大艦巨砲主義単語

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大艦巨砲主義(たいかんきょほうしゅぎ)とは、

  1. 20世紀前半の海軍戦略において支配的であった、「でっかいにでっかい大砲積めば最強じゃね?」という考え方である。本記事で記載。
  2. 1.の流れをもって、過去の成功経験に基づくものの時勢にそぐわなくなりつつある手法などを揶揄する言葉として使われる場合がある。

概要

木造が先込めの射撃していた頃から第二次世界大戦までの長い時代にって培われた兵術思想は、「上兵力の兵装は熕である」という考えだった。これを端的に表現したのが「大艦巨砲主義」である。[1]

ただし、その思想の全盛期は20世紀のうち前半だけであった。

20世紀初頭、1906年にイギリス海軍が建造した戦艦ドレッドノート級が大艦巨砲主義の先駆けであるとされる。本級は複数配置された同一口径のを一元的に管制する方式を採用し、従来戦艦とは較にならない力を得たことに加え、蒸気タービンの採用による優れた速度も併せ持っていた。また防御力についても列が(そしてイギリス自身も)運用・建造中の戦艦一気に陳腐化させ、列ドレッドノートしう戦艦を「(ド)級戦艦」(の字は当て字)、駕する戦艦を「(ド)級戦艦」と呼ぶようになった。

こうして、列強は大建艦競争の時代に突入していくことになる。

自己のを防ぐだけの装甲を持った戦艦は、より優れたを持つ戦艦をもってしか撃破し得ない。
つまり、強力な戦艦がどれだけ保有するかが的となり、実際に火を交えることなくそのの持つ海軍力が明されると考えるに至った。

以後、世界の列強各では戦艦建造が猛な勢いで始まることとなる。建造されるたびに艦のサイズは大きくなり(と、同時に口径も増大し)、国家財政を転覆させかねないほどの建造費を必要とするにいたってようやく列強各は頭を冷やし1921年ワシントン海軍軍縮条約による中断期間(海軍休日)を迎えることとなる。

第二次世界大戦が発生すると、それまでは単なる補助戦力としか見られていなかった「航空機」が戦艦艦砲よりも優れた火力投射手段であることが明になった。戦後航空機兵装とする「空母」が戦艦に取って代わり、空母を持てない水上艦の兵装に「ミサイル使い捨て航空機)」を選択し、大艦巨砲主義は終了した。

大艦巨砲主義の終焉

一般的には、大艦巨砲主義は海軍戦略航空義への転換に伴って終焉をみたとされる。
しかし実際には、それ以前に大艦巨砲主義の落は始まっていたとする解釈もある。
第一次大戦においてドイツ英国戦艦巡洋戦艦隊が入り乱れたジュットランド(ユトランド)戦において発生した予想だにしない中・遠距離戦は双方に多大な損をもたらした。
それまで巨費を投じてこつこつと培ってきた戦艦がわずか数時間、一日の戦によりの藻と化す。この現実衝撃を受けたのか、ドイツ海軍は艦隊保全義により傾倒し、艦隊は「そこにいるだけ」であれば良いと考え、潜水艦などを使った通商破壊戦に注力することなる。対する英国ドイツ通商破壊戦に対して海上護衛戦を行っていくことになった(この背景にはドイツ英国との戦力差があまりにも大きかったということもある)。
これはWW1の戦いの有様が国家力(経済など様々な点)を必要、あるいは阻するための総力戦となったため、局所的な上支配権を獲得するための手法として「戦」という方法がコストパフォーマンスに合わなくなってきたととしてみるべきかもしれない。

