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街を守る良いヤクザ とは、文字通り街を守る良いヤクザという概念である。
概要
現在ではヤクザとは基本的にならず者、犯罪集団ではあるが、そうではなくて「街を守るヤクザであって悪い奴らでは無い」ということ。なお、この記事における「ヤクザ」は暴力団を意味する言葉として扱う(本来は「役立たず」「迷惑者」程度の意味なので、社会の役に立っている者にはそもそも使われない言葉である)
ヤクザの精神性を表す「任侠」(「義侠」「武侠」「侠客」とも言う)という言葉が、「弱きを助け、信義を重んじ、そのために命さえ張る」という意味で、本来は任侠というものはアウトローではあるが弱者を救い体制と戦うようなものであった。古くは日本では清水の次郎長親分など
また、日本では敗戦直後、治安が著しく悪化し、犯罪が横行したり、大陸からやってきたゴロツキが戦勝国気取りで犯罪を平気で犯すといったことが起きると、闇市などでヤクザは自警団的な存在として「一応は」治安維持に貢献することもあった。当時はヤクザに見かじめ料を払うことは無意味ではなかった訳であり「街を守る良いヤクザ」という表現もあながち間違いではなかったかもしれない。
その後、警察が十分に機能するようになるとヤクザが治安維持を担う余地は無くなり、ただの犯罪者集団になり下がってしまった。従って「街を守る良いヤクザ」というものは現代日本では既に存在していないとされている。さらに言えば暴対法によって雁字搦めにされた現代のヤクザは犯罪者集団として活動することも容易ではなく(代わりに半グレが台頭している)組の看板を守ろうという意地だけで細々と過ごしている状態である。
しかし、本当に完全にヤクザを潰してしまうと、ヤクザに属しない半グレ集団がさらに好き勝手に活動したり、ヤクザより怖いチャイナマフィア等が押し寄せるからある意味ヤクザの存在は「街を守っている必要悪」という意見もある。
また、有名な暴力団である山口組は、一応、阪神大震災が起きたとき、炊き出しを行うなど被災者を支援する活動を行ったため、一部からは評価する声もあったり、ハロウィンで近所の子供たちを招待しお菓子を配った際は「これが街を守る良いヤクザか」と言われた[1]。
創作では
創作では、そのような存在が(ヤクザ賛美だという非難もあるが)描かれることがある。
最も、イングランドでの『ロビンフッド伝説』や、中国の『水滸伝』など、地位は無いが腕っぷしは強く民からは慕われる、アウトローな主人公が権威を傘に不正を働く悪代官を懲らしめるストーリーは古くから親しまれてきた。
直接的にヤクザを題材とした物では多数の仁侠映画やゲーム『龍が如く』などが有名である。
『吉本新喜劇』では、しばしばだいたい辻本茂雄とかが演じているヤクザではあるが人情深く、最後には問題を解決するきっかけとなったり、悪いヤクザや詐欺師を退治したり、滑稽なギャグで笑いを誘うトリックスター的な良いヤクザが登場する。
漫画『ニセコイ』では主人公の実家がヤクザで継ぐ事を拒否していたのだが、最終回にて「そこまで悪いヤクザでは無くむしろ悪者が街に入って来るの防いでいる」設定が明かされ、その唐突さからツッコミが入り
「街を守る良いヤクザ」概念を揶揄として広まった面がある。
漫画『チェンソーマン』では登場人物の一人:サムライソード が自分の亡き祖父は女子供は数える程しか殺してない正義のヤクザ、いわば必要悪だったと長台詞で語るシーンがあるが、主人公の上司であるマキマは「日本を海外マフィアから守る必要悪」と主張する別のヤクザを「自分を正当化する言い訳」と一蹴した上で「必要な悪というのは常に国家が首輪をつけて支配しているもの」とサムライソードの言葉に対するアンサーを返している。同じジャンプ漫画にそんなこと言われてしまっては集英組も立つ瀬がない。
前述の通りヤクザが社会に必要とされるのは警察が十分に機能していないときである。そのため作中における敵役が何らかの理由で警察では対処できない存在である場合には「街を守る良いヤクザ」にも一定の説得力が出てくる。たとえばスパイダーマンやセーラームーンなどの公権力に属さないヒーローがそれに該当するだろう。「ウォッチメン」「魔法少女まどか☆マギカ」などはヒーローをヤクザと同等の存在として描いた作品と言える。
関連項目
脚注
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