映画史とは、映画がどのような経緯で誕生し世界中で発展してきたかという歴史である。
ここでは主にアメリカ映画を中心に解説していく。というか、全世界の映画史を網羅しようとすると大変なのである。
※基本的に、紹介している動画は著作権の切れたパブリックドメインです。
1890年代
1894年、アメリカの「発明王」トーマス・エジソンが自動映像販売機(まあ所謂「映写機」ってやつだ)「キネトスコープ」が世界初の映画館に設置される。連続したフィルムを観るという形式は映画に通じるものがあるが、現在の映画と異なる点は「箱の中を覗き込む」形で鑑賞する、ということ。つまり一度に大勢の人間が見るものではなかったのである。
キネトスコープ公開からわずか1年後の1895年、フランスのリュミエール兄弟が「シネマトグラフ」を開発。こちらはスクリーンに映像を投影し一度に多くの人が観れる形であり、現在の映画の上映形態となんら変わりの無いものであった。とりあえず映画の起源はシネマトグラフが有力である。余談だが、1995年は「映画誕生100周年」とかでいろいろあったりなかったりした。
リュミエール兄弟が最初に映画の商業公開を行ったのは1895年12月28日。上映されたのは「工場の出口」なと計10本の短編映画(といっても、1本1本の長さは1分そこらである)。
リュミエール兄弟の作品でもとりわけ話題に上るのは「ラ・シオタ駅への列車の到着」だろう。画面奥から手前に列車が近づいてくるだけのわずか50秒のフィルムである。初めて「列車の到着」を見た観客は迫りくる列車にクソを漏らすほどビビり、あわててスクリーンの反対側に逃げ出してしまったという逸話が残されているが、実際そんなことはなかったという意見もある。いや、上の文章はぶっちゃけ誇張したけど、編者も本当にあったかどうかは眉唾くらいに考えたほうがいいと思う。
映画は19世紀末ごろには既に日本にも上陸していた。そのころの日本では、映画は「活動写真」と呼ばれ、映画館は「活動小屋」と呼ばれていた。現在でも完成した映画フィルムを「シャシン」、映画館を「コヤ」と呼ぶ人が映画関係者をはじめ多く存在している。
1900年代
1902年、世界で初めて物語構成を持ち、複数のシーンで構成された映画である「月世界旅行」がフランスで製作される。監督は元マジシャンのジョルジュ・メリエス。ちなみに「映画監督」を職業としたのは彼が初めてである。
原作は一応ジュール・ヴェルヌの「月世界旅行」だが、後半はH・G・ウェルズの「月世界最初の人間」もごっちゃになっている。SFファンとしてはまさに夢のコラボ。ロケット(大砲から発射されるというトンデモない代物だが、これは原作どおりであるので何も問題はない)が月の表面に着陸するシーンは「ポンキッキーズ」で観た人も多いだろう。ちなみに現在はパブリックドメインとなっているのでニコニコ動画でも鑑賞できる。
翌年のアメリカではこれまた世界初の西部劇「大列車強盗」が製作、公開された。ちなみに「大列車強盗より昔にも西部劇があったらしいが行方不明」。 こちらの作品ではクロスカッティング(異なる場面のシーンを交互に撮影、映写する技法。フラッシュバックとも)、ロケーション撮影を行い、興行的にも成功を収めた。ラスト、観客に向かって発砲するシーンは有名・・・?というかメタフィクションネタの最古といっていいんじゃないか。
みんな大好きアニメ映画は1906年の「愉快な百面相」が世界初らしい。観ておいて損はない。・・・多分。
1910年代
新しい映画表現を求める若い映画人たちが西海岸に移住。ハリウッドが形成されはじめる。
気候が良く、撮影にもってこいという理由もあるにはあるが、実際には別の理由も存在する。
トーマス・エジソン再び。映画関連の特許を多数保有していた彼は、活況を呈する映画業界に目をつけ、その利益を我が物にしようとたくらんでいた。実際はこんなに大袈裟でもないと思うが、まあそういうことにしとこう。面白いし。
そこで設立されたのが「モーション・ピクチャー・パテンツ・カンパニー」、通称MPPCである。通称エジソン・トラストとも言われる。このトラストは映画関連の特許を盾に映画会社にビシバシ訴訟を繰り広げていたエジソンと彼の映画会社と、そのエジソンが特許使用許可を出した大手映画会社による映画上映のための組合であった。もっと詳しいことはWikipediaに書いてある。
