ジョンヘンリー 単語


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ジョンヘンリー

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ジョンヘンリーとは……

  1. 多くの歌、物語演劇小説で扱われているアフリカアメリカ人の労働者階級の英雄
    ウェストバージニアあたりで伝説化された怪力巨人鉄道工夫、と言われているが、19世紀の話にもかかわらず実在を裏付ける確たる拠がない。
  2. 1.を名前の由来とするアメリカの元競走馬

この記事では2.について記述していく。


ジョンヘンリー(John Henry)とは、1975年生まれのアメリカの元競走馬である。

長い競馬歴史の中でも屈の「人生大逆転ホース北米史上最多のGI勝利数16を誇る。

デビューまで とにかくいいところなし

世界にはデビュー前の低評価を覆した名が数多くいる。「醜いアヒルの子」と呼ばれたシアトルスルーおまけ売りすら断られたトウメイ、11万円で売りさばかれたテイクオーバーターゲットなどである。低評価の理由は血統、体、気性など様々であるが、ジョンヘンリーは低評価の要因が役満というであった。

まず血統がひどい。Ole Bob Bowersは30戦6勝、重賞1勝。この以外に活躍した産駒はおらず、ジョンヘンリーが生まれた年になんと900ドル転売されてしまった挙句、ジョンヘンリーの活躍で再評価されることすら1988年に25歳でひっそり死亡したというトホホな。ただし産駒はやたら頑丈なが多かった(ここ伏線)。
Once Doubleも19戦2勝といいところなし。ついでに牝系には40年ほとんど活躍なし。Double Jayは最優秀2歳を受賞したほかリーディンブルーメアサイアーに4回き、1969~81年にかけて13年連続でBMSランキングの5位以内に名を連ねたという名だが、それを差し引いてもクソとしか言いようがい。

体もひどいもので、成長が遅く小さいうえに(膝が脚に対して後ろに引っ込んでいる状態。故障しやすく嫌われる)。この体が嫌われ、1歳時のセリではなんと1100ドルで売っ払われた。当時のレートが1ドル305円くらいなので、日本円で34万円くらい。これは安い。購入者も「まるで濡れたネズミのようだ」という有様であった。じゃあなんで買ったんだ。

おまけに気性もひどい。セリの最中から頭をにぶつけ、血まみれの状態で購入されたジョンヘンリー。購入されてからも気性は悪化し、製のを破壊して踏みつけるなどの問題行動を繰り返した。まあ、その様子が、19世紀アメリカ伝説英雄ジョンヘンリーハンマーで鋼を打つ姿に重ねられ、その名を与えられたきっかけにはなった。だから名だけは立なものである。

しかし彼の気性は調教師や厩務員が命の危険を感じるほどで、2歳時に再び売り払われてしまう。今度は2200ドル。当時の為替が1ドル290円くらいなのでだいたい64万円。倍額に跳ね上がったがそれでも格安である。ここでも気性難は改善されず、成長促進の意図もあって哀れジョンヘンリーは去勢されてしまう。それでも気性は治らなかったけど。

しかししばらくしてを買いに来た子がドラム缶を蹴りまくってたジョンヘンリーを気に入り、1万ドルで購入。やっとこさ厩舎も決まった。しかしこんなでも1万ドルで売れるもんなんだなぁ。

2~4歳:やっぱりいいところなし。でも頑丈だなぁ

デビュー前に評価が低かった名は、割とくに頭を現し評価を覆していることが多い。シアトルスルー、*サンデーサイレンスオグリキャップの如くである。

かしこのジョンヘンリー、デビュー後の戦歴もひどいものだった。2歳時にはなんと11戦を使われ3勝。しかも3勝はいずれもレベルの低い競馬場でのもの。4戦には落競走中止の憂きに遭っている。

3歳になっても成績は一向に上がらず、ついにはクレーミング競走(出走が売りに出されているレース)に追いやられてしまう。しかもそこでも勝てず、買い手すら現れない有様。本当にどうしようもない。

