アトレティコ・マドリード(Club Atlético de Madrid)とは、スペイン・ラ・リーガに所属するサッカークラブである。
本拠地はマドリード。ホームスタジアムはエスタディオ・メトロポリターノ。アトレチコ・マドリードとも表記される。チームの愛称は「アトレティコ」、「Colchoneros(マットレス)」、「Rojiblancos(赤と白)。
概要
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1903年創設。プリメーラ・ディビシオンで優勝11回の実績を持つスペインでも3本指に入るほどの実力を持ち合わせ、UEFAヨーロッパリーグ3度優勝、2014年と2016年にはUEFAチャンピオンズリーグのファイナルに進出するなど近年、国際舞台でも着実に実績を積んでいるクラブである。
2000年代は2部降格を経験するなど低迷期が続いていたが、2011年にディエゴ・シメオネが監督に就任して以降は、激しい守備を持ち味とする堅守速攻のスタイルで欧州の強豪チームとしての地位を確立。また、フェルナンド・トーレスやコケ、サウール・ニゲスに代表されるように下部組織から優秀な選手を輩出しており、若い選手の登用も積極的である。また選手を見抜く目にも定評があり、特に近年獲得するフォワードは必ずといってもいいほど大当たりしており、スカウト陣のレベルの高さがうかがい知れる。
マドリード北部を本拠地とするレアル・マドリードとは激しいライバル関係にあり、この2チームの対戦はマドリード・ダービーと言われスペインでも屈指の盛り上がりを見せる。2000年から14年間ダービー未勝利という不名誉な結果を残していたが、2013年のコパ・デル・レイ決勝に勝利したことで呪縛から解放され、近年は実力が伯仲した注目の一戦となっている。ちなみに2014年と2016年のUEFAチャンピオンズリーグ決勝でマドリード・ダービーが実現している。
マドリード北部の富裕層のファンが多いレアル・マドリードに対し、アトレティコ・マドリードのファンは南部の労働階級層が多いとされている。熱狂的でクラブへの愛が深いことで知られ、2部に降格した際はチームを見捨てず支えるためにソシオの数が急増したという逸話がある。また、2003年からスペイン国王のフェリペ6世が名誉会長に就いている。
2013-14シーズンは、前シーズンより指揮を執るディエゴ・シメオネ監督の下で快進撃を続け、1995-96シーズン以来18年ぶりのリーグ優勝、UEFAチャンピオンズリーグでも準優勝という輝かしい成績を残した。当時のリーガ・エスパニョーラは、絶対的なサポーター数や放映権料の格差などからレアル・マドリーとバルセロナの2強体勢が続いており、2001-02シーズンに優勝したバレンシアを最後に、12年間に渡りこの2強が優勝を独占してきた。アトレティコは年間120億円というスペイン第3の運営規模を持つとはいえ、500億円超える2強の財力とはかけ離れている存在であり、そんなアトレティコの躍進は、現代サッカーの風潮に風穴を開ける快挙として、大きな賞賛を受けている。
歴史
1903年にマドリードに在住するアスレティック・ビルバオサポーターのバスク人学生が中心となって設立。設立当初はアスレティック・ビルバオの傘下チームという扱いで、チーム名も「アスレティック・クルブ・デ・マドリード」だった。1907年に独立し、公式戦への参加が増えていく。
1930年代後半に軍隊のチームとなり、チーム名も「アトレティコ・アビアシオン」に変更される。このチーム名の時期の1940年にクラブ初タイトルとなるリーガ・エスパニョーラ優勝を飾っている。翌年もリーガを連覇しており、1940年代には10年間で8回トップ3入りする強豪チームとなっていた。1947年に現在のチーム名に変更されている。
1949年にアルゼンチン人のエレニオ・エレーラが監督に就任。ラルビ・ベンバレク、ヘンリー・カールションらを擁したチームは1950年と1951年のリーガを連覇。1952年にエレーラは退任すると一時チーム力を失うことになるが、1960年代に再び勢いを取り戻す。1959-60、1960-61シーズンのコパ・デル・レイで初優勝を含む連覇を飾る。さらに、1962年には初の国際タイトルとなるUEFAカップウィナーズカップを優勝。当時国内ではアルフレッド・ディ・ステファノを擁したレアル・マドリードが覇権を握っていたためリーガを優勝するのは困難だったが、それでも1965年にコパ・デル・レイを制した翌年の1966年にリーガで優勝している。また、この年に本拠地をビセンテ・カルデロンに移転。
