコパ・デルレイ決勝でライバルのアスレティック・ビルバオを破り、チームにとって33年ぶりとなるタイトルを獲得。
2020年にダビド・シルバ、2022年に久保建英が加入し、チームスタイルをさらに熟成させていく。そして、2022-23シーズンは久保とシルバを中心とした魅力的なサッカーで躍進を遂げて最終的にはリーガ4位に入り、10年ぶりとなるCL出場権を獲得。
ところが2023-24シーズン開幕直前に大黒柱のシルバが大怪我を負い、現役を引退。チームに大きな激震が走ることになる。CLではグループステージを首位で突破し、20年ぶりに決勝トーナメントに進出。しかし、ラ・リーガでは主力の負傷や疲労に苦しんだ後半戦に失速し、6位に終わる。
タイトル
- プリメーラ・ディビシオン 2回
1980-81, 1981-82 - コパ・デル・レイ 3回
1909, 1986-87, 2019-20 - スーペル・コパ・デ・エスパーニャ 1回
1982 - セグンダ・ディビシオン 3回
1948-49, 1966-67, 2009-10
現在の所属選手
背番号 | Pos. | 国籍 | 選手名 | 生年月日 | 加入年 | 前所属 |
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- | 監督 | イマノル・アルグアシル | 1971.7.4 | 2018 | レアル・ソシエダB | |
1 | GK | アレックス・レミロ | 1995.3.24 | 2019 | アスレティック・ビルバオ | |
2 | DF | アルバロ・オドリオソラ | 1995.12.14 | 2023 | レアル・マドリード | |
3 | DF | アイヘン・ムニョス | 1997.8.16 | 2019 | レアル・ソシエダB | |
4 | MF | マルティン・スビメンディ | 1999.2.2 | 2019 | レアル・ソシエダB | |
5 | DF | イゴール・スベルディア | 1997.3.30 | 2016 | レアル・ソシエダB | |
6 | DF | アリツ・エルストンド | 1994.3.28 | 2015 | レアル・ソシエダB | |
7 | FW | アンデル・バレネチェア | 2001.12.7 | 2018 | レアル・ソシエダB | |
8 | MF | アルセン・ザハリャン | 2003.5.26 | 2023 | ディナモ・モスクワ | |
9 | FW | オーリ・オスカルソン | 2004.8.29 | 2024 | コペンハーゲン | |
10 | FW | ミケル・オヤルサバル(C) | 1997.4.21 | 2015 | レアル・ソシエダB | |
11 | FW | シェラルド・ベッカー | 1995.2.9 | 2024 | ウニオン・ベルリン | |
12 | DF | ハビ・ロペス | 2002.3.25 | 2024 | アラベス | |
13 | GK | ウナイ・マレロ | 2001.10.9 | 2023 | レアル・ソシエダB | |
14 | MF | 久保建英 | 2001.6.14 | 2022 | マジョルカ | |
15 | DF | ウルコ・ゴンサレス | 2001.3.20 | 2020 | レアル・ソシエダB | |
16 | MF | ジョン・アンデル・オラガサスディ | 2000.8.16 | 2022 | レアル・ソシエダB | |
17 | MF | セルヒオ・ゴメス | 2000.9.4 | 2024 | マンチェスター・シティ | |
18 | DF | アマリ・トラオレ | 1992.1.27 | 2023 | レンヌ | |
19 | FW | ウマル・サディク | 1997.2.2 | 2022 | アルメリア | |
20 | DF | ジョン・パチェコ | 2001.1.9 | 2020 | レアル・ソシエダB | |
21 | DF | ナイフ・アゲルド | 1996.3.30 | 2024 | ウェストハム | |
22 | MF | ベニャト・トゥリエンテス | 2002.1.31 | 2021 | レアル・ソシエダB | |
23 | MF | ブライス・メンデス | 1997.1.25 | 2022 | セルタ | |
24 | MF | ルカ・スチッチ | 2002.9.8 | 2024 | ザルツブルク | |
25 | MF | ジョン・マグナセライヤ | 2001.7.13 | 2022 | レアル・ソシエダB | |
27 | DF | ジョン・アランブル ※ | 2002.7.23 | 2023 | レアル・ソシエダB | |
28 | MF | パブロ・マリン ※ | 2003.7.3 | 2022 | レアル・ソシエダB | |
31 | DF | ジョン・マルティン ※ | 2006.4.23 | 2024 | レアル・ソシエダB | |
32 | GK | アイドル・フラガ ※ | 2003.3.9 | 2023 | レアル・ソシエダB | |
35 | GK | エゴイツ・アラナ ※ | 2002.2.19 | 2024 | レアル・ソシエダB |
※はレアル・ソシエダB所属選手。
過去に所属した選手
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歴代監督
- ホセ・アンヘル・ベラオンド(1918 - 1923)
- リッポ・ヘルツカ(1923 - 1926)
- ルイス・オルティスデ・ウルビアナ(1926)
- ベニート・ディアス(1926 - 1930)
- ハリー・ロウ(1930 - 1935)
- ガスパル・グルチャガ(1939 - 1941)
- セバスティアン・シルベティ フランシスコ・ガンボレーナ(1941 - 1942)
- ベニート・ディアス(1942 - 1951)
- ホセ・イグナシオ・ウルビエタ(1951 - 1955)
- サルバドール・アルティガス(1955 - 1960)
- ホセバ・エリソンド(1960)
- バルタサル・アルベニス(1960 - 1962)
- ホセバ・エリソンド(1962)
- ペリコ・トーレス(1962 - 1963
- アントニオ・バリオス(1963 - 1964)
- ロマン・ガララガ(1964 - 1966)
- アンドニ・エリソンド(1966 - 1970)
- アンヘル・セグロラ(1970 - 1971)
- アンドニ・エリソンド(1971 - 1972)
- ラファエル・イリオンド(1972 - 1974)
- アンドニ・エリソンド(1974 - 1976)
- ホセ・アントニオ・イルレギ(1976 - 1978)
- アルベルト・オルマエチェア(1978 - 1985)
- ジョン・トシャック(1985 - 1989)
- マルコ・アントニオ・ボロナト(1989 - 1991)
- ハビ・エスポーシト(1991)
- ジョン・トシャック(1991 - 1994)
- サルバ・イリアルテ(1994 - 1995)
- ハビエル・イルレタ(1995 - 1997)
- ベルント・クラウス(1997 - 1999)
- ハビエル・クレメンテ(1999 - 2000)
- ペリコ・アロンソ(2000)
- ジョン・トシャック(2000 - 2002)
- ロベルト・オラべ(2002)
- レイノー・ドゥヌエ(2002 - 2004)
- ホセ・マリア・アモロルトゥ(2004 - 2006)
- ゴンサロ・アルコナダ(2006)
- ホセ・マリア・バケーロ(2006)
- ミゲル・アンヘル・ロティーナ(2006 - 2007)
- クリス・コールマン(2007 - 2008)
- ホセ・ラモン・エイズメンディ(2008)
- フアンマ・リージョ(2008 - 2009)
- マルティン・ラサルテ(2009-2011)
- フィリップ・モンタニエル(2011 - 2013)
- ハゴバ・アラサテ(2013 - 2014)
- アシエル・サンタナ(2014)
- デイヴィッド・モイーズ(2014 - 2015)
- エウセビオ・サクリスタン(2015 - 2018)
- イマノル・アルグアシル(2018)
- アシエル・ガリターノ(2018)
- イマノル・アルグアシル(2018 - )
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関連項目
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