ジョンヘンリーとは……
この記事では2.について記述していく。
ジョンヘンリー(John Henry)とは、1975年生まれのアメリカの元競走馬である。
長い競馬の歴史の中でも屈指の「人生大逆転」ホース。北米史上最多のGI勝利数16を誇る。
世界にはデビュー前の低評価を覆した名馬が数多くいる。「醜いアヒルの子」と呼ばれたシアトルスルー、おまけ売りすら断られたトウメイ、11万円で売りさばかれたテイクオーバーターゲットなどである。低評価の理由は血統、馬体、気性など様々であるが、ジョンヘンリーは低評価の要因が役満という馬であった。
まず血統がひどい。父Ole Bob Bowersは30戦6勝、重賞1勝。この馬以外に活躍した産駒はおらず、ジョンヘンリーが生まれた年になんと900ドルで転売されてしまった挙句、ジョンヘンリーの活躍で再評価されることすら無く1988年に25歳でひっそり死亡したというトホホな馬。ただし産駒はやたら頑丈な馬が多かった(ここ伏線)。
母Once Doubleも19戦2勝といいところなし。ついでに牝系には40年ほとんど活躍馬なし。母父Double Jayは最優秀2歳牡馬を受賞したほかリーディングブルードメアサイアーに4回輝き、1969~81年にかけて13年連続でBMSランキングの5位以内に名を連ねたという名馬だが、それを差し引いてもクソとしか言いようが無い。
馬体もひどいもので、成長が遅く小さいうえに凹膝(膝が脚に対して後ろに引っ込んでいる状態。故障しやすく嫌われる)。この馬体が嫌われ、1歳時のセリではなんと1100ドルで売っ払われた。当時のレートが1ドル305円くらいなので、日本円で34万円くらい。これは安い。購入者も「まるで濡れたネズミのようだ」という有様であった。じゃあなんで買ったんだ。
おまけに気性もひどい。セリの最中から頭を壁にぶつけ、血まみれの状態で購入されたジョンヘンリー。購入されてからも気性は悪化し、鉄製の桶を破壊して踏みつけるなどの問題行動を繰り返した。まあ、その様子が、19世紀アメリカの伝説的英雄ジョン・ヘンリーがハンマーで鋼鉄を打つ姿に重ねられ、その名を与えられたきっかけにはなった。だから馬名だけは立派なものである。
しかし彼の気性は調教師や厩務員が命の危険を感じるほどで、2歳時に再び売り払われてしまう。今度は2200ドル。当時の為替が1ドル290円くらいなのでだいたい64万円。倍額に跳ね上がったがそれでも格安である。ここでも気性難は改善されず、成長促進の意図もあって哀れジョンヘンリーは去勢されてしまう。それでも気性は治らなかったけど。
しかししばらくして馬を買いに来た親子がドラム缶を蹴りまくってたジョンヘンリーを気に入り、1万ドルで購入。やっとこさ厩舎も決まった。しかしこんな馬でも1万ドルで売れるもんなんだなぁ。
デビュー前に評価が低かった名馬は、割と早くに頭角を現し評価を覆していることが多い。シアトルスルー、*サンデーサイレンス、オグリキャップの如くである。
しかしこのジョンヘンリー、デビュー後の戦歴もひどいものだった。2歳時にはなんと11戦を使われ3勝。しかも3勝はいずれもレベルの低い競馬場でのもの。4戦目には落馬競走中止の憂き目に遭っている。
3歳になっても成績は一向に上がらず、ついにはクレーミング競走(出走馬が売りに出されているレース)に追いやられてしまう。しかもそこでも勝てず、買い手すら現れない有様。本当にどうしようもない。
この頃、ニューヨークに住むルービンという老夫婦に売却されたジョンヘンリー。夫のサムがある日馬を所有しようと思い立ち、友人に相談したところこの馬がやってきたという。つまりこの夫婦、一度もジョンヘンリーを見ないで購入したことになる。馬体を見たら絶対買わなかったと思うが、そもそも馬のことを知らなかったらしいからなぁ……。