しかし、当時アメリカ映画の3分の1、もしくは4分の1を支えていたのはMPPCに属さない独立系の映画会社であった。彼らは金の亡者エジソンの魔の手から逃れるため、アメリカ西海岸はカリフォルニア州にどんどん移動し、現在のハリウッドの原型になった、という話なのである。ちなみにMPPCはその後なんやかんやあって10年もしないうちに消滅した。あわれエジソン。
のちに「映画の父」という凄いあだ名で呼ばれるD・W・グリフィスが、「國民の創生」、「イントレランス」、「散り行く花」を製作、公開。モンタージュ、カットバック、クローズアップなどといった現在に通じる映画技術の発明によって映画文法の基礎を築いたとかなんとか。ちなみに「國民の創生」では黒人に対する人種差別が物議を醸したり(なんてったってKKKが「正義の味方」として出てくるのだから!)、「イントレランス」では映画史上最大級のセットまで作ってしまったりなど、映画史的にはいろいろ話題に事欠かない人物である。
ちなみに1910年には「フランケンシュタインの怪物」が初の映画化。 「ふんがー!」
1920年代
ソ連に世界初の国立映画学校創設。映画監督のレフ・クレショフが教授として招かれた。クレショフは学内に設けた自身のワークショップ「クレショフ工房」においてモンタージュ理論を打ち立て、その実験を行った。クレショフ効果を参照。
1925年、クレショフ工房の生徒の一人であるセルゲイ・エイゼンシュテインが「戦艦ポチョムキン」を製作。本作はモンタージュ手法を確立した映画として非常に重要な映画である。「オデッサの階段」の場面は映画好きなら観なくてはいけないはず。というか観て損はない。というか観ろ。こちらも著作権切れのため鑑賞可能のはずだが、ニコニコ動画では消されてしまった模様。今頃どこかでひっそり再うpしてるかな?
1927年ついに世界初のトーキー「ジャズ・シンガー」が公開。
You ain't heard nothin' yet! (お楽しみはこれからだ!)
―――映画史上初めてのセリフ
トーキーとは映像と音声が同期した映画の事。ここから一気にトーキーが世界中で普及していく。しかし日本の活動弁士(サイレント映画の解説役)や、あの「喜劇王」チャールズ・チャップリンなどはサイレント映画に固執した。
同年にあのVIP先生で有名な「メトロポリス」が公開。本作は映画史初期のSF映画の傑作であり、メディア問わず多くのSF作品に影響を与えた普通に凄い作品である。監督は「M」、「ドクトル・マブゼ」のフリッツ・ラング。
1929年、アメリカでアカデミー賞が始まる。といっても最初は今みたいに大仰なものでは全然なく、女優のジャネット・ゲイナー(初年度にて主演女優賞を受賞した)は「ちょっとした内輪の集まりだったのよ」と述べている。初年度は作品賞が2作品あり、ウィリアム・A・ウェルマンの「つばさ」とF・W・ムルナウの傑作「サンライズ」の2つが受賞した。
1930年代
1932年、ヴェネツィア国際映画祭が始まる。ベネチアでもヴェネチアでもベネツィアでもない。ヴェネツィアである。
1935年、フランク・キャプラの「或る夜の出来事」が公開。初のスクリューボール・コメディ(常識外れの男女が喧嘩しながら恋に落ちるという、ラブコメの元祖みたいなジャンル)作品で大ヒットした。アカデミー賞でも主要5部門を受賞した。
30年代末から40年代にかけて、イタリアでネオ・リアリスモ運動が起きる。主な中心的な作家はルキノ・ヴィスコンティ、ロベルト・ロッセリーニ等。「自転車泥棒」も有名な作品。貧困にあえぐイタリア社会をリアルに映し出そうとしているんだそうだが、編者はここらへんは殆ど観てないのでなんとも・・・
ちなみに現興行収入No.1映画「風と共に去りぬ」も30年代の作品。
ちなみにフランケンシュタインの映画が3作品も公開されている。「ふんがー!!!」
1940年代
この当時アメリカは映画製作本数が年間400本を越えており、黄金時代を迎えていた。
超スーパーミラクルな太った映画監督アルフレッド・ヒッチコックがアメリカで映画製作を開始。「レベッカ」が1940年のアカデミー作品賞を受賞。もっと評価されるべき。
史上最高の映画といわれているオーソン・ウェルズの「市民ケーン」も40年代に公開。
