Macintosh(マッキントッシュ)とは、Appleの独自アーキテクチャに基づくパーソナルコンピュータである。愛称・通称はMac(マック)。
Apple Computer(当時)が1984年に販売を開始した。以来、何度もCPUおよびハードウェアの設計が刷新されており、互換性を失わせるアーキテクチャ変更も数多い。2001年には搭載OSがClassic MacOSからUNIXベースのMac OS X(現macOS)に変更になった。
基本的に互換機を認めていないが、1994年から1998年にかけてROMをライセンスしMacintosh互換機が発売されていた時期があった。
ジェフ・ラスキンが1979年のプロジェクト立ち上げ時にリンゴの品種McIntosh(日本名:旭)にちなみ命名した。aが入っているのはオーディオのマッキントッシュ・ラボ (McIntosh Labs) と区別するため。
Macintoshを正式名称として当初は広く呼ばれていたが、略称としてMacが併用され、OSの名称も「Mac OS」と称した。2000年頃から21世紀初頭より次第にハードウェアの名称も正式名称の段階で「Mac」とされ、2010年頃よりApple公式でも略称のMacとしか呼ばれておらず「Macintosh」の名称は用いられなくなった。Wikipediaの記事名も「Mac (コンピュータ)」となっている。なお、OSの名称は2016年より「macOS」とmacを小文字表記としている。
初代Macintoshはスティーブ・ジョブズの手になるものとして知られるが、プロジェクトの発足は1979年にさかのぼる。Macintoshプロジェクトを立ち上げたジェフ・ラスキンはGUIに批判的な人物で、テキストベースのインターフェースを持ったマシンとして構想されていた。ところが、先行するLisaプロジェクトを追われたジョブズが1982年にMacintoshの開発チームを乗っ取り、ラスキンはAppleを去った。MacintoshはジョブズのもとでGUIマシンへと舵が切られていくことになる。
実際に発売されたMacintoshはLisa同様にMC68000(8MHz)を搭載しつつも、徹底的な低コスト化が図られ、メインメモリは128KBしかなかった。9インチ白黒ディスプレイとソニー製の3.5インチフロッピーディスクドライブを1基搭載するオールインワン型の製品で、ジョブズのこだわりによって一切の内部拡張性がなく、本体に空冷ファンは取り付けられなかった。OSの機能は全てシステムソフトウェアとして64KBのROMに搭載された。1MBのメモリとメモリ管理ユニット(MMU)を搭載していたLisaと出来る限り同等の機能を実現するため、涙ぐましい努力が重ねられたが、Lisaが持っていた協調型マルチタスク機能とメモリ保護機能は切り捨てざるを得なかった。Macのシステムソフトウェアは一般ユーザー向けとしては世界初の本格的なGUIを提供したことで知られるが、ウィンドウのオーバラップ描画、WYSIWYG(画像表示と印刷の完全な一致)などをハードウェアによる描画支援なしに実現した点で画期的なものである。さらにパソコンはビーブ音しか出せないのが当たり前、良くてFM音源...という時代にPCM音源を標準搭載していた。
1984年1月の伝説的なCM「1984」とともに鮮烈なデビューを飾ったMacintoshは、2495ドルという画期的な低価格が評判となった。ところが、これだけの意欲的な機能を盛り込んで128KBのメモリはあまりにも小さく、同年9月にメモリを512KBに増強したモデル(Macintosh 512K、Fat Mac)が発売された。Fat Macが出回ったことでMicrosoft Excelのような本格的なビジネスアプリが現れた。LisaはMac互換ROMを搭載した上位機種であるMacintosh XLとして再販された。
初期の一体型のMacintoshはコンパクトMacと呼ばれる。1986年1月に本体メモリを1MBに増強してSCSIポートを備えたMacintosh Plusが世に送り出され、最大4MBまでのメモリ増設をサポートした。1987年3月に拡張スロットとADBポートに加え冷却ファンを搭載したMacintosh SEが発売され、初期のコンパクトMacを悩ませた熱問題が解決された。
Macintosh SEと同日に、初のセパレート型マシンであるMacintosh IIが発売された。MC68020を搭載した初の32bit機であり(実際には68000も内部32bitアーキテクチャである)、本体にビデオ回路を持たないかわりに6基のNuBusスロットを搭載し、カラー表示をサポートした。複数のビデオカードを挿すことで複数の画面表示(マルチモニタ)が可能であった。
翌1988年には IIxへのアップデートでMC68030に移行。68030はMMUを内蔵するが、この機能が仮想記憶対応で生かされるようになるのは1991年のSystem7からである。Lisaで実現されていたメモリ保護機能はClassic Mac OSでは最後まで実現しなかった。1989年にはNuBusスロットを3基に半減してコンパクトにした IIcxが、続いてビデオ回路を本体に内蔵し、32bitクリーンなROMを採用して最大搭載可能なメモリの増えた IIciも発売され、ロングセラーとなった。同年には初のポータブルマシンであるMacintosh Portableが世に送り出されたが、重量7.2kgと気軽な持ち運びが困難なものであった。翌1990年に登場した IIfxは当時最高性能を誇ったが、メモリの仕様が変わっており、動作も不安定ということで失敗作としての扱いを受けている。これらの機種はいずれも高価で、比較的低価格なIIciですらカラーディスプレイやプリンタ、アプリケーションソフトウェアなど一式を揃えると100万円を軽く超え、「車が買える」とよくネタになった。
