マンチェスター・シティFC(英:Manchester City Football Club)とは、現在イングランド・大マンチェスター州マンチェスターに本拠地を置くプロサッカークラブである。
現在はイングランドにおける1部リーグである、イングランド・プレミアリーグに所属。
概要
マンチェスター・シティFC | |||
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所属リーグ | ![]() |
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創設 | 1880年 | ||
ホームタウン | マンチェスター | ||
ホームスタジアム | エティハドスタジアム (55,097人) |
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クラブカラー | スカイブルー | ||
代表者 | カルドゥーン・アル・ムバラク |
愛称はザ・ブルース(英:The Blues)、またはシティズンズ(英:Citizens)。本拠地はエティハド・スタジアム(2010年、シティ・オブ・マンチェスター・スタジアムから命名権買収)。クラブ応援歌はブルームーン。クラブマスコットはムーンチェスターとムーンビーム。
1880年、マンチェスターのセント・マークス教会がチームを結成しアーディックAFCとなり、1894年に現在の名称となった。
世界規模、全国区のマンチェスター・ユナイテッドに対し「真のマンチェスター市民のクラブ」と言われる。マンチェスター・ユナイテッドとの試合は「マンチェスター・ダービー」と呼ばれ、マージーサイド・ダービー、ノース・ロンドン・ダービーと並び、リーグの三大ダービーの一つに数えられている。
同じ地区に本拠地を置くマンチェスター・ユナイテッドに比べ、以前は人気、実力共に差を空けられていた。80年代から00年代にかけてタイトルとは無縁の生活を送ることとなり、プレミアリーグ創設後は隣の宿敵マンチェスター・ユナイテッドが長い低迷の後、アレックス・ファーガソンを招聘して世界的な強豪になっていくのをただ見ていくだけとなった。
2008年にUAEの投資グループに買収されて以降、豊富な資金力を活かしてプレミアリーグの強豪クラブとなった。近年、急速に下部組織の強化を図っており、各年代毎にカテゴライズされたユースチームはそれぞれの年代でリーグ優勝するなどイングランドの中でも1、2を争う集団となっている。2008年にはマンチェスター・シティを中心としてシティ・フットボール・グループを創設し、メルボルン・シティFCやニューヨーク・シティFCといったシティブランドを立ち上げており、日本でもJリーグの横浜F・マリノスの少数株主となっている。
サポーターはクラブの愛称をもじり「シチズン(Citizens)」と呼称される。マンチェスター出身でもあるOasisのギャラガー兄弟が熱狂的なファンとして有名。問題発言も多いが、クラブが財政難の際はスポンサーとして出資したりするなど貢献している。また、彼らの代表曲である「Roll with It」や「Wonderwall」がスタジアムの入場曲として使用されている。
ファンがピッチに背を向けて、肩を組んでジャンプする光景がおなじみとなっているが、これはELで対戦したレフ・ポナズンのファンがやっていた応援方法で、シティファンが感銘をうけて取り入れられたもの。意味は「俺らが試合を見なくても彼らなら試合に勝ってくれると信じてるよ」とのことらしい。
歴史
1880年に前身のクラブであるゴートン・アスレティックが発足され、1887年にウエスト・ゴードンと合併し、プロ組織として「アーディックAFC」が発足し、フットボールリーグ2部に所属する。その後、1894年に現在のチーム名である「マンチェスター・シティFC」に変更となる。
1899年にフットボールリーグ2部で優勝し、1部昇格を果たすと1904年にボルトン・ワンダラーズを下してFAカップを制し、クラブ初のタイトルを手にする。この年はリーグ戦でも2位とあと一歩で二冠というところまで迫っており、当時使用していたハイド・ローズ・スタジアムにイングランド史上初めて王室が訪れるなど、イングランドの中心的なクラブとして存在していた。1906年にクラブは財政危機に陥り、17人の選手が1年間出場できないという危機が訪れ、しばらくの間タイトルから遠ざかる。