で、やっぱりクレーミング競走に出たジョンヘンリー。しかしここを2馬身半差で快勝。次もクレーミング競走だったがなんと14馬身差で快勝。このレースでジョンヘンリーは初めて芝に移っており、ルービン夫妻への売却と共に転厩した警察官上がりのロバート・ドナート調教師の見込みが当たった。しかしここでも買い手は現れず、ジョンヘンリーは生涯ルービン夫妻所有で走ることになる。
その後は勝ったり負けたりだったが4勝を挙げ、9月には初の重賞制覇を果たしている。しかも12馬身差で。とはいえこの圧勝は無駄にムチを入れられた結果らしく、この時騎乗したJ.エイミーという騎手はルービン夫妻の怒りを買って降板させられた。
ちなみに3歳最後のレースはチョコレートタウンHというレースで、優勝賞品に杯いっぱいのチョコレートをもらったが、ルービンさんは甘党で全部食べてしまったらしい。
そんなこんなで、3歳時は19戦6勝。膝がアレと言われていた馬をこんだけ走らせるのもどうかと思うが、それで壊れないこの馬も大概である。2歳時からの通算は既に30戦9勝である…。
4歳早々にドナート師とルービン氏で意見が割れ、レフティ・ニッカーソン厩舎に転厩したジョンヘンリー。ニッカーソン調教師は「聞いていたより大人しい」と思ったそうで、この頃には気性難はいくぶん改善されていたといわれる。
この頃になると一般競走は楽に勝てるようになったが、ハンデキャップ競走や重賞ではまだ苦戦する状況が続いた。そんな中、競馬場の双眼鏡売りに「芝の大レースが多い西海岸に本拠地を移してみては」と助言されたルービン氏はニッカーソン調教師に相談し、紆余曲折を経てジョンヘンリーはニッカーソン師の友人であるロン・マッカナリー調教師の下に移った。ちなみに、転厩した後もマッカナリー師は賞金をニッカーソン師と折半していたという。
マッカナリー師は馬に惜しみなく愛情を注ぐ調教師で、ジョンヘンリーもすっかり懐いたらしい。西海岸では4戦2勝2着2回(うちGII2着1回)と戦績が安定、やっとこさ見れる馬になってきた。しかしこの馬、4歳時にも11戦使われてる……。「間違いなく故障する」とはなんだったのだろう。
5歳初戦、元日に重賞に出たジョンヘンリー。ここをアタマ差勝つと、あれよあれよという間に重賞3連勝。ついにGIサンルイレイSに駒を進める。ここも2番手からきっちり抜け出し、タイレコードで勝利。散々に言われ続けてきた「濡れたネズミ」がついにGI馬になったのである。
これに飽き足らず、さらにGIを2連勝。この後遠征した東海岸では思うような成績を残せなかったが、西海岸に戻ってきた後で年末にオークツリー招待Hを勝ち、もう一つGI勝利を上乗せ。この年GI4勝の活躍でエクリプス賞最優秀芝牡馬・騸馬を受賞する。200~300万円の馬がエクリプス賞ですよ。アメリカンドリームもいいところである。
6歳になっても快進撃は止まらない。初戦のGIIをひょいと勝ち、GIサンタアニタHも苦手だったダートを克服し勝利。サンルイレイS、ハリウッド招待Hと芝GIを2連勝。ハリウッドゴールドカップは不利を受け繰上の3着に敗れるが、再び遠征した東海岸でもGIIIで圧勝、新設された100万ドル競走バドワイザーミリオン(後のアーリントンミリオン)では出遅れを喫しながらも激闘の末に並み居る強豪を抑えて勝利し、初代王者として名を刻む。
さらに、当時古馬ダート戦線の総決算だったGIジョッキークラブゴールドカップも数々の強豪馬を抑えて勝利。この勝利でスペクタキュラービッドの記録を抜き、北米史上最高獲得賞金馬となる。続けてオークツリー招待Hを連覇し、もう一つ芝でGI勝利を積んだジョンヘンリーは、この年9戦7勝・GI5勝の大活躍。ついに年度代表馬の座を射止める。しかも史上初の満票で。2016年まで下っても、三冠馬アメリカンファラオしか成し遂げていない偉大な記録であった。二冠馬プレザントコロニーが涙目になったが。
7歳初戦のサンタアニタHはハナ差2位入線だったが道中ずっと勝ち馬に不利を受けていたため繰り上がりで優勝。しかしサンルイレイSで3着に敗れ3連覇を逃すと体調不良で長期休養となってしまう。