この頃、ニューヨークに住むルービンという老夫婦に売却されたジョンヘンリー。夫のサムがある日を所有しようと思い立ち、友人に相談したところこのがやってきたという。つまりこの夫婦一度もジョンヘンリーを見ないで購入したことになる。体を見たら絶対買わなかったと思うが、そもそものことを知らなかったらしいからなぁ……。

で、やっぱりクレーミング競走に出たジョンヘンリー。しかしここを2馬身半差で快勝。次もクレーミング競走だったがなんと14馬身差で快勝。このレースでジョンヘンリーは初めて芝に移っており、ルービン夫妻への売却と共に転厩した警察官上がりのロバート・ドナート調教師の見込みが当たった。しかしここでも買い手は現れず、ジョンヘンリーは生涯ルービン夫妻所有で走ることになる。

その後は勝ったり負けたりだったが4勝を挙げ、9月には初の重賞制覇を果たしている。しかも12馬身差で。とはいえこの圧勝は駄にムチを入れられた結果らしく、この時騎乗したJ.エイミーという騎手ルービン夫妻の怒りを買って降させられた。
ちなみに3歳最後のレースチョコレートタウンHというレースで、優勝賞品に杯いっぱいのチョコレートをもらったが、ルービンさんは甘党で全部食べてしまったらしい。

そんなこんなで、3歳時は19戦6勝。膝がアレと言われていたをこんだけ走らせるのもどうかと思うが、それで壊れないこのも大概である。2歳時からの通算は既に30戦9勝である…。

4歳々にドナート師とルービン氏で意見が割れ、レフティニッカーソン厩舎に転厩したジョンヘンリー。ニッカーソン調教師は「聞いていたより大人しい」と思ったそうで、この頃には気性難はいくぶん改善されていたといわれる。

この頃になると一般競走は楽に勝てるようになったが、ハンデキャップ競走や重賞ではまだ苦戦する状況が続いた。そんな中、競馬場双眼鏡売りに「芝の大レースが多い西海に本拠地を移してみては」と助言されたルービン氏はニッカーソン調教師に相談し、紆余曲折を経てジョンヘンリーはニッカーソン師の友人であるロン・マッカナリ調教師の下に移った。ちなみに、転厩した後もマッカナリー師は賞金をニッカーソン師と折半していたという。

マッカナリー師はに惜しみなく情を注ぐ調教師で、ジョンヘンリーもすっかり懐いたらしい。西海では4戦2勝2着2回(うちGII2着1回)と戦績が安定、やっとこさ見れるになってきた。しかしこ、4歳時にも11戦使われてる……。「間違いなく故障する」とはなんだったのだろう。

5~6歳:突然の快進撃

5歳初戦、元日重賞に出たジョンヘンリー。ここをアタマ差勝つと、あれよあれよという間に重賞3連勝。ついにGIサンルイレイSに駒を進める。ここも2番手からきっちり抜け出し、タイレコード勝利。散々に言われ続けてきた「濡れたネズミ」がついにGIになったのである。

これに飽き足らず、さらにGIを2連勝。この後遠征した東海では思うような成績を残せなかったが、西海に戻ってきた後で年末にオークリー招待Hを勝ち、もう一つGI勝利を上乗せ。この年GI4勝の活躍でエクリプス賞最優秀芝騸馬を受賞する。200~300万円エクリプス賞ですよ。アメリカドリームもいいところである。

6歳になっても快進撃は止まらない。初戦のGIIをひょいと勝ち、GIサンタアニタHも苦手だったダート勝利。サンルイレイS、ハリウッド招待Hと芝GIを2連勝。ハリウッドゴールドカップは不利を受け繰上の3着に敗れるが、再び遠征した東海でもGIIIで圧勝、新設された100万ドル競走バドワイザーミリオン(後のアーリントンミリオン)では出遅れを喫しながらも闘の末に並み居る強を抑えて勝利し、初代王者として名を刻む。

