ニッポン放送 | |
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Nippon Broadcasting System | |
基本情報 | |
略称 | LF |
国 | 日本 |
所在地 | 東京都千代田区有楽町一丁目9番3号 |
運営事業者 | 株式会社ニッポン放送 |
放送対象地域 | 関東広域圏(関東7都県) |
ラジオ周波数 | 1242kHz(AM/中波) |
ラジオ系列 | NRN |
コールサイン | JOLF |
開局年月日 | 1954年7月15日 |
設立年月日 | 1954年4月13日 |
備考 | |
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放送局情報テンプレートボックス |
株式会社ニッポン放送 (Nippon Broadcasting System, Inc.) とは、関東広域圏をエリアとするAMラジオ放送局である。
- 親局(木更津送信所、千葉県木更津市)1242kHz 出力100kW(指向性アンテナ)
- 補完中継局(東京スカイツリー、東京都墨田区)93.0MHz 出力7kW
- 予備送信所(足立予備送信所、東京都足立区)1242kHz 出力1kW
概要
フジサンケイグループに属する中波ラジオ放送局。以前はフジテレビジョンの親会社、そして形式上フジサンケイグループの統括企業としても機能していた。
長寿深夜番組「オールナイトニッポン」の製作局として全国的に有名な放送局である。
1980~1990年代前半は聴取率トップを独走し、派手好きのフジサンケイグループらしく、大々的なキャンペーンをよくやったり、プレゼントばら撒き作戦などを積極的にやる局として一部では有名だった。
2001年、TBSラジオに首都圏のラジオ聴取率トップの座を奪われる。以降しばらくは2位の座をキープしていたが、近年では文化放送、NHKラジオ第一、J-WAVEと第2位の座を奪い合う団子状態となっている。
IPサイマルラジオ協議会に参加しており、2010年3月15日からradiko.jpにてインターネットサイマル放送を行っている。
また、2015年12月7日にはTBSラジオ、文化放送と共に東京スカイツリーからFM補完放送(ワイドFM)を開始、93.0MHz(愛称:HappyFM93)でも聴取可能である。
フジサンケイグループの統括企業から傘下企業へ
かつてはフジサンケイグループの統括企業として機能しており、放送事業よりもそちらの方の利益で大儲けをしていた。
しかしフジテレビよりもニッポン放送のほうが規模が小さく、企業買収の対象とされやすいといわれていた。そこでグループを安定させるために、フジテレビがニッポン放送の株を購入して、親子関係を逆転させようとした。しかしホリエモンに目をつけられてめんどくさいことになり、その後のgdgdはご存知のとおり。
結局、ニッポン放送はフジテレビの子会社となった。現在のニッポン放送は旧ニッポン放送(ニッポン放送ホールディングスに改称の後、フジテレビに吸収合併)から分割された新しい会社。
このニッポン放送とフジテレビの親子関係の逆転と前後して、ニッポン放送に在籍していたアナウンサーや番組スタッフなどの社員が大量にフジテレビへと転属されている。
また、ライブドア問題を期に、ニッポン放送にそれまで存在しなかった労働組合がようやく結成されることとなった。
ちなみに、レコード会社のポニーキャニオンは元々ニッポン放送の関連会社「ニッポン放送事業社」として創業した会社である。
主なワイド番組(2015年4月現在)
- 高嶋ひでたけのあさラジ!(月~金5時~8時)
- 垣花正 あなたとハッピー!(月~金8時~11時半)
- テレフォン人生相談(月~金11時~)
- 高田文夫のラジオビバリー昼ズ(月~金11時半~13時)
- 大谷ノブ彦 キキマス!(月~木13時~16時)
- ザ・ボイス そこまで言うか!(月~木16時~17時半)
- 望月理恵・上柳昌彦 金曜ブラボー。(金13時~17時20分)
- ショウアップナイター(ナイターシーズン 18時~21時)
- オールナイトニッポンGOLD(月~金22時~23時50分)
