ハイセイコー(ウマ娘) 単語


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ハイセイコー

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ハイセイコー

ハイセイコー(ウマ娘)とは、Cygamesメディアミックスプロジェクトウマ娘 プリティーダービー』の登場キャラクター

実在競走馬ハイセイコー」をモチーフとするウマ娘である。CV丹下桜

概要

中から成長を見守られ、されて、最初のレースブームを巻き起こした立役者
現在アイドルとして変わらずファンを熱狂させている。
爛漫でハートが強く、どんな困難タフに乗り越えてきた。
現役時代は“怪物チャン”とも呼ばれた鉄人

プロフィール(ウマ娘ポータルサイト)exitより

2025年1月29日配信の「ぱかライブTV Vol.49」にて新育成シナリオ「The Twinkle Legends」のキービジュアルにて姿のみお披露され、2月22日配信の「ぱかライブTV Vol.50 4周年記念 ウィンターパーティー!」で正式発表されたウマ娘。お披露の段階で勝負服カラーリングメンコなどから、トレーナーの間では々にハイセイコーであろうという推理が広まっていた。

セントライトスピードシンボリとともに4周年で実装される育成シナリオ「The Twinkle Legends」に登場する。実名での登場だが、「グランドマスターズシナリオにおける三女神と同様、シナリオ限定のサポートキャラとしての扱いで、育成ウマ娘にはならない模様。

特徴的な髪型は、松田聖子髪型が由来の、いわゆる「子ちゃんカット」。ハイセイコー70年代松田聖子80年代なので時代はズレているのだが、どちらも歴史類なきレベル民的アイドルであることと、名のハイ"セイコ"ーからの連想だろう。

史実

大井から中央に殴り込んで皐月賞を制し、第一次競馬ブームを巻き起こして社会現象になり、文字通りの民的人気を獲得して「競馬」のイメージそのものを変えた「元祖アイドルホース」。

1970年3月6日生まれ、*チャイナロックハイユウタケシバオーアカネテンリュウを輩出していた当時のトップサイアー、大井でA級まで勝ち上がった実力というなかなかの良血だったのだが、馬主と同じ)が中央の馬主資格を持っていなかったため、と同じ大井伊藤正美厩舎からデビューすることになった。

デビュー前から評価はとてつもなく高く、予定していたデビュー戦は他のがやっかみ混じりでみんな回避してしまい不成立になってしまったほど。改めてのデビュー戦をいきなりコースレコード(つまり古を含めたレコードで圧勝すると、以降、全て7馬身差以上をつけてデビュー6連勝。6戦重賞青雲賞で打ち立てたレコード1:39.2は、半世紀以上経った現在も破られていないそもそも1分40を切ったハイセイコーしかいないアンタッチャブルレコードとして屹立している。

旧4歳(現3歳)となり、別の馬主にトレードされ中央の鈴木勝太郎厩舎に移籍。「地方怪物が中央に殴り込み」とマスコミに大きく取り上げられた結果、中央デビュー戦の弥生賞には12万人をえる観客が集まった。ややぎこちないレースぶりながらも弥生賞スプリングステークスを制し、敗のまま乗りこんだ皐月賞を先行抜け出しの強い競馬勝する。

地方から敗でクラシックを制したハイセイコー人気は決定的なものとなり、NHK杯を勝って乗りこんだ日本ダービーの単勝支持率は空前の66.6%に達した。しかし2400mはちょっと長かったようで、直線で先頭に立つも力尽き、タケホープの3着に敗れ、不敗神話は11戦ストップしてしまう。

京都新聞杯も2着、菊花賞タケホープハナ差差しきられて2着。ところが負けてもハイセイコー人気は衰えないどころか、単なる「怪物」から「挫折を味わっても挫けずひたむきに走り続ける"怪物クン"」として、オイルショックで高度経済成長が終わった当時の社会の気分とも合致してさらに加熱していき、有馬記念ファン投票では90%える票を集めた(結果は3着)。競馬興味がなくともハイセイコー名前でも知っているというレベルで、この年、ハイセイコーブーム中央競馬馬券売り上げは30%も増えたという。この年の年度代表馬二冠馬タケホープとなったが、ハイセイコーには史上初となる特別賞が贈られている。

5歳(現4歳)は初戦のAJCCこそ惨敗してしまったが、中山記念を大差で圧勝。天皇賞(春)タケホープの6着に敗れたが、宝塚記念レコードで5馬身差の圧勝、高松宮杯も快勝。京都大賞典4着のあと、天皇賞(秋)のステップとして出走したオープン戦(2着)で出血を発症してしまい秋天念の回避となってしまったが、引退レース有馬記念ではタニノチカラに5馬身ちぎられたもののライバルタケホープにクビ差競り勝って2着に入り、現役を引退した。通算22戦13勝。獲得賞金は2億円をえ、当時の中央競馬歴代最多を更新した。

結局、八大競走で勝ったのは皐月賞のみ(当時の宝塚記念は今でいうスーパーGIIぐらいの立ち位置)だったが、文字通りの民的アイドルとなったハイセイコーの存在は当時の競馬に対する「火場」のイメージを払拭し、ハイセイコーを見に競馬場を訪れる膨大なライト層を生み出して、現代へと繋がる競馬人気の礎となった。騎手増沢末夫が歌った「さらばハイセイコー」が50万枚売れたというから凄まじい。1984年顕彰馬制度が出来ると、競走成績ではなくそ人気によって日本競馬に及ぼした貢献によって顕彰馬に選定されている。

引退後は種牡馬として、ダービーカツラノハイセイコGⅠ歴代最高単勝配当のサンドピアリス皐月賞ハクタイセイなどを輩出し、当時の内種牡馬としてはかなりの成功を収めた。直系はさすがに絶えてしまったが、現在でもハイセイコーの血を継ぐは残っている。また、種牡馬となったハイセイコーに会いに繋養先の牧場を訪れるファンも絶えず、現在では当たり前になった「種牡馬・功労に会いに行く」観光モデルの走りともなっている。

2000年5月4日心臓麻痺のため死亡。30歳の大往生だった。ビッグレッドファーム明和の墓碑には「人々に感銘を与えた名、ここに眠る」と記されている。前述の不滅のレコードを残した青雲賞は、翌2001年から「ハイセイコー記念」に改称、大井の2歳重賞として現在も続いている。

詳細は当該記事へ→ハイセイコー

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