復帰した10月にはオークツリー招待H3連覇を達成するが前後のGIIで3着に敗れるなど案外な成績。しかも遠征したジャパンカップでは1番人気に支持されながら自己最悪の13着に敗れてしまう。
おまけに日本遠征の疲れを抜くのに時間がかかり復帰は8歳7月。引退させないのが不思議である。この年は初戦のGIIこそ勝つがその後5歳以降では初の3連敗を喫するなど精彩を欠く結果。年末にGIハリウッドターフカップを勝ったことで最優秀芝牡馬には返り咲くが、不完全燃焼に終わった。そりゃもう8歳だもん。これまで74戦(!?)も使ってるし、もうダメだろ……。
ちなみに8歳時に出走したジョッキークラブゴールドカップ(5着)で、ジョンヘンリーは2頭の馬と顔を合わせた。1960年代に5年連続年度代表馬という途方もない記録を打ち立てた18歳年上の「キング・ケリー」ことケルソ、1970年代に4年連続年度代表馬に輝いた5歳年上の「最強のハンデキャップホース」ことフォアゴーである。2頭ともセン馬(去勢された馬)であり、既に現役を引退していたが、引退競走馬財団の資金調達行事の一環としてベルモントパーク競馬場に来場しており、レース前に行進をしたのである。で、複数資料によれば、ジョンヘンリーもこの行進に参加したらしい。レース前の競走馬を行進させんなよ……とは思うけども、史上最も優れた騸馬と言われた3頭の揃い踏みだし、観客の歓喜がどれほどであったかは想像に難くない。
9歳初戦のサンタアニタHを5着と敗れ3連覇を逃し、続くサンルイレイSも3着に敗れたジョンヘンリー。さすがにもうダメかなぁ……と思われた矢先、5月のGIIIをレコード勝ちし米国史上初の9歳馬による重賞勝利を達成。返す刀でGIハリウッド招待Hも勝利する。GIハリウッドゴールドカップは2着だったが、芝に戻ったGIサンセットHは斤量差をものともせず勝利。
生涯最後となる東海岸遠征の道すがら、バドワイザーミリオンに参戦。後のBCマイル馬ロイヤルヒロインや日本で個性派種牡馬として名を馳せた*クリスタルグリッターズら豪華メンバーが顔をそろえたが、敵ではないと言わんばかりの完勝。実にこのレース3年ぶりの2勝目を挙げる。東海岸ではターフクラシックSでもう一つGI勝利を加え、最終戦も快勝。
この年第1回だったBCクラシックこそ脚部不安を理由に回避した(馬主のルービン氏が高い追加登録料を嫌ったためでもある)が、9戦6勝の大活躍で9歳馬にして年度代表馬に返り咲いた。最優秀古馬牡馬・騸馬はスルーオゴールドに持っていかれたが、あっちはダートが主戦場だし仕方ない。この年稼いだ賞金は233万6550ドルに上り、年間獲得賞金額の北米記録を樹立した。9歳馬でこの成績はちょっと尋常じゃない。
この後10歳になっても現役を続ける予定があったというが、調教中に屈腱炎を発症。10歳という高齢もあるし、これにて引退することとなった。
通算83戦39勝。この時点でおかしい。実はOle Bob Bowersの産駒はやたら頑丈な馬が多く、100戦以上した産駒が6頭もいたらしいのだが、そもそもデビュー前に「間違いなく故障する」と思われてた馬が9歳までほとんどケガなく走ってた時点で偶然というか奇跡というか……。
GIは通算16勝、重賞は25勝。長らく世界一だったGI勝利数記録は2018年になって豪州馬ウィンクスに抜かれたが、重賞勝利数を含めて今なお燦然と輝く北米記録である。これほどの記録を打ち立てたのは、繁殖という使命のない騸馬だった故に長期間現役にあったことも一因であるとは思われる。ケルソやフォアゴーも非常に現役生活の長い馬だった。ちなみに「20世紀のアメリカ名馬100選」に選ばれている騸馬はいずれも50戦以上出走しかつ20勝以上を上げており、これがアメリカにおいて騸馬が名馬と認められるうえでの参考になる数字であろう。
とはいえ、現役であることと勝てることはまた別次元の話であるので、やっぱりジョンヘンリーは異常である。生涯で獲得した賞金は約660万ドルであり、ルービン夫妻は購入価格の約600倍の賞金を手にしたことになる。こんな馬を数千ドルで取引していたかつての所有者たちは何を思うのだろう。