- ミュ~コミ+プラス(月~木24時~24時50分)
- オールナイトニッポン (月~土25時~27時)
- オールナイトニッポンZERO(月~金27時~28時半)
- 德光和夫 とくモリ!歌謡サタデー(土曜5時~7時40分)
- ゴッドアフタヌーン アッコのいいかげんに1000回(土曜11時~13時)
- 辛坊治郎 ズーム そこまで言うか!(土曜13時~15時)
- オールナイトニッポンサタデースペシャル 大倉くんと高橋くん(土曜23時半~25時)
- オールナイトニッポンR(土曜27時~28時半)
- くり万太郎のサンデー早起き有楽町(日曜5時~7時)
- イルカのミュージックハーモニー(日曜7時~9時)
- 三宅裕司のサンデーハッピーパラダイス(日曜9時~12時)
- 土田晃之 日曜日のへそ(日曜12時~14時)
- 日曜競馬 ニッポン(日曜14時半~16時)
- 笑福亭鶴瓶 日曜日のそれ(日曜16時~17時半)
- 中島みゆきのオールナイトニッポン 月イチ(日曜27時~29時)※月1回放送
スタブ
この項目の記事主はTBSラジオ派なのでニッポン放送の番組には興味が無いようです。
ニッポン放送リスナーの方はがんばって編集してください。
過去の主な番組
- オールナイトニッポン
- 笑福亭鶴光(1974~1985)
- タモリ(1976~1983)
- 所ジョージ(1977~1980、1981~1982)
- 中島みゆき (1979~1987)
- ビートたけし(1981~1990)
- 谷山浩子 (1982~1986)
- とんねるず(1985~1992)
- 伊集院光(1988~1990)
- 松任谷由実 (1988~1999)
- 大槻ケンヂ(1988~1989、1990~1991)
- ウッチャンナンチャン(1989~1995)
- 電気グルーヴ(1991~1994)
- 松村邦洋(1993~1999、途中中断時期あり)
- ナインティナイン(1994~2014)
- 西川貴教(1997~2005)
- くりぃむしちゅー(2005~2008)
- 夜ワイド
- 笑福亭鶴光の噂のゴールデンアワー(1987~2003)
- タモリの週刊ダイナマイク(1990~2005)
- 福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル ”魂のラジオ”(2000~2015)
スタブ
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黒歴史
LF+R
「Love & Friends + Radio」を意味するらしい。
「オールナイトニッポンSUPER!」(旧夜ワイド枠)、「@llnightnippon.com」(旧1部)、「オールナイトニッポンr」(旧2部)の三部放送の時期。
また、AMラジオなのにFMラジオにかぶれたような編成を行う大愚策を行った。
25時台の番組をすべて22時台に移動させ、早い時間帯となったため番組内容に制限がかかるなどした。さらに「雰囲気に合わない」という理由で人気長寿番組であった「松村邦洋のオールナイトニッポン」と「松任谷由実のオールナイトニッポン」を終了させている事もリスナーの反発を生んだ。
さらに開始直後は22時台は関東ローカルのみの放送とインターネット同時放送だけとなってしまい、地方のリスナーからかなりの反発があった。1999年当時はまだPC、及びインターネット回線の普及率が非常に低く、通信費の定額サービス発足前である事も影響した。Eメールによるメッセージ、ネタ募集も聴取層である学生の携帯電話普及率の低さから空回りに終わる。
その後、同年10月より地方局もネットし始め、最終的にはほぼ全国ネットになったが、地方局の夜番組の制作を奪う結果となってしまった。さらに秋田放送、北陸放送、南日本放送などJRN寄りの編成を行う局ではTBSラジオの裏番組「アクセス」にネット枠を奪われる事態にもなった。
