ディアデラノビアとは、2002年産の栗東・角居勝彦厩舎のブロンズコレクター元競走馬で、元繁殖牝馬である。
関西の競馬番組ではおなじみの大坪元雄御大が正しく馬名を言えなかった競走馬の1頭でもある。
大坪さん、「デラデラノビア」とか「ディアデラノビヤ」とかではありませんよ!
馬名の由来は母がアルゼンチンの競走馬だったことにちなみ、アルゼンチンの「恋人の日 (Dia de la Novia) 」のこと。父は日本の血統を根底から覆したサンデーサイレンス、母はアルゼンチンの最優秀3歳牝馬、最優秀古馬牝馬を受賞したポトリザリスという血統。
主な勝ち鞍
2005年:フローラステークス(GII)
2007年:京都牝馬ステークス(GIII)、愛知杯(GIII)
2歳~3歳時代(2004年~2005年)
2004年の12月という遅めの時期に阪神競馬場でデビューし、能力だけで勝ってしまったようなレースぶりで快勝。続く2005年の500万下も後にオークスで対決することになるエアメサイア以下を圧倒し連勝。同じ厩舎、同じ馬主のシーザリオと共に一気に牝馬クラシック路線の有力馬候補に名乗りを上げる。
その後、桜花賞トライアルのチューリップ賞(GIII)に単勝1.5倍の圧倒的支持を受けて出走するも7着に敗れてしまう。テレビ東京の競馬中継の某解説者が「完全に鞍上の騎乗ミス」と放送中にもかかわらず激怒したのは有名な話。 しかし、角居師は何が何でも彼女を桜花賞に出したいということでなんと連闘で同じく桜花賞トライアルのフィリーズレビュー(GII)に出走させる執念を見せたが、結果は4着。桜花賞出走を断念し、オークスに目標を切り替えた。
その後、オークストライアルのフローラステークス(GII)に鞍上武豊を迎えて出走。見事に本来の後方一気の末脚で差し切り勝ちを収め、重賞初制覇とともにオークスの出走権を確保した。オークスでは桜花賞で好走したシーザリオ、エアメサイアに続く3番人気で出走。鞍上はアメリカの名手、ケント・デザーモを迎えた。
しかし、連戦の疲れや気性面で折り合いがつくか鞍上がゴール板の位置を間違えないかなど不安要素もかなりあっての出走だったが、折り合いはなんとかつき、鋭い伸び脚を見せるものの、シーザリオの反則的な末脚とエアメサイアの粘りに屈し、3着に終わる。こうしてディアデラノビアのブロンズコレクターの道はここから始まったのである。
オークス後は同門でライバルのシーザリオと共にアメリカンオークスに出走する予定であったが、連戦の無理が祟ったのか、膝を剥離骨折してしまい、半年以上の長い休養期間に入り、3歳の競走生活を終えた。
古馬時代
半年の休養期間を経て2006年にディアデラノビアは京都金杯でレース復帰したが、ブランクが祟ったのか、6着に敗れてしまう。その後、1番人気で迎えた京都牝馬ステークスも上がり最速を記録するも5着がやっとだった。
ここで主戦騎手をその年から中央競馬に移籍したばかりの岩田康誠にスイッチ。中山牝馬ステークスで2着に入り、久々の連対を果たして復活の兆しを見せるとマイラーズカップ、ヴィクトリアマイル、オールカマー、府中牝馬ステークス、エリザベス女王杯と出走レース5レース連続3着とある意味、ナイスネイチャ先生もビックリな離れ業を成し遂げブロンズコレクターの実力を発揮する。
ちなみにエリザベス女王杯では4位入線だったものの、1位入線のカワカミプリンセスが走行妨害で降着になり、繰り上がりで3着になったこともあって、ブロンズコレクター、牝馬版ナイスネイチャとネタにされだしたのもこの頃である。 暮れには香港カップに出走するも、7着に敗退。4歳は9戦して未勝利(2着1回、3着5回)に終わる。
5歳(2007年)になってからは年明け初戦の京都牝馬ステークス(GIII)で久々の勝利をあげるも、次の阪神牝馬ステークスでは断然の1番人気に支持されるもまたもや3着に敗れた。その後はなかなか馬券圏内に入ることができずに掲示板に載るのがやっとの状態で引退の文字も見え隠れしていたのだが、暮れの愛知杯(GIII)で久々の勝利をあげた。
この愛知杯の勝利がサンデーサイレンス産駒の史上初となる重賞300勝目である。2022年現在、各馬の産駒が重賞100勝以上を達成したのはたったの5頭[1]。その中でもサンデー産駒は311勝と、280勝のディープインパクト産駒にいまだ差を付けており、どれだけヤバイかがわかるはず。ブロンズコレクターにもちゃんとサンデーの血は流れているのだ。
6歳(2008年)になってからは2走したが両方とも掲示板どころか2ケタ着順になってしまい、小倉大賞典10着を最後に引退。生まれ故郷のノーザンファームで繁殖生活に入った。
総評すれば名前が呼びづらい、ブロンズコレクターなどとネタにされた馬ではあったが、牝馬重賞戦線を盛り上げた名脇役の1頭と言えるだろう。
現在~繁殖牝馬として