1923年に火事によってハイド・ローズ・スタジアムが全焼し、メイン・ロードにスタジアムを移転。メイン・ロードは85000人収容と当時、ウェンブリー・スタジアムに次いでイングランドで2番目に大きなスタジアムだった。1934年のストーク・シティ戦では英国最高の8万4569人の観客動員を達成しており、その年に二度目のFAカップ優勝を果たす。1937年には初のリーグ優勝を成し遂げ、リーグ優勝1回、FAカップ優勝2回、準優勝3回と強豪の一角となっていた。
しかし、リーグ初優勝を達成した翌年の1938年にリーグ最多得点を記録しながらも2部降格の憂き目に遭う。ここからしばらくの間は1部と2部を行き来するエレベーターチームとなってしまい、長きに渡りタイトルから遠ざかることになる。1954-55シーズンには104得点100失点という珍記録を残している。1956年のFAカップ決勝でバーミンガム・シティを破り、3度目の優勝を果たす。このときGKのバート・トラウトマンが首の骨を折りながらプレーし続けるという伝説を作っている。だが、リーグでは低迷期が続いており、3部降格というどん底すら経験していた。
1965年にジョー・マーサーとマルコム・アリソンが共同でチームの指揮を執る体制となり、マイク・サマービー、コリン・ベル、フランシス・リーなどの有力選手を擁して黄金期を迎える。1968年に31年ぶり2回目のリーグ優勝を果たすと、1969年にはコミュニティ・シールドとFAカップで優勝。1970年にはEFLカップに加え、初の欧州でのタイトルとなるUEFAカップウィナーズカップを獲得。隣人のマンチェスター・ユナイテッドが黄金期を迎えたことで影に隠れがちではあるが、1968年から70年代までの3年間で5つのタイトルを獲得するほどの実績を残している。
1972年にジョー・マーサーがチームを追われると、ここから長い暗黒期がスタートすることになる。1976年にEFLカップ優勝を最後に36年間タイトルからは遠ざかり、1974年に宿敵マンチェスター・ユナイテッドのエースだったデニス・ローの引き抜きに成功、1979年に当時の移籍金記録を破る1450万ポンドでスティーブ・ダーリーを獲得するがリーグ戦の順位は中位ないし下位にまで低迷。1982-83シーズンにはリーグ最下位でとうとう2部降格となり、1部昇格と2部降格を繰り返すエレベータークラブとなってしまう。90年代に入り、1部に定着するかに思われたが、1995-96シーズンにリーグ18位となり2部へ降格。さらに、1997-98シーズンには2部でも低迷しどん底ともいえる3部降格の屈辱を味わう。1992年のプレミアリーグ創設以降タイトルを次々と獲得し、世界的なビッグクラブに成長していったマンチェスター・ユナイテッドとの格差は大きく開いてしまい、シティが3部で戦っていた1998-99シーズンにユナイテッドは初の三冠獲得という頂点を極めていた。
3部降格から最短の2シーズンでプレミアリーグ復帰を果たしたものの、また1年で2部に逆戻りするなどチームのジェットコースターぶりは相変わらずだった。それでも2001-02シーズンに昇格してからはプレミアリーグに定着するようになる。2003年、約80年に渡りメインスタジアムとして使用していたメインロードからシティ・オブ・マンチェスター・スタジアム(現在のエティハド・スタジアム)へ移る。
2007年にタイ前首相のタクシン・チナワット氏の会長就任。前イングランド代表監督スヴェン・ゴラン・エリクソンの監督就任が発表され、シーズン前半戦は好調だったものの、後半失速し9位でシーズンを終える。巻き返しを図り、ヴァンサン・コンパニ、ショーン・ライト=フィリップスらを獲得するが、2008年7月にタイで勃発した軍によるクーデターの影響でタクシン政権は1年で終焉することになる。
タクシン会長は、オーナー権をUAEの投資グループADUG(アブダビ・ユナイテッド・グループ・フォー・デベロップメント・アンド・インベストメント)へ売却。これによって当時世界有数の財力を持っていたチェルシーを抜き「世界一のお金持ちクラブ」へと変貌。因みにチェルシーのオーナー、アブラモビッチ氏の総資産は70億ポンド(約9700億円)。シティの現オーナー、シャイフ・マンスール・アルナーヤン氏の総資産は150億ポンド(約2兆700億円)である。