GI16勝の内ダートは3勝のみ、戦績から見ても明らかに芝が向く馬であった。小柄だったし、力のいるダートは向かなかったのだろう。その点ではダートが格上のアメリカという舞台はちょっとアレだったかもしれない。
逃げて勝ったこともあるが、基本的には差し馬であった。外から飛んでくる黄色いシャドーロールはよく目立ったようで大きな人気を集め、ジョンヘンリーが出走したレースは観客が倍に増えたそうな。
前述の通り気性が荒いことで知られたが、賢い馬ではあったようで、自分で勝手にレースを進め、レース後には電光掲示板を見て自分のレース結果を確認していた(と主戦の一人であるクリス・マッキャロン騎手が語っていた)。また、自分の膝が弱いのを知っていたのか、落ちている石を踏まないように上手くよけて歩いていたという。一方で負けず嫌いでもあったらしく、負けたのに厩務員を引きずって表彰式場に歩いていこうとしたという逸話がある。
総括すると、良くも悪くも我が強い馬で手は焼かせるが、レースでは抜群の能力と賢さを発揮する、すんげー丈夫な馬ということになる。デビュー前の評価からは到底考えられないような偉大な成績である。
引退後はケンタッキーホースパークで、先輩の名騸馬フォアゴーと共に余生を送った。一時現役復活も取り沙汰されたが屈腱炎で立ち消えになっている。フォアゴーとジョンヘンリーの2頭がいたことでパークに多くの来客がやってくるようになったという。
1997年、5歳上のフォアゴーに先立たれてからも長生きし、2000年から数年間は、かつて年度代表馬を争った名馬プレザントコロニーとも共に過ごした。3歳年下の彼にも2002年に先立たれたがなおも長寿を保ち、2007年夏に患った腎臓疾患がもとで重篤な脱水症状を起こしたため、多くの関係者に看取られながら安楽死の処置を受け世を去った。32歳の大往生だった。
かつて名勝負を繰り広げたアーリントンパーク競馬場には「Against All Odds(全ての見込みを引っくり返す)」、余生を送ったケンタッキーホースパークには「A Lasting Legend(永遠の伝説)」と刻まれたジョンヘンリーの銅像が残されている。
| Ole Bob Bowers 1963 鹿毛 |
Prince Blessed 1957 鹿毛 |
Princequillo | Prince Rose |
| Cosquilla | |||
| Dog Blessed | Bull Dog | ||
| Blessed Again | |||
| Blue Jeans 1950 鹿毛 |
Bull Lea | Bull Dog | |
| Rose Leaves | |||
| Blue Grass | Blue Larkspur | ||
| Camelot | |||
| Once Double 1967 黒鹿毛 FNo.8-c |
Double Jay 1944 黒鹿毛 |
Balladier | Black Toney |
| Blue Warbler | |||
| Broomshot | Whisk Broom | ||
| Centre shot | |||
| Intent One 1955 黒鹿毛 |
Intent | War Relic | |
| Liz F. | |||
| Dusty Legs | Mahmoud | ||
| Dustemail | |||
| 競走馬の4代血統表 | |||
クロス:Bull Dog 4×4(12.5%)、Blue Larkspur 4×5(9.38%)
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最終更新:2025/12/28(日) 00:00
最終更新:2025/12/28(日) 00:00
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