現役を引退後は生まれ故郷のノーザンファームで繁殖牝馬として頑張っていた。先に触れた通り、彼女の父はサンデーサイレンスなので、サンデーサイレンス系の牡馬は交配できず、交配相手はシンボリクリスエス、キングカメハメハ、ハービンジャーなどといった非サンデー系である。
産駒成績としては二番仔であるディアデラマドレがマーメイドステークス(GIII)、府中牝馬ステークス(GII)、愛知杯(GIII)の3重賞を制し、エリザベス女王杯3着の成績を収めている。そのディアデラマドレの一番仔のクラヴェルも、エリザベス女王3着に加え、その前走新潟記念・前々走中京記念(共にGIII)で3レース連続3着という珍記録を達成した。娘も孫娘も、彼女の遺伝子をしっかりと引き継いでいるようである。
余談ではあるが、彼女の産駒はディアデラバンデラ、ディアデラマドレ、ディアデルレイと「ディア○○」という名前がずっとつけられており、大坪さんが「勘弁して下さい」と言いそうな名前ばかりだったが、四番仔の馬が「サンマルティン」と名付けられたため、その法則性は崩れた。よかったね、大坪さん!ただし、大坪さんはこの馬も「サンマルテン」と呼びかねないところが非常に怖いところである。
2021年7月16日をもって繁殖牝馬を引退。ノーザンファームで功労馬として余生を送ったが、2023年4月10日に世を去った。
ちなみに彼女の兄弟や子供はほぼアルゼンチンにちなんだ名前になっているので、興味のある方は調べてみよう!
血統表
*サンデーサイレンス 1986 青鹿毛 |
Halo 1969 黒鹿毛 |
Hail to Reason | Turn-to |
Nothirdchance | |||
Cosmah | Cosmic Bomb | ||
Almahmoud | |||
Wishing Well 1975 鹿毛 |
Understanding | Promised Land | |
Pretty Ways | |||
Mountain Flower | Montparnasse | ||
Edelweiss | |||
*ポトリザリス 1995 栗毛 FNo.2-u |
Potrillazo 1982 鹿毛 |
Ahmad | Good Manners |
Azyade | |||
Azalee | Tripical Sun | ||
Akinos | |||
Chaldee 1980 鹿毛 |
Banner Sport | Raise a Native | |
La Douphine | |||
Gever | Right od Way | ||
Zaris |
- 父サンデーサイレンスは説明不要の名馬にして大種牡馬。
- 母ポトリザリスはアルゼンチン・アメリカ・ペルー・UAEで走って計13戦4勝。主な勝ち鞍はナシオナル大賞(アルゼンチンダービー・GI)、セレクシオン大賞(アルゼンチンオークス・GI)。
- 母父ポトリラーゾはアルゼンチンで9戦7勝。主な勝ち鞍はナシオナル大賞(アルゼンチンダービー・GI)、コパデオロ大賞(アルゼンチンGI)。
- 2代母チャルディは5戦4勝。ポトリザリスを含む5頭ものG1馬を輩出した。
産駒成績
特に記載がない場合、中央のみの成績。
- デイアデラバンデラ (2009年産 騸 父 シンボリクリスエス) 中央22戦1勝、地方28戦4勝
- ディアデラマドレ (2010年産 牝 父 キングカメハメハ) 16戦6勝
- ディアデルレイ (2011年産 牡 父 キングカメハメハ) 中央30戦7勝、地方8戦1勝
- サンマルティン (2012年産 騸 父 ハービンジャー) 中央22戦6勝、地方22戦4勝
- ドレッドノータス (2013年産 騸 父 ハービンジャー) 31年6勝
- バルデス (2014年産 牡 父 ハービンジャー) 7戦3勝
- エルディアマンテ (2015年産 牝 父 キングカメハメハ) 5戦0勝
- カウディーリョ (2016年産 牡 父 キングカメハメハ) 16戦5勝 2022年11月19日現在現役
- グレイトオーサー (2017年産 騸 父 ノヴェリスト) 15戦3勝 2022年11月19日現在現役
- ディオスバリエンテ (2018年産 牡 父 ロードカナロア) 8戦1勝 2022年11月19日現在現役
- グランディア (2019年産 騸 父 ハービンジャー) 8戦2勝 2022年11月19日現在現役
- メグスタス (2020年産 牝 父 ドレフォン) 1戦0勝 2022年11月19日現在現役
関連動画
関連項目
脚注
- *2022年11月13日現在産駒のJRA重賞勝利数はサンデーサイレンス(1986年産)311勝、ディープインパクト(2002年産)280勝、キングカメハメハ(2001年産)133勝、ステイゴールド(1994年産)116勝、ヒンドスタン(1946年産)113勝(全て地方・海外は除く)
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