この余りある資金力を背景に現オーナー買収後、今までに数多くの世界各国のスター選手を獲得。当初は補強と結果が上手く結びつかなかったものの、2009年に前インテル監督のロベルト・マンチーニを新監督として招聘すると、守備を重視した戦術が徐々に浸透し、2010-11シーズンには42年ぶりのタイトル獲得となるFAカップ優勝、プレミアリーグも3位で終え、クラブ史上初となるUEFAチャンピオンズリーグの出場権を獲得した。
2011-12シーズンはダビド・シルバやサミル・ナスリがチームの中心となり、前年とは打って変わったポゼッションサッカーを披露し、ホームゲームでは19戦中、18勝1分と圧倒的な強さを見せつけた。UEFAチャンピオンズリーグでは同じ組であったバイエルン・ミュンヘン、SSCナポリの前に屈し、グループリーグ突破はならなかったが(その後UEFAヨーロッパリーグに回ったがここでもスポルティングCPに敗れている)、国内リーグではカルロス・テベスとマンチーニの確執、マリオ・バロテッリの度重なる問題行動などピッチ外でのゴタゴタが続いたが、この年の補強の目玉であったセルヒオ・アグエロが額面通りの得点力を発揮し、何かと問題を起こす選手たちをマンチーニがしっかりとまとめあげたことでタレント軍団は終盤まで優勝争いを演じる。そして、マンチェスター・ユナイテッドとのデッドヒートは最終節までもつれ込み、最後は勝ち点で並んだものの得失点差で凌ぎ、実に44年振りとなるリーグ制覇を果たした。
2013-14シーズンからマヌエル・ペジェグリーニ監督が就任し攻撃的なサッカーをフィットさせる。テベスがチームを去ったものの、アグエロが28得点、ヤヤ・トゥーレが20得点を記録するなどリーグ最多となる102得点を叩き出し、2年ぶりのリーグ制覇を果たした。またUEFAチャンピオンズリーグでも初の決勝トーナメント進出を果たすなど飛躍のシーズンとなった。この頃からアレックス・ファーガソンが退任し迷走するようになったマンチェスター・ユナイテッドとの立場が逆転するようになる。
2016-17シーズンからペップことジョゼップ・グアルディオラが監督が就任。シティは2012年よりペップの盟友でもあるチキ・ベギリスタインをフットボールディレクターに招き入れ、グアルディオラ招へいのための準備を着々と進めていた。就任1年目はチーム戦術が浸透せず、守備の脆弱さが仇となって無冠に終わったが、2年目となった2017-18シーズンになると、懸案事項だったGKにエデルソンが定着するようになり、ケヴィン・デ・ブライネとダビド・シルバが卓越したゲームメイクで試合を支配するポジショナルプレーが完成度を増し、グアルディオラの理想とするものが実現されたことで圧倒的な強さを見せるようになり、4シーズンぶりのリーグ優勝を果たす。
以降、グアルディオラ率いる「ペップ・シティ」はシーズンごとに新たな進化を遂げる革新的な戦術を披露。2018-19シーズンは急激に力を付けてきたユルゲン・クロップ監督率いるリヴァプールFCとのハイレベルな優勝争いを繰り広げ、2チームと他チームの格差が大きく広がったシーズンとなる。最終的に勝ち点わずか1の差でリヴァプールを振り切り、プレミアリーグ連覇を達成。また、この年はEFLカップとFAカップも制覇しており、イングランド史上初の快挙となる国内三冠を達成する。一方、CLでは、トッテナムを相手に延長戦までもつれこみながら敗れ、2シーズン連続でベスト8敗退となる。
2020年代に入ってからもユルゲン・クロップ率いるリヴァプールとの二強時代が続く。長年チームの躍進を支えてきたダビド・シルバ、アグエロの二人がチームを去るが、デ・ブライネが世界最高レベルのMFに成長し、チーム生え抜きのフィル・フォーデンも台頭したことで世代交代に成功。グアルディオラ就任以降の6シーズンでプレミアリーグは4回制覇しており、名実ともに世界レベルの強豪チームとなっていた。残す目標は初の欧州制覇だが、2020-21シーズンにクラブ史上初となるCL決勝進出を果たしシーズン三冠に王手をかけていたが、チェルシーに敗れてしまいあと一歩でビッグイヤー獲得を逃す。2021-22シーズンも準決勝でレアル・マドリード相手に終了間際の立て続けの失点で逆転を許している。
2022-23シーズンは若くしてドルトムントで圧巻のゴール数を記録した怪物アーリング・ハーランドが加入。
タイトル
国内タイトル
- フットボールリーグ / プレミアリーグ 8回
1936-37, 1967-68, 2011-12, 2013-14, 2017-18, 2018-19, 2020-21, 2021-22 - FAカップ 6回
1903-04, 1933-34, 1955-56, 1968-69, 2010-11, 2018-19 - EFLカップ 8回