余談だが「ナインティナインのオールナイトニッポン」はわずか半年で木曜25時台に復帰したが、22時移動による番組内容の制限、下ネタに関する自主規制で「番組内容がつまらなくなってしまう」と危惧しためちゃイケスタッフが、ナイナイには内緒でよいこにネタハガキを投稿させる企画を行ったが、一度も採用されることが無く、番組が25時台に戻ってもネタハガキ投稿し続け、それでも読まれず、最終的にめちゃイケメンバー全員協力してハガキを送ったところ、何故か武田真治のハガキが採用された。
岡村隆史は1999年3月の枠移動前最終回で「必ず半年で1時台に戻る」と宣言している。最初期の旧1部「@llnightnippon.com」は2時間通しのパーソナリティーが存在せず、30分番組と1時間番組を組み合わせた内容であったが、ナイナイの木曜1時復帰によりこの体制は半年で崩壊。水曜にaikoが加入し、昔の1部の形に1年で戻っている。
これが誤算となり、リスナーは「アクセス」。さらに伊集院光、コサキン、爆笑問題を有する「UP's(現・ジャンク)」にリスナーを大量に奪われ、ニッポン放送聴取率1位陥落の引き金となった。過去に10数社を誇ったオールナイトニッポンの協賛スポンサーも激減し、聴取率トップのナイナイですら4社ほどに減ってしまった。
ニッポン放送乗っ取り未遂
ホリエモンに時間外取引で買収されそうになった。ほとんどのスポンサー逃げてしまい、オールナイトニッポンの提供に創価大学やJASRACが入るようになる。
宮本幸一
「笑福亭鶴光のオールナイトニッポン」ディレクターを務めた後、ニッポン放送の編成局長、常務取締役を経て、子会社のニッポン放送プロジェクト社長に就任した人物。
明石家さんま、とんねるず、伊集院光をニッポン放送から放逐した張本人であり、一部のラジオファンからは悪い意味で有名な人物。
- 明石家さんまが当時パーソナリティを務めた土曜夜の人気生ワイド番組「明石家さんまのラジオが来たゾ!東京めぐりブンブン大放送」(1983年~1988年)において、ナイター中継延長に関してスケジュールの都合で番組冒頭30分を録音にする処置を行った際、さんま側に無断であたかもその部分を生放送のように見せかけて放送してしまい、それがリスナーや週刊誌の間でさんまの番組に対する態度を批判する騒動に発展。これに怒ったさんまが最終的に番組を降板する事態となった。所属事務所の吉本興業とも一時険悪になる。
- とんねるずの石橋貴明に「とんねるずは俺が育てた」発言をして激怒させ、「とんねるずのオールナイトニッポン」(1985年~1992年)打ち切りの原因を作る。
ちなみに、とんねるずは「お笑いスター誕生!」(日本テレビ)出身で、「オールナイトフジ」「夕やけニャンニャン」(フジテレビ)で脚光を浴びたコンビであり、当然宮本氏はとんねるずを育てた人物ではない。 - 伊集院光とは当初から険悪。伊集院が駆け出しの頃に、泥酔していた状態で初対面した宮本氏は伊集院に頭を鷲づかみにして「売れる臭いのしない奴が来たな」と暴言を吐いた[1]。しかし、「伊集院光のオールナイトニッポン」(1988年~1990年)で注目され、「伊集院光のOh!デカナイト」(1991年~1995年)で伊集院は人気ラジオパーソナリティーになる。
だが、結局喧嘩別れして「Oh!デカ」は番組改編期ではない1995年4月27日に突如終了。TBSラジオに引き抜かれ、「伊集院光 深夜の馬鹿力」(1995年10月~)でニッポン放送を長年に渡り苦しめることとなる。
削除状況
動画 | 対象物 | 削除理由 |
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オードリーANN 第8回(代理うp)![]() |
オードリーのオールナイトニッポン(音源素材すべて) | 放送事業者の権利の権利侵害 |
関連動画
関連項目
関東地方のAMラジオ局
外部リンク
脚注
- *2014年7月15日に放送されたニッポン放送開局60周年記念番組に伊集院光がゲスト出演した後に宮本氏と再会。宮本氏はこの事件に関して「Wikipediaにデマを書かれている」と発言したそうである。しかし、伊集院はこの一件を話した「伊集院光深夜の馬鹿力」(2014年7月21日放送回)において「本当のことだよ!デマじゃねえよ!」と反論している。
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