1980年代後半のMacintoshのハードウェア部門を率いたジャン=ルイ・ガセーの戦略は高価格・高級路線であった。彼はシステムソフトウェアの外部へのライセンスや廉価モデルの発売に反対し、CEOを務めていたジョン・スカリーと対立し会社を追われた。ガセー追放後の1990年10月、1000ドルのコンパクトマシンMacintosh Classic、ピザボックス型と呼ばれる小型の薄型筐体のLC、IIシリーズのローエンドマシンIIsiの低価格ラインアップ3機種が世に送り出される。このうちLCはAppleII互換ボードを搭載でき、当時教育市場で広く使われていたAppleIIからMacintoshへの橋渡しの役目を果たした。
1991年10月には、68040を搭載したQuadraシリーズ(Quadra 700と900)を発表。それまでのMacintoshシリーズで採用されていたCPUである68030との性能差は最大で3倍、Macintoshとしては初めてイーサネットポートを搭載し、またセパレートMacとしては初めて縦置きを前提としたデザインを採用した。
同月には、Macintosh Portableと同等の性能を重量2.3kgにおさめたPowerBook シリーズも発表された。実際の開発作業は主にソニーが担当した。キーボードを奥、トラックボールを手前に配置し左右のスペースをパームレストとした画期的なレイアウトは、その後の(Appleとソニー以外のメーカーを含めた)ノートパソコンのデザインの雛形となった。PowerBookシリーズは、Appleを一時東芝を抜いてポータブルコンピュータメーカーのトップに押し上げるヒット作となった。
1992年には、家電量販店向けに多くのソフトウェアをバンドルし(当時のMacでは別売りだった)キーボードなども同梱したPerformaという低価格ラインアップをスタートさせる。同シリーズはPC-9800寡占であった日本でも1995年くらいにかけてMacが大きくシェアを拡大させる原動力となった。しかし、同時期にPC/AT互換機との競争が激化したこともあって、Appleにとっては「売れば売るほど赤字になる商品」となってしまった。1992年に薄型軽量のPowerBookとして登場したPowerBook Duoシリーズは、 本体をDuo Dock、Duo MiniDock と合体させることで自宅ではデスクトップパソコン同様に使えるという意欲作であった。
1991年10月、AppleとIBM、モトローラの3社間で、AIM連合と呼ばれる企業提携が結ばれた。当時、IBM 801に端を発するRISCプロセッサがめざましく性能を向上させていたが、モトローラの68Kの後継チップであるMC88000は開発が難航していた。そこで、Appleは実績あるRISCチップを持つIBMと手を結ぶことにしたが、一社だけでは供給に不安があり、モトローラに話を持ちかけたのである。こうして開発されたのがPowerPCである。IBMはPowerPC版AT互換機ともいうべきPReP規格を定め、インテルにより築かれつつあったパソコンCPU市場独占を崩そうと目論んだ。
1994年3月、第1世代のPowerPC Macとして発売されたのが、Power Macintosh 6100/7100/8100の3機種である。従来の68Kに比べ性能は劇的に向上していたものの、筐体も内部アーキテクチャも前機種となる68k MacのQuadraシリーズのものをほぼそのまま引き継いでいた。最初のPowerPCであるPowerPC 601は、IBMの大型コンピューター向けCPUであるPOWER1を基にMC88000のバスを組み合わせたものであった。従来とはCPUが全く違うにもかかわらず、Apple が開発したMac 68Kエミュレータにより、ほとんど完全な互換性を維持した。
同時期にAppleが打ち出したのが互換機路線である。Toolbox ROMを外販し多様な製品を提供することによってMacintoshの市場拡大を図ったのだ。また、PReP規格にMacOSも加え、CHRPとして将来のMacintoshのオープンアーキテクチャ化を目指した。
1995年8月に、第2世代のPower MacintoshとなるPower Macintosh 7200/7500/8500/9500が発売された。PRePの仕様を部分的に取り込んでPCIスロットが採用され、Power Macintosh 8500/9500では第2世代PowerPCであるPowerPC 604が新たに搭載された。さらに、Power Macintosh 7200以外は、CPUがドーターカード形式となって交換が容易になった。同月、PowerPC搭載の初のポータブルMacとして発売されたPowerBook 5300はバッテリー発火やヒンジのひび割れ、配線の断線など品質面の問題が多くあり、史上最悪のApple製品の一つとして悪名高い。
1996年、Appleは在庫地獄に陥ったPerfomaから撤収し、後継機種としてPower Macintosh 4400を発売する(日本での発売は97年)。これは筐体はスチール製、前面パネルは平板で、オートイジェクトのフロッピーディスクドライブとプラチナホワイトの本体色を除くとおよそApple製品らしからぬ(AT互換機のような)外観である。ロジックボードも互換機メーカーでもあるモトローラの設計に基づいていて、事実上はApple自身によるCHRP機といえた。
