シーザリオとは、2002年生まれの日本の元競走馬、繁殖牝馬。日本調教馬として初めてアメリカのGI競争を勝利した馬として、そして偉大な母として日本競馬史に名を刻む名牝である。あと米現地アナのジャッパニィィズ!!スゥッパァスタァァァア!!! セィッザァッリオォォォオ!!!!という絶叫実況も有名。
馬名の由来はシェイクスピアの喜劇「十二夜」に登場するヒロイン、ヴァイオラが男装時に名乗った名前。「十二夜」の日本語訳ではもっぱら「シザーリオ」と表記されるので、競馬を知らない人からは表記ゆれ扱いされてしまうこともある。発音記号は【tʃeˈsɑ:ri:əʊ】で、上記の実況どおり。
馬主は現在に至るまでの名牝を数多く輩出している一口馬主のキャロットファーム。
主な勝ち鞍
2005年:優駿牝馬(GI)、アメリカンオークスインビテーショナルステークス(GI)、フラワーカップ(GIII)
この記事では実在の競走馬について記述しています。 この馬を元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するキャラクターについては 「シーザリオ(ウマ娘)」を参照してください。 |
クリスマスの終わりに
血統
父スペシャルウィーク、母キロフプリミエール、母父Sadler's Wellsという血統。
父は説明不要、武豊に初のダービーを授けた98年度を代表する優駿。しかし初年度産駒の成績は期待外れと言っていいもので、少々怪しい目で見られ始めていた。
母自身は米GIII勝ち馬だが、兄弟に重賞勝ち馬はおらず、シーザリオ自身の兄弟では父サンデーサイレンスの兄プロトンが900万下特別を勝ったのがせいぜいで、血統表を遡っても活躍馬は5代母の子孫にドバイWC馬Pleasantly Perfectが見つかるくらいという程度の血統。
これらの事情から、クラブ法人の募集価格は1400万円と、それほど期待された馬ではなかった。
2歳~桜花賞まで
しかしデビュー後は新馬、寒竹賞と福永祐一を背に連勝。特に寒竹賞では後の重賞勝ち馬であるアドマイヤフジやダンスインザモアを破ったことで一躍牝馬クラシック戦線の有力候補として名乗り出る。
3戦目となったGIIIフラワーCでは1.4倍の圧倒的1番人気に推され、その人気に応え2着馬に2馬身半差をつけて圧勝。桜花賞の最有力候補にのし上がった。
迎えた桜花賞では福永騎手が先約のあったフィリーズレビューの勝ち馬で本命候補の1頭であるラインクラフトに騎乗するため、公営名古屋競馬所属の吉田稔に乗り換わり。
3.9倍の1番人気に推されたシーザリオはそれまでのレースでは先行して勝っていたが、このレースでは中段やや後方に控える形に。さらに4コーナーで包まれるなど窮屈な競馬となり、好スタートから好位につけていたラインクラフトとは対照的な形となった。前が開くとそこから猛然と追い詰めるものの、完璧に立ち回ったラインクラフトをアタマ差捕らえきれず2着に敗れた。
日米オークス2冠への道
ラインクラフトは距離適性を考慮してNHKマイルカップに進み、それに伴ってシーザリオの鞍上も福永が復帰。
そのラインクラフトがNHKマイルCを圧勝したこともあって、シーザリオはオークス本番では1.5倍の圧倒的1番人気となる。 レースでは絶好のスタートを切ったエアメサイア騎乗の武豊に前をふさがれたことから後方の位置取りに。超スローペースになったこともあっていくら直線の長い東京競馬場とはいえ絶望的とも思える位置になったが、前が開くとそこから猛然と追い込み、勝利を確信したエアメサイアを上がり3ハロン33.3の豪脚でクビ差とらえて優勝。あまりの強さに自身も認める完璧な騎乗をした武豊もただただ脱帽するほかなかった。
陣営が次に選んだのは前年にダンスインザムードが2着に敗れたアメリカンオークスへの海外遠征。
2番人気に推されたシーザリオは好スタートから3番手につけ、向こう正面で前の2頭が後退してきた所を先頭に立つと後続をぐんぐん引き離し、直線半ばでシーザリオの勝利を確信した場内アナウンサーが"Japanese superstar Cesario!!"と絶叫するほどの圧倒的なパフォーマンスで優勝。ゴールしたときには後続との差は4馬身に離れていた。
なお、この勝利は父内国産馬として初の海外GI制覇であり、また日本調教馬として初のアメリカGI制覇でもあった。
喝采に迎えられて
その名の由来は
自身をいつわり
報われぬ恋に身を焦がす
舞台劇のヒロイン。
ところが彼女は運命に抗い
みずから台詞を書き換える。