1950年代
1951年 今度はドイツでベルリン国際映画祭がはじまる。これで世界三大映画祭が出揃った。
「赤狩り」の影響でアメリカの多くの映画作家が追放されてしまう。その中にはみんな大好きチャップリンの姿も・・・。
またこの年代には最大の敵「テレビ」が出現。観客動員数が減少の一途を辿り、「テレビにはマネのできない大作を」という方針も功を奏すことはなかった。黄金時代の終焉である。
イタリアの映画監督フェデリコ・フェリーニが「道」「カビリアの夜」でアカデミー賞外国語映画賞を受賞。ヒッチコックはこの時期が最盛期で「裏窓」 「めまい」 「北北西に進路を取れ」など名作が多数。
この時代は「雨に唄えば」のようなミュージカル映画が流行を見せる。
またまたフランケンシュタインの派生作品が2本公開。 「ふんがー!!」
日本ではゴジラが誕生し、世界中がその特撮技術の高さを賞賛した。
ジェームズ・ディーンをスターにした「エデンの東」が55年に公開。
そして、50年代の映画監督で忘れちゃいけないのがこの人。
そう、史上最低の映画監督エド・ウッドである。
『グレンとグレンダ』『プラン9・フロム・アウタースペース』『死霊の盆踊り』・・・
「ゴミのような映画はいくらでもあるが、映画のようなゴミを作るのはエド・ウッドだけ!」という言葉もあるほど。
しかし、たとえどのような「最低」の評価を受けようとも、エド・ウッドは映画への情熱を燃やしつづけたのである。
そのひたむきな姿勢は賞賛されてしかるべきではないだろうか。かのティム・バートンもリスペクトをささげてるわけだし。
1960年代
フランスでヌーヴェルヴァーグという運動が起きる。(フランス語で新しい波という意味)すっごく簡単にいうと1950年代末から1960年代中盤までの若い作家が製作した作品の事。だと思う。トリュフォーの「大人はわかってくれない」が有名。俺にはさっぱりわからない。
1962年にはアメリカのキングコングと日本のゴジラが対決する「キングコング対ゴジラ」が公開。日米夢の怪獣対決が実現。
1963年公開「クレオパトラ」が制作会社である20世紀FOXを潰しそうになる。なんなんだアンタ。
アメリカではアメリカン・ニュー・シネマ(New Hollywood)が流行。反体制的な人間のの心情を綴った作品の事だと思う。代表的な作品に「俺たちに明日はない」「明日に向かって撃て!」など。明日嫌いすぎ。
ヒッチコックの数ある作品の中でもっとも有名な『サイコ』が60年に公開。なに?ヒッチコックを贔屓しすぎだって?
1964年、東京オリンピック開幕。「東京オリンピック」という記録映画が市川崑監督によって撮られるが、その芸術性の高さからいろいろ論争に。
1965年、ガメラ誕生。ゴジラの二番煎じながら、回転しながら空を飛ぶ、子供の味方といった差別化をはかり人気に。
1968年にはSF映画という概念そのものを変えたとも言われるスタンリー・キューブリック監督による
大・大・大傑作「2001年宇宙の旅」が公開された。嘘みたいだろ。アポロが月に行く前に作ったんだぜコレ。
フランケンシュタインは3作品、また派生モノが出現している。
例:「フランケンシュタイン対地底怪獣」(日米合作)
なお、上記の続編「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」は日本の民話「海彦山彦」をモチーフにしたオリジナル長編怪獣映画で、なかなかの名作との評価。
1970年代
ドイツの作家達がニュー・ジャーマン・シネマととしてもて囃される。ただこれといって共通するものはなく同世代、同時期の映画作家の総称。らしい。
アメリカではパニック映画がブームになる。1972年の「ポセイドン・アドベンチャー」、1974年の「タワーリング・インフェルノ」が有名。このブームは今後のハリウッド映画の基礎を形造るモノだった。かもしれない。タイ○ニックとかタイタ○ニックとかなのかな。アル○ゲドンとかディー○・イ○パクトとかじゃないか。
昔の大作映画は主に人間ドラマ、物語を重視してきたがパニック映画では観客の目を引く特殊効果、技法を重視するようになっており、近年のハリウッド映画の特徴を形成している。細かい設定などはなんかよくわからなくなる。こまけぇこたぁいいんだよ!