日本市場をターゲットとしたMac史上唯一無二のサブノートパソコンが、PowerBook 2400c、コードネームCometである。日本IBMとの共同開発で、1997年の発売当初、日本ではかなりのヒット作となったものの、アメリカ市場での評価は低く、これ以降、ターゲットを地域限定としたモデルは開発されたことがない。
1997年12月に第3世代のPower Macintosh、その名もPower Macintosh G3が発売される。同機はPowerPC G3ことPowerPC 750を搭載、CHRPアーキテクチャに基づき当時PC/AT互換機で主流になっていたSDRAMの採用をすることにより、メモリー周りの性能が大きく向上していた。本来は互換機メーカーから同等の機種が多数発売されるはずであったが、経営の実権を取り戻していたスティーブ・ジョブズの意向でライセンスを強行的に打ち切った。結果として同機の産む莫大な利益はAppleにそのまま転がり込むこととなった。一方で同機の外部インターフェースはADB、シリアルポート、SCSIとほぼ従前のままである。2001年に登場したMac OS X v10.0/10.1では初代Power Macintosh G3以降がシステム要件となっている。
1998年に登場し、Old Worldマシンの最後を飾ったのがPowerBook 2400c/240とPowerBook G3(Wallstreet)である。前者はCometのマイナーチェンジ版に過ぎなかったが、後者は流線型の流麗なデザインで、ポータブルコンピュータとして当時世界最高(Power Macintosh G3と同等)の性能を誇った。拡張ベイを2機搭載し、その両方にバッテリを装備したり、セカンドHDDの搭載も可能だった。
1998年8月発売の初代iMac以降の製品群を、New Worldアーキテクチャという。従来のMac(これをOld Worldと呼ぶことがある)との違いは、ブートプログラムにOpen Firmwareを搭載し、Mac OSがハードウェアから独立したことにある。それまでのMacはMac OSがなければ起動すらできなかったのである。
初代iMacは、ポリカーボネート製半透明ボディの非常に特徴的な外観であったが、仕様も非常に思い切ったものだった。上位機種のPower Macintoshと同様のPowerPC G3とATI Rageシリーズ、10/100BASE-Tイーサネットを搭載するが、シリアルポート、フロッピーディスクドライブ、ADB、SCSIなどを軒並み廃止しUSBに集約した。内部アーキテクチャはAppleが独自開発したUni-North システムコントローラ(AT互換機のノースブリッジに相当)とKeylargo I/Oコントローラ(AT互換機のサウスブリッジに相当)を組み合わせた非常にシンプルな構成である。この設計はG4末期までほぼそのまま踏襲された(G5はIBMと共同開発したチップを使っており、また設計が異なる)。
1999年1月のPower Macintosh G3 (Blue & White)は、ポリカーボネート製で半透明の独特の外見から「ポリタンク」の異名がある。iMacと同様、USBを搭載し、シリアルポート、フロッピーディスクドライブ、SCSIなどを廃したが、ADBは残されている。またSCSIの後継インターフェースとしてFireWireを搭載した。
2006年1月10日にIntel Coreを搭載したMacBook Pro以降の製品群をIntel Macという。Intel化以降のMacはチップセットもIntel製となり、コンピューターのハードウェアとしてはIBM PC/AT互換機とあまり変わらないものとなった。OSはmacOSのみならず、Microsoft Windowsの起動も可能である。
2020年6月にAppleはMacにおいてIntel製のチップの採用を止め、自社製のチップであるAppleシリコンを採用すると発表した。同年11月にAppleシリコンのApple M1を搭載した初のMacが登場して以降、MacはAppleシリコン搭載へと移行している。
Apple直営の「Apple Online Store」および直営店「Apple Store」で直接販売を取り扱っている。直営店と一部の量販店では基本モデルの他にカスタマイズした構成のMacを購入することが可能。
掲示板
104 ななしのよっしん
2023/08/16(水) 13:18:10 ID: zyTcaPuDqu
68K〜PowerPC初期のMacはアップグレードサービスがあって、SE/30(1989年)で8.1(1998年発売)を動かすことすらできたんだが、8.5以降は切り捨てがエグくなった。
PowerPCなんて10.6で切られた
最近はまたサポートが長くなる傾向。Intelが切られるのは仕方ないが、AppleシリコンMacは最低でも10年はサポートを続けてほしいなーと思っている。
105 ななしのよっしん
2023/08/16(水) 13:20:20 ID: zyTcaPuDqu
>>99
P.A. SemiのPA6Tチップ搭載Mac、見たかったな....
106 ななしのよっしん
2023/08/25(金) 14:44:51 ID: zyTcaPuDqu
自宅のMacがCore i5-5250U、会社PCがCore i5-1235Uなんだが、会社PCは触ってて不思議とハイスペック感がないんだよな。なんならMacの方がサクサク感がある
メモリはどちらも8GB、SSDは自宅Macが128GBに対し会社PCが512GBだから、後者の方が快適でないとおかしいんだが
急上昇ワード改
最終更新:2024/10/10(木) 17:00
最終更新:2024/10/10(木) 17:00
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