さらに、当時古ダート戦線の総決算だったGIジョッキークラブゴールドカップも数々の強を抑えて勝利。この勝利スペクタキュラービッド記録を抜き、北米史上最高獲得賞金となる。続けてオークリー招待Hを連覇し、もう一つ芝でGI勝利を積んだジョンヘンリーは、この年9戦7勝・GI5勝の大活躍。ついに年度代表馬の座を射止める。しかも史上初の満票で。2016年まで下っても、三冠馬アメリカンファラオしか成し遂げていない偉大な記録であった。二冠馬プレザントコロニーが涙目になったが。

7~8歳:激走続きのツケかしら

7歳初戦のサンタアニタHはハナ2位入線だったが中ずっと勝ちに不利を受けていたため繰り上がりで優勝。しかしサンルイレイSで3着に敗れ3連覇を逃すと体調不良で長期休養となってしまう。
復帰した10月にはオークリー招待H3連覇を達成するが前後のGIIで3着に敗れるなど案外な成績。しかも遠征したジャパンカップでは1番人気に支持されながら自己最悪の13着に敗れてしまう。

おまけ日本遠征の疲れを抜くのに時間がかかり復帰は8歳7月引退させないのが不思議である。この年は初戦のGIIこそ勝つがその後5歳以降では初の3連敗を喫するなど精を欠く結果。年末にGIハリウッドターフカップを勝ったことで最優秀芝には返り咲くが、不完全燃焼に終わった。そりゃもう8歳だもん。これまで74戦(!?)も使ってるし、もうダメだろ……。

ちなみに8歳時に出走したジョッキークラブゴールドカップ(5着)で、ジョンヘンリーは2頭のと顔を合わせた。1960年代に5年連続年度代表馬という途方もない記録を打ち立てた18歳年上の「キング・ケリー」ことケルソ1970年代に4年連続年度代表馬いた5歳年上の「最強ハンデキャップホース」ことフォアゴーである。2頭ともセン馬(去勢された)であり、既に現役を引退していたが、引退競走馬財団の資金調達行事の一環としてベルモントパーク競馬場に来場しており、レース前に行進をしたのである。で、複数資料によれば、ジョンヘンリーもこの行進に参加したらしい。レース前の競走馬を行進させんなよ……とは思うけども、史上最も優れた騸馬と言われた3頭のい踏みだし、観客の歓喜がどれほどであったかは想像に難くない。

9歳:まだ死んじゃいないぜ

9歳初戦のサンタアニタHを5着と敗れ3連覇を逃し、続くサンルイレイSも3着に敗れたジョンヘンリー。さすがにもうダメかなぁ……と思われた矢先、5月GIIIレコード勝ちし米国史上初の9歳による重賞勝利を達成。返すGIハリウッド招待Hも勝利する。GIハリウッドゴールドカップは2着だったが、芝に戻ったGIサンセットHは斤量差をものともせず勝利

生涯最後となる東海遠征のすがら、バドワイザーミリオンに参戦。後のBCマイルロイヤルヒロイン日本で個性種牡馬として名を馳せた*クリスタルグリッターズらメンバーが顔をそろえたが、敵ではないと言わんばかりの勝。実にこのレース3年ぶりの2勝を挙げる。東海ではターフクラシックSでもう一つGI勝利を加え、最終戦も快勝。

この年第1回だったBCクラシックこそ脚部不安を理由に回避した(馬主ルービン氏が高い追加登録料を嫌ったためでもある)が、9戦6勝の大活躍で9歳にして年度代表馬に返り咲いた。最優秀古騸馬スルーオゴールドに持っていかれたが、あっちはダート戦場だし仕方ない。この年稼いだ賞金は233万6550ドルに上り、年間獲得賞金額の北米記録立した。9歳でこの成績はちょっと尋常じゃない。

この後10歳になっても現役を続ける予定があったというが、調教中に屈腱炎を発症。10歳という高齢もあるし、これにて引退することとなった。

競走馬として総括

通算83戦39勝。この時点でおかしい。実はOle Bob Bowers産駒はやたら頑丈なが多く、100戦以上した産駒が6頭もいたらしいのだが、そもそもデビュー前に「間違いなく故障する」と思われてたが9歳までほとんどケガなく走ってた時点で偶然というか奇跡というか……。