1970年代は三度リーガ・エスパニョーラを制しており、レアル・マドリード、FCバルセロナと共に三強の時代に突入していた。1974年には初めてUEFAチャンピオンズリーグ決勝へ進み、フランツ・ベッケンバウアーを擁したバイエルン・ミュンヘンを相手に再試合までもつれ込む死闘を演じたが、あと一歩のところでビッグイヤーを逃している。その後、出場を辞退したバイエルンに代わって出場したインターコンチネンタルカップではCAインデペンディエンテを下して優勝している。ちなみに、ビッグイヤー獲得経験が無いのに同大会で優勝したことがあるチームはアトレティコのみである。
1987年に事業化のヘスス・ヒルが会長に就任。豊富な資金力を活かして次々と選手を獲得し、チームの強化を図ると1990-91、1991-92シーズンにコパ・デル・レイを連覇。そして、1995-96シーズンには、ホセ・ルイス・カミネロ、ディエゴ・シメオネ、ミリンコ・パンティッチらの活躍によってクラブ史上初となるリーガとコパの国内二冠を達成という大きな成果を残している。一方でヒルは「首切りヒル」と呼ばれるほどすぐに監督を代える傾向があり、在任した16年間で26人もの監督を起用。ACミランで一時代を築いたアリーゴ・サッキさえもヒルのギロチンによってすぐに首を切られている。そのためチームの勢いは安定せず、また90年代後半に入るとヒルの放漫な経営によってチームは多くの負債を抱えていた。1999-2000シーズンにはクラウディオ・ラニエリの戦術が浸透せずチームは低迷。ラニエリを解任し、チームを二冠に導いたラドミル・アンティッチを再招聘するが、19位でシーズンを終え、二冠獲得からわずか4年でクラブ史上初のセグンダ・ディビシオン(2部)降格というどん底に転落する。
1年でのプリメーラ・ディビシオン復帰は果たせなかったが、ルイス・アラゴネスが監督に就任し、フェルナンド・トーレスがデビューした2001-02シーズンにセグンダ・ディビシオンで優勝し、1部復帰を果たす。2003年にヒルが会長を退き、エンリケ・セレソが会長に就任する。プリメーラに復帰後は、エースとして成長したフェルナンド・トーレスがリーガを代表するスター選手となる活躍を見せるが、ヒル時代の負債の影響もあって成績に結びつかず、低迷期を迎えていた。
2007年の夏にフェルナンド・トーレスをリヴァプールFCに放出するが、新たなエースとしてセルヒオ・アグエロが加入。ハビエル・アギーレ監督のチーム作りは不安定で批判されたが、アグエロとディエゴ・フォルランの南米2トップの爆発によって2007-08シーズンにトップ4入りを果たし、12年ぶりのUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得する。2008-09シーズンのCLこそグループステージで敗退したものの、UEFAヨーロッパリーグでは決勝でフラムと対戦。ファルカオの2ゴールの活躍によってELの初代王者に輝き、45年ぶりに欧州のタイトルを獲得する。だが、その後も不安定なシーズンが続き、資金力で大きな差があるレアル・マドリード、FCバルセロナの二強との差は広がる一方で、2011年の夏には奮闘していたアグエロとフォルランが揃って退団。誰もが暗黒時代の到来を予感していた。
2011年12月、クラブのOBであるディエゴ・シメオネが監督に就任。シメオネは、持ち前の求心力を発揮し全選手に高い守備意識とハードワークを植え付け、守備徹底と無駄のない効率的な走りを重視し、中盤と最終ラインに強固なブロックを形成。奪ったボールを手数をかけずに前線へ繋ぐ堅守速攻のシンプルなスタイルへと舵を切る。すると、戦う集団と化したチームは快進撃を続け、2011-12シーズンのELではグループステージからの10連勝で2シーズンぶりに優勝。リーガでも二強に対抗しうる存在にまでなった2012-13シーズンのコパ・デル・レイ決勝では延長戦の末に14年間勝利が無かったレアル・マドリードとのマドリード・ダービーを制し、17年ぶり10回目の優勝を果たす。