鮫の映画(←さすがにこれはスピルバーグに失礼ではないか)「ジョーズ」が75年に公開された。
ちなみに「ヤング・フランケンシュタイン」公開。 「ふんがー!」
同年にゴジラが「メカゴジラの逆襲」で眠りに付く。
1977年 「スター・ウォーズ」が公開し、大大大ヒット。SFブームを巻き起こす。また特殊効果(SFX)が注目を浴びる。正直、監督のジョージ・ルーカスは本作はコケると予想していたらしい。同じ年にライバルのスティーブン・スピルバーグが「未知との遭遇」を公開しているが、実際にはこっちの方がコケた(内容が評価されたのは後年になってから)。
1980年代
先進国を中心にビデオが急速に普及。スタジオにとって新たな収入源であり、新たなビジネスが展開された。1989年、ソニーがコロンビア映画を、パナソニックがユニバーサル・ピクチャーズを買収し、日本産業による大手スタジオの買収が続いた。
1981年、「インディ・ジョーンズ」シリーズがスタート。
1982年「ブレードランナー」。2つで十分ですよ。タンホイザーゲート。
1984年に9年の眠りからゴジラが目覚める。そして翌年本当に三原山が噴火。ゴジラの祟りか?
1985年に公開された「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が大ヒットし、アメリカではフューチャー現象なるものが起きた。日本でも大変評価が高く、80年代の映画No.1と聞かれ本作を挙げる人も多いだろう。
ハートマン軍曹が登場する「フルメタル・ジャケット」も80年代の作品だぞ!このウジ虫どもが!
ニコニコでも絶大な人気を誇る「コマンドー」も1985年の作品だ。「OK?」 「OK!(ズドン)」
1989年、日本の元号が平成に変わり、ここから平成○○シリーズと題されたかつての人気シリーズの復活作品が幾つも公開された。
ちなみに平成ゴジラシリーズの「ゴジラvsビオランテ」も89年だ。薬は注射より飲むのに限るぜ、ゴジラさん!
またまたまた「フランケンウィニー」も公開された。 「ふんがー!」
1990年代
スピルバーグ監督作品「ジュラシックパーク」が世界興行収入記録を塗り替える大ヒット。本作のコンピュータ・グラフィックは後の映画に大きな影響を与えた。与えたんだよ!
1993年 日本で初めてシネマ・コンプレックスがオープン。意味は同一の施設に複数のスクリーンがある事だよ!逆にスクリーンが1個しかない映画館はミニシアターというよ!よく覚えとけクソ共!
1995年 世界初長編フルCGアニメーション「トイ・ストーリー」が公開。
同年ラース・フォン・トリアー等によりドグマ95運動が始まる。詳しくはコチラ→ドグマ95
クエンティン・タランティーノ監督や、ポール・トーマス(良い方の)・アンダーソンといったビデオ世代の映画監督が出現。
1994年に「フランケンシュタイン」公開。主役はロバート・デ・ニーロ。 「ふんがー!」
1995年、ゴジラ死す(「ゴジラVSデストロイア」)。同年ガメラ復活(「ガメラ 大怪獣空中決戦」)。
1998年、ガズィーラGODZILLAがニューヨークに上陸。ン?何か姿が違・・・
日本の学者は日本を襲った怪獣と同類とは認めていないようです。
1999年、ガメラが片腕を失い、ギャオスとの果て無き死闘へと旅立つ(「ガメラ3 邪神覚醒」)。
1974年の映画「ノストラダムスの大予言」の舞台になった1999年だったが、特に何事も無く世界は平和だった。
2000年代
デジタルシネマの動向が活性化。将来的には大半がデジタルビデオカメラによる撮影になるかもしれないらしい。というかなった。(2014年現在)
スピルバーグなどは未だフィルム撮影に固執している。
CGが発達し、「トランスフォーマー」や「ロード・オブ・ザ・リング」などの大作が製作された。
また、J・K・ローリング原作の魔法ファンタジー小説「ハリー・ポッター」シリーズの映画化作品が人気に。
2005年にはスター・ウォーズ最終映画(のはずだった)「エピソード3 シスの復讐」が公開。
また、過去には「当たらない題材」とされていた海賊の活躍する映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズがディズニーにより製作され、大人気となった。
近年アメリカ映画は日本の漫画の実写化や過去の作品のリメイクが目立ってきており、日本では大変不振である(なお、先述の「トランスフォーマー」も元を正せば日本の玩具が元ネタ)。
