佐渡島(さどがしま)は、新潟県の沖合に浮かぶ離島のひとつ。新潟県最大の島で、佐渡金山やトキ保護センターなどで有名。単に「佐渡」と呼ばれたり、「佐渡ヶ島」と表記されたりもする。
稲妻マークのような形をした島で、古くから日本海の交通の要衝として重要視されてきた島である。かつての律令国制では島一つで「佐渡国」と位置付けられていた。
江戸時代には全島が幕府領とされ、明治時代には相川県、佐渡県を経て新潟県の一部となり今に至る。平成の大合併で「一島一市」のスローガンのもとに島内の全市町村が合併し、全島が佐渡市となっている。現在の人口は6万人。
金山を擁し古くから佐渡の中心都市であった相川、北の玄関口で大合併以前は唯一の市であった港町の両津、南の玄関口である小木などが島内の主要都市。
後述する佐渡金山で有名な島だが、それ以前は流刑地として使われてきた歴史があり、日蓮や世阿弥といった錚々たる面子がここに流されている。それらを物語る史跡も多い。
南北ふたつの山地の間に平野が広がる島で、平野部では農業が盛ん。おもな港として、東部の両津港、西部の小木港が国の重要港湾に指定されている。江戸時代では日本海交通の重要な拠点であったが、航海技術の発達に従って重要性が薄らいでいる。
近くを流れる暖流の影響か、北陸ながらも新潟県本土よりも冬が暖かく、平野部は雪が積もりにくいという。
島内には両津港から小木港まで、国道350号線が島を横断している。350号線は海上区間のある国道で、新潟市を出発して両津港に着き、佐渡を通って小木港から再び海上へ、そして上越市に上陸するというルートを取っている。このため、指定ルートの海上を走る連絡船には国道の標識がついている。
佐渡と言えば金山。金山の麓にあった相川では砂金が採れることが知られていたが、実際に金鉱脈が発見されたのは江戸時代がスタートした1601年のことで、徳川家が上杉家から佐渡を没収した後に見つかったとされる。
江戸幕府はその重要性から佐渡島全体を幕府直轄領として支配し往来を管理、貨幣経済を支える重要な鉱山として栄え、相川を中心に佐渡は大きく発展する。全盛期には鉱夫の草履から洗い落とした砂ですら莫大な富を生み出すほどで、労働者の給与水準も高かったが、一方、過酷な労働条件から「佐渡の金山この世の地獄」とまで言われたともいう。盛んに採掘を続けた結果山が真ん中で真っ二つに割れてしまった「道遊の割戸」は国の史跡に指定されている。
明治維新以降は国営となり、後に三菱マテリアルに払い下げられた。明治期になると欧米から電気や動力機械等の新技術が導入され、日露戦争以降急速に拡大した軍拡の決済需要に応えるべく増産体制が取られ、太平洋戦争前の1940年には最大の採掘量を記録した。
戦後は軍拡需要の消滅と鉱脈の枯渇による採掘体制の縮小、市場経済の変化による金需要の低迷も拍車をかけ採掘がコストに見合わなくなってくるとその事業は縮小していった。それでも細々と採掘はおこなわれていたが1989年(平成元年)についに採掘を中止、閉山した。
現在では鉱山遺構の一部が整備され観光地として公開されている。鉱山関連の展示や有料で一部坑道に入る体験ツアーが行われている他、12.5Kgの純金インゴットを触って取り出すチャレンジもやっていたが、純金インゴットの時価総額が設置当時の1,250万から1億7,000万円に跳ね上がり、かつ簡単な取り出しテクニックがYouTubeで広まったため防犯上の理由から現在は中止に追い込まれている。
2024年7月に佐渡金山のうち江戸時代以前に開発された「相川鶴子金銀山」と「西三川砂金山」の遺構群が「佐渡島の金山」として世界文化遺産として登録された。
そのほか、世界文化遺産ではないが近代化産業遺産に登録されている北沢浮遊選鉱場跡や、歴史的景観として相川の鉱山町が注目を集めている。