そして2013-14シーズンは得点源のラダメル・ファルカオを失ったものの、ジエゴ・コスタが覚醒。リーグ序盤からバルセロナ、レアル・マドリードと熾烈な優勝争いを展開すると、首位で迎えた最終節、敵地カンプ・ノウでの2位バルセロナとの直接対決で引き分け、18年ぶりにリーグ優勝を達成。シメオネは就任3年目で二強越えを達成したのだった。また、この年のCLでもACミラン、チェルシーFC、バルセロナという歴代王者を次々と破って40年ぶりに決勝へ進出。レアル・マドリードとのマドリード・ダービーとなった決勝ではあと一歩のところまで追い込むが、延長戦で崩れてしまい準優勝に終わっている。
2015-16シーズンのCLでも決勝に進出し、相手は2年前と同じ怨敵レアル・マドリードだった。しかし、延長戦を戦い抜くが、PK戦の末に敗れ、またも準優勝に終わる。2017-18シーズンにはELで3度目の優勝を果たし、このタイトルを置き土産にチームの功労者だったフェルナンド・トーレスとガビが退団する。シメオネの堅守速攻スタイルは次第に研究されるようになり、リーガでもCLでも上位には進出していたが、タイトルには手が届かなかった。シメオネもこれまで放棄していたボール保持の仕組みを作ろうとしたがうまくいかず、中堅以下のチームを相手に取りこぼすことも多くなっていた。躍進を支えてきた主力が次々とチームを去ると、自慢の守備にも綻びを見え始め、一部では長期政権となったシメオネの限界説も唱える者も出るようになっていた。
2020-21シーズンには、FCバルセロナからルイス・スアレスを獲得。コケを中盤の底に置いたことで長年の課題だったボール保持からの攻撃が機能し、さらにスアレスが新たな得点源として活躍。前半戦を首位で折り返す。一方、CLではラウンド16でチェルシーに敗れ、直後のラ・リーガでも後半戦に入って取りこぼしが目立ち、2位以下に勝ち点差を詰め寄られることになる。それでも4チームが優勝を争うレースを最後の最後で制し、7シーズンぶり11回目のラ・リーガ優勝を果たす。
2021-22シーズンは後半戦に大きく調子を落とし、一時はCL圏内ですら逃す危機に立たされたが、ジョアン・フェリックスの覚醒もあって終盤戦に盛り返し、最後は3位入賞を果たす。CLでも一時はグループステージ最下位に転落しながらも、逆転で決勝トーナメントに進出。ラウンド16ではマンチェスター・ユナイテッドを破るが、準々決勝でマンチェスター・シティに敗れている。2022-23シーズンは開幕から躓き、CLでは4シーズンぶりにグループステージで敗退となる。ワールドカップによる中断期間後は、グリーズマンの活躍もあって調子を取り戻し、2位レアル・マドリードにあと一歩にまで迫った3位で終える。
タイトル
国内タイトル
- プリメーラ・ディビシオン 11回
1939-40, 1940-41, 1949-50, 1950-51, 1965-66, 1969-70, 1972-73, 1976-77, 1995-96, 2013-14, 2020-21
- コパ・デル・レイ 10回
1959-60, 1960-61, 1964-65, 1971-72, 1975-76, 1984-85, 1990-91, 1991-92, 1995-96, 2012-13
- スーペル・コパ・デ・エスパーニャ 2回
1985, 2014
国際タイトル
- UEFAヨーロッパリーグ 3回
2009-10, 2011-12 , 2017-18
- UEFAカップウィナーズカップ 1回
1961-62
- UEFAスーパーカップ 3回
2010, 2012, 2018
- インターコンチネンタルカップ 1回
1974
現在所属している選手
背番号 | Pos. | 国籍 | 選手名 | 生年月日 | 加入年 | 前所属 |
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- | 監督 | ディエゴ・シメオネ | 1970.4.28 | 2011 | ラシン・クルブ | |
1 | GK | ホラツィウ・モルドヴァン | 1998.1.20 | 2024 | ラピド・ブカレスト | |
2 | DF | ホセ・マリア・ヒメネス | 1995.1.20 | 2013 | ダヌービオ | |