一方日本映画は東宝グループが圧倒的な強さを見せている。
しかし、2005年にゴジラシリーズが終了してしまい、以降は「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズなどのノスタルジーや「世界の中心で愛を叫ぶ」などの恋愛映画などが主流になり、男性には少々退屈な状況。
しかしながら、ライバルの東映も負けてはおらず、『相棒』シリーズの劇場版のようなシリアスな刑事ドラマや『平成仮面ライダーシリーズ』『スーパー戦隊シリーズ』といったオールスターモノの特撮映画、『プリキュアシリーズ』『ONE PIECEシリーズ』『DRAGON BALL Z』などのサブカルチャー路線での大ヒットを連発している。
2009年、ジェームズ・キャメロン監督12年ぶりの新作『アバター』が公開。そのあまりに斬新な3D映像は世界中に3D映画のブームを巻き起こした。ゲームでも、3D対応やら、ニンテンドー3DSみたいにとにかく3Dが流行ったのだ。
2010年代前半
2012年、やっぱし「フランケンウィニー」公開。世界初の3Dモノクロアニメの触れ込みだったが、日本では「ONE PIECE FILM Z」の公開にモロ被りしてしまい、大コケ。「憤慨~!」
また、実写版の「るろうに剣心」が公開。
公開前の期待値は低かったが、いざ公開されると「理想的な実写化」と評価が覆り、シリーズ化された。
2013年、宮崎駿監督が「風立ちぬ」を最後に引退宣言(長編をだよ?短編はやるらしいけど・・・)。同じ年に高畑勲監督の「かぐや姫の物語」も公開。
後に宮崎監督は引退を撤回し、現在「君たちはどう生きるか」と題した新作を撮影中と報道されている。
なお、高畑監督はこの「かぐや姫の物語」が最後の作品となり、遺作となった。
さらに2013年には(日本では2014年だけど)ディズニー完全新作アニメ「アナと雪の女王 (原題:FROZEN)」が公開。この映画はアメリカ映画として「アバター」以来のスーパーギガヒット作となり、各国でアニメ映画の動員記録をも塗り替えた。内容は評価されたものの興行的に微妙だった「シュガー・ラッシュ」や散々な評価だった3Dアニメ「プレーンズ」で評価が揺らいでいたディズニーアニメだったが、その王道でありながらも、過去のディズニー映画に無かった要素を取り入れたことが高く評価されたことでディズニーアニメ映画そのものの復古とも言われた。「風立ちぬ」とはアカデミー賞長編アニメーション部門での対決があったが、映像表現、ストーリー共にアナ雪が評価され、残念ながら宮崎監督は賞レースでの結果は残せず有終の美とはならなかった。
また、アナ雪のサウンドトラック、特に「Let it Go」は音楽不況の時代にあって、原語版、各国の翻訳版、果てはニコニコやYoutubeでの素人歌唱も含めて世界的な特大ヒットを飛ばした。
さらに、2013年には日本の怪獣映画を大いにリスペクトしたレジェンダリーの誇る大作『パシフィック・リム』が公開。KAIJU対巨大ロボイェーガーの対決に世界中が熱狂。国内では吹き替え版の豪華キャストとはっちゃけぶりも話題になった。
そして来る2014年、遂に映画館に奴が帰ってきた。そう、ハカイダーもだけど破壊神『GODZILLA -ゴジラー』。残念ながら(?)アメリカ産だが、マグロ食ってるような映画ではないという前評判どおりで、実際に世界中で大ヒットを記録。これに合わせて日本映画専門チャンネルでは『毎月5の付く日はゴジラの日』として歴代作品を全部放送し、54年版の元祖ゴジラも4Kリマスターで再上映など、前年のパシリムに続いてにわかに特撮映画が活気付いた。
2010年代後半
2015年、バック・トゥ・ザ・フューチャー Part2で描かれた未来の年には、車が空を飛びこそしなかったものの、ハリウッド大作が相次いで公開された。
「ターミネーター:新起動/ジェネシス」「ジュラシック・ワールド」「スター・ウォーズ フォースの覚醒」といった一度はシリーズ終了と思われた作品が次々復活した洋画の当たり年であった。
また、ダニエル・クレイグ版ジェームズ・ボンドシリーズが「007 スペクター」にて一応ストーリーの完結をみることとなったが、後任者は未だ発表されておらず、続投説も聞かれる。
一方で翌2016年は邦画の当たり年となり、2004年以来12年ぶりの復活となった国産ゴジラ映画の『シン・ゴジラ』が公開。