「かなわぬ思いなどない」と。
僕らの前で、そして海の向こうで
披露された全身全霊の演技は
大いなる喝采を浴びた。
その後も秋華賞の最有力候補とされていたが、レース直後に繋靭帯炎を発症。この年のJRA最優秀3歳牝馬及び最優秀父内国産馬に選ばれたものの、翌年、復帰を目指した調教中に再び繋靭帯炎を発症したことから引退を余儀なくされた。
なお、シーザリオについて福永は後に「自分の乗った中でも群を抜く最強牝馬」と語っている。
引退後
生まれ故郷のノーザンファームで繁殖牝馬となったものの、最初の2頭の産駒はいずれも競走馬になれるかどうかのレベルで体質が弱く(1番仔は1戦1勝のみ、2番仔はデビューすら出来ず死亡)、大成できなかった。
しかし3番仔のエピファネイア(父シンボリクリスエス)はデビューから3連勝でラジオNIKKEI杯2歳Sを完勝、3歳になっても皐月賞・東京優駿でいずれも2着。そして秋には不良馬場の菊花賞を圧勝し、母に初の産駒GI勝利を届ける。エピファネイアは翌年ジャパンカップも圧勝しGI2勝を挙げた。
その後も6番仔のリオンディーズ(父キングカメハメハ)が朝日杯FS、9番仔のサートゥルナーリア(父ロードカナロア)がホープフルSとそれぞれ2歳GIを勝利し、サートゥルナーリアは皐月賞も勝利した。
2021年2月27日、子宮周囲の動脈断裂による出血性ショックで急死。19歳だった。その翌日に現役時代にシーザリオを管理していた角居勝彦が調教師を引退、引退前のインタビューで「一番好きな馬」にシーザリオを挙げていた中での訃報だった。
シーザリオの死後、孫のエフフォーリアが皐月賞などGIを3勝する活躍を見せ、GI9勝の三冠牝馬アーモンドアイもエピファネイアとの間に産駒を授かるなど、今後も競走馬の血統から彼女の名が消える事は無いだろう。
血統表
スペシャルウィーク 1995 黒鹿毛 |
*サンデーサイレンス 1986 青鹿毛 |
Halo | Hail to Reason |
Cosmah | |||
Wishing Well | Understanding | ||
Mountain Flower | |||
キャンペンガール 1987 鹿毛 |
マルゼンスキー | Nijinsky II | |
*シル | |||
レディーシラオキ | *セントクレスピン | ||
ミスアシヤガワ | |||
*キロフプリミエール 1990 鹿毛 FNo.16-a |
Sadler's Wells 1981 鹿毛 |
Northern Dancer | Nearctic |
Natalma | |||
Fairy Bridge | Bold Reason | ||
Special | |||
Querida 1975 黒鹿毛 |
Habitat | Sir Gayload | |
Little Hut | |||
Principia | Le Fabuleux | ||
Pia |
クロス:Northern Dancer 3×5(15.63%)、Hail to Reason 4×5(9.38%)、Turn-to 5×5(6.25%)、Almahmoud 5×5(6.25%)
主な産駒
関連動画
関連コミュニティ
関連項目
JRA賞最優秀父内国産馬 | ||
優駿賞時代 | 1982 メジロティターン | 1983 ミスターシービー | 1984 ミスターシービー | 1985 ミホシンザン | 1986 ミホシンザン |
|
JRA賞時代 | 1980年代 | 1987 ミホシンザン | 1988 タマモクロス | 1989 バンブービギン |
---|---|---|
1990年代 | 1990 ヤエノムテキ | 1991 トウカイテイオー | 1992 メジロパーマー | 1993 ヤマニンゼファー |1994 ネーハイシーザー | 1995 フジヤマケンザン | 1996 フラワーパーク | 1997 メジロドーベル |1998 メジロブライト | 1999 エアジハード |
|
2000年代 | 2000 ダイタクヤマト | 2001 該当馬無し※1 | 2002 トウカイポイント | 2003 ヒシミラクル | 2004 デルタブルース | 2005 シーザリオ | 2006 カワカミプリンセス | 2007 ダイワスカーレット |
|
※1.該当馬無しを除く最多得票馬はナリタトップロード。 | ||
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