3 | DF | セサル・アスピリクエタ | 1989.8.28 | 2023 | チェルシー | |
4 | DF | ガブリエウ・パウリスタ | 1990.11.26 | 2024 | バレンシア | |
5 | MF | ロドリゴ・デ・パウル | 1994.5.24 | 2021 | ウディネーゼ | |
6 | MF | コケ(C) | 1992.1.8 | 2011 | アトレティコ・マドリードB | |
7 | FW | アントワーヌ・グリーズマン | 1991.3.21 | 2021 | バルセロナ | |
8 | MF | サウール・ニゲス | 1994.12.21 | 2015 | チェルシー | |
9 | FW | メンフィス・デパイ | 1994.2.13 | 2023 | バルセロナ | |
10 | FW | アンヘル・コレア | 1995.3.9 | 2014 | サン・ロレンソ | |
11 | MF | トマ・レマル | 1995.11.12 | 2018 | モナコ | |
12 | FW | サムエウ・リーノ | 1999.12.23 | 2022 | バレンシア | |
13 | GK | ヤン・オブラク | 1993.7.1 | 2014 | ベンフィカ | |
14 | MF | マルコス・ジョレンテ | 1992.2.23 | 2019 | レアル・マドリード | |
15 | DF | ステファン・サヴィッチ | 1991.1.8 | 2015 | フィオレンティーナ | |
16 | DF | ナウエル・モリーナ | 1998.4.6 | 2022 | ウディネーゼ | |
17 | FW | ロドリゴ・リケルメ | 2000.4.2 | 2019 | ジローナ | |
18 | MF | アルトゥール・フェルメーレン | 2005.2.7 | 2022 | アントワープ | |
19 | FW | アルバロ・モラタ | 1992.10.23 | 2019 | ユベントス | |
20 | MF | アクセル・ヴィツェル | 1989.1.19 | 2022 | ドルトムント | |
22 | DF | マリオ・エルモソ | 1995.6.18 | 2019 | エスパニョール | |
23 | DF | ヘイニウド・マンターヴァ | 1994.1.21 | 2022 | リール | |
24 | MF | パブロ・バリオス | 2003.6.15 | 2022 | アトレティコ・マドリードB | |
26 | MF | アイトール・ヒスメラ ※ | 2004.2.21 | アトレティコ・マドリードB | ||
27 | DF | イリアス・コスティス ※ | 2003.2.27 | 2023 | アトレティコ・マドリードB | |
28 | DF | マルコ・モレノ ※ | 2001.2.20 | アトレティコ・マドリードB | ||
29 | DF | ハビエル・ボニジャール ※ | 2005.6.3 | 2022 | アトレティコ・マドリードB | |
30 | DF | サリム・エル・ジェバリ ※ | 2004.2.5 | 2022 | アトレティコ・マドリードB | |
31 | GK | アントニオ・ゴミス ※ | 2003.5.20 | 2021 | アトレティコ・マドリードB | |
32 | FW | アドリアン・ニーニョ ※ | 2004.6.19 | アトレティコ・マドリードB | ||
35 | GK | セルヒオ・メストレ ※ | 2005.2.13 | アトレティコ・マドリードB | ||
36 | MF | アレックス・カストラバ ※ | 2000.6.22 | アトレティコ・マドリードB | ||
40 | MF | セルヒオ・ゲレーロ ※ | 1999.1.13 | 2021 | アトレティコ・マドリードB | |
45 | MF | ライアン・ベライ ※ | 2005.2.11 | アトレティコ・マドリードB |
※はアトレティコB所属選手。
過去所属していた主な選手
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