主な産業は農業・漁業である。米どころ新潟県らしく佐渡でも稲作は盛んで、このほかシイタケ栽培や酪農などが行われている。本土より温暖な気候を生かして果樹の栽培も広く行われており、特に佐渡名産の柿「おけさ柿」は新潟県の特産品として本土に出荷されている。暖流が流れ込む佐渡周辺は日本海の海の幸を集める海域で、鰤や蟹、烏賊など様々な海産物が水揚げされる。また島内の加茂湖では牡蠣の養殖も行われている。
佐渡のもうひとつの大きな柱が観光業である。有名な佐渡金山跡やたらい舟体験のほか、磯葉や魚影を求める釣り人も多い。朱鷺(とき)の保護繁殖を行う佐渡トキ保護センターを擁するトキの森公園など様々な佐渡ならではの観光施設も存在する。
)。航路は新潟港―両津港間ではジェットフォイル「ぎんが・つばさ・すいせい」およびカーフェリー「ときわ丸・おけさ丸」が就航、直江津港―小木港間ではカーフェリー「こがね丸」が就航している。所要時間はフェリーで片道約2時間30分~40分、高速船で片道約60分。
かつては寺泊港―赤泊港でも定期便が就航していたが2019年に廃止されている。
空路はかつて新潟空港から佐渡空港への定期便が就航していたが2008年に廃止されている。
2024年現在ではトキエアが佐渡―新潟間の定期便就航を計画しているが、補助金を巡る不祥事、および佐渡空路への導入を予定していたATR42-600Sの開発中止により先行きは不透明となっている。
島内には鉄道がないため路線バスが唯一の公共交通機関である。戦前には相川と夷(後の両津)とを結ぶ鉄道も計画されたが鉱山の増産体制が優先され結局は着手されなかった。国鉄時代にはフェリーを介して国鉄との連絡切符が発売されており、島内の主要な拠点にはバス駅が設置されていた。それらバス駅が公式に駅を名乗らなくなった今でも、当時からのバスターミナルは島民の間では「駅」と呼ばれ、交差点の名称などにも駅の名が残る。
観光客向けの交通手段としてはレンタカー・レンタルバイクの他、電動キックボード、電動アシスト自転車のレンタルを行う業者が多数存在する。
「新潟県道45号 佐渡島一周線」という、名前の通り島内の海岸を一周する県道があり、これは総延長167.2kmの日本一長い都道府県道である。
掲示板
28 ななしのよっしん
2024/06/07(金) 07:17:35 ID: 8ZwJplw+tt
何気に本格的ですね。
ユネスコの諮問機関 「佐渡島の金山」に「情報照会」の勧告
https://
>文化庁によりますと、世界文化遺産への登録を目指している新潟県の「佐渡島の金山」について、ユネスコの諮問機関は4段階の評価のうち上から2番目の、「情報照会」の勧告をまとめました。
>「情報照会」は追加で情報を提出させた上で次回以降に再度審査をするものですが、最近では「情報照会」の勧告をうけたものがその年の世界遺産委員会で登録が認められるケースも相次いでいます。
>政府は来月、インドで開かれる世界遺産委員会で世界文化遺産への登録を目指し対応していくとしています。
>「佐渡島の金山」をめぐっては、韓国が「朝鮮半島出身の労働者が強制的に働かされた場所だ」として反発した経緯があり、政府は韓国と丁寧な議論を行っていく姿勢を示していました。
29 ななしのよっしん
2025/01/16(木) 20:56:24 ID: YsRpeSEvia
当時は機械化が進んでいた中で手作業で掘削や精錬していたことも評価ポイント
30 ななしのよっしん
2025/02/22(土) 09:45:38 ID: YcF3njd7fn
佐渡が新潟市の手前にあるお陰で、佐渡にを降らすから、新潟市はある程度雪を防げてるんだよな(海風の影響もあるけど)。
新潟市民としてはマジで佐渡に足向けて寝られねえな……。
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最終更新:2025/12/16(火) 08:00
最終更新:2025/12/16(火) 08:00
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