ダンツフレーム(ウマ娘) 単語

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ダンツフレーム

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すごいウマ娘ばっかりだけど、いつか役に!
……なれるといいなぁ、なんて

ダンツフレーム

ダンツフレーム(ウマ娘)とは、Cygamesメディアミックスプロジェクトウマ娘 プリティーダービー』の登場キャラクター

実在競走馬ダンツフレーム」をモチーフとするウマ娘である。CV:福

概要

誕生日4月19日 身長163cm 体重:自信なし スリーサイズ:B90・W60・H88

他人に頼まれたらついつい付き合っちゃう、お人よしなウマ娘
自分に自信はあんまりないけれど、いつまでもレースで走れたらいいな、と願ってひたむきに努している。
流されやすいため、個性的な同期たちによく振り回されているようだ。

プロフィール(ウマ娘ポータルサイト)exitより

2024年2月22日放送の「ぱかライブTV Vol.38」にて発表されたウマ娘2024年5月開の劇場版ウマ娘 プリティーダービー 新時代の』に登場することが合わせて発表された。

史実

2001年皐月賞アグネスタキオン東京優駿ジャングルポケットの2着に敗れるなど善戦マン街道を経て、2002年宝塚記念を制したグランプリホースであり、その寂しい最期でも知られる

1998年4月19日生まれ。*ブライアンズタイムインターピレネー。はともかく牝系地味で、見たも「みたい」と言われたボテッとした体だったが、1歳時の8月のセリで2500万円と、血統と見栄えのわりにはなかなかのお値段で「ダンツ」冠名山元オーナーに落札された。
名の「フレーム」は「Frame)」ではなく、Flame(炎)」である。

東の山内研二厩舎に入厩すると、6月函館ダート1000mの新馬戦くもデビューし2着。2戦で勝ち上がるとそこから芝に転向して3連勝を果たしたが、アグネスタキオンジャングルポケットクロフネタガノテイオーらが2歳戦からバチバチにやり合っていた中には加わることなく2歳を終える。

明けて3歳、きさらぎ賞アグネスゴールドの2着とし、アーリントンカップ重賞初制覇。しかし山内師はダンツフレームのことを「どうしてこんなに走るのかよくわからない」と思っており、血統的にも体的にもマイラーに見えたこと、また前年末から中山の芝状態が悪くタガノテイオー予後不良など故障が続出していたこと、この年の2戦で騎乗した武豊が乗れないことなどから皐月賞の出走は迷っていたという。

結局、トライアルを使わず直行という形で参戦した皐月賞ではアグネスタキオンが1.3倍の断然人気ジャングルポケットが3.7倍でそれに続き、藤田伸二が騎乗するダンツフレームは3番人気に支持されたが16.8倍だった。レースでは何度も不利を受けながらタキオンに食い下がり、ジャンポケは振り切ったものの2着。
これで日本ダービーに向かうことになり、上は離脱したタキオン戦の河内洋となる。ジャンポケクロフネに次ぐ3番人気に支持され、直線では伸びあぐねるクロフネジャンポケと2頭で大外追いべとなったが、ジャンポケに振り切られてまたも2着に敗れた。

神戸新聞杯4着、菊花賞5着、マイルCS5着と地味な結果が続き、半年休んで4歳初戦の京王杯スプリングCも4着。しかし安田記念で後方から追い込みアドマイヤコジーンを捕らえきれなかったものの2着に突っ込み復調を見せる。

そして迎えた宝塚記念。この年の宝塚は12頭立てでGⅠは2年前の菊花賞以来勝ちがないエアシャカールのみという手薄なメンバーダンツフレーム上に皐月賞以来の藤田伸二を迎え、2.4倍の1番人気に支持された。そしてレースは好位で先行すると、直線ではツルマルボーイとの熾な追いべの末、逃げローエングリンを捕らえきり、ツルマルボーイを振り切って悲願のGⅠ制覇を果たした。

かしこの後は燃え尽きたように走が続く。翌2003年読売マイラーズC1600m)→中1週で天皇賞(春)3200m)→中1週で新潟大賞典2000m)というローテを走り、新潟大賞典トップハンデ59kgで勝ったものの、その後の安田記念宝塚記念を敗れたところで屈腱炎を発症してしまう。

復帰は難しいという診断で、9月に中央の競走馬登録を抹消。そして種牡馬入り……したかったのだが、ボテッとした見栄えの悪い体と地味な血統に加え、ブライアンズタイム産駒はほとんどが種牡馬として失敗していたこともあって、ダンツフレームにはろくな種牡馬オファーが来なかった。

結局、中央登録抹消から1年後、ダンツフレーム地方で現役復帰することになる。止寸前の荒尾競馬で1戦叩き南関東で結果を出して種牡馬入りのを模索することになった。しかし地方ダートでは全く結果を出せず、7歳の川崎記念ブービーに敗れたのを最後に今度こそ本当に現役を引退

もはや種牡馬入りのはなく、地方競馬騎手スタッフを育成する地方競馬教養センターで訓練用の乗として第二の生を送ることになったが……新地に移って2ヶ後、炎をこじらせて7歳で死亡した。同期タキオンジャンポケクロフネマンハッタンカフェらが、競走馬としては期の引退に追い込まれながらも、種牡馬としてそれぞれ大活躍したのとはあまりにも対照的な生であった。

詳細は当該記事へ→ダンツフレーム

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