監督がエヴァンゲリオンシリーズの庵野秀明とあって、公開前から期待と不安双方の意見が聞かれたが、結果的に「やっぱり霞を食ってるようなのはヤバいな」と、数々の賞レースを総なめにし、出演俳優は軒並み売れっ子になったほか、FINAL WARSで一度は死んだシリーズを完全復活させたとして、新生ゴジラの復活は大いに歓迎された。
さらに、ゴジラの翌月には国内アニメ映画の記録を大きく塗り替えることになった『君の名は。』が公開。
当初は全く宣伝らしい宣伝もなされていなかったが、口コミで人気が爆発し、1000万人以上もの観客動員を記録した。また、輸出も行われ海を越えてのヒットとなったが、娯楽作ゆえにゴジラとは対照的に賞レースにはあまり恵まれず、アカデミー賞ノミネートも選外だった。
2017年はディズニーの実写版「美女と野獣」の大ヒットに加え、これまたシリーズ復活作となった「パイレーツ・オブ・カリビアン 最後の海賊」などがヒット。
このほか、ミニオン人気の高い「怪盗グルーのミニオン大脱走」も公開。
また、前年の「君の名は。」のヒットにあやかろうとアニメ映画も数多く製作され、「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」「ひるね姫 ~知らないワタシの物語~」「夜明け告げるルーのうた」「きみの声をとどけたい」「メアリと魔女の花」などシリーズものでない単発のオリジナルアニメ映画が公開されている。この中にはルーのようにアヌシー国際アニメーション映画祭グランプリを獲得するような評価の高い作品があった一方で、興行的に失敗したものもあり、まさしく群雄割拠となっていた。
さらに、前年に復活した国産ゴジラは「GODZILLA 怪獣惑星」というアニメ映画シリーズで再びスクリーンに帰って来た。
翌2018年には、5年ぶりのシリーズ第2作となる「パシフィック・リム:アップライジング」が公開。再び人類とKAIJUとの激闘が描かれた。このころには3D映画以上の仕掛けを施した4DX、MX4Dといった公開形態も増えている。
また、4月にはスティーヴン・スピルバーグ監督久々のSF映画「レディ・プレイヤー1」が大ヒットを記録。劇中ではガンダム RX78-2 vs メカゴジラの夢の対決も描かれ大いに観客を沸かせた。
2019年は、洋画では「アナと雪の女王2」「アラジン」「トイ・ストーリー4」、邦画では「天気の子」が公開され大ヒット。「アベンジャーズ/エンドゲーム」に至っては世界の歴代興行収入1位となった。この数々の大ヒットにより、日本の年間興行収入・入場者数は過去最多を記録した。
2020年代
2020年、1月に「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」が公開されヒット。このまま明るい新年を迎えるかに見えたが、新型コロナウイルス感染症 (COVID-19) が流行したことで、洋画邦画問わず次々と上映延期、もしくは配信に切り替わってしまう。4・5月には緊急事態宣言があったこともあり、映画館が閉鎖されたことで、映画の上映がストップしてしまい、映画界では暗黒の年となってしまった。
再開後は、洋画では「パラサイト 半地下の家族」「TENET テネット」、邦画では「今日から俺は!!劇場版」「コンフィデンスマンJP プリンセス編」がヒットを記録したものの、様々な大作が公開を取りやめた影響は大きく、昨年と比較して入場者数は落ち込むことになった。
そんな中で10月に公開されたアニメ映画「劇場版 鬼滅の刃 無限列車編」は、テレビアニメの単なる続編(しかも深夜アニメ)・閑散期での公開と言う不安要素があったにも関わらず、公開最初の3日間で動員342万人、興行収入46.2億円と言う桁違いの記録を叩き出すと、そのままわずか約2ヶ月で興行収入300億円を越える大ヒット。そのまま、日本の歴代興行収入1位を塗り替えてしまった。映画館にとっては同作の影響は大きく、救世主のような扱いをされることになった。
コロナの影響が一段落した2023年にはゴジラ生誕70周年記念作品として7年ぶりの国産ゴジラ映画となる『ゴジラ-1.0』が公開。この作品はそれまでのゴジラの起点とされていた1954年をさらに遡る形で1945~1947年頃を舞台としたシリーズ初の時代劇となり、少ない予算ながらも迫力のあるVFX特撮で世界的な大ヒットを記録、そして2023年のアカデミー賞ではゴジラシリーズ、ひいては邦画としては初の視覚効果賞ノミネートを果たし、最終的には受賞に至った。
関連項目
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