「レースが始まったら、そこはアタシたちの世界。でしょ?」
ミスターシービー(ウマ娘) とは、Cygamesのメディアミックスプロジェクト『ウマ娘 プリティーダービー』の登場キャラクター。
実在の競走馬「ミスターシービー」をモチーフとするウマ娘である。 CV:天海由梨奈
誕生日:4月7日 身長:166cm 体重:増減なし スリーサイズ:B84・W55・H80
自由なレースの世界を愛するウマ娘。
彼女の醸す常識に縛られない雰囲気は、不思議なカリスマ性がある。
ーーと、一見気ままな自由人に見えるがそれは、納得が出来ないことは絶対しない、そんな頑固さがあるからで……?実は人一倍不器用なウマ娘なのかもしれない。
アニメ版第2R(第2話)に1カットのみ登場したウマ娘。同じくアニメ第1Rで初登場し、実在の競走馬の名前を持つキングヘイローがポータルサイトに追加されたのに対し、長らくポータルサイトに姿を現さなかったが、2021年2月23日の「ぱかライブTV Vol.4」で正式に新ウマ娘として加入することが発表され、同日キャラクター紹介ページに追加された。
毛先の跳ねた黒のロングヘア―で、右耳の辺りに「CB」の飾りがついた小さな帽子を被っている。勝負服はウエストが大きく開いたスーツタイプ。膝から下は見切れているのでデザインがわからず、演出で炎に照らされていたため正式なカラーも不明確である。
第2Rで描かれた授業の中で、「最近の三冠ウマ娘」としてシンボリルドルフ、ナリタブライアンと共に名前を挙げられた。
またアニメ第2期第1話ではシンボリルドルフ、マルゼンスキーと共に日本ダービーを観戦しており、シダーブレードに期待を寄せていた。シダーブレードはミスターシービーに対し「運命レベルの何か」を感じていたが、これはシダーブレードのモデル馬であるシャコーグレイド(鞍上の蛯名正義はこれがダービー初騎乗)がミスターシービー産駒であることに由来すると考えられる。同レースにはトウカイテイオー(モデル馬はシンボリルドルフ産駒)、リオナタール(モデル馬はレオダーバン、マルゼンスキー産駒、鞍上は後にテイオーの手綱を握る岡部幸雄)も出走しており、三冠ならぬ参観ウマ娘と一部では呼ばれていたり。
漫画『ウマ娘 シンデレラグレイ』第1Rでアニメ第2R以来の登場、初めてトレセン学園の制服姿と台詞が描写された。シンボリルドルフ、マルゼンスキーと共にゴールドシチーが出走した日本ダービーを観戦、分析していた。
アニメ1期から存在が示されておりサービス開始時点でポータルサイトに記載されているウマ娘ながら、「全く」登場していなかった。育成・サポートの実装はおろか、他人のサポートイベントなどですら出番がなく、ゲーム内で一切姿を見せないという奇妙な扱いだったのである。
レースライバルとして登場するならもってこいの相手であるシンボリルドルフは初期実装だが、もちろんここにも全く関わっていない。
メインストーリー第4章の報酬SSRである[Two Pieces]ナリタブライアンのイベント内で名前だけ登場。
そしてハーフアニバーサリーを迎えた2021年8月20日、エイシンフラッシュの育成シナリオ内のイベントでついに本人が登場した(制服・ジャージのみなので勝負服描写は無し)。12月にはタマモクロスのシナリオ内にも登場。いずれでも貫禄ある先輩としての立場を見せている。
初期の状況に比べればだいぶ進展しつつも、2021年を終えた時点では唯一レース未登場かつサポカ未実装という最後方のポジションにあり、追い上げに期待したいところである。
|
日本競馬史上3頭目の中央クラシック三冠馬。天衣無縫の末脚で鮮烈な勝利を重ねたターフの偉大なる演出家。
1980年生まれの牡馬。父トウショウボーイ、母シービークイン、母父トピオ。父は「天馬」と称された後の顕彰馬、母は父と同じ新馬戦でデビューした同期でこちらも重賞馬である。シービークインは2頭目の仔を死産して以降繁殖能力を失ったため、ミスターシービーには兄弟がいない。
「シービー」の冠名は生産牧場である「千明(ちぎら)牧場」に由来する(CHIGIRA BOKUJO)。
主戦騎手は吉永正人。デビューから引退まで一貫して手綱を取った。
2歳の11月のデビュー戦は先行で勝利したが、3戦目で大出遅れをしながら後方から鋭く追い込み2着まで追い上げ、吉永に追い込みの才能を見出される。3歳時は共同通信杯、弥生賞をいずれも後方からの競馬で勝利し、皐月賞でも追い込みが決まりにくいと言われる不良馬場をものともせず勝利し最初のクラシックタイトルを獲得。
21頭立てで行われた東京優駿(日本ダービー)では、当時存在した「第1コーナーを10番手以内で回らなければ勝てない」というジンクス、所謂ダービーポジションに構わず後方待機から徐々に進出し、最終コーナーで他馬に接触して吉永が騎乗停止になったもののレースの1着は認められ、二冠馬となる。
菊花賞前哨戦の京都新聞杯では調整不足が響いて離れた4着に敗れるが、菊花賞では当時「ゆっくり上り、ゆっくり下る」ことがセオリーとされていた京都競馬場の坂を、先行馬をまくりながら上り、加速しながら下る常識外れのスパートで3馬身差の圧勝。シンザン以来19年ぶり、父内国産馬としては初の三冠達成となった。
3歳秋はジャパンカップと有馬記念を回避して休養し、元々強くなかった蹄の状態が悪化したこともあり復帰は4歳秋までずれ込んだ。復帰初戦の毎日王冠は休養中に宝塚記念を制したカツラギエースの2着に敗れたが、上り3Fのタイムは推定33.7と当時より馬場が良い現代でも遜色ない、規格外の末脚で健在を示す。この年から2000m戦に変更された天皇賞(秋)では、直線一気の末脚で復活の勝利を果たし、四冠馬となる。
続くジャパンカップでは同年クラシック三冠を達成したシンボリルドルフとの対戦が注目されるが、終始後方のまま10着、シンボリルドルフも3着に敗れ、日本馬初のジャパンカップ制覇はカツラギエースの手に渡った。有馬記念ではシンボリルドルフとカツラギエースに追い込み及ばず3着、明けて5歳のサンケイ大阪杯ではステートジャガーの2着、天皇賞(春)では早めのスパートを仕掛けるも直線で力尽き5着に敗れ、故障のためこのレースを最後に引退した。
引退後は1999年まで種牡馬として活動し、2000年に蹄葉炎により死亡。20歳没。晩年は故郷に戻り、母シービークインの側で過ごした。
全盛期だった3歳秋に脚部不安で休養となり、復帰後は真価を出せないレースが続きシンボリルドルフにも全敗という形となったことで、現代では三冠馬としてはやや格下という評価をされがちであるが、凡そ20年ぶりに誕生した三冠馬だったことに加え、常識破りのレーススタイルや端正な容姿から人気は非常に高かった。ミスターシービーの活躍が、後の競馬ブームの下地となったという声は多い。
詳細は当該記事へ→ミスターシービー
|
←モチーフ馬解説動画 |
▶もっと見る
急上昇ワード改
最終更新:2025/12/06(土) 05:00
最終更新:2025/12/06(土) 04:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。