1969-70, 1975-76, 2013-14, 2015-16, 2017-18, 2018-19, 2019-20, 2020-21 - FAコミュニティ・シールド 6回
1937, 1968, 1972, 2012, 2018, 2019
国際タイトル
現所属選手
背番号 | Pos. | 国籍 | 選手名 | 生年月日 | 加入年 | 前所属 |
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- | 監督 | ![]() |
ジョゼップ・グアルディオラ | 1971.1.18 | 2016 | バイエルン |
2 | DF | ![]() |
カイル・ウォーカー | 1992.11.16 | 2017 | トッテナム |
3 | DF | ![]() |
ルベン・ディアス | 1997.5.14 | 2020 | ベンフィカ |
4 | MF | ![]() |
カルバン・フィリップス | 1995.12.2 | 2022 | リーズ |
5 | DF | ![]() |
ジョン・ストーンズ | 1994.5.28 | 2016 | エヴァートン |
6 | DF | ![]() |
ナタン・アケ | 1995.2.18 | 2020 | ボーンマス |
8 | MF | ![]() |
イルカイ・ギュンドアン(C) | 1990.10.24 | 2016 | ドルトムント |
9 | FW | ![]() |
アーリング・ハーランド | 2000.7.21 | 2022 | ドルトムント |
10 | MF | ![]() |
ジャック・グリーリッシュ | 1995.9.10 | 2021 | アストン・ヴィラ |
14 | DF | ![]() |
アイメリク・ラポルテ | 1994.5.27 | 2018 | アスレティック・ビルバオ |
16 | MF | ![]() |
ロドリ | 1994.5.27 | 2019 | アトレティコ・マドリード |
17 | MF | ![]() |
ケヴィン・デ・ブライネ | 1991.6.28 | 2015 | ヴォルフスブルク |
18 | GK | ![]() |
シュテファン・オルテガ | 1992.11.6 | 2022 | ビーレフェルト |
19 | FW | ![]() |
フリアン・アルバレス | 2000.1.31 | 2022 | リーベルプレート |
20 | MF | ![]() |
ベルナルド・シウバ | 1994.8.10 | 2017 | モナコ |
21 | DF | ![]() |
セルヒオ・ゴメス | 2000.9.4 | 2022 | アンデルレヒト |
25 | DF | ![]() |
マヌエル・アカンジ | 1995.7.15 | 2022 | ドルトムント |
26 | FW | ![]() |
リヤド・マフレズ | 1991.2.21 | 2018 | レスター |
31 | GK | ![]() |
エデルソン | 1993.8.17 | 2017 | ベンフィカ |
33 | GK | ![]() |
スコット・カーソン | 1985.9.3 | 2019 | ダービー |
47 | MF | ![]() |
フィル・フォーデン | 2000.5.28 | 2017 | マンチェスター・シティユース |
80 | MF | ![]() |
コール・パルマー☆ | 2000.5.28 | 2020 | マンチェスター・シティユース |
82 | DF | ![]() |
リコ・ルイス☆ | 2004.11.21 | 2022 | マンチェスター・シティユース |
96 | MF | ![]() |
ベン・ナイト☆ | 2002.6.14 | 2021 | マンチェスター・シティユース |
97 | MF | ![]() |
ジョシュ・ウィルソン=エスブランド☆ | 2003.12.26 | 2021 | マンチェスター・シティユース |
※背番号23はコンフェデ杯2003準決勝カメルーン対コロンビア戦の試合中に心臓発作を起こし、28歳の若さでこの世を去ったマルク=ヴィヴィアン・フォエ(シティが最終所属クラブ)を偲んで永久欠番。
おもな過去の所属選手
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