『地獄の黙示録』(原題:Apocalypse Now)とは、フランシス・フォード・コッポラの映画である。
概要
1979年公開(日本では1980年2月)。
原作はジョゼフ・コンラッドの小説『闇の奥』。舞台をコンゴからベトナム戦争に移して翻案し、他にも様々な作品を要素として取り入れている。
同年のカンヌ映画祭パルムドール、アカデミー賞(撮影賞・音響賞)を受賞。その他にも多くの栄誉に輝き、アメリカ映画史における傑作として高く評価されている。
あらすじ
1969年、ベトナム。
ベトナム戦争も終わりに近づくサイゴンに、アメリカ陸軍空挺将校のウィラード大尉はいた。
激戦を生き延び、故郷に凱旋するも戦争後遺症によって妻と離婚、再び戦場に戻ってきたのである。
ホテルの一室で酒に溺れながら、任務を希求するウィラード。
そこへ通信情報部への出頭命令が下され、元グリーンベレー隊長・カーツ大佐の暗殺という極秘任務を命じられる。
カーツは「現地人部隊を組織する」という任務を受けてカンボジア奥地に潜入したが、軍の命令を無視して現地人を支配、彼だけの「王国」を築いているという。軍の恥部としてカーツを「処分」するというのが、軍の最終方針だった。
ウィラードはクリーン、ランス、シェフ、チーフの4名を率いて河川哨戒艇に乗り、カーツの「王国」へと通じる河を遡行する。途中で危険区域を通過する護衛を依頼すべく、空軍騎兵隊第一中隊のキルゴア中佐の許を尋ねるウィラード。
戦争マニアのキルゴアは「サーフィンするのにいい波が来るから」という理由でベトコンの前哨基地を襲撃。機銃とナパームで前哨基地は崩壊、阿鼻叫喚の地獄絵図となる。
その後も哨戒艇は「王国」を目指して進んでいく。補給の為に上陸するごとにウィラードには機密書類が届けられ、そこに記されたカーツの履歴や行動を読むほどに、ウィラードはカーツという人物が解らなくなっていった。
補給基地に慰問に訪れたプレイメイト、指揮官抜きで戦い続ける兵士……次第に隊員達は麻薬に溺れて正気を失い、ウィラードもまた心の均衡を失っていく。
クリーンとチーフの死を経て、ウィラード一行は「王国」にたどり着く。
そこには報道写真家がおり、この地でカーツが「神」として崇められている事を知る。カーツはただの狂人か、それとも本当は偉大な指導者なのか。確信を持てないウィラードの前に、遂にカーツは姿を現すのであった。
補遺
『闇の奥』の映画化は当初オーソン・ウェルズが手をつけたものの、巨額の制作費により断念、代わりにウェルズは『市民ケーン』を撮影することとなる。
また企画の段階ではジョージ・ルーカスが監督だったが、『スター・ウォーズ』製作にあたり、映画化の権利をコッポラに譲渡している。
撮影当時、アメリカとベトナムは国交を持っていなかった。その為撮影はフィリピンで行われている。
戦闘機やヘリコプターの撮影はフィリピン軍の協力を得られたが、当時フィリピンの内戦やテロ対策でたびたび実戦出動。これにより撮影スケジュールはおおいに乱れる事となった。また台風によりセットが全壊するなどのアクシデントも起きている。
こうして17週間の予定だった撮影は、最終的に16ヶ月にも及んだ。その間に撮影したフィルムは230時間分、編集に3年を要している。
また、本作はキャストにとっても地獄の現場となった。
当初ウィラードを演じる予定だったハーヴェイ・カイテルは撮影開始2週間でコッポラとトラブルを起こして降板。以後ハリウッドでは契約書を反故にしたトラブルメーカーと認知されて干される羽目になった。
一方、代わってウィラードを演じたマーティン・シーンは、役作りに懊悩。冒頭で酒に溺れ、鏡を叩き割って血を流すシーンがあるが、実はあれは本物である。下戸のマーティンは飲めない酒を無理矢理流し込んで荒れ狂い、コッポラはそれをすべて撮影して採用した。そのせいかどうかは不明だが、撮影途中にマーティンは心臓発作を起こし、本当に死ぬところだった。
主演のマーロン・ブランドは当時極度に肥満していた為、設定を一部変更する必要があるほどだった。脚本を全く読まずに現地入りし、法外なギャラ要求や契約など自己中心的な主張により、コッポラが心労のあまり倒れる事態にまで陥った。
報道写真家役のデニス・ホッパーは麻薬中毒で台詞が覚えられずにコッポラと衝突。役作りの為に風呂に入らず、あまりの臭さにマーロン・ブランドが共演を拒否した。
また出演者は役作りの為にマリファナやLSDを使い、後にスタッフにも使用者が続出するなど、現場は荒れに荒れていたという。
こうした舞台裏は、コッポラの妻エレノアによる撮影手記で明らかになっている。
また舞台裏や当時のスタッフ・キャストへのインタビューを収録したドキュメンタリー映画『ハート・オブ・ダークネス コッポラの黙示録』が1991年に公開された。
公開後はベトナム戦争批判や愛国主義者を巻き込み、激しい賛否両論を引き起こした。
しかし本作は世界中で大ヒットを記録。撮影遅延によって膨らんだ莫大な制作費(3100万ドル:現在の価値にして約90億円)の回収に成功している。
1998年には『アメリカ映画ベスト100』28位にランクインし、2000年にアメリカ国立フィルム登記簿に登録されている。
2001年には53分の未公開シーンが追加された『特別完全版』が公開。カットされたフランス人入植者との交流なども収録されている。
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