またジュットランド(ユトランド)戦の戦訓は、「遠距離撃戦における大度で落下する弾を防ぐためには、より一層の装甲化が必要」ということであり、結果として戦艦に対する建造・維持コストの増大をさらに促した。
戦艦が実戦ではあまり意味のない金食いであるという認識を各海軍関係者がどれほど共有していたかはともかく、国家財政が傾くほど巨額な経費がかかる戦艦の建造を抑えるべく、戦間期に戦艦の建造は条約によって規制されることとなり「海軍休日」と呼ばれる時期を経て、第二次大戦へと至る最後の建艦競争に突入した。

もっとも、この時点で戦艦の攻撃手段である大砲による攻撃というのは限界に達しようとしていたのも事実である。すなわち、どれだけ巨を搭載したとしても観測できる見通し距離は(地球は丸いので)線を越すことは出来ないという現実にぶつかることになった。
観測できない距離での撃を可にするため、戦艦に弾着観測用の航空観測機を搭載しようという手法も生み出されたが、当時芽しつつあった航空機の集中運用プラットフォーム、すなわち空母に搭載されている艦載機によって阻されることは眼に見えていた。

ここで諸外海軍関係者の中から、観測機を蹴散らすための航空機爆弾を積めば、より遠距離での攻撃が可になるのでは?というアイデアに達する者が出てくるのは時間の問題だったといえるだろう。
もっとも、この時点では航空攻撃によって行動中の戦艦を撃破することが可だとはまだ確信されていなかったのであるが。

大艦巨砲主義の席巻は、第二次世界大戦によって終わりを告げる事になる。イギリス軍によるタラン襲、次いで日本海軍による真珠湾攻撃において、空母航空戦力が戦艦を撃破しうることが明された。しかし、いずれも撃破されたのが「停泊中の」戦艦だった事から、依然として作戦行動中の戦艦航空機では倒せないという考えが流だった。だが、真珠湾攻撃から僅か2日後にその考えは覆される事になる。世界の戦い方を変えたマレー沖海戦の生起である。この戦でイギリス海軍が誇る新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズ巡洋戦艦レパルスが「作戦行動中に」航空攻撃で撃沈され、しかも日本側の被害は陸攻3機喪失のみというワンサイドゲームであった。の王者たる戦艦航空機敗した事実は、列強各驚愕させた。こうして航空理論は大艦巨砲主義に対する優位を確立した。「戦艦力を発揮するための偵察役」あるいは「偵察役である観測機を撃破する」ためであった空母機動部隊の地位が、従逆転したのである。このマレー沖海戦に、戦の役は空母航空機に変わっていった。

日本海軍大和戦艦を建造したことを「時代錯誤な大艦巨砲主義」と評することもあるが、大和建造計画が立案された当時はまだ航空機流ではなかったので、注意が必要である。航空機役になるきっかけを作ったマレー沖海戦戦艦大和工の僅か2日前であり、未来予知力でもい限り大和の建造は至極当然であった。結果だけを見るならば、日本海軍に先見の明がなかったとも言える(その日本海軍が前述の真珠湾攻撃空母の有力性を世界明してしまったのがなんとも皮)。余談だが、大和級三番艦「信濃」は建造中に戦艦から空母に変更されている。

一方、諸外ではどうだったかというと、アメリカではルーズベルト大統領経済政策による一つとして、戦艦建造計画がスタートしていた。雇用対策、すなわち公共事業としての戦艦(だけではなく空母まで)量産が行われていたわけで、もはや力の差はいかんともしがたいものがあり泣ける始末である(日本海軍アメリカ海軍に対して優越することが出来たのは、開戦の有に関わらず1943年前後だというのが日本海軍の判断で、この背景があったからこそ山本五十六の「一年、二年であれば…」という有名な発言につながっている)。
もっとも最後の戦艦アイオワ級は大艦巨砲主義というよりは日本金剛級を意識したような巡洋戦艦進化として誕生している。
英国ではキング・ジョージ5世戦艦戦争前に建造開始されたものの、生き残った四隻は戦争が終わるとあっという間に訓練艦、予備役艦艇扱いとなってしまった。戦争中に建造されたのはヴァンガード戦艦だけ。さらに言えばヴァンガード級の建造的も未使用の身があったので、もったいないから…というもので、建造されたのは一隻にとどまる(ただし英国戦艦技術のを結集して作られたのはいうまでもない)。

しかし、大艦巨砲主義が覆されたとしても戦艦の存在意義が否定されたわけではない。その撃力を生かして沿撃で活躍した事実もある。金剛ガダルカナル・ヘンダーソン飛行場撃)、ガングート級(レニングラード攻囲)、アメリカ海軍戦艦によるノルマンディ上陸作戦硫黄島沖縄などの上陸戦で有効な撃を行っている。陸軍が運用する大砲サイズはせいぜい口径120mm210mmであり、これは駆逐艦サイズといってもいい。かたや超弩級戦艦305mm400mmという大きさである。戦艦がいかに巨大な大砲を扱っているかわかるだろう。
金剛型戦艦による沿撃の成果は一個師団に匹敵する、という報告があがるのもむべなるかな、ということだ。ちなみに戦艦による対地艦砲射撃を最初に行ったのは日本で、甚大な被害を受けたアメリカ軍がその戦法を自軍に取り入れてガンガン行った。

戦後も、米海軍アイオワ級戦争のたびに沿撃用に引っり出し、後にトマホークCIWSを搭載する魔改造やらかしたお前はどこのウォーシップコマンダーだ。
もっとも、当時はトマホークを集中運用するプラットフォームがなく、「戦艦引っりだすならついでに乗せちゃえば?」みたいなノリだったとは思うが…そのアイオワ級現在はすべて退役し、記念艦や博物館として余生を過ごしている。

余談ではあるが、アイオワ級最大の功績と言えばスティーブン・セガールと沈黙シリーズを世に送り出したことである。

大艦巨砲主義とロマン

シンプルに強く、堅く!を志向する大艦巨砲主義は、々の意識の単純な部分に強く訴する。

そもそも、つるん、ぺたん、な航空母艦フラットトップ)よりも豊満でメリハリの利いた戦艦の構造そのものにに惹かれてしまう部分があるのは否めない。いや、両方好きですけど。

「あれ、戦艦に飛行甲つけたら最強じゃね?」
「あれ、空母にでっかい積んだら最強じゃね?」

妄想が膨らんでしまった人のために、「こうくうせんかん」というものがある。

かつて日本海軍が保有していたが、2009年3月海上自衛隊が「重航空護衛艦ひゅうが」としてリメイク。巨というには若干ものたりなくもあるが、せっかく予算を組んで建造してもらったのだから、ロマンを楽しんでみて欲しい。

個人的な領域における大艦巨砲主義

強く、硬く、太く、長く、多く、そして…
よりもい!

・・・という大艦巨砲主義の理想を全に達成することは、現実的には様々な制約から不可能であることは歴史の教訓からみて自明である。

(´・ω・`)

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関連項目

脚注

  1. *「現代の軍艦 : 第二次大戦以後における艦艇の進歩」元美 出版協同社 1957 p.78

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大艦巨砲主義

316 ななしのよっしん
2024/01/04(木) 06:55:53 ID: AUOdL2g53g
大艦巨砲主義が終わっても「戦艦は沈めにくい」という現実は変わらなかったんだよな
連合艦隊マレー沖海戦を最後に戦艦を沈めることができなかった
太平洋艦隊も航空攻撃で戦艦を沈めることができたのはレイテ沖海戦になってから

その一方で、戦艦力ではなくなったが空母の護衛に対地射撃にと仕事が増えた
さを活かして敵機を引き付け機動部隊の「防御力」を底上げする被害担当艦にもなれた
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317 ななしのよっしん
2024/01/06(土) 07:01:17 ID: Nq4F6sTCjJ
攻撃機戦艦無視して空母を優先して攻撃するだろうし被害担当にはならんのでは?
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318 ななしのよっしん
2024/01/06(土) 07:15:02 ID: gQ4ejAugoA
打撃力にしても防衛力にしても、クルーザーで片付く仕事を独活の大木理くりやらせてるだけのような
戦艦が簡単に沈むか!!なんてネタもあるけどそれこそ空母の戦力がなきゃさくっと力化されるんだし
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319 ななしのよっしん
2024/01/06(土) 20:58:38 ID: AUOdL2g53g
>>317
どの戦でも戦艦に攻撃しちゃう機体は一定数出てるぞ
なにしろデカくて立つし沈めれば軍功になるからな
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320 ななしのよっしん
2024/03/07(木) 10:56:51 ID: d9hFf2MsXO
二次戦時点でも空母だけでいい、みたいな観測になりがちなんですが、むしろ空母力を十全に生かすために戦艦の随伴が必要だったのです

空母は荒間では運用に多大な制限があり不期遭遇もあるわけだから、そこで簡単に退いたり戦に対応できなかったりすると機会損失が生じます

この変化は微妙だからわかりにくく、機動艦隊は戦艦が随伴しているからこそ戦を挑まれにくくなり空母のキレが増す、よって戦の重が低下する、という理屈です

ここが面倒なので空母だけでいいと誤解されがちなんですが
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321 ななしのよっしん
2024/03/10(日) 14:48:50 ID: Nq4F6sTCjJ
>>319
空母の実力が知れ渡ってからはそうした機体もごくわずかだろう
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322 ななしのよっしん
2024/03/28(木) 12:16:24 ID: QbsZQyO3Dd
そもそも20〜30年代ソ連以外は不気で戦艦も!伸びてきてる空母も!なんて事をやる余裕はあまりかなったしね。
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323 ななしのよっしん
2024/05/13(月) 21:34:09 ID: 7Mqamz1AAA
第二次世界大戦後、海軍力が戦艦から空母へ移ったと歴史では語られるけれど、それはアメリカ海軍のみで正しい。空母を保有できない、もしくは少数しか持てない潜水艦駆逐艦、もしくはフリゲート力になった。この事実はあまり軍事史では強調されないよね。
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324 ななしのよっしん
2024/09/30(月) 00:12:21 ID: qx8JOWHQkp
>>317 >>321
特攻で艦隊の端で防担当してた駆逐艦に突っ込んでってたりするのと同じで
高価値な標を狙って・攻撃できないまま対空砲火で駄死にするくらいなら低価値でもいいから敵艦を攻撃する、ってパターンはありがちなはず
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325 ななしのよっしん
2024/12/02(月) 09:49:25 ID: Py46Oby5N/
被害担当艦の記事にもあるが被害担当には「なれた」のでよかったねって話であって望んで・自的に「なった」わけではない
また武蔵が沈んだレイテ沖海戦の頃は航空機が壊滅した日本空母は浮かぶで、実際アメリカの機動部隊を引き付ける囮として空母部隊は使われた
武蔵艦長が引き受けたと認識した被害は随伴の駆逐艦巡洋艦のもの

一方で、航空機の時代に戦艦が戦果を挙げられないのは戦艦の射程に入る前に交戦できないくらい損を受けるから…逆に言えば損を与えなければ自軍の水上戦力にを開けられるのは変わりない
軍事では「損を受けるから」「塹壕にこもられると損が出ないから」「制圧射撃を受けてそれ以上前進できなくなるから」1対1では戦果が見えにくいが、「拘束」「制圧」「火点の暴露」など戦術単位ではむしろ必須要素なパターンも多い)

また交戦できないかどうかは相手の戦力による
戦では互いに十分な戦艦戦力があったので何度か突撃の機会を伺いつつも航空戦力がやられた時点で不利が確定し撤退せざるを得ず、両軍決戦の機会はなかった
(省略しています。全て読むにはこのリンクをクリック!)
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