GIは通算16勝、重賞は25勝。長らく世界一だったGI勝利記録2018年になって豪州ウィンクスに抜かれたが、重賞勝利数を含めて今なお然と北米記録である。これほどの記録を打ち立てたのは、繁殖という使命のない騸馬だった故に長期間現役にあったことも一因であるとは思われる。ケルソフォアゴーも非常に現役生活の長いだった。ちなみに「20世紀のアメリカ名馬100選」に選ばれている騸馬はいずれも50戦以上出走しかつ20勝以上を上げており、これがアメリカにおいて騸馬が名と認められるうえでの参考になる数字であろう。 

とはいえ、現役であることと勝てることはまた別次元の話であるので、やっぱりジョンヘンリーは異常である。生涯で獲得した賞金は約660万ドルであり、ルービン夫妻は購入価格の約600倍の賞金を手にしたことになる。こんなを数千ドルで取引していたかつての所有者たちは何を思うのだろう。

GI16勝の内ダートは3勝のみ、戦績から見ても明らかに芝が向くであった。小柄だったし、力のいるダートは向かなかったのだろう。その点ではダートが格上のアメリカという舞台はちょっとアレだったかもしれない。

逃げて勝ったこともあるが、基本的には差しであった。外から飛んでくる黄色シャドーロールはよく立ったようで大きな人気を集め、ジョンヘンリーが出走したレースは観客が倍に増えたそうな。

前述の通り気性が荒いことで知られたが、賢いではあったようで、自分で勝手にレースを進め、レース後には電掲示板を見て自分のレース結果を確認していた(と戦の一人であるクリス・マッキャロン騎手が語っていた)。また、自分の膝が弱いのを知っていたのか、落ちている石を踏まないように上手くよけて歩いていたという。一方で負けず嫌いでもあったらしく、負けたのに厩務員を引きずって表式場に歩いていこうとしたという逸話がある。

総括すると、良くも悪くもが強いで手は焼かせるが、レースでは抜群の力と賢さを発揮する、すんげー丈夫なということになる。デビュー前の評価からは到底考えられないような偉大な成績である。

引退後

引退後はケンタッキーホースパークで、先輩の名騸馬フォアゴーと共に余生を送った。一時現役復活も取り沙汰されたが屈腱炎で立ち消えになっている。フォアゴーとジョンヘンリーの2頭がいたことでパークに多くの来客がやってくるようになったという。

1997年5歳上のフォアゴーに先立たれてからも長生きし、2000年から数年間は、かつて年度代表馬を争った名プレザントコロニーとも共に過ごした。3歳年下の彼にも2002年に先立たれたがなおも長寿を保ち、2007年に患った腎臓疾患がもとで重篤な脱水症状を起こしたため、多くの関係者に看取られながら安楽死の処置を受け世を去った。32歳の大往生だった。

かつて名勝負を繰り広げたアーリントンパーク競馬場には「Against All Odds(全ての見込みを引っくり返す)」、余生を送ったケンタッキーホースパークには「A Lasting Legend(永遠の伝説)」と刻まれたジョンヘンリーの像が残されている。

血統表

Ole Bob Bowers
1963 鹿毛
Prince Blessed
1957 鹿毛
Princequillo Prince Rose
Cosquilla
Dog Blessed Bull Dog
Blessed Again
Blue Jeans
1950 鹿
Bull Lea Bull Dog
Rose Leaves
Blue Grass Blue Larkspur
Camelot
Once Double
1967 黒鹿毛
FNo.8-c
Double Jay
1944 黒鹿毛
Balladier Black Toney
Blue Warbler
Broomshot Whisk Broom
Centre shot
Intent One
1955 黒鹿毛
Intent War Relic
Liz F.
Dusty Legs Mahmoud
Dustemail
競走馬の4代血統表

クロスBull Dog 4×4(12.5%)、Blue Larkspur